道・鎌倉街道探索日記

◆◆◆◆◆◆ 小川・中爪  ◆◆◆◆◆◆

埼玉県を通る鎌倉街道上道の中でも嵐山町菅谷から小川町中爪に至る道筋ほどはっきりしないところもないようです。関東各地に伝わる鎌倉街道の中でも上道は史跡や伝承が多く残り、そのルートが比較的良くわかっている鎌倉街道なのですが、その中でもこの付近は道筋を辿ることが極めて困難なところのようです。もっとも鎌倉街道上道の道筋は、切れ切れの街道跡を繋いで推定ルートが確認されているわけなのですが、例えば鳩山町の街道は現在ではほとんどが失われていますが、伝承や古老の言い伝えなどから、比較的詳細にかっての道筋を再現することができます。しかしここ嵐山町菅谷から小川町中爪に至っては候補の道筋が幾つかあるのですが、それぞれこれといった決め手が無いために、詳細な道筋を絞り切れていないようです。

小川町中爪の普光寺

上の写真と下の写真は小川町中爪にある天台宗普光寺を撮影したものです。この寺は正保2年(1645)の創建と伝えられていて、中爪村を治めた高木甚左衛門正則が三代将軍家光に懇願し拝領したと伝えられる絹本着色徳川家康画像を安置するため八宮神社近くに開基したのに始まるといいます。開山には男衾郡塚田村の尊栄を招き寺の第一祖としたそうです。徳川家康の画像は小川町指定文化財になっています。この他に幕府将軍から寺領確認の際下賜された朱印状や、僧形の円空仏が保管されているそうです。山門を入った両脇には板碑が立ち並び後世に集められたもののようです。これらの板碑の存在から創建以前にも前身の寺院があったのかも知れません。

普光寺の板碑

下の写真は小川町中爪の鎌倉街道跡の道と伝えられているところです。ここから上道は北西へ緩やかに台地を上り久保ヶ谷と呼ばれるところに出て、その先は下横田、上横田を通り奈良梨に続いていたと考えられていますが、この先奈良梨までの道筋は具体的には確認されていないようです。写真中央の奥の方には小さくピラミッド型の山が見えますが、この山は高見城跡のある四津山です。昔の道は目印になる山などを目指して造られていることが多いようです。

中爪の街道跡の伝承のある道

前述でも説明したとおりに、嵐山町菅谷から小川町中爪に至っては街道のルートがはっきりしません。そんな中に鎌倉街道上道の裏街道と伝えられる道があります。小川町から槻川に沿って小倉(玉川村田黒)に行き、鎌形で都幾川を渡り、笛吹峠方面に行く道がそれです。宗良親王が笛吹峠から退去した道がこのルートであるという伝承があるそうです。『太平記』に上田山(菅谷村鎌形小字植木山)より小倉、下里へと入ったというように載っているそうです。嵐山町の菅谷は鎌倉街道上道でも重要な拠点であったと思われ、それだけにこの付近にこのような裏街道があったことは大いに考えられることだと思います。この付近の道筋がはっきりしないのはそんな裏道が多く存在した為かも知れません。

中爪の街道跡の伝承のある道

 

オリジナルを重視するため、鎌倉街道上道(埼玉編)の作成当初の市町村銘そのままにしています。 平成27年の鎌倉街道上道が通る市町村は、以下のとおり変更(合併)されています。

花園町→深谷市  川本町→深谷市  児玉町→本庄市

PAGE TOP