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2000年12月〜2001年2月


開始・主尋問


 去る平成12年12月8日、通算22回目の裁判が行われました。

 被告:菱田氏が不正に詐取した金銭の返還を要求する裁判を管理委員会が提訴して(=裁判を始めて)から実に4年目。
この平成12年12月8日の主尋問(証拠調べ)からコクラノミコンの裁判は新展開を迎えました。
ここでまず、主尋問・証拠調べに至った経緯についてのあらましをご説明いたします。

●あらすじ/平成12年1月〜平成12年12月8日まで

 平成10年の4月以来、管理委員会は被告:菱田氏の『和解はしてもいい、但しインターネットによる情報公開を停止すること』『まず、話し合いをしたい…』という希望を受け入れ、"和解を前提とした話し合い"をこれまで進めてまいりました。

度重なる話し合いの末、平成12年の3月頃には被告:菱田氏が『和解金として、500マンまでは払っても良い』と意思を明確に示しました。このことを受け、500万円という数字が、まずこの度の民事訴訟で管理委員会が申し立てている【4,947,049円の返還】に達していることも考慮し「和解」を前向きに検討いたしておりました。

 ところがその後、被告:菱田氏は昨年平成12年3月に予定されていた裁判の延期を直前に申し立てると、それ以降何ヶ月にも渡って出席するともしないともはっきりさせない、判らない状況が延々と続きました。

 被告:菱田氏は、裁判延期申し入れより半年後の平成12年7月に行われた裁判のみならず、9月、10月と行われた裁判にも欠席し続け、ついには被告の代理人(=弁護士)さえも被告:菱田氏本人と連絡が取れなくなってしまうという異状事態に陥りました。
 この被告:菱田氏の「音信不通」により、これまで「和解」に向けて進められてきた話し合いは一方的な理由で宙に浮いた形となり、中断してしまいました。

 よって、平成12年12月8日より裁判所の判断により、これまで進められてきた「和解」への話し合いをやめ、「主尋問・証拠調べ」が開始されました。

 ここまでが、主尋問に至った経緯(平成12年1月頃〜平成12年12月8日まで)のあらましです。

●〜被告:菱田氏出廷す〜

昨年の平成12年12月8日の主尋問に、今まで音信不通であった被告:菱田氏がようやく出廷してきました。

 第1回目の主尋問は原告側証人:コクラノミコン代表発起人、寺西氏の主尋問から始まり、被告:菱田氏の主尋問は平成13年2月23日に持ち越されることとなりました。(この主尋問での主なやり取りは
これまでの裁判経過・証拠調べ編を参照ください。)

一連の主尋問につきましては後日、詳細なリポートを掲載する予定でおりますが、来る平成13年2月23日に行われる被告:菱田氏の主尋問、そして同日再び原告側証人:コクラノミコン代表発起人寺西氏の反対尋問が行われますので、その後に改めての掲載を予定いたしております。

 これからの裁判(主尋問・証拠調べ)では、今まで当管理委員会があえて公開していなかった、あるいは公開できなかった様々な事柄が確実につまびらかになっていく事と思います。

 なお、裁判がこれから本格化する前に管理委員会として、出廷してきた被告:菱田氏に対しあえて申します。

**********

 まず、フェアに、そして誠実に、真摯に対応してほしい。それは↓

・『実行委員会より不正に詐取した金銭は必ず返金する事。』

本来かかってもいない経費をさもあったかのように捏造し、騙して奪う行為は見過ごすことは絶対に出来ないし、それは最後まで追求します。

・『「預かっておく」と持っていった金銭についての使途を全て明確にする事。』

不透明な使途は徹底的に追求し、返還されるべきものについては当然返還してもらいます。

・『この事件とはなんら関係の無い他の旧コクラノミコン実行委員会スタッフをこれ以上巻き込んだり、たきつけたりはしない事』

関係の無い第三者をたきつけたり、巻き込んだりダシに使ったりするような"筋違い"なことははっきり言って無意味です。人になすりつけたり、責任の回避をしたところで事実はなんら変化しません。自らの行った行為について、自らが責任をとるべきです。

