VOLVO(ボルボ) B10M・富士重工 連節バス |
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1985年に開催されたつくば万博(EXPO85 科学万博)用に万博中央駅〜会場間に100台の連節バス(連接バス)がスーパーシャトルバスとして導入された。半年の開催期間後にバスは2両目の乗降口が座席に改造されるなどしてリムジンバス(東京空港交通)に20台が譲渡され、1986.12.5よりTCAT(箱崎)〜成田空港間を湾岸線経由で運転されていた。 当時の成田空港は陸の孤島状態で、まさにリムジンバスが唯一の公共交通機関であった。空港に行く芸能人までもがバスを利用する時代で、増加する空港利用者を輸送するには、連節バスの輸送力が非常に役立ったようだ。 連節バスはリムジンバス(東京空港交通)でも初物尽くめの特殊なバスであった。 ■名称 連節バス(2両目とくっついているということで「節」の漢字、「接(連接バス)」だと2両目と切り離せるという事で牽引免許扱いとなってしまう))ため「節」という漢字になった。 ■車庫 習志野事業センター所属としバックを考慮していないための、整備施設(3軸ジャッキ、長大洗車、前入れ前出しの駐車スペースを新設した。 芝園2丁目にあった習志野車庫へはR357浜田より県道15号線を使用してアクセス。 ■車両 ・L651〜L670の20台を導入 (651-61055V→651〜667) ・当初は路線17台、ランプ3台(路線車は2+2座席+後部ドアを取り外し荷物室改造、ランプはEXPO仕様) ・その後20台路線 ・末期に3台(668-670)がランプ転属(2+1座席改造、荷物室つき) ・箱崎(TCAT)→成田のテナント便(当時TCAT発テナント便=TCATチェックイン客用の120便のうちの40便をを18台で担当) 【成田行はテナント便(TCATチェックイン済客輸送)とノンテナント(成田空港でのチェックイン客)便も2種類のバスがあった。】 ■運行準備 習志野〜TCAT〜NRT〜TCAT〜NRT〜TCAT〜習志野の訓練ダイヤを2本(2両)設定し慣熟走行訓練を行った。 免許区間がかなり限定されるため、一般道強制流出時は一般道に停車後代替車を待つという方法が設定された。 ・福住・・・隅田川大橋手前 ・木場・・・三ツ目通り合流手前 ・枝川・・・白鷺橋先の路地の先 ・新木場・・・東向け:R357出入口間、西向け:R357合流手前右 ・葛西・・・環七 ・浦安・・・富岡歩道橋先路地左折 ・千鳥町・・・市川大橋Uターン路手前 ・湾岸市川・・・真間川先 ・湾岸習志野・・・東向け:習志野PA、西向け:本線内料金所先左側 ・湾岸千葉・・・習志野事業センターへ ・千葉北・・・R16千葉日野 ・四街道・・・料金所先ループ内 ・佐倉・・・料金所先出口・入口ループ内 ・冨里・・・料金所手前右側建物前 ・成田・・・料金所東関道側本線内 ■運行 ・乗務員は勤続・無事故7年以上が基準となり選抜メンバーで対応 ・運行経路は湾岸・9号(日本初の連節バス路線限定免許)で他のルートへの迂回は出来なかった。 ・回送では習志野事業センター〜湾岸習志野・湾岸千葉間の一般道も走行 ・運行形態も成田空港〜東京シティエアターミナルに集中しており、成田〜TCATをひたすら2往復半のダイヤも存在していた ・成田空港発は1PTBの北・南ウィングとも1番バス停を使用。1番バス停は連節が止まるため、2番バス停との間隔が妙に空いていた。 ・93.6.16〜福住〜箱崎(TCAT)間一般道走行(日本初の一般道路線の連節バス) 【習志野〜回送〜TCAT〜成田〜福住〜TCAT〜回送〜福住・習志野】】 (当時はレインボーがなく、都心向けの車は9号に集中(=慢性渋滞)。リムジンバス(連節以外))は新木場おり一般道に良く迂回しTCATに向かっていたが、TCAT3F降車のため、再度箱崎から高速に入るため時間がかかっており、92.12.6から連節以外の降車場を1Fにしていた。) スウェーデンからの輸入車、日本発の高速道路の路線バス(限定)での連節バス・・と常に注目を集めてきたバスである。 科学万博時代はJRの上野からの始発の到着に合わせ、万博中央駅にあった、5つのバスのホームから前後2台づつで同時10台が満員で出発する第一便に始まり、毎日科学万博会場への送迎を担っていた。 この時の定員は162名なので、一気約1620名を輸送するという形であった。 万博中央駅〜万博会場までは13kmのバス専用路であり、この一大輸送には関東近郊のバス会社(北は福島〜南は神奈川・千葉まで)から運転士が派遣され運行された。 国鉄も電車から寝台電車、客車・気動車を使っての総力輸送で、まさに国を挙げての一大イベントであった。 この当時のバスでは考えられない運行体制も話題となった。 万博中央駅は現ひたち野うしく駅になり、ここから学園西大通りを北上し、現学園西左折(バス専用の立体橋【信号なしの左折陸橋】)のルートで北門まで運行されていた。 この100台のバスはオーストラリアや東京空港交通での使用後旭川電気軌道に譲渡されていったが、現存しているバスを「アキバエクスプレス」様が動態保存をしている。 車両はVOLVO GOTEBORG工場の1984年12月製で、ボディは富士重工伊勢崎製作所製。 この度、許可を得て撮影をしました。 |
