This is a Japanese translation of "Beyond the Sunset" by Anna Kingsford.

以下は "Beyond the Sunset" by Anna Kingsford の全訳です。


III. 夕映えのむこうの国
時代を超えた童話

著: アンナ・キングスフォード
訳: The Creative CAT

I.

昔々、一人の王女がおりました。さて、この王女は夕映えの遥か彼方の美しい国に住まい、永久とわの若さと尊き家名を継いでいました。とても裕福で、宮殿は隅々まで大理石やアラバスターやその他贅を凝らした造りでした。ですが、王女の何が一番素晴らしかったかというと、その妙なる美しさ――夕映えのこちら側の世界では誰も目にしたことがないような美しさでした。王女の美しさは光り輝く心の美しさにあったのです。身体は魂を覆うヴェールに過ぎず、王女の完璧な心の光をそのまま外見そとみに顕していました。ちょうど、澄んだ水が輝く陽の光を通すように。王女がどれほど美しかったか、私には語れません。髪の毛や目の色も、花のかんばせもまた。王女に会ったことがある男は沢山いて、それぞれのやり方で説明しているのですが、その説明があまりに人によりけりなので、幾つか読むだけでもう、王女の恋人達が残した記録から容姿を再現するのは無理だと悟りました。

それというのも、王女について書いた男は誰もが王女に恋していたからです。もちろん王女の顔を見て恋に落ちないでいられる男はいなかったのですが。暁のように麗しいという人も、夜のように暗いという人も、アレグロのように陽気で楽しいという人も、ペンセローゾ(*1)のように悲しく微かで甘美だという人もいました。ですが誰からも等しく、全ての美のエッセンスにして中核に見えたのです。思い描ける中で最も純粋で、貴く、気高く、威光のある存在に。王女に恋した全員分を書こうとすると本が何巻あっても足りないので、三人分だけ話しましょう。典型的な三人で、大層目立った来歴があるからです。

他の恋人みながそうだったように、この三人の男も旅人でした。父や祖父から聞かされた美しい淑女に会おうと、遠くの国々からこの夕映えのむこうの国へとやって来たのです。父祖がいうには、この淑女は遠い古代ギリシャに遡る不滅の神々の血を引くために、いつまでも若さを失うことがありません。

三人の男がどれ程長く王女の国に留まったのかは存じませぬが、その間に王女をとても、とても愛するようになりました。そして三人が遂にこの国を去らねばならなくなった時――「死者」でない限り誰も夕映えの彼方には長く留まることができないからですが――王女はそれぞれに美しい小鳥を一羽ずつ渡しました。可愛い生きた鳥達で、この上なく甘い歌を歌いました。太陽神アポローン御自ら歌をお教えになったのです。王女の美しさを語れないのと同様に、この歌の甘美さも言い表すことができません。

それとともに王女は、旅人たちに、恐れぬ心と雄々しい希望を持ちなさいと告げました。ありったけの勇気を奮って立ち向かわねばならない試練が待っているが、それを乗り越えれば大変なご褒美があるだろうと。「さあ、」王女は言いました。「わらわを愛すことを覚え、この地で妾とともに生きんと欲した者よ、汝らの騎士としての精神が試される時が来たのです。妾は決して手の届かぬ存在ではありませぬ。だが男子たる者、淑女を得んとせば、まず高貴なる任務を果たし己の忠誠を示さねばならぬのです。これから汝らが向かう世界は蜃気楼と幻の国に他ならず、ただ日輪のこちら側に来たことのない者どもにとってのみ真実に見えるのです。汝らを待ち構えるのは妖怪ども、残忍なヒュドラ、キメラ、火を吐く奇妙なドラゴンどもが蔓延る荒野。美しい夏の海の影なす小島を行く時は、肥沃なる港で狡猾なセイレーンの歌が聞こえます。山を行けば野蛮極まる盗賊やゴブリンや人を貪り食うのが大好きなオーガに雄々しく立ち向かわねばなりませぬ。されど恐れることはないのです。全てが幻なのですから。これらを倒すには剣も槍も必要がなく、専ら忠誠心と揺るがぬ決意があれば事足りるのです。目を曇らさぬように、心を惑わされぬようにし、数多の罠を躱して、無傷で妾が許にお戻りなさい。そのとき汝に授ける報酬の価値と至高さをゆめ疑ってはなりませぬ。孤立無援だと思わぬように。一人一人に手渡した案内人兼監視役の声をよく聞き、指し示す所に従いなさい。」

II.

