☆桃兎の小説コーナー☆
(08.01.25更新)

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 レスは日記でしております〜。



 ドラゴンマウンテン 
  第13話
  冬の嵐は激しく強く(上)
 

 
冷たく冷えきった崩れかけた遺跡の通路。そこを足音も無く進む影があった。
 幾度か角を曲がり、その影は重々しい扉の前で足を止めた。
「百五十年ぶりかしら。愚かな兄とはいえ、そろそろ出してさし上げないと」
 白い少女。少女が青白い手を扉に翳すと扉は音も無く開いた。
 だが、そこに少女の探す兄の姿は無かった。
 少女の目の前には、開かれた空の棺。
「封印が……解かれている? まさかあの兄が自力で解いたとは思わないけど……」
 少女は広い部屋の周囲を見渡し、様子を伺う。
 部屋の天井の半分は崩れていて、そこから漆黒の夜空と細い月が覗く。
 その僅かな月明かりに反応して、棺の傍で何かが光る。
「これは……、兄の言霊?」
 言霊の放つ色は赤。それは死の直前に放たれた事を意味していた。
「あの兄が…死んだ」
 言霊には、恨み言と共に二つの人の名が刻まれていた。
 聞いたことも無いその二つの名に、少女は興味を持った。
「いくら愚かな兄だったとはいえ、まさか人に『封じられる』のではなく『葬られる』と
は……。面白い、気になるわ」
 少女は嬉しげに微笑み、その言霊を握りつぶす。
「兄は、なんて素敵なプレゼントを置いていってくれたのかしら! 最高ね! あぁ!」
 少女は自らを抱きしめ、震えた。
 少女にとって、人はおもちゃ。唯の暇つぶしの道楽。
 水色の髪をかきあげ、月に微笑む。 
 その微笑みは、人形のように美しく可憐で、冷たいものだった。

    1

「女将さん〜! 稽古終わったよ〜っ!」
 昼下がりの今昔亭に響く、元気の良い声。
 寒風吹きすさぶ外とは違う暖かい室内に、マリンはふにゃりと目を細める。
 ドラゴンマウンテンの麓の町チーク。
 そのチークの中でも、『今昔亭』のレンジャーといえばかなり有名な存在だ。
 ドラゴンの住まう山を知りつくし、冒険者から一般人まで、山に関する様々な依頼をこ
なすレンジャー達は、町にとっては無くてはならない存在で、また貴重な戦力でもある。
 マリンは十七歳で、見た目もさほど普通の女の子と変わらない様に見えるが、立派なレ
ンジャーの一員だった。
 マリンは流れる汗をタオルで適当に拭いながら、裏口からロビーへと歩いていく。
 今日は『今昔亭』に住む全員がロビーに集まっていて、なんだか賑やかだ。
「お疲れさん、マリン。雪の上での稽古は疲れたろ?」
 頬を真っ赤にしながら息を整えるマリンに、女将が優しく微笑みかける。
「そうなの! 何回も滑りそうになって、その度にガントの拳が……。あぁもう、雪山に
行けるレンジャーの凄さを改めて思い知ったよ」
 マリンはソファーにへたりこみ、ガックリとうな垂れる。
 マリンはまだレンジャーになって二年目で、とても冬の山に行けるレベルではなかった。
 それ故に、冬場はこうして稽古をするか、もしくは町の人たちの雑用を引き受けて日々
生活しているのだ。
 だが、今年の冬は例年より寒さが厳しく山の雪も深い為に、レンジャーほぼ全員が開店
休業状態なのだった。
 暖かい紅茶をカップに注ぎながら、女将がマリンに語りかける。
「そうやってちょっとづつ雪に慣れれば良いんだよ。来年は三年目だろ?
 来年からは雪 山での実習も始まる。なにも焦る事は無いんだよ」
 女将の声に、ロビーにいた他のレンジャーも同意する。
「マリンはちゃんと稽古しているからな。案外冬の山でもやっていけるかもしれん。ほら、
ちょっとは見習え」
 秋にレンジャーを引退したモースが、隣で他のレンジャー達と遊んでいるリオンを杖で
つつく。つつかれたリオンはぎくりとなって目を逸らせた。
「お、俺は昨日ローラさんに稽古してもらったんだってば! 今日は休む日なんだよ〜」
「リオンは直ぐにサボろうとするからな」
 クロフォードがフフンと笑いながら、リオンの手元のカードを一枚引き抜く。
「おし、トップでアガリだ。この菓子は俺様が頂くぜ」
「うっわ! いつも弱いくせに!」
「なんや、負けか。しくったなぁ」
 勝負がついたらしく、リオンとアレイスが悔しげにクロフォードを睨む。
 そんな二人を完全に無視して、クロフォードは四角いお菓子の箱をひょいと持ち上げた。
 マリンはそんな皆を眺めながら、大きく背中を伸ばした。
「まぁ、それでも大分動ける様になった方だ。飲み込みが早くて助かる」
 突然背後から聞こえてきた低い声に、マリンはどきっとなって伸びたまま思わず固まっ
た。
「そ、そんな事無いよ……!? 全然だよ」
 不意に褒められて、マリンの頬が赤く染まっていく。
 声の主はそんなマリンの頭に大きな手をぽんと載せ、ぐりぐりと撫でた。
「まぁ、確かに戦えるレベルにはほど遠いがな。そうやって日々積んだ経験はいずれ現場
で生きてくる。お前はその調子で頑張れば良い」
「おぉガント、いい事言うじゃねぇか。その通りだぞ、マリン」
 モースが満足げに頷きながら、ガントに向かってにぃっと笑う。
「はいはい、話の途中で悪いけど、マリンに手紙が来てるよ」
 女将がマリンに一通の封書をぴっと差し出す。
 丁寧な美しい文字。トリートからの手紙だった。
「わ! トリートからだ!! 何かな! どれどれ……ふんふん、良かったねモースさん!
ニ月にはこっちに来れるって!」
「べ、別によかねぇよ」
 モースが少し照れたようにそっぽを向く。
 以前モースに依頼をしたトリートはすっかりモースに夢中で、マリンとは良い友達にな
っていた。トリートはまめな性格で、ニ週間に一回はマリンに手紙を書いてくるのだった。
「結婚するんだろ? もう家だって半分立ってる状態だし、素直に喜びゃいいのにねぇ」
 女将が小さく笑いながら、モースの肩をばしばしと叩く。
 モースは引退を機に斜め向かいの土地に家を建て、道具屋を始める予定なのだった。
「式にはレンジャー全員参加しますよ? 何も問題は無いじゃないですか」
 ニヤニヤと笑いながら、クロフォードがモースに話す。
「うるせぇっ!」
 ますます赤くなったモースは、腕を組んで完全に黙り込んでしまった。