・『逃避をやめる事』

自らの主張が正しいのであれば、裁判に出てきて堂々と主張が出来るはずです。
裁判に出たり出てこなかったりという不可解な行動そのものが、自らの首を締める行為となるとは思いませんか?。出てこない→裁判がすすまない→何故?理由は?
裁判を引き伸ばしてもそれは見る人が見れば"ただの時間稼ぎ"としかとられず、いっこうに無意味です。
不正をなした全ての事柄について、逃げたり誤魔化したりすることなく、正面から誠実に管理委員会と解決に向けて努力をして欲しい。

**********

このようなことまで被告:菱田氏に言わねばならぬのには、理由があります。

 結論から申し上げますと、この事件について全ての事情・事実を知り得ている関係者とは、被告である菱田氏、そしてコクラノミコン管理委員会メンバーのみです。

 被告:菱田氏が不正に詐取した金銭の流れについて、こと細かく把握している者とは直接的にこの事件に関わっている者、被告である菱田氏そして原告:管理委員会のメンバー以外は存在し得ないのです。

 その事は当の本人(被告:菱田氏)が、よくよく理解していることです。

 ことに経費を水増しして、実行委員会や代表発起人を騙して不正に請求し、窓口であった旅行代理店を経由させて"マネーロンダリング"し、自らの口座にせしめる事など、他の誰が知り得るでしょうか?

 全ては被告:菱田氏がSF大会という場を利用してスタッフの誰にも悟られない様に、内密に秘密裏に表面化しないように画策していたものであるため、他の誰も知る由の無いことは現在公開中の録音テープからも明らかであります。

下の図・表はこれまでに被告:菱田氏が原告側証人:寺西氏から、あるいは実行委員会から『預かっておきます』と持ち出した金銭の一覧です。

この一覧をご覧いただきますとお判りいただけることと思いますが、いつどのような手段によって、どういった経緯のもとに、この多額の金銭は持ち出されたのか?これらはまったくと言っていいほど旧実行委員会スタッフの知る由も無かったことであり、そこに第三者が入り込む余地など性質上ありはしないのです。

*   *   *

菱田氏が受け取った金銭、
合計1537万1410円也


●金銭流動図・表:その1

この図・表には被告:菱田氏が『預かっておきます』と言って持ち出した金額のその流れをまとめたものであるということは前述した通りですが、この中には実際に経費として様々な支払いに充当した部分もあるかもしれません。
その経費を正当か否かを判断するためにも、証憑類がぜひとも必要なのです。

また、この金銭流動図・表には大会参加者の参加費が一部は含まれておりますが、その大部分(ほとんど)に関しては話の進行に混乱をきたす恐れがあるため除外しております。

大部分は原告側証人:コクラノミコン代表発起人の寺西氏が金策してきた金銭を記しております。

尚、この表で最も重要な部分は"赤い矢印部分"です。
この赤い矢印部分が現在係争中の裁判で原告が被告に対して追及している部分であり、被告:菱田氏に求めている【4,947,049円の返還】の中に件の「250万円」は全額含まれています。
(「250万円」の事柄に関しましては管理委員会のHPにあります【250万円の経緯】【続・250万円の経緯】【続々・250万円の経緯】そして近日公開予定の【続々々・250万円の経緯(完結)】をご参照ください。)


被告:菱田氏が持ち出した金銭、1537万1410円の流動図・表


金銭流動図
金銭流動図【クリックで拡大】
金銭流動表
金銭流動表【クリックで拡大】


今後のHPコンテンツについて



今後、HPではこの図・表を踏まえた上で、平成8年('96年)10月頃、大会の残務が一通り終了し、被告:菱田氏が請求明細・内訳、そして領収書などの必要な証憑類を実行委員会に渡さずじまいで金沢に帰ってから以降の話となります。

その間にも被告:菱田氏と原告側証人:寺西氏とのやりとりがあり、また現:管理委員会のN氏が、残務に関して非協力的な被告:菱田氏に対し資料の提出・開示を何度も説得するなどのやりとりが存在しました。

'96年10月以降のやり取りの中でもっとも重要な事柄の一つとして、"全3部構成"の中でも触れましたが↓
"OPA制作にまつわる偽の請求""実行委員会に来た、新たなる請求書" があります。

被告:菱田氏は執拗なまでにオープニングアニメの商品化に固執し、その権利に関して自らが運営するプロトタイプからの発売を強く望み、挙句には誰の承諾も得ずに、勝手に製作した(と、被告:菱田氏は言う)上に、今度は『発売の時期を逸してしまった』と言って実行委員会と寺西氏に対しさらに「損害金」を要求してきます。