そこで三人の旅人は贈り物を手にし、最後に贈り主の輝くかんばせを見つめ、宮殿から出て王女の住む美しい町の金の門を潜り、太陽のこちら側の地へと帰り着いたのでした。

こうして彼らの試練は始まったのですが、セイレーンもいなければドラゴンもおらずゴルゴンにも出会わないのです。彼ら自身に似た人々が大道をうろちょろしているだけでした。ぶらぶら歩く者、走る者、物思いに沈み一人歩む者、何人もつるんで呵々大笑放歌高吟する者。気持ち良さそうな木の陰、緑の芝生の上に美しく飾られた東屋がありました。それらの多くから楽の音が聞こえ、花をつけ初めた木々の下で綺麗な女達が踊っています。女達は次々に花々を空に放りあげ、お祭り騒ぎは広がり、葡萄酒が満ち溢れ宝石が煌めくのでした。音楽と女達の踊りは三人の旅人のうち一人の耳と目に楽しく映りました。そこでこの旅人はもっと音楽と踊りを楽しもうと、仲間達から離れました。そこに若者と娘の一団がやって来てこう言うのです。「これは僕らのお祭りさ。僕らは美の女王の崇拝者なんだ。一緒にお祭りに来なよ。五月の月は今昇るところだよ。僕らは彼女の柔らかな光の中で一晩中踊るんだ。」ですが旅人は答えたのです、「私はちょうどある国から帰ってきたばかりだ。その美はここで目にするどんなものより素晴らしく、その国の王女の高潔なる美しさたるや、君らの世界最高の女王ですらくたびれた女中にもなれない程だ。」すると彼らは言いました、「君の言うその国ってどこにあるの、すてきな王女様って誰?」「夕映えのむこうの国だ」と旅人は答えました。「だが、王女自身が教えた相手以外に王女の名前を知る者はいない。その名を告げられるのは王女に愛された者のみだ。」

これを聞いた若者達は声を立てて笑い、仲間内で大受けでした。「君の国ってのは夢の国だろ、」と彼らは言いました。「僕らも話は聞いてるよ。そこには現実のものなんてないんだ、君のその王女様もただの影、君が自分で作り上げた幻、丸っきり実在のものじゃないんだよ。目に見え、肌で触れ、耳で聞ける美こそが真の、唯一実在する美なのさ。つまり感覚で捉えられる美だよ。そしてそれは今日いまここにある。」旅人は答えました、「咎めるつもりは毛頭ないのだが、君らは私の王女を見たことがないからな。だが、私は見た。話す声を聞いた。いつか王女の元に帰りたいと望んでいる。私が出発しようという時、王女は私に警告してくれた。この国にはあらゆる手合いの妖怪ども、ハルピュイア、セイレーン、オーガみたいな奴らがいて襲ってくるから気を付けろと。そいつらに雄々しく立ち向かい倒さなければならないのだ。用心のために教えて欲しいのだが、この国のどこにその手の危険な奴らがいるのだろうか。」

すると、若者達は一層声を上げて笑い、こう答えたのです。「ああ、馬鹿な旅人だなあ。ほんとに脳みそ中が夢で一杯なんだ! セイレーンみたいなのなんていないよ。あれはギリシャの伝説だろ。そんなおとぎ話を真に受けるのは昔のギリシャ人と現代の赤ん坊だけだよ! セイレーンにもハルピュイアにも出会わないよ。君が言う王女様だってそうさ、会えるのは夢の中だけ。この国こそが唯一の実在の国で、夕焼けの反対側の世界なんて何もないんだよ。」

まさにその時です、旅人のマントの折り目の下で、王女がくれた小鳥が朗々と歌い始めました。旅人は小鳥を手に取って話をしている若者達に見せてこう言いました。「君らは王女を神話だというが、この鳥はその王女から貰ったものだ。神話が生きた鳥をくれるかい?」彼らは答えました、「君は夢を見ているだけじゃなくて頭もおかしいんだな。どう見たってその鳥は君が寝ている間に部屋に飛んで来たんだろう。君はそれを都合良く利用して、幻想の中で王女様からのプレゼントなんて話をでっち上げたんだ。何かを認識する時、意識っていうのは雲を通すようにしてそれを受け取るんだな。そこで現実から物語を織り上げるんだよ。」

旅人は疑い始めましたが、尚も踏みとどまって言いました。「しかし、聞こえるだろう、この鳥の歌の甘さといったら! 誰からも教えられていない野生の鳥ならこうは歌えない。」若者達はこれに大爆笑で、一人が叫びました。「えっ、普通にチッチチッチ鳴いてるだけじゃないか。そこいらの野鳥と同じだよ、毎日鳴いてるツグミやムネアカヒワと!」別の一人は「俺があんただったら、そんな鳥、首を絞めちまうけどな。いつもそんなにやかましく鳴くなら邪魔でたまらん!」三人目は「放しちゃえよ、キーキー鳴くから話が聞こえないじゃないか!」そこで旅人はその鳥のことを恥ずかしく思うようになってきました。こう考えたのです。「私が言ったことは全て、彼らには馬鹿げたものに見えるらしい。王女の贈り物ですら、彼らの目にはぴぃぴぃ鳴く普通のズアオアトリに見えるのだ。私が夢を見ていたのだとしたらどうだ? 結局これが現実の世界で、あの世界は幻想だとしたら?」

鳥は歌いました、「逃げなさい! 逃げなさい! さもないともう王女様に会えなくなりますよ! 真実の世界は夕映えの門のむこうにあるのですよ!」

しかし、鳥がいま何と鳴いたかを若者達に質問すると、「チッチチッチ」「ぴっぴっ」としか聞こえないというのです。そこで旅人は本当に腹を立てました。たぶん貴方は若者達に対してだと思ったでしょうが、違ったのです。旅人は鳥に対して腹を立て、それを恥じ、自分自身をも恥じました。そして旅人は鳥を空に投げ上げ、手を打って追い払いました。若者と娘もみんな旅人のそばに立って手を叩きました。「しっしっ、」彼らは叫びました、「いっちまえ、この能無しのクソ鳥め、首を絞められなかったのがめっけもんだと思えこの騒音野郎!」 

そして鳥は飛び去りました。遠く遠く、夕映えのむこうへと。王女の許に帰り一部始終を報告したのだと思います。旅人は美の女王の崇拝者たちに連なって、心行くまで踊って歌って宴会を開きました。結局、本当はセイレーンの手に落ちたのだと気がつかないまま!