「あらあら、賑やかねぇ」

 不意に『今昔亭』の扉が開き、そこから目深にローブを羽織った女性が姿を現す。
「め、メディーーーーっ!!」
 その声を聞くなり、マリンは真っ直ぐにその女性に向かって飛び込んだ。
 マリンが勢い良く飛び込んだ反動で、フードがはずれ、豊かな金髪がふわりと舞う。優
しいグリーンの瞳が、元気一杯の少女を見て嬉しそうに輝いた。
「マリン〜! ただいま! 帰ってきたわよっ!」
「お帰りっ! お帰りなさいっ!! メディがいなくって寂しかったよぉっ!!」
 メディはマリンをぎゅっと抱きしめ、その頬にほお擦りする。
「お帰り、メディ。ご苦労だったね。帰ってきたってことは、レンジャーになれそうな良
い人材が見つかったってことだね?」
 その豊かな胸に埋もれるマリンを見て苦笑しながら、女将はメディに尋ねた。
「えぇ、見つかりましてよ? 三人ほど、ね」  

 メディはレンジャーの一人だが、決して強いわけではなく戦いには不向きな方だ。
 だが、メディは女将さんや他の皆が認めるほどの人選眼の持ち主で、レンジャーに欠員
が出る場合は必ずメディが人材を探しに出かけていくのだった。
 各地に出向いてよさそうな人に目星をつけ、その人にレンジャーになる意思がある場合
は試験を授けるという重要な役目を負っているのだ。
 そのメディが二ヶ月の期間をかけて、ようやく『今昔亭』に戻ってきたのだった。
「二ヶ月で三人も見つけたのか、そりゃ楽しみだな!」
 モースがほくほくとしながら顎鬚を撫でる。
「うわぁ、私達に後輩かぁ! どうしよ! どきどきするね!」
「おうよ! マリン、なんかやべぇええええ!」
 マリンとリオンがテンション高く感動している所で、クロフォードがボソリと一言呟い
た。
「三人のうち、何人が試験にパスしてくるかが問題だな」
 クロフォードのその台詞にマリンとリオンがビクッとなる。
「し、試験って……、あの?」
「お、思い出したくねぇ……!」
 真っ青になる二人に、周りの全員が大笑いする。
「ね、メディ、その人たちもあのドワーフの洞窟を攻略する試験、受けるの?」
「もちろんよ? あの洞窟を越えられないくらいじゃ、レンジャーなんて諦めてもらうし
かないですもの」

