鎌倉七口-名越切通・・・・その2

堀割道は鎌倉街道を代表する遺構なのです。関東各地に残る鎌倉街道の堀割道は私が作成した「昔のままの道が残る鎌倉街道」に多くの写真を載せてあるので参照してみてください。「こんな道は、山林の中へ行けば、何処にでもあるよ。」と言いたげな人もいることでしょう。それでも、何百年も前の道で歴史上の著名な人物が何人も通って行ったところと意識してこの名越切通を歩いてみてください。今までに感じたことのない爽やかな風があなたの頬を撫でていくことでしょう。もし感じられなかったら、せっかくの古道歩きを他に考えごとをしながら通り過ぎているだけです。

堀割道にある置石

古道と対話すには精神を道に集中させなければいけません。心が別のところを向いていると感じるものも感じられません。精神統一が内なる自分と対話するように、古道探索は道と対話することが重要なのです。出来ることならば一人で歩くことが一番に道に集中できるようです。何だか理屈ぽくなりましたが、対等に道と向き合うことでその道がただの山道なのか古道なのかが自ずと見極められるようになってくるのです。

左の写真は置石を堀割道の上から撮影したものです。置石のあるところの堀割道の土手上には大きな平場があり、ここから切通しを通る敵を攻撃したといいます。

置石のある北側の平場はかなり広いもので、そこには「無縁諸霊之碑」という比較的新しい石碑と、ブロック状の「動物霊堂」というのがありましたが、それらが具体的にどのようなものかはわかりませんでした。

置石とはいったい何?
置石とは難しく考えることもなく、道に置かれた石そのもののことです。問題は人が通る道に何故石が置かれているかということでしょう。鎌倉七口は交通路でもあると同時に防衛のための施設であったともいわれます。関所のようなものも置かれ通行人の監視を行っていたとも思われます。この置石は敵の侵入を防ぐために敢えて道の中央に置かれたものであると言われてきています。

名越切通の見事な切通し路

外敵が進入しずらくする目的で置かれたという置石ですが、私にはどうも今一つ納得しがたいものが残ります。確かに人為的に置かれた石であることは想像ができるのですが、その説明が悪く言ってしまうと子供だましのように感じてしまうのです。実際の戦闘ともなればあらゆるケースが考えられ、この程度の石がどれほどの効果があるものなのか、もしかしたらこの石には別の意味が隠されているのではと考えるのは私のひねくれ根性なのか。置石は名越切通だけではなく、他の切通しにも見られるので興味のある方はいろいろ想像してみてください。

置石が置かれていた付近が名越坂の峠ではなかったかと思われます。地図で確認するとそのところはJR横須賀線のトンネルの真上のようです。また、鎌倉市と逗子市の境のようです。

心霊スポットの名越切通
私が高校卒業後の間もない頃に鎌倉の心霊スポットとして知られていた県道の名越トンネルを夜中に見物に来たことがありました。(何を隠そう、学生の頃の私は暇人でした。)今考えると笑ってしまうような思い出話です。怖い物見たさというのでしょうか、結局その時は幽霊などにはお目に掛かることはできませんでした。

上の写真の右下には火葬場があり、写真の左上には中世のものと言われる「まんだら堂やぐら群」があります。この場所は中世から現在に至っての蔡場として利用され続けているものですから、心霊スポットとして注目されているのも当然なのかも知れません。古道を紹介しているこのホームページに心霊スポットの話は無用と感じられている人もいることと思います。ただ、上の写真のところ(写真には見えませんが名越切通の説明版と地図があるところ)では注意して頂きたいのが足下です。

自分が立っているところの地面を良く見ると白く細かい粕が沢山見られます。どうやらこれらは人骨の砕けた粒とも思われます。そう、あなたは人骨の上に立っているのです。私自身には人骨と断言できるわけではないのですが、そのように見ている人もあるようです。もしこれらが実際に人骨粒ならば、何故ここに散らばっているのでしょうか。

名越切通の近辺の発掘調査で、やぐら内に大量の人の火葬骨が詰められていたという報告があります。まんだら堂跡付近は平場が大く見られ、平場の中には或いは中世の火葬場として利用されていたものがあったのかもしれません。ここに散らばっている白い粒が人骨ならば、そのようなところから崩れてきたものなのかも知れないのです。

この人骨粒かもしれない白い物は、私自身は気味悪くは思いません。昔の人がより身近に感じられます。これらは合戦の死者か無縁仏か? そう感じる私は変人でしょうか? いずれにしても人の一生の果ての姿がこのような人骨だと思うと悲しくも思えますが、土にかえる、自然にかえると思えば人の一生が哀れなものとは思いたくないのですが・・・?

岩盤が露出した道がある
右の写真は道路面に泥岩が露出した部分です。私は実際にこの部分の道幅を巻き尺で計ってみますと狭い部分で約1.5メートルでした。かなり狭い道で馬一頭がやっと通れるほどの道です。この岩盤の路面はもしかしたら鎌倉時代まで遡るものかも知れないと想像しながら歩いてみると、ただの道が味わい深いものに感じられてきます。名越切通のこの辺りは何時来ても道が綺麗に清掃されています。つい先ほどまで誰かが落ち葉などを掃いていたかのようです。地現の方の切通し路に対するこころ配りには頭が下がる思いです。

左の写真は岩盤が露出した部分を近づいて撮影したものです。平均的にはほぼ平なのですが、写真のように道の左右両側が一段盛り上がっているようなところもあります。このように段差の異なる岩盤面は時代の異なる路面なのでしょうか。また、写真を撮影した手前付近には片側側溝のような溝もみられます。摩耗した岩盤の道は通行量が多かったことを物語ります。鎌倉七口にはこのように岩が露出したところを幾つか見ることができますが、名越切通のここが一番に平で、しかも古そうな路面に感じられるのでした。

右の写真は、上の写真のところを反対方向(逗子市方面)から撮影したものです。この部分は道の両側が削られ深い切通しであることがおわかり頂けるのではないでしょうか。この付近は名越切通で私が一番気お気に入りのところです。先ほども書いたように清掃などの手入れがされていて、人の温もりが感じられるところなのです。この辺りから次の大空洞と呼ばれる付近には猫が数匹いつ来ても見られます。この辺りに住み着いている猫なのでしょうか。猫を撮影しようとしましたが逃げられました。

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