III.

そのかん、他の二人の旅人は歓楽を好まなかったので、そのまま先へ進みました。一人は地面に目を落としながら歩く真面目そうな男で、路傍の岩石や灌木の一つ一つを興味ありげに見て、変わった草があれば一層しげしげと眺め、花びらをつまみ上げていました。もう一人は穏やかな、感じの良い顔つきで、背筋を伸ばして歩き、遥かな前方に横たわる大山脈を真っすぐ見つめていました。

まもなく、道の先の方から二人の旅人に向かって幟旗を立てた一団が行進して来ました。幟にはこんな標語がありました――「知識は自由なり!」「科学の知る法則に、進歩の法則ならざるなし!」「自由、平等、友愛!」「有用性こそ徳性!」といったような結構なフレーズが、他にもたんまりと掲げられてあったのです。最前列の人はほとんどが眼鏡を掛け、何人かは見窄らしい学者の格好をしていました。真面目な顔の旅人が団体の一人を礼儀正しく呼び止め、何の行進なのですかと質問したのは――道ばたの石や葉にあまりにも気を取られていたからですが――行進の殆どが通り過ぎていった後でした。問われた男は応えました、「私らは科学の崇拝者であり、我らが神を讃えて厳粛なる儀式を執り行っておるのです。科学を奉じる高僧達による大演説が予定され、数多くの生贄――子羊、馬、鳩、雌鹿、及びあらゆる種類の動物――が屠られるでありましょう。彼らは言語に絶する苦痛に苛まれ、拷問され傷害され焼かれバラバラに裂かれて死ぬのです。これら全て科学の栄光と利益のためであります。私らは、科学の祭壇から滴り落ちる血に、科学を讃えて立ち上る煙に、歓喜の叫びを上げることになるのです。」

「だが、それは恐ろしいことだぞ。」真面目な男は嫌そうな身振りでいいました。「野蛮人の乱痴気騒ぎか狂人の気晴らしのように聞こえる。知的で正気な人間がすることではない。」「逆です。」情報提供者が返しました。「私らが知的でかつ正気だから、そこから大きな喜びを見いだせるのですよ。斯様な犠牲によってこそ我らが科学の女神は信託を下しおかれるのです。ぐちゃぐちゃになった犠牲者の死体と内臓の中に我らの預言者達は求める知識を見いだします。」「どういった知識なのかね?」旅人は聞きました。「自然の神秘についてですよ、」と科学の信奉者は目を爛々と輝かせて叫びました。「生と死についての知識、疾病を治癒せしめる魔法の力、大宇宙の謎を解き明かす鍵! 我々は犠牲者達の苦しい死戦のただ中にこれら全てを学び、読み取るのです。それでも不満なのですか――手段を正当化するに足る目的ではないと言うのですか?」

その時、二人目の旅人――顔を上げて歩いていた方です――がこれを聞きつけ、近づいてこう応えました:――

「いえ、学べるものより手段の方が大きくなっています。他のものを拷問にかけ、それと引き換えに自分が治ろうなどと、誰も考えるべきではありません。」この言葉に見知らぬ男はいきり立ち、せっかちに語気鋭く反論してきました。「思うに、君は忘れている。私らが治療しようとしているのは人間なのであり、苦痛を与えられるのは単なる獣だということを。かくなる手段で私らは人間性の増大に寄与しているのだよ。」「いや、忘れてはいませんよ。」旅人は穏やかに応えました。「しかし、そのようにして癒された者は既に人間ではありません。そんなことを願い実行した時点で、いかなる獣よりも下等な存在になってしまいます。それに、自らの富を全て台無しにする者には人間性を豊かにすることはできません。」「いかにもご立派な演説じゃないか!」科学の崇拝者は叫びを上げました。「わかったぞ、君はモラリストだな、そして明らかに大変な愚者だ! 君がしているのは大時代の話ばっかり。私らは迷信などは投げ捨ててしまったし、古い信条も拭い去ってしまった。私らはひとり理性にのみ導かれ、ただ知識のみを目指して進んでいるのだよ!」「ああ!」旅人は返事をしました。「君たちの案内人というのは高次ならぬ低次の理性だし、君たちが貪ろうとしているのは現実の姿ではなく単なる見かけです。君たちは現実の世界を知らない。君たちが騙されて物質だと思い込んでいるものは幻影ですよ。」この言葉と共に、二人目の旅人は立ち去り、科学の崇拝者は最初に声を掛けてきた旅人と共に残されたのです。「あれは何者なんです?」先ほどまで言葉を交わしていた男の後ろ姿が遠ざかるのを見ながら、科学者が尋ねました。「彼は詩人だよ。」と真面目な顔の旅人が返事をしました「私たち二人は美しい王女に会うために、王女の統べる素晴らしい夕映えのむこうの国に行ってきたのだ。そして共にそこを出発して君たちの住むこの世界を旅している。」「夕映えの向こうですか!」不審そうに相手が繰り返しました。「それは影の国ですよ。世界が若かった頃そこに古き神々が住んでいたと聞いたことがあります。」「恐らく今でも生きている。」と旅人は言いました。「王女がその縁者にして日嗣だからだ。」科学の信奉者は応えました。「確かにすてきな伝説ですね。ですが、今ではその種のものは全てナンセンスに過ぎないことが知られています。いや、もっと悪い。古い世界の退嬰的な感傷の基盤となっているのであって、その種の感傷こそ進歩を妨げる恐るべき障害物なのであり、科学も未だもってこれを屈服させておりません。しかし、マントの下で変な歌がしていますが、何ですか?」