 メディの課す試験は二つあって、一つは特定のアイテムをどんな方法でも良いから手に
入れるという物と、ドワーフの洞窟を単独でクリアし、奥の住むドワーフから特殊な金を
受け取ると言う物だ。
 それらを一定期間内にこなし、『今昔亭』までたどり着くというのがメディの試験なの
だった。
 そして、その試験を見事クリアし、最後の試験をドラゴンマウンテンでクリアすれば、
めでたくレンジャーになれるというわけなのだ。

「今回はね、なかなか骨のありそうな冒険者を捕まえたのよ。期間は山に春風が吹くまで。
何時吹くかなんてわかんないから、あの二人、相当慌てていたわ。でもね、冬だという事
を考慮して、普通より二週間くらいは猶予が長いのよ? あぁ、楽しみねぇ」
 少し意地悪な微笑を浮かべながら、メディは目を細める。
「うっわ、悪魔だ。俺、あの洞窟攻略すんのに二週間かかったんだぜ?」
 リオンがげんなりしながら、ふるふると首を振る。
「それはちょっとかかり過ぎかもしれないが、確かにあの罠だらけの洞窟はビックリする
だろうな。低レベルとはいえ、モンスターも住んでいる。それにあの洞窟からココまでは
徒歩で一週間以上はかかる。如何に頭を使い、物を使い、人を使うか。その冒険者の実力
が試される訳だ」
 そう言って、ガントも嬉しそうにニヤリと笑う。
「ん、待てよメディ」
 クロフォードがふと気付いて、顔を上げる。
「三人見つけたといったが、試験を受けるのは二人だと言ったよな? どういうことだ? まさか『試験が必要の無いくらいの人材がいた』、とでも言うのか?」
 クロフォードの言葉に、皆がはっとなる。
「そうだよ、メディ! どういう事なの?」
 マリンも気になってメディに問いかける。
 本来、レンジャーになるのには試験が必要不可欠なのだ。それが必要ない人材などと言
われれば、気にならないはずが無い。
「あらあら、気付いた? そうなのよ、即戦力よ。冬山だって、すぐに行けちゃうわよ?」
「ちょ!? 何それ! そんな、うそぉ!?」
 マリンは驚いて、がばっと後ずさりする。
「マジ……かよ?」
「本当かい? メディ?」
「ほう、そんな冒険者がわざわざレンジャーに?」
「そうか、いや、そこまでの者だというならば是非一度剣を交えてみたいね」
 一気に皆の目つきが真剣なものに変わる。ガントやクロフォードは高まる気持ちを抑え
きれないのか軽く震えている。
「試験の必要がないから、もう町に来ているわよ? ちょっと挨拶してくるって言うから、
さっき別れたんだけど……そうね、もうくるんじゃないかしら?」
 そのメディの台詞と同時に、ガチャリと扉のノブが鳴る。
 その場にいた全員が扉に注目し、息を呑む。
 外からの冷たい冬の風が一気に吹き込み、その風に押されて真っ赤な外套がばさりと室
内に舞い込む。

「よぉお、兄弟!」

 扉をくぐって現れたのは、炎のような男だった。

     2

 真っ赤な外套を纏った三十代と思しき男。体格は冒険者としては少し大きな方か。
 漆黒の短髪、彫りの深い顔に入っている赤い刺青。何よりも目を引くのは炎のように赤
く燃える瞳だろう。見るものを吸い込むような勢いのある、鮮やかな赤だ。
 足元には、荷物がぎっしり詰まった大きなバックパックが二つ。
 背中には大きな斧を背負っており、尊大な態度はその者の自信を表しているかのようだ。
 『炎のような』。まさにそんな表現がぴったりの男だった。

 男を一目見るなり、モース、クロフォード、アレイスが一斉に勢い良く立ち上がる。
 女将は驚きのあまり、目がまん丸になって口まで開いてしまっている。
 そして声をあげたのはガントだった。
「マ……、マクス! マクスさんじゃないか!!」
「こらテメェ、『さん』は止めろとあれだけ言っただろうがこの馬鹿め」
 男は堂々とロビーへと向かい、その中心にどんと仁王立ちする。

