2023.07.15
ASPOS(政治社会学会)のセミナー『復興とレジリエンスの政治社会学』を聞いた。2011年の東日本大震災からの復興をリードした岡本全勝さんの話。役所のトップとして全体を取り仕切った。前代未聞の災害だったために予想外の対応を迫られたが、現場の状況を把握してくれる部下を置いて柔軟に対処できた。

・・・避難所のベッド問題、パーティションの問題、トイレ問題、高齢者の薬の問題、、、。仮設住宅を5万戸、借り上げ住宅を5万戸。移転してから孤立生活者の問題が浮上した。片づけが終わってから、今後の住居の配置について概ね一年かけて生き残った住民と議論した。街作りの専門家を入れ、外部からの調整者を入れてもなかなかまとまらなかった。宮古地区では山を切り開いて高台に移転した。岩沼地区では6つの海辺の集落が全滅したため、それらを一緒にして内陸に移転した。幸い仙台市に近かったため、もはや漁業をあきらめた被災者たちが選択できた。女川町では山を切り開くだけでなく、平地を10m嵩上げして住宅地を作った。これらの土木工事は結局10年かかったが、日本のゼネコンは優秀であった。

・・・インフラが出来ると次の問題に気づく。被災者が帰ってこない。お店も無く、仕事も無いからである。またとりわけ一人暮らしの男性は孤立してしまう。町内会を作るように仕向けたら担い手は殆ど女性であった。今頃になって気づいたのだが、今回の災害復興は初めて人口減少期の事例になっている。つまり、インフラを作っても人口は減っていくのである。住宅・防波堤など、結局予算の無駄使いではないかと責められるが、当事者は法律に従って懸命にやってきた。やはり、一番重要なのは働く場所を作ることである。

・・・岡本さんの担当は津波災害からの復興事業であり、原発事故からの復興とか新型コロナ対応に比べればうまくいったと考えられる。復興事業を推進する上でよかった処は、政治と役人の役割分担が明確で、役人の側のトップが常に全体を把握できていた、ということである。(原発対応やコロナ対応では全体を把握して語れる人が居ない。)勿論これは岡本さんが一人でできることではない。いろいろな情報を集めて提案してくれる部下を持ったことや、公文書管理の専門家に記録を残してもらったこと、等が良かった。コロナ対策での初期に安倍首相が「来週から小中学校を閉める」と言い出して、大混乱になったのだが、彼の周囲にそのことの波及効果を語る人が居なかったのだろうか?リーダーシップの本当の意味を良く考え直さなくてはならないだろう。原発対応で言えば、福島第一原発の所長は素晴らしい奮闘をしたのであるが、いくつか重大なミスもあった。第二原発の所長は自ら原発の隅々まで把握していたので、適切な対応が出来た。実際の処は第二原発の方が危なかったのである。

・・・日本は(東京とトヨタ以外は)衰退局面にある。これは経済政策の責任が大きい。産業構造の変革を目指すことなく、当面の景気浮揚策としての金融政策に走ってきた。防衛費や少子化対策にしても、財源の議論を先送りにして、政権を維持しようとしている。過去の例を見ても、増税策は人気がないから、増税は革新政党に背負わせておいて、その成果を選挙で横取りする、というのが自民党のやり方である。

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