それは王女から賜った鳥でした。旅人はそれを差し出しましたが、見知らぬ男がかの神秘の国とその統治者について語る時に滲ませた軽蔑が気になって、誰からの贈り物か、どこから来たのかは言いませんでした。旅人の中では既に王女への忠誠心が揺らぎ始め、見知らぬ男が語った知識への希求が膨れあがっていたのです。と申しますのも、この旅人は歓楽や感覚的な美には関心がなかったものの、賢くなりたいという願いに取り憑かれていたからです。ただ一つ旅人が正しく把握していなかったのは、どこを探せばそんな知恵があるのかという点でした。旅人は事実を集めればいいと考えていたのですが、本当は事実を超越した力にこそそのような知恵があるのです。

「見慣れない鳥ですね。」科学的な男は眼鏡を通して注意深く観察しました。「実に興味深い。これまで類似のものを見た記憶がありません。鳴声も独特で、部分的にナイチンゲールを思わせます。間違いなくナイチンゲールを何代もに渉って注意深く選別し人工的に掛け合わせてできた新種ですね。さまざまな鳩の珍種を用いた実験がよく証明しているように、そのような方法で見事な品種改良が行われるのですよ。すみませんが、嘴のところをもっと近くから見させてください。うんうん――確かにナイチンゲールだ――いや待て、焦って決めつけるべきではないな。この件に関するエファレス教授の意見を伺ってみたいものだ。おや、あっちの方の騒動はなんだろう?」

科学的な男と知的な旅行者が立ち話をしていた場所から少し離れて大きな建物があり、そのポルチコの下に集まっていた群衆の間に大変な騒ぎがもちあがっていました。この堂々たる建物のファサードには一面に、自由と進歩の旗印や、博士のガウンを羽織り月桂樹の冠を戴いたモダンな老紳士達の姿がロール紙や顕微鏡と共に浅浮き彫りになっており、実際、ここは大いなる科学協会だったのです。旅人達が道すがら出会った教養人の群れが目指していたのはこの建物でした。教養人が中に入ると、続いて何倍もの人数の崇拝者や狂信者達が押し寄せました。この大伽藍の中で例の科学信奉者が言っていた荘厳なる儀式が執行される予定なのです。大きなホールがもう人で一杯でした。いましも生贄を殺そうというその時です、静まり返った群衆の中から一人の男が立ち上がり、抗議を始めました。丁度遥か彼方のガンジスで、インドラ神の僧侶が行う血の捧げ物に対し釈尊が抵抗したように。男の話もまた釈尊の言葉と大変よく似ていて、人類が負う気高い義務、正義の偉大さ、因果応報の確実さ、進歩と自由の本来的意味、あらゆる瑣末で卑しい形而下世界での有用性を超越する、最も高貴な霊的到達点、といった事ごとを語っていました。そのかみのインドラ神の僧侶と違って科学の高僧は、しかし、恥知らずにも預言者に向かって侮蔑的な調子で、精神の有用性など与り知らぬと言い放ったのです。というのも彼らは進化を信じており、人間は進化した大型猿類に過ぎず、猿並みの魂しか持っていないと思っていたからです。余所者は、自分もまた進化論者だが、その学説を彼らとは全く異なったやり方で――ピタゴラス、プラトン、ヘルメス、釈尊といった昔からの先達に則る形で信じているのだと言いました。また、あらゆる物の中に不滅の神の御心が生きているのだ、類人猿であろうが人類であろうが、いや獣でも人間でも、ああ、野辺の草花の中にさえ、と。それどころか、愚か者が死んだ、あるいは不活性だと考えている全ての要素(*2)の中にすらそれはあるのだと。彼は続けました、だから人の魂は自然界全体の魂と一緒にあるのだ、人が真に人間である時に限って、その真の人間の中でこそ魂は己を知り、己に合一できるのだ、と。そのような魂はを映す鏡にして神の光の焦点たりうるのだ、と。そして彼はこうも言明したのです。即ち、自分が先に述べた霊的進化は知識ではなく徳性によって遥かに促進される。非常に知的な類人猿でありながら、人の名に値しない程愚かであるということも可能なのだ。低次の目的のために高次なものを犠牲にしようとする限り、知識を霊的な到達より重んずる限り、それらの者どもは大型の猿に過ぎず人間性を育てていないのだ、と。

さあ、こんな事を口にするほど勇敢な余所者といえば詩人の旅人以外にあり得ません。詩人が話している間じゅう、王女に渡された鳥はその胸元で澄んだ甘い歌声を上げ続けました。「負けるな! 負けるな! そこにいるのはオーガとドラゴンだ。頑張って戦え! 心を強くせよ!」興奮した群衆が大騒ぎで彼を科学協会からつまみ出して、街路へと乱暴に放り投げた時も、詩人は驚きもしなければがっかりもしませんでした。そしてもう一人の旅人と、話し相手が耳にしたのがこの騒ぎだったのです。