「よぉ、兄弟。モースが引退って言うから、急遽帰って来てやったぜ。光栄に思え」

 うおおおおおおお! とその場で男達が唸りをあげる。
「そりゃ試験なんぞいらねぇなぁ!」
「まじかっ! 夢じゃないよなッ!?」
 男達は口々に再会を喜び、拳をぶつけ合う。
 一種異様なテンションの高まりに、マリンとリオンだけが置いてけぼりだった。
「だ、誰だよ、この人……」
「し、知らないけど……皆知ってる……人みたい?」
 その場に居づらくなって、リオンがマリンの元に避難してくる。
 そんな二人に、メディがそっと寄り添う。
「あら、そうだったわね。二人は知らないんだっけ。教えてあげるわね。彼の名はマクス。
マクス・レイフォース。元、レンジャーよ」  

  「「元、レンジャー!?」」

 二人の驚く声に、マクスがピクンと反応する。
「お? なんでぇそこのチビ二人は。ん、客か?」
 つかつかと二人に歩み寄り、男は品定めするようにじろりと見た。
「マクス、その子達はレンジャーだよ。あんたがいなくなったのとすれ違いで入った子達
でね、マリンとリオンって言うんだ」
 女将の説明にふぅんと軽く顎で返事をして、ふむ、と改めて二人を見る。
 その鋭い赤い眼差しに、マリンとリオンはすっかり固まってしまっていた。
「なるほどねぇ。男の方は確かにそれらしい体してんな。おう、リオンつったか、よろし
く頼むぜ、『先輩』」
「や、止めてくださいよっ! 元レンジャーなら、そっちの方が先輩じゃないですかっ!」
 焦るリオンをみて、マクスは口の端をくいっと上げる。
「いんや、後から入りなおしたんだから、オレが後輩だ。問題ねぇよなぁ!?」
 マクスは豪快に振り返り、男達にむかってニヤリと笑った。
「あぁ……、リオンはマクスのおもちゃ確定やな」
「可哀想だが、俺様は止めないぜ」
「いいじゃねぇか! 間違えちゃいねぇなぁ!」
「面白い人だ、全く。あの人は」
 それぞれの反応を見てマクスは満足げに頷き、リオンの肩をがっしりと掴んだ。
「って訳だ! 頼むぜ! 先輩!」
「ちょ、待って、えええええぇえ!?」
「で、もう一人は……?」
 困り、焦るリオンを腕に抱えたまま、今度はマリンに目線を移す。
「ふむ、ちょっと後ろ向け」
「??」
 困惑したまま、マリンはくるりと後ろを向く。
 だが後ろを向いた瞬間、マリンはその場から飛びのき、ガントの後ろに全力で隠れた。
「きゃあああぁああっ!?」
「おう、良い感度だ! 胸はねぇが良い尻だなおい」
「や、や、やぁああああっ!?」
 涙目になるマリンに、ガントの眉がピクリと動く。
「あ、忘れてたわマリン。あの人、相当エロいで? 気ぃつけや?」
 アレイスの一言に、マリンが首を横にふる。
「いいえ、エロいというより下品なのよ」
 メディが嫌そうにマクスを睨みつける。
 旅の途中で何度もセクハラにあったのだろう。その視線はとんでもなく冷たい。
 ガントの後ろで震えるマリンを見て、マクスがふむと頷く。
「おう、それに中々の回避力だな。手が尻に触れた瞬間に飛びのくたぁ驚いたぜ。ばっち
り気配消してたんだがな」
「ソレは、俺が鍛えていますから」
 マリンに近づこうとするマクスを遮って、ガントが前に出る。
「ほう、ガント、お前の弟子か! 女を弟子に取るたぁ、テメェも柔らかくなったもんだ
な。だが、そんな細腕でレンジャーやってるとは、ちぃとばかし信じらんねぇなぁ。ガン
トの弟子ってことは武器はその拳だよな? ホントか?」
「ホントだけど違いますっ! 確かに格闘もするけど本当は魔……」
「マクス、マリンをなめてかからないない方がいい」
 マリンの台詞を遮って、ガントが睨む。
「……、ほう? んじゃ一発この腹に打ち込んでみろ、マリン!」
 そう言うとマクスは腹を捲くり上げ、その見事に割れた腹筋をあらわにした。
 見るからに硬そうなその腹は、無数の切り傷の跡があり、幾度もの戦いをくぐり抜けて
きたということを窺わせる。
「……、ガント、いいのかな」
「構わん、本人が良いって言ってんだ。全力で殴ってやれ。……尻を触った罪は重い」
「ちょ、ガント、そこかよ」
 大真面目にそう言うガントに、アレイスが突っ込みを入れる。
「いっけぇ、マリン! 見せてやれー!」
 ようやく開放されたリオンも、マリンを応援する。
「マクス、踏ん張っとけよー」
「大丈夫だぜモース! 女の拳になんぞに怯まねぇよ」
 その言葉に、マリンはカチンときた。
「やれ。お前の拳を見せてやれ」
 ガントの一言で、マリンは力強く踏み込んだ。
 そしてその拳は、電光石火の速さで繰り出された。

 ドスッ!!