裁判の進展に伴い、今後これらを順次公開して参ります。



2000年10月

"11,111,111円の契約書"公開



「250万円の経緯」「8/10文書」そして、このコクラノミコンの事件でもう一つの主軸として、重要な位置づけをしめている「11,111,111円の契約書」(写し=原本コピー)を公開いたします。

この契約書は去る96年の3月に管理委員会の訴外寺西氏と被告:菱田氏との間で交わされたもので、事の詳細は近日公開予定の録音テープ"その2"と"その3"、そして「続々・250万円の経緯(完結)」にあわせて公開をする『11,111,111円の契約書の経緯』にて、こまやかに述べてまいります。

この内容をよくよくご覧いただきますとお解りいただけると思いますが、一方的で厳しい内容のこの契約書の作成者は無論被告:菱田氏によるものです。

"11,111,111円の契約書"を見る

コクラノミコン参加者に配布された「8/10文書」で、被告:菱田氏は↓

「とは言っても、私も自分の仕事の都合があります。
8/10以降からでないと専従できません。
この間にどれほどのことが出来るかはわかりません。
スムーズな運営には皆さんのご理解とご協力が必要です。」

「本来楽しんでやるべき委員会の運営が苦痛にしかならない。
この状況が近年目立っています。
収拾がつかなくなるたびに泣き付いてこられる私も、毎回こうでは
少々疲れてしまいました。」

「このままでは、SF大会が開催不能になってしまうかもしれないのです。」

と、数々の虚偽を並べ立てて、SF大会参加者の「SF大会が大変ならば…、SF大会の為に…」という協力者の善意(=ボランティア)の気持ちを煽って利用し、一方で自らは「大会を立て直した」とコクラノミコン代表発起人の訴外:寺西氏に対しご覧の様な高額な報酬を要求する。
その上今度は「大会の会計を赤字にして、マネーロンダリングをしよう」と林田氏にせまるなど、まさに被告:菱田氏の「要求」は過度にエスカレートをし、とどまることを知らない…と、言わざるをえない状況でした。

また、そのとどまることを知らない被告:菱田氏の過度な「要求」が、当時どれほどのものであったかを証明する一つに、コクラノミコン開催時に参加者全員に配布された"メモリアルブック"(下記リンク参照)があります。

メモリアルブック該当頁、菱田ゲストを見る

ここで「来賓」となっている菱田氏の件について、今ここで詳しく述べる事はあえていたしませんが、↓

「ボクをゲスト扱いにしておけば、他の"作家連中"も呼ぶことが出来るし、求心力につながる」

と嘘吹き、大会の成功を願って寄稿してくださった作家の方々、多方面において御尽力いただいた他の「来賓」「ゲスト」の方々を差し置いて、自らをゲストとして名前を入れる様、強く要求したのは他ならぬ被告:菱田氏本人であります。

多くの参加者の方々から「菱田って誰?」また、被告:菱田氏を古くより知るものは「なんで菱田がゲスト扱いなの?」との意見をいただきながらも、管理委員会としてあるいは、旧実行委員会として、今まで何一つとして申し上げることができなかったのは、一言で申し上げることなど、到底不可能なこの事件の陰湿さが一体どれほど卑劣で根深く、悪質であったか?を順を追って皆さんにご覧いただきたいと思ったからです。

※その1
「11,111,111円の契約書」は96年3月に用意され作成されたものです。しかし、日付は96年1月27日となっています。この詳しい事柄については近日公開の「11,111,111円の契約書の経緯」そして、現在は公開を見合わせております「寺西メモ(抜粋)」などをご覧いただきながら、ご説明させていただく所存でおります。

※その2
この「11,111,111円の契約書」が効力をもたないことはいうまでもありませんが、仮に効力をもつとしましょう。
そうなれば、日付は96年1月27日の契書ですから、被告:菱田氏が「8/10文書」で↓

「とはいっても私も自分の仕事の都合があります。8月10日以降からでないと専従できません」

というのはまったくの「嘘」ということになります。
全くの虚報で実行委員会を傷つけただけなく、参加者を動揺させ、それを自身の成功のために利用したことになるのです。
すなわち、大会が成功すれば自分の手柄に、失敗すれば「こんなギリギリの期間ではやはり無理だった」と言い訳ができる状況を巧妙に作り出したのです。