ですが、暴徒の大部分が建物の中に戻った後も、抗議に心を動かされた男女の小さなグループが詩人とともに残りました。彼らは詩人に言いました。「貴方は良いことをおっしゃった、サー、立派なことをなさった。私達はこの町の住民で、貴方の言葉が実現するように努めます。信じてください、時間はかかるでしょうがやりとげる決意がありますから。」自分の話が無駄ではなかったことを知って詩人は悦び、成功を祈りますと挨拶を送って旅路に戻りました。ところがもう一人の旅人と共にいた科学男は、詩人の最後の言葉に大変立腹したのです。男は言いました。「うん、確かに、先ほど集会から叩き出されたあの無知蒙昧な人物は、私らの偉大なる指導者達を侮辱していたに違いない! 何たる無遠慮! 何たる無礼! あの馬鹿げた話は隅から隅まで迷惑極まる! ああ嘆かわしい! でも、ほら、エファレス教授がお見えになりましたよ。誰よりも会いたかった方です。教授、こちらの紳士を紹介させてください。注目すべき稀少種の鳥の所有者です。この鳥について先生のご意見を伺いたいのですが。」

この教授は大変な有力者で、コートは飾りと凧のしっぽのような色付リポンの切れ端で一杯でした。ちょうど凧のしっぽのように、こういった飾りがまた錘となって教授を固定し、雲の上に浮かび上がってしまわないようにしているのでしょう。教授は眼鏡を使って鳥を見ると賢しらに頷いてこう言いました。「この種族は以前にも見たことがあるが、さほど屢々というわけでない。確かに非常に古い系統に属しており、現在まで標本が残っておるとは思わなんだ。羽毛の見事さといい、博物館ものの鳥だわい。サー、おめでとうと言いますぞ。」

「それでは、教授、あのですね、」と旅人は言いました。「この鳥には何らかの超越的なものが――つまりその――実際の所――全く存在せず――うまく表現できずに申し訳ありません――単なる地上の鳥であるということでしょうか?」旅人には真実を語る勇気が、この鳥が実際には夕映えのむこうの国から来たのだと告げる勇気がなかったのです。

飾り立てられた有力者は大変面白がり、高らかに笑うと穏やかな声で答えました。「おお、その通りですぞ。私はこの鳥の属する種をはっきり把握しとります。先ほども言った通り古代種で、科学は総力を挙げてこれの根絶に努めたものです。一つにはこの種は畑を大いに荒らし、人類の利益を直接損なうからでして。また一つにはこの種の鳴声が大層顕著なため、科学者はこれらを捉える側から解体して発声機構を明らかにせんとしたのですよ。ですが、貴兄は失礼ながらこの町に来たのが初めてとのことですな?」

旅人は答えました。「はい、この地で遂行されている科学的かつ知性的な探求に対して、私が強烈な興味を抱いていると断言させてください。察するに先生がそのほとんどを仕切っておられるようですが。」

「我々は学術友愛結社を組織しとります、サー、」と教授は応えました。「皆が進歩主義者ですぞ。ここにお残りください。貴兄が我々の会議の一員たるべきことは私が保証します。」ですが、教授のこの言葉と共に美しい鳥が旅人に向けて声高に警告の歌を歌ったのです。夕映えのむこうの国の言葉で、「気をつけて! 気をつけて! こいつはオーガだ! 貴方を殺してパンに混ぜ込むつもりだよ! 手遅れにならないうちに逃げるんだ、戦えないなら逃げるんだ!」

「おやおや、」教授は言いました。「なんと注目すべき鳴声だろう! この鳥の発声器官はよほど独特な構造と性質を持っているに違いないわい。自分自身だけではなく科学の同胞諸兄に向かっていうのですが、もし貴兄がかくも稀少なる標本を国家収集品として加えるべく寄贈してくださるなら、我々は貴兄に大変多くを負うことになりますな。この標本を獲得できれば我々としては大変にありがたいのだが。私が加入の栄誉を得ておりますこの協会は、かようにかけがえのない宝物を提供なさった方に喜んで会員資格を授けることでありましょう。請け合いますぞ。」こう語りながら教授はじっと旅人を見つめ、恩着せがましく堅苦しい態度で頭を下げました。旅人は考えたのです。教授になれたらどんなに素晴らしいだろう、色付リボンをこれでもかとぶら下げることができたら、学びまくって大宇宙の全ての知識を得ることができたら。結局のところ、この歌う小鳥と美しい王女は何ものなのだろう、科学を奉じるこの紳士たちはそれらの存在すら認めようとしない。多分本当に夢の影に過ぎないのだろう、と。そこで旅人は頷き返し、光栄です、と応えました。エファレス教授は鳥を受け取り、重々しく首を捻って、小さな死体をポケットに突っ込みました。かくして妖精の吟遊詩人が歌う天賦の美しい歌は消え失せたのでした。その返礼として旅人はたっぷり勉強し、コートに飾る沢山の綺麗な飾り物を得たのだろうと思います。

しかし、殺された鳥の霊はこのすげない都市から飛び去り、王女の許に戻って、どんな災難が降り掛かったのかを語ったのでした。

IV.