 鈍い音が部屋に響く。
 マリンはすっと拳を引いたが、次の瞬間手をぶんぶんと振って叫んだ。
「いったああああああっ!! なによこれっ!? ガントよりがちがちに固いっ!!」
 ガントの筋肉も相当硬いが、格闘技という攻撃方法の為若干柔軟にできている。だが、
マクスの腹筋はまるで分厚い鉄板の様な硬さだったのだ。
 手がほんのり赤くなり、骨にまでその衝撃がじんじんと響いている。
 あまりの予想外な硬さに、マリン自体も驚きを隠せない。
 そしてマクスは、拳を受けた姿勢のままぴたりと止まっていた。
「き、効かなかったの……かな」
 あの腹筋の前では流石に自信が無く、おろおろするマリン。
 だが次の瞬間、マクスが唸った。
「いってえええええええええええええええええええええ! んだコイツ! 女かよ!?」
 目にはうっすら涙がうかんでおり、うおぉおと低く唸るマクス。
「だからいったろう。なめるなと」
「あ、効いた」
「コイツのダメージ、内臓に来るぞっ! やべぇ、コイツはとんでもねぇな。悪かったな、
お前の事、レンジャーだと、戦士だと認めるぜ」
「や、ありがとう……って、違うの!! 私は戦士じゃなくて、魔法使いなのっ!!」
「嘘つけっ! そんな腕力の魔法使いなんざ会った事ねぇよ!」
「ガント! 信じてくんない!」
「勿体無いから見せなくて良い。こっちこい」
 ガントは叫ぶマリンを抱き寄せ、片手でがっちりと抱え込んだ。
 その様子を見て、マクスがピクンと眉を動かす。
「……、ガント、なんだ、それ『お前の』か?」
「そうだ。手を出すな」
「ふぅん……。んじゃ、その良い尻を毎晩いいように遊んでんのかよ、おい」

「「違うっ!!」」

 二人同時に否定され、マクスは、ん?と首を傾げる。
「んだよ、まだヤってねぇのか。勿体ねぇ」

「「黙れっ!」」

 今度は左右からパンチをくらい、その場にしりもちをつくマクス。
 二人の息はぴったりで、マリンとガントのそれぞれの拳がマクスの両頬にクリーンヒッ
トしたのだった。
「ってぇ! 二人して殴りやがって!」
「ほら、マクス、馬鹿はそこら辺にして。荷物、持ってきてんだろ? 空いてる部屋なら
何処でも良いから、とりあえず置いといで」
 女将の声に、マクスがおうと返事をし、よっこいしょと立ち上がる。
「女将、三階は遠いから嫌だぜ? ニ階、ニ階で空いてる所ねぇのか?」
「あるっちゃあるけど……」
 女将はちらりとガントとマリンを見る。
 二階で空いている部屋はマリンとガントの間の部屋しかないのだ。
 マリンは首を振り、ガントは嫌そうな顔をする。が、それに気付かないマクスではなか
った。
「うし、決定だ。二階にするわ、オレ。おぅ、ガント案内頼むぜ」
「なっ、三階にすればいいだろ! 昔は三階に住んでたじゃねぇかっ!」
「ヤダ。オレ階段嫌いなの。ほれ、行くぜ」
 マクスは足元のバックパックを背負い、階段をひょいひょいと上がっていく。
 それを追う様に、ガントが後ろからついていく。

 一気に静かになったロビーで、アレイスがボソリと呟いた。
「あぁ、ガントもおもちゃ決定やな」
「マリン、どえらい後輩がきちまったなぁ」
 モースの台詞を聞いたマリンは、ガックリとその場にへたり込んだ。