もし、「8/10文書」を正しいとするのであれば、被告:菱田氏は契約を履行していないか、契約書そのものが虚偽のものであるということになります。
いずれにせよ、この契約書をもとに自らの行為を正当化しようとしている被告:菱田氏の主張は成立しないということになります。



2000年9月

9/11の裁判、被告菱田氏出廷せず



平成12年9/11日の、通算20回目となるこの裁判にも、被告(菱田氏)は出廷はしませんでした。

被告に代理人を紹介し、連絡役を行なっていた人物の話によると、「今年3月からはまったく連絡の取れない状態で、今は何処に居るのかも解らない状況」であるということです。

そして次回の裁判は10/23日となりました。

「HP公開の再開」の理由でも触れましたが、菱田氏は裁判が始るや否や様々な交換条件を付けて「裁判」でなく「話し合い」をする事を原告に対し要求してきました。

しかし、それを受け入れ、いざ「話し合い」をはじめると、ある時は「仕事が忙しい」ある時は「入院して来れない」など被告本人が出てきて話をする事は少なくなり、最終的には「音信不通」の状態となってしまったのです。

また3月頃予定していた裁判は、直前になって、被告の代理人から「裁判の日程をズラしてほしい」「被告が希望している」と、原告の代理人に対し連絡がありました。それ以降は丸6ヶ月の間、裁判は行われず、ついには「音信不通」の状態となってしまい、現在に至ります。

もし、このまま菱田氏が「音信普通」のままになってしまったら、現在管理委員会が返還を要求している金銭が全額返却されることはないでしょうし、様々な事実が明らかにされないまま「裁判の終了」という事になるでしょう。

そして、結局は(被告以外の)誰にも真実が解らないままになってしまいます。これは管理委員会の望む適正なる「決着」ではありませんし、この様な中途半端な形をもって終らせるつもりは管理委員会は毛頭有りません。

前回の更新時にも申し上げましたが、管理委員会が望む適正なる「決着」がなされるまで、このHPにおける情報の公開は一切停止はいたしません。
と、申しますのもこの情報公開の再開、また、今まで非公開であった「録音テープ」の公開に至ったのは、他ならぬ菱田被告が希望したからです。

詳しい経緯についてはコンテンツの更新に伴って、さらに詳しくご説明いたしますが、昨年(99年)の11月29日裁判(=正しくは和解を前提とした話し合いの席)において、原告側証人の訴外寺西氏が、被告菱田氏に対し件の「250万円の経緯」にあるような事柄につき、確かにかような事実があったのか?という追求をし、被告に認否をもとめました。それは以下(一部抜粋)の通りです。

*******


寺西「一つお聞きして良いですか」
河原「べつに構わないですよ。」
寺西「菱田さんに…。あなたは、林田さんに、私が持ってきたお金を
      大会の会計にもいれず、寺西にも知らせず、みんなにも知らせず、
       預かって置けといいましたよね。」
菱田「ん? 何のやつ????何の事か分からない」
荒牧「大会の終了時に250万円を大会会計にも入れないで、
      寺西君にも知らせないで、林田さんに預かっておけと菱田さんが
      林田さんに指示をしたと言う事ですよ。」
菱田「よくわかんないんですが」
寺西「自分がいった事でしょう」
荒牧「根拠はあるんですけどね、それもあって、委任契約は履行されていない
      と言っているのです。」
菱田(ふふん、という感じで)「そんなんあるんやったら聴きたいなぁ」

*******


被告:菱田氏本人が「そんなのがあったら聴いてみたい」と原告側に提示を求めたのです。
先々の非公開テープの開示により、菱田氏本人が今まで裁判で主張してきたこと、そして自らの代理人(=菱田側弁護士)にすらも秘密にしておいた事は、すべて白日のもとにさらされる事となると思います。
このテープ、そして"テープ1"以降のものも、全て裁判の進展に伴って証拠提出するつもりでおりますが、証拠品として受理されるかどうかはわかりません。