詩人はどうしたかと申しますと、一人で旅を続け、広々とした田舎に出てきました。そこでは農民たちが果物と穀物を刈って拾って集めていました。収穫期だったのです。小さな部落を、村落をいくつも通り過ぎ、時には宿屋に一、二泊して身体を休めました。地元の人たちが言うには、日曜日毎に、古趣のあるノルマンまたはサクソンの小教会でお祈りと説教があるのだそうです。

とうとう旅人はできたてほやほやの町に辿り着きました。家々は全て初期イギリス様式で、住民は皆古代ギリシャ風に装っており、ルネサンスか、もしかするとゴチック流の作法に則っていました。詩人はゴチックだな、と考え、恐らくそれで正解だったのでしょう。

この町では、会話と言えば芸術談義で、沢山のすてきな物事に関して「甘さと軽妙さ」が話題になっていたのです。皆が皆、自分はひとかどの芸術家であると主張していました。やれ画家だ、音楽家だ、小説家だ、劇作家だ、詩人だ、朗読家だ、歌手だ、その他諸々と。グラティアやムーサに奉仕しているようでいて、その実彼らが崇拝していたのはパルナッソスの神々のイメージに過ぎなかったのです。と申しますのも、この小綺麗な町の外れでは残酷な虐待が行われていたのに、自称詩人たちは誰一人としてなんとかしようと声を上げなかったからです。毎朝、太陽が顔を出す前に、あちこちの街路の上を延々と、柔和な眼をした雄牛やめそめそ泣く仔羊が、荒くれた家畜商人の叫びと笛に追われながら悲しく行進して――恐ろしいこの行進の先では、何の罪も無い生き物達が斧やナイフで殺され、美食の信奉者たちの「甘さと軽妙さ」に必要な「卓上の愉悦」のために供されていたのです。美しい朝ぼらけの前、東の空の家々の屋根の上にバラが咲き初める時、あちらこちらから重々しい斧の音が聞こえます。辛抱強い若い雌牛の膝を切り落としているのです――子どもを産んだことのないこれらの雌牛の目はヘーラーの目のようでした。この文化と芸術の町では、ヘーラーが残した古代ギリシャの歌の本が読まれない日、引用されない日は一日たりともありませんでしたのに。

しばらくして町の脇道を行ってみれば、鮮血がドブを流れ下るのを見ることができるでしょう。そして血塗れの皮を積んだ荷車や、脳と血で一杯のバケツの群れが工場となめし革製作所に向かう姿を見ることができるはずです。若者たちは一日中屠殺場にいて、暴力的な死を振りまき、家畜の上に落ちる悲劇を目撃し、引っ切りなしに起こる哀れを誘う叫びを耳にして、血糊や湯気を上げる血だまりの上をぐちゃぐちゃと歩き回り、それらの臭いを吸って過ごすのです。このむかつくような低俗な光景や音や臭いからわずか二キロメートル(*3)も離れていない所では、レースや宝石で飾られた潔癖性で上品な紳士淑女たちが、「フォアグラのアスピック」や「カツレツの温野菜添え」への感傷を語っている姿を見いだせるでしょう。あるいは死肉に対する別の婉曲語法を使って。それらの実際の姿を平易な真の名前で描くのは、良家の者には許されないことでした。

そして、詩人がこれらの者どもに真実を思い出させたとき、自分たちの習慣のせいで道徳に悖る行為をどれ程日常的に同胞達に委ねているかを語ったとき、これらの者どもの前で屠殺場の様相をありありと描き出してみせたとき、それが導く苦痛と暴虐の場面を余す所なく示したとき、者どもは耳を塞ぎ、これは酷い野人で、余りにも下品なので洗練された社会には相応しくないと叫び立てました。それはこの者どもの洗練というのが上っ面だけ、外面だけのものであり、内面的な深みのことは寸毫も気にしていなかったからです。存在それ自体の美(*4)については――この者どもはそれへの願いも、それを崇敬する能力も持ち合わせておらず、専ら美の様式と言葉と外見のみに熱中してそれきりでした。この者どもの中では、感覚は刺激されても、心情や理性の働きが活発になることはありませんでした。ですから、この者どもにあったのは改革者の精神ではなく、道楽者の精神だけなのでした。

詩人はこの者どものことを嘆き怒りました。真の詩人は誰もが改革者だからです。そこで公共の場に乗り込んで声高に町の住人を叱責しました。ところが、寄ってきたのは僅かな好事家たちか、できるだけ苦労せずに報われたいと思うぐうたら者ばかりでした。そういった者どもも、こいつならもしかすると自分の望みを叶えてくれるかもしれない、と考えていただけで、他の住民ときたら、全然話を聞こうともしませんでした。彼らが群れをなして押し寄せる先は、手品師や、青磁について講演する者や、ある古い戯曲の込み入った不明瞭なテキストを延々講釈する者だったのです。思うに、いつも懐中にいた美しい鳥の甘く優しい歌がなければ、失意の詩人は意気消沈してしまったに違いないでしょう。それがどんな歌だったかは詳らかではありませんが、智慧の到来を確約する何か、完全なる日が近いことを確約する何かで、その要旨は地上の全ての国にとっての希望でありました。なぜなら、人間が抱きうる美しく賢明な思想は、その全てが人類全体の遺産であって、いつの日か全人類が犯すべからざる真実として共有するものへの兆しであり保証であるからです。そして詩人なるものは人間性という名の軍隊の前衛なのですから、まだ見ぬ情景を、義務権利の山々を誰よりも先に見いだして宣言するのです。進軍と共に地平線の上に次々と現れる新たな地点を、新たな展望を。今日詩人が歌うソネットは、明日には議会でのスピーチの基調として花開き、昨日歌われていた詩は、今日こんにちの選挙演説や説教や市場で用いられる散文の種だったからです。あぁ詩人よ、汝は何故なにゆえ世界を慮るのか。避け難き未来を語り、自ら御神の預言にして契約たる詩人よ、汝が語るはいつの日にか全人類がなるべき未来なり! 汝が歌を歌えかし、全身全霊を込めて汝が幻を語れよや。たとえ今日汝の言葉を聞かんとする者無しとても、語られし言葉の失われることなかりせば。真実の思想は全て生きています。そこには御神の精神が宿っているから、時が来ればそれは蘇りまた芽吹くから。汝、思想の人よ、汝は創造者、時代の開拓者なのです!