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アキバエクスプレス様でそのままの状態で保存をされている、元667-61055V(習志野)→L750(成田ランプ)の車両。 もちろんエンジンもかかる。 私にとっては科学万博以来の再開となった。 万博中央駅でバスへダッシュしたのが思い出される。 リムジンに来た連節の中でも、ランプ使用の荷物室付きの貴重な車両である。 |
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全長18m(59ft)の連節バスはやはり長い。 ボルボのスウェーデンではLedbussと呼ばれる。 海外では24.8mの2連節バスdubbel ledbuss (幌が2つ)も走っている。 |
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連節バスのリア。 後方はトランクルームになっている。 追越注意 全長18.00米 の文字と▽マークが。 最後はランプに所属していたため700番台の数字が書いてある。 |
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非公式側をリアから。 後方の750の下のルーバーは2両目のサブエンジン。1両目は直結冷房が屋根上にのっている。 非常口より後方は荷物室となっている。 |
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コックピット。 ZFのセレクタレバーが右側に、ホイールパークサイドブレーキが左側にと左ハンドル車をそのままもってきたよう。 右側のマイクは京急電車を参考につけられた一品だが、使い勝手が悪く、短命に終わった一品。 また、ハンドルの大きさから、足までが遠かったとのことで、アクセル用のMyゲタを作り当初は運転していたとか。 |
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当時から車番のテプラは健在。 750 ガス左と明記されている。 |
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車内を前方から後方へ 2+1列のシート配置。 路線(限定)の車両は2+2の配置であったが、ランプの車両は2+1配置だった。 |
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2両目の車内。 列車の車端部みたいな扉の後ろは荷物室。 軸重の関係で55名定員に絞られた路線(限定)車には荷物車両が設置され、定員を絞った分、荷物室が広くなった。 |
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広い荷物室。 | |
荷物室の扉。 | |
2両目から幌の部分。 幌というかターンテーブルのところに一席あるが、ここの乗り心地は!? 路線(限定)はしっかり独立で2名の座席があった。 |
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幌のアップ。 電車の幌部分とは違い、蛇腹がむき出しではない。 |
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懐かしい、背もたれステッカー広告。 行先も少ない。 中央上の青色が成田で下が羽田。 左側は上から銀座(パレス・帝国・新橋第一・銀座東急・銀座東武)・浅草駅(浅草ビュー)・芝(東プリ・オークラ)・九段(後楽賓館・エドモント・フェヤーモント・霞友会館・ダイヤモンド)品川(パシフィック・高輪・新高輪・都・ラフォーレ)・立川駅(立川グランド)・池袋(メトロ・サンシャイン・グラパレ)・赤坂(オータニ・赤プリ・赤坂東急・ANA)・新宿駅(京プラ・センチュリー・ヒルトン・ワシントン) 中央は 東京シティエアターミナル・東京駅・東京ディズニーランド(シェラントン・サンルート・ベイヒルトン・第一H東京ベイ・ベイ東急) 右は 横浜シティエアターミナル・横浜プリンスホテル 羽田の上3つが幕張メッセ-稲毛海岸-千葉中央駅-JR千葉駅 |
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南ウイングもJAA・カナディアン・サベナなど懐かしい航空会社がある。 当時の成田は1PTBしかなかったため。 |
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北ウイングもイベリア・JAS・オリンピックUTAなど懐かしの航空会社が。 北・南ウィングとも1番乗り場を使用しており、1番乗り場は2両分の長さがあった。 |
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空港と一直線の半蔵門線とエアロバスのステッカー。 88年導入頃のバスまでに貼ってあった記憶がある。 |
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もうひとつ懐かしいステッカー | |