     3

 その日の晩、歓迎会もかねて食堂で小さな食事会と相成った。
 ゴードンやアシュレイ、ローラも家からやってきて、レンジャー全員が揃うという一年
でも数回と起こらない状態に、自然とマリンたちのテンションも上がっていた。
 料理は向かいの食堂から調達してきたので、女将も今日は話に専念できると大喜びだ。
「で、モースが引退するから急遽帰って来たってのはわかったんだが、一度辞めたお前が
何故戻ってくる気になったんだ?」
 料理を皿にとりながら、ローラがマクスに尋ねる。

 マクスは三年前、「今、メディが後輩探しに行ってんだろ? 金も溜まったし、そろそ
ろ旅に出るわ」と、あっさり『今昔亭』を出て行ってしまったのだった。
 元が冒険者で、「五年やって、そっからは何時出て行っても構わないのならやる」とい
う条件をつけてレンジャーになったマクスだ。きっちり五年たったところであっさり引退
していったのだった。

「オレだって、『今昔亭』に愛が無いわけじゃねぇからな。ましてやベテランのモースが
冬場に動けなくなったって聞いちまったら、そりゃ戻りたくもなるぜ。まぁ、丁度資金が
尽きて色々困ってた所でメディと再会してな。これは山へ戻れって事だと思ったんだよ。
また数年働こうかと思ってるんだ。勝手ですまねぇがまた頼むぜ、女将」
 比較的穏やかな口調で、マクスは女将に話しかける。
「あんたの勝手は、今に始まったことじゃないよ。それにベテランが抜けた穴は大きいか
らね。正直助かるよ。まぁ、我侭言うならずっと居て欲しいんだけどねぇ」
「そりゃ無理だ女将! 自由を愛する猛獣をずっと檻で飼う様なもんだぞ!」
 ゴードンが豪快に笑い、隣のモースをばしばしと叩く。
 叩かれたモースはむせ返りながらも、正面に座るマクスに話しかける。
「ま、レンジャーの実力的には問題ないはずだし、ずっと各地を廻ってたんだろ?  腕も
衰えてないだろうよ。俺は二月には自分の家に移動するから、それまでに勘を戻しておけ
よ?」
「了解だ、モース。安心して引退しろよ」
 フォークを片手にびしっとキめるマクス。それを見てほかのレンジャーの表情も緩む。
 だが、緩まない者が三人居た。
 食堂の一番奥にいる三人だった。
「……ところでクロよ。ガントはいいとして、俺の代わりに入った奴らは、なんだ、化け
物か?」
 マクスが眉間に皺をよせテーブルの端を見る。
 そこには物凄い勢いで料理を食べていく三人の姿があった。
「あぁ……、マリンとリオンか? アイツらの胃袋はどうかしてるんだ。ほっとけよ。あ
んなん見てたら食欲なくすぜ? だから隔離してあんだよ」
 クロフォードはふぅとため息をつきながら、小さくちぎったパンを口に運ぶ。
「おめぇは小食のまんまか、おもしれぇのが増えただけで、あんまり変わってねぇんだな。
『ココ』は。いい所だよ」
 少し寂しげに、マクスが呟く。
「ん? どういうことなんだい?」
 アシュレイが穏やかに尋ねるも、マクスの表情は変わらない。
「オレはこの数年、四つの国を全部歩いてきたんだ。隣国のリゾルートは相変わらずフェ
ローチェと戦争状態で、国境は酷い有様だった。リゾルートは<聖>の属性、<聖>の神
を掲げて正義の名の下に進軍。フェローチェは<聖>が正義ではない、学問、知性を身に
つけ<魔>を含む全ての属性を従える事が正義だとゆずらねぇ。ココの南のコン・アニマ
は先代は偉大な王だったが今の代になってからはダメらしく、『大遺跡』に集まる一攫千
金を夢見た冒険者やならず者で治安が悪い。間違いなくコン・アニマはフェローチェに巻
き込まれるな。油断してるとこの国もそのうち戦争だ」
 沢山の物を見てきたのだろう。その目はどこか疲れてるようにも見える。
 食べながら話を聞いていたマリンがふとその手を止めて、マクスのほうを向きなおす。
「戦……争」
 ボソリと呟くマリンの声が聞こえたのか、マクスがその赤い瞳をマリンに向ける。
「まぁ、まだ戦争にはならんだろうよ。この国は自然が多くて田舎だからな。ただ、この
国にはドラゴンマウンテンがある。ここには竜が住んでるからな。竜を戦力として欲しが
る国もあるってこった。ま、嬢ちゃんは心配せずに食ってりゃいい」
「う、うん」
「まぁ、この国には竜騎士団もおるしな。それにもう戦争はこりごりや」
 アレイスが首を振って、はぁとため息をついた。
「お、いかんな。オレのした話が暗すぎたか! わりぃ!」
 ぽりぽりと頭をかいて、マクスが苦笑する。
 和やかな談笑。一通り料理を食べ終えたマリンが、ようやく落ち着いたのか顔を上げる。
「んねぇ、メディ」
 隣で穏やかに食事するメディがマリンの声に気付き、ふと手を止める。
「なぁに、マリン?」
「なんか……、マクスさんって変わった人だね」
「そうねぇ、そうかもしれないわねぇ。でも、腕は確かだし、大丈夫よ」
「うん。……あの、えっと、その、メディ?」
 小さな声で、ボソリとマリンが呟く。
「あのね、後で二人でお話してもいい? メディが疲れてたら、別に後日で良いんだけど」
 少し遠慮気味なマリンに、メディは優しい微笑みで答える。
 メディはどんな時だって優しい。
「マリンのお願いを断れるわけないじゃない。そうだわ、後で二人一緒にお風呂に入りま
しょ? 背中流しあいっこしながら、ゆっくり話すってどうかしら?」
「うわぁ、うん! そうしよ! うわぁん、メディ大好きっ!!」
 喜びのあまり、マリンは思わずメディに抱きつく。
「おうおう、メディのヤツはあの嬢ちゃんと仲良いんだな」
 その様子を目ざとく見つけたマクスが、隣のアシュレイに話しかける。
「あの二人は特にね。あぁやって時々一緒にお風呂に行ってるらしいから、本当に仲がい
いんだよ」
 その言葉に、ローラもうんうんと頷く。
「ふぅん、なるほどねぇ」
 マクスの口の端がくいっと上がる。そして、机の端にあったワインをくっと一気に飲み
干した。
「あ、マクスがよからぬことを考えてる」
 アシュレイがぼそりと呟いた言葉は、マリン達には届いてはいなかった。 