しかしお聞きくださる方が、菱田氏の二転三転する話、人となりを判断するには充分過ぎる物である事は間違いの無い事です。

************************


また、今からさらに公開するHPのコンテンツは、この事件の全体に及んで参ります。
現在HPにおいて公開中の「250万円の経緯」や「8/10文書」は、現在係争中の内容にて展開中の事柄ですが、これらは事件全体の割合からすると、一端に過ぎず、「250万円の経緯」だけでは、この事件発覚の「きっかけ」に過ぎません。

現在公開されている内容、(=「250万円の経緯」や「8/10文書」)そしてさらに更新される内容、これらの事柄がいったい事件全体のどの様な部分・位置にあたるのか?では一体何が問題で訴訟にまで至り、被告(菱田氏)の何に対し管理委員会は追求を行っているのか?…。

管理委員会はこれらを「全三部構成」で細やかにご説明(情報公開)させていただくつもりでおります。


"全三部構成"の情報公開について



2000年8/5日から再開されたHPの公開にあたって、ご覧頂く皆様にはこのSF大会に端を発した事件につき、まず前回の更新にて「250万円の経緯(抜粋)」と"テープ1"を用いて、ご説明させていただきましたが、やはり何故この様な事態にまで発展してしまったのか?とお解りにならない方もおいでになると思いますので、管理委員会が今後公開する情報(=コンテンツ)について大まかなラインについてご説明させていただきます。

まず、説明の前に、皆様に今一度ご理解いただきたい事柄として↓

「250万円の経緯」「8/10文書」があります。

これは前述いたしましたが、すべてが明らかになる"きっかけ"となった事柄です。
しかし、この2つの事柄とさらに、もう一つ

「11,111,111円の契約書」

があります。

この詳細(=「11,111,111円の契約書」)についてのご説明は進展に伴って順を追ってご説明させていただきますが、情報の公開を円滑に明瞭に進めていく上でも、これらの事柄は"全三部構成"を通じ、かなり重要な位置づけとして細かく随所に関わってくる事柄なので、管理委員会としては、まずこの3つの事柄を中心に情報公開を進めて参ります。

と、申しますのも、そもそもこの事件全体を"全三部構成"にした理由ですが、この事件そのもの(期間)が、かなり長期に渡っており、すべての始まりであります"コクラノミコン開催の発起"からの説明では、膨大な量の説明の後に、肝心の現在係争中の話となっていまします。

これでは余計に話が複雑となって混乱し、正しく正確な情報が伝わらない可能性があること。そして管理委員会がお伝えしたい事件の本質(焦点)や全容がぼやけて不明瞭となってしまう…。そのような原因となることは、是非避けたいと思ったからです。

また、事件の発覚"きっかけ"はあくまで「250万円の経緯」や「8/10文書」などであるのに、最初(開催準備を開始した95年頃)から説明をするのは、やはり不自然ですし、このコンテンツの主軸となるこの2つの「きっかけ」の発覚が無ければ、すなわち「前半部分」の発覚はおそらくなかった事でしょう。

無論その後の「後半部分」の必要性(=裁判)も当然なかった事であると思います。

事件の発覚から何年間か、幾分時間の経過はありましたが、管理委員会がこの事件を知った瞬間の対応、そしてさらに以前の事に原因の究明に乗り出した課程を…、そして裁判を選択する結果となった経緯について"当時の管理委員会の目"を細やかに再現して参ります。

管理委員会ではこの構成の根底に"当時の目"を通して、ご覧頂く皆様により明瞭で正確なご理解をいただきたいと思い、「忠実な経過再現」をも含めた構成とするため、"全三部構成"を心がけました。

******

現在、すでに公開中のコンテンツにあります「250万円の経緯」や「8/10文書」は"全三部構成"の「中間部分」のコンテンツで、その"前半部"にあたり、またもう一つの「11,111,111円の契約書」は"全三部構成"の「前半部分」のコンテンツで"中程〜終わりの部分"にそれぞれ相当します。

●「中間部分」の時期は↓

96年7月(未明)事件発覚から。翌97年9月の裁判開始まで。

「中間部分」の主な内容は↓

「250万円の経緯」「8/10文書」「11,111,111円の契約書の意味」
「OPA制作にまつわる偽の請求」「実行委員会に来た、新たなる請求書」
「助成金は何処へ?」「広島大会で…」「(仮)そして裁判へ」