美しい鳥が歌ったのはこんなことでした。詩人はそれに宥められ、励まされ、啓示の言葉を力強く語り続けました。その声を聞こうとする者はほとんどおらず、多くの者達から嘲笑され、時には散々になじり倒されたりもしました。それでも詩人は語るべきことを正しく語ることにのみ心を砕き、できるだけ完全な、賢明な、価値のあるものにしようと心がけていたのです。意見の表明を終えた詩人は町の門を出て、再びひとりぼっちで荒れ野と森を巡って旅していきました。

しかし、今や大地に冬が来たり、荒野は気が滅入るようで、雪に覆われた木々が青白い幽霊のように突っ立っていました。北風は吹きさらしの田舎道で嘆き、旅人はますます寒さに震え弱っていったのです。詩人は鳥に語りかけました。「鳥よ、私と仲間とが夕映えのむこうの国から旅立ったとき、王女は私達一人一人に案内を付けると約束したね、私達がきちんと警告に気を付けていれば、安全に連れ帰ってくれるという案内人を。では、その案内人はどこにいるのだろう? ここまで一人ぼっちで歩いてきて、そんな案内を見たことがないよ。」

鳥は答えました。「おぉ、詩人よ、汝が懐中に帯びて来し吾こそが案内人にして監視者なのだ! 吾は汝の指導者、汝の天使、汝の内奥の光である。汝の同輩には吾の如き案内役がひとしく下賜されたのだが、飽食の男はその監視者を追放し、知者たらんとした男は更に悪しきことを成した。彼の友でありより良き自己であったものを死に至らしめたのだ。きんは鉱滓(*5)に抗い、御神の智慧は人智に抗うのだ! だが詩人よ、汝は御神の子供にして、汝のみが喜びの眼で以て夕映えのむこうの国を再見し得るであろうし、かの王女のかんばせを目にすることが叶うであろう。汝のみが王女の真の従者、真の騎士である!」

旅人はすっかり喜んで、歌いながら心を高揚させていきました。しかしその反面、足元は急峻になり、顔には氷のような空気が一層冷たくぶつかるようになってきました。どちらを向こうと野原も農夫達がかいがいしく働く果樹園もなく、あるのはただ煌めく雪の渦と金剛石のように光る氷河だけで、暗さを増す空間の深みを背景にキラキラと硬質の輝きを放っていました。時折、遠くで起きた雪崩の咆哮が辺りの空気を震わせ、また元の静寂へと帰っていきました。眼前に水晶のように白い山岳が立ち上がり、どっしりとして、静謐で、畏怖すべき姿を現しました。而して理想の真実なることを恐ろしくも確信させたのです。と申しますのも、途方もない峰と計り知れぬ深淵、目を塞ぐ雪、原初の静寂、無限の啓示、重畳する頂に射すオパールや黄玉や縞瑪瑙の光、これらの全てが、心の奥の奥に深く秘めた最も秘密で、最も恐ろしい思想を目に見える形で顕現させたものと思われたからです。それらは幻想の中で見、隠れた空想の中で形を成してきたもので、これまでこの詩人はなんとか信じようとしてきたのです、もしこの大宇宙が神意によって創られたのなら、そのような領域があるかも知れない――いや、絶対にあるのだ、と。今やそれが目の前に飛び出してきたのです。大いなる栄光の黙示が、人間存在とは無関係に在る絶対者の帝国が、それ自身の計り知れぬ孤高の正しさを久遠の果てまで断言しながら。

「私は今、命の絶頂に辿り着いた。」と詩人は叫びました。「この世界の中で、全てが行われるのだ!」

そして今、かの美しい鳥のみを供人とし、詩人は一人の道を踏みしめていきました。折々靄が大きな雲となって高みから下り、あるいは凍てつく峡谷から吹き上げ、柔らかな灰色の襞の中に包み込み、周囲に広がる煌めく空間を隠してしまったので、詩人は恐れを感じました。あるいは、時として詩人は自分自身の影が、巨大で不吉な自我が、雲なす大気に投影され眼前に立ちはだかるのを見ました。その孤独な怪物は詩人の破滅を予告し脅迫しているのです。あるいは、今度は霧の渦の中で当惑するような分身の術を発揮し、百もの亡霊めいた自我達に分裂し、詩人自身を――その姿を物腰を外観を願望を――映す合わせ鏡の像となって、互いに折り重なり――遍在するこれらのグロテスクな姿は狂気のように膨れ上がり、熱に魘された夢に現れるゴブリンの如くなっていたのです。これを目にした詩人は初め怯み、剣を手探りしました。その時、胸元で美しい鳥がこう歌いかけてきたのです。「恐るることなかれ、こは王女の言いしキメラなり。貴方はセイレーンにもオーガにも傷つけられることなくここまで来った。平原と低地に溢れるヒュドラ頭の輩にも。さあ、勇気を以てこの高地の亡霊と立ち向かうがよい。既に今、汝は夕映えのむこうの地の境に立っている。あれらは境界に棲息する者ども、父の国の閾に取り憑く亡霊どもだ。あれらは汝自身の影に過ぎぬ、深淵の霧が映す反射に過ぎぬ、聖なる領域を覆うヴェールに描かれた亡霊に過ぎぬ。あれらは虚無から現れた、不条理冥府の夜の所産なのだ。」