     4

「んまぁ、私が居ない間にそんな事が」
 脱衣所で服に手をかけたまま、メディが驚いてぴたりと動きを止める。
「う、うん」
 囁くような小さな声で、モースの怪我をした日の午前中に何があったかをそっと告げる
マリン。そんな事、話す必要は無いのかもしれないが、メディには知っていて欲しいマリ
ンだった。それにマリンの相談はそういう事についてだったから、話す必要があったとも
いえる。どんな事をしたか等は、流石に話すには恥ずかしくて言えなかったが。
「やぁん、私のマリンが知らない間に……、うん、確かに体のラインがやらしくなったか
も」
 上着を脱ぐマリンの体をじっと見て、メディがうんうんと頷く。
 以前見たときより、若干腰のラインが女のラインになっていることをメディは見逃さな
かった。
「や、やだメディ、そんな事ないよ! もう、あの日の後直ぐに旅に行っちゃったから正
直に話したのにっ、メディの馬鹿っ!」
 真っ赤になって照れながら、タオルで身を隠しつつ浴室の扉を開く。
 広めの浴槽は二人で入っても十分な大きさがある。
 何より誰も邪魔の入らないこの空間は、マリンのお気に入りだ。
「やん、怒らないで? ごめんってば、マリン」
 マリンに続いて、メディが浴室に入りその全身をマリンに晒す。
 タオルが巻かれているものの、その豊満なバディはタオルなんかでは到底隠しきれる物
では無い。大きな胸は今にもタオルを弾いてしまいそうだし、細く長い足は華奢で綺麗だ。
 美の女神の光臨、まさにそんなイメージだ。
 マリンはそんな彼女を見て、大きくため息をついた。
「うぅ、メディ、また胸おっきくなったぁ? いいなぁ、もう」
「いい事なんて少ないわよ? 道中、どれほどマクスに触られたか」
 白いメディの肌にお湯がかけられると、すっと赤みが差してピンク色になる。
 湯を浴びたメディは、マリンの隣にすっと腰を降ろし湯に浸かると、ふぅとため息をつ
いた。
「マクスさんって、なんかクロフォードとは違うベクトルでエロい人なんだね」
「そうね。きっと頭の半分はそんな事ばっかり考えてるんじゃないかしら? ……で、な
ぁに? 話したい事って」
「……ん? あぁ、あのね?」
 湯に浮かんだメディの胸に見とれていたマリンは、ワンテンポ遅れて話し出す。
「そ、その、ちょっとこっち来てくれる?」
「ん? なぁに?」
 マリンはメディの耳元でそっと囁く。
「……んっっまぁ! やだ、ガントったらテクニシャンだったのね」
 思いっきり驚いた表情で、メディは目を見開く。
「う……うん、あんまりおっきな声で言わないで? メディ」
 真っ赤になって半分お湯に沈むマリンに、メディははっとなる。
「あぁん、ごめんね。でもね、ビックリしちゃったのよ。初めてのえっちで、イッちゃっ
たなんて、運が良すぎるわよ、マリン」
「そ、そうなの? っていうか、初めてだったから、もう一回体験するまでソレがそうだ
とは思わなかったんだけど…」
 真っ赤になって目を伏せるマリンが可愛くて、メディはきゅんきゅんしてしまう。
「という事は、二人の相性は良いって事じゃない。何も相談する事無いじゃない?」
「じゃ、じゃなくて問題はね、そこじゃないの……」
「ん?」
 より一層顔を赤くして、マリンが目を逸らす。
「わ、笑わない!? 絶対笑わないって約束してくれる!?」
「もちろんよ? 絶対に秘密は守るし、笑ったりなんかはしないわ。なあに? 言ってみ
て?」
 マリンの手をとり、湯気の向こうで微笑むメディ。
「あ、あのね……」
 ドキドキと暴れるマリンの心臓。
 少し戸惑った後、マリンは心に決めたように小さく呟いた。