という構成となっております。

「250万円の経緯」のから、「97年9月、裁判開始」これが、"全三部構成"の「中間部分」となります。

そして、さらに話は事件の発端となった95年「(仮)コクラノミコンの発端」〜「250万円を預かる」まで、「中間部分」よりさらに前の部であります、この事件の「前半部分」へと話は遡ることとなります。

●「前半部分」の時期は↓

95年5月頃(未明)の開催準備期間に入って〜翌96年7月の「250万円を預かる」まで。

「前半部分」の主な内容については↓

「(仮)コクラノミコンの発端」「菱田氏に手渡しした活動経費」
「(仮)5千万円の話」「(仮)告知不可〜停滞した公知活動」
「協賛団体との行き違い」「不平等条約の存在」「(仮)大会中止?」
そして、この前半部分の主軸の「11,111,111円の契約書」と「(仮)そして、まだ足りない…」

と、展開します。そしてさらに↓

●「後半部分」の時期は↓

97年9月の「裁判開始」〜2000年の現在まで。

「後半部分」の主な内容は↓

裁判が始まってから、現在に至るまで、未だ進行中である裁判や、そのほかに解ってきた事実についての事柄・情報などから構成されており、「後半部分」は「中間部分」並びに「前半部分」の、コンテンツの公開内容と裁判での進展に伴い、それぞれ公開を控えております。



タイトル表示のみの公開について…



現在管理委員会が、それぞれの構成パートの"タイトル表示のみ"の情報公開とさせていただいておりますのは、これから先これらのタイトルが、更新される情報・そして裁判での被告側の主張などと、一体いかなる関わり合いを持ってくるのか?をこのHPをすでにご覧の皆様にあらかじめご理解いただいた上で、今後の情報更新を進めて参りたいと管理委員会は考えております。

これらのタイトルを表示することで、被告側が、あらかじめ予防線=反論(言い訳)を準備する危険性は充分にあります。しかし、管理委員会は確固たる真実を公開しているのであり、いかなる反論を用意されようとも、被告に対する追求にいささかの不利もないと考えます。

被告が「自身の主張し続けてきたことに間違いや虚偽がなく管理委員会の主張がまったくの言い掛かり・濡れ衣である」というのであれば、なぜ原告に抗議をし、"決着"をつけるために裁判を受けてたたないのでしょうか。

被告には、自ら望んだ「話し合い」にすらでてこないといった、いたずらに解決を遅らせるような真似をせず、態度を改め「裁判」をしてほしい。管理委員会はそう心から願ってやみません。




2000年8月

情報公開の再開にあたって


1997年9月、コクラノミコン管理委員会が菱田氏の詐欺行為に対する民事訴訟を提起してより、早いものであれから丸4年の月日が経過いたしました。

現在も係争中のこの民事訴訟は、一時期「和解」という事も考えに入れ、双方話し合いが進められて参りましたが、今年2000年7月24日、通算19回目の裁判では被告:菱田氏は「音信不通」となってしまい、ついに氏は現れず、今後の話し合いそして裁判は続けられるのか?否かも定かでないという状況となってしまいました。

被告の代理人(菱田側の弁護士)によりますと「…現在、菱田さんとはまったく連絡が取れず、またコチラから手紙を出しても戻ってくるし、mailのレスポンスも無い。菱田さん本人と相談をしたくとも連絡が取れないのです」といった内容でした。

今後、管理委員会のHPの更新によって、これまでの経緯を順を追って詳しく、説明・公開していくつもりですが、これまで進められていた話し合いは、菱田氏の不誠実な対応をもって破られた事により、管理委員会といたしましては、これ以上菱田氏の理不尽極まる止めど無い条件を呑んでまで、行われ続けた"話し合い"を直ちにやめ、去る1998年4月より、菱田氏の出した条件により情報の更新一切を停止いたしておりました、インターネットによる情報公開を再開する事を決定いたしましたので、ここでまず皆様にご報告申し上げます。

今までコクラノミコン管理委員会が係争中の為情報の公開を差し控えていた部分、そして管理委員会がHP開始当時から順次公開・更新するはずであった内容(コンテンツ)を順を追って、ご説明いたします。

その公開する情報の中で今回の事件の発端ともいうべき内容の核心部分に相当する、一つの"録音テープ"を公開いたします。



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