その時、神の息吹のような強風が山脈の峰々から吹き下ろし、雲を散らし霧を晴らしました。あちこちにいた亡霊どももこの風に吹かれて、煙のように消え、道ばたの巌の蔭へと失せたのです。それ以降詩人がそれらを気にすることはなく、意気軒昂と道を進みました。いつのか間に雲も丘の谷間の霧も眼下となり、目眩のするような雪が広がる頂上に立っていたのです。詩人の目には太陽の向こう側にあるの金の門が再び映りました。

しかし、詩人と王女との再会、二人が挙げた華燭の儀のこの上ない輝かしさ、詩人の得た歓喜、こういったものを私は語ることができません。これらの事柄は妖精の国の年代記に属し、いかに賢明な者であろうと、人間の言葉しか記すことのできない死すべき手によっては伝え得ないからです。私が確かに存じておりはっきりと語ることができますのはこれだけです。心から願っていたものを満喫した詩人は、望んだ以上の知識を得、大地を理解し、永遠に祝福されたのだと。

さてこれで、自分の理想を見つけそれを追い続けた人物、愛し報われた人物、より劣る俗事に囚われず愛を貫いた人物の物語は終わりです。これは感覚にも知識への渇望にも、権力への欲望にも、空虚な霊的慢心にも誘惑されず、これらを振り捨ててどこまでも正直に尽力した人物の物語であり、善と美の道を歩みそこから逸れなかった人物、仇なす者に一歩も譲らなかった人物の物語です。どんな非難も、嘲りも、無視も、その魂に潜む内なる神性の声をかき消すことはできませんでした。この人物は自らの本分をわきまえ、それに従って行動したのであり、世界に服従しようとか、愚痴をこぼそうとかしませんでした。御神の正義への確信が、この人物に「一般人の共感」とは距離を置かさせたのです。詩人は誰でも、己の中で、このような人生を想像し、理解し、かくあれと願っています。このような生を生きる者は、自らの天分を規範とし、先覚者の持つ雄々しき資質の最上位として英雄主義の神々しさを据えるのです。


翻訳について

底本は Project Gutenberg の Dreams and Dream Stories By Anna Kingsford の第二部 Dream Stories の第三話 Beyond the Sunset; A Fairy Tale for the Times です。この翻訳は独自に行ったもので、先行する訳と類似する部分があっても偶然によるものです。

自序によると、1885年の Christmas Annual が初出とのことで、キングスフォード最晩年の作品ということになります。また、同じく自序によると、この作品と第二話はかなり細かい所まで夢にでてきたのだそうです。題名の Beyond the Sunset を「夕映えのむこうの国」と訳したのは、日本のとあるファンタジー映画からの影響です。今は亡きシアター・テレビジョンの映画番組(確か 24f/s っていうタイトルじゃなかったかなあ。16f/sだったっけ。どちらも映画の毎秒のコマ数)でこの映画を見て以来、有森也実さんは私の女神になりました。spirit(s) は文脈によって「(心)霊」ないし「精神」と訳してあります。ブッダをどう訳すかは迷いましたが、実在の人物を示す「釈尊」としておきます。fairy bird は「妖精の鳥」だと今ひとつしっくりこないので、「美しい鳥」としてあります。太字で強調してあるのは、大文字で始まっている名詞です。

この訳文は他の拙訳同様 Creative Commons CC-BY 3.0 の下で公開します。TPPに伴う著作権保護期間の延長が事実上決定した現状で、ほとんど自由に使える訳文を投げることには多少の意味があるでしょう。

固有名詞等:Queen Beauty、Effaress、Siddartha Buddha、Brotherhood of Learning

第一部 Dreams の中から、短い詩集 Dream Verses を除いた部分を「夢日記」として訳出してあります(誰か Dream Verses を訳してくれませんか……)。第二部 Dream Stories「夢の物語」には、以下の八編が収められています。いくつか邦訳を試みておりますので。興味をおもちでしたらどうぞ。
  1. A Village of Seers:「千里眼の村」
  2. Steepside; A Ghost Story:「崖端館」
  3. Beyond the Sunset:「夕映えのむこうの国」(本作)
  4. A Turn of Luck : 「幸運のターン」
  5. Noémi:「ノエミ」
  6. The Little Old Man's Story:「小さな老人の話」
  7. The Nightshade:「犬酸漿」
  8. St. George the Chevalier:「騎士・聖ジョージ」


8, May, 2016 : とりあえずあげます
9, May, 2016 : ちょっとだけ修正
13, May, 2016 : もうちょっとだけ修正
2, Jun., 2016 : 第五話へのリンク
13, Jun., 2016 : 青空文庫版制作準備の改稿
22, Jun., 2016 : 各所修正
3, Jul., 2016 : 第七話へのリンク
6, Sep., 2016 : 第一話へのリンク
4, Mar., 2017 : 第六話へのリンク、Noemi → Noémi
18, Apr., 2020 : 第八話へのリンク
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