非常用ボタンと幌にもたれかからないで下さいステッカー。 | |
2両目の車内用のカメラ。 連節部分で曲がると2両目が後面鏡で見れないために設置された。 ワンマン運行をするために必要になったカメラ。 バスへのこのようなカメラの設置は日本初。 |
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冷房の吹き出し口と読書灯。 | |
1両目の後方から前方。 | |
リムジンバスでは白・ピンク・ブルーの蛍光灯は当時三菱や日野車もこの色だった。 懐かしの蛍光灯! |
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現在の路線車にはついていないが、昭和時代は時計はついてた、リムジンバス。 黒い時計は珍しい。 当時は折り戸の路線車だったが、今はスイング式の扉を使用している。 |
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バックアイとカセットテープなどの放送装置関係。 | |
2両目のトランクルーム(荷物室)をあけた状態。 昔のリムジンバスは、この形で最後部にトランクがあり、ドアの下から乗降用のステップが出てくる形だった。 路線(限定)時につけられた荷物室。 |
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荷物室扉が閉まった状態。 当時係員が2名体制で、扉下のステップを使いよじ登り、荷物の積み下ろしをしていた。 この扉の脇にも丸いインターホーン装置がついている。 |
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外から荷物室をのぞく。 現在のバスのトランクにもある、黒い網(ネット)がある。 軸重の関係から最終的に55名定員になったため、荷物室が広くなった。 |
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中扉を開けた状態。 中扉は降車時に使用していた。 |
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エンジンは1両目に。 当然排気ガスも横から出る。 |
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中央部にはVOLVOのVの文字が見える。 | |
以前、入手した連節バス用のワイパー。(私がもっていも使い道が無いので・・) ちゃんと連節バスと書いてある。 |
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赤い部分にバスやら、トラックの顔が描かれている。 SWFという会社のもの。 |
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【東京空港交通 新旧リムジンバスの出会い】 2011.1.29 Sat | |
そこに東京空港交通の貸切の05号車が登場! フラッグシップの新セレガ SHD。 品川200か1465 05-60251RU ADG-RU1ESAA |
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連接の後方で待機をするL05。新旧 Airport Limousine揃い踏み。 | |
750が後方へ移動。 スーパーハイデッカーとの大きさの違いが歴然。長さでは負けない・・ 連節バスも万博輸送並の!?人が乗っている。 |
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横並び。 まさか、こんな並びが実現するとは。 |
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50と05という似たような番号の2台が並んだ。まさに時代を超えた夢の並び。 夕方になりライトも点灯し、750も出庫しそうな勢い。 並ぶと路線バス仕様とスーパーハイデッカーの高さの差がわかる。 |
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リアの並び。 空港内で実現しそうなランプと貸切の並び。 |
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海外の連節バス | |
空港高速バスの例 パリ市内ではかなり細い道も走るRoissy Bus(Opera〜CDG Airport)。 こちらは空港バスでの使用例。 2009年6月より、写真のManのLion's City GLで運行されている。最新の連節バス。 車内では日本語の放送や案内もある。 |
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VOLVO B10Mの例 スウェーデンのMalmoで運転されているB10Mの連節バス。 万博(リムジンバス)の連節バスと同じ型式。 もちろんボディは富士重工ではないので、見た目は違う。 |
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