「ひ……一人でいるときね、時々、体がうずうずするの。どうしよメディ、私……! で
もどうしていいかわかんなくって……!」

 マリンの一言にメディが勢い良く噴出す。
「あぁっ、笑った!! 一生懸命言ったのにぃ!」
「えと、ごめんね? あんまり私の予想から斜め上だったから」
 メディはすっと立ち上がると、椅子に座り、マリンを手招きする。
 マリンも浴槽から上がり、その前に座り込む。メディが石鹸を泡立てて、マリンの体を
そっと洗う。マリンは照れながらもそれに身を任せる。
 二人でお風呂に入る時は、必ずメディがマリンを洗うのだった。
「そうね、きっと体が目覚めちゃったのよ。だから、なにもおかしいことなんて無いわ。
本来、女性の方が性欲は強いって言われてるのよ? 一度目覚めたら、そりゃ今まで通り
とはいかないわよ」
「そうなの? メディもそうなの?」
 メディはマリンの背中にタオルを滑らせながら、優しく答える。
「私? そりゃ私もそんなとき、あるわよ? 愛を交し合う相手なんて居ないから、自分
でなんとかしちゃうけど」
「じ、自分!?」
 突然の告白に、マリンは真っ赤になって振り返る。
 が、振り返った拍子に石鹸の泡で滑ってしまい、思いっきりメディに飛び込んでしまう。
 泡まみれだし、メディの胸は柔らかいしで、マリンは少し混乱してしまう。
 そんなマリンをメディはそっと抱きしめ、その小さな胸を両手でそっと覆う。
「マリンもそんな時は自分で処理しちゃっても、全然恥ずかしい事じゃないのよ? 悶々
とした気分のまま、仕事したり稽古したりする方が、よっぽど危ないわ。時間と場所さえ
大丈夫なら、自分からガントを求めるって言うのも、アリなんじゃない?」
「じ、自分……からっ!?」
「そうよ? それってきっとガントだって大喜びすると思うわよ?」
「そ、そうなのかな、メディ」
「うん、そうよ? あら、マリン。胸、少し大きくなった?」
 泡の向こうから怪しく細い指を動かし、マリンの胸を包み込む。
「ひゃっ! や、やぁん!? め、メディ!?」
「ガントったらどんどんマリンを女に変えていく気ね? もう、ずるいんだから」
「ちょ! メディ! やぁん! やめてやめてっ」
「わかったわっ! 今切なくなってるのを私が何とか……、いえ、何とかする方法を伝授
してあげるわっ!」
「どぅえっ!? メディ! 自重してぇ!」

「テメェらっ!! 女同士で何エロい事してんだぁ!! 俺も入れろぉっ!」

 不意に浴室の扉がバン!と開く。
 そこにはすっかり酔っ払ったマクスが、堂々と仁王立ちして居た。
 脱衣所の鍵は見事に破壊されている。

「「あんたこそ何してんだあああああああああああああっ!!」」

 マリンとメディは同時に椅子と桶を投げつけ、扉をバンと閉めなおした。
 騒ぎを聞きつけたガントとアレイスが駆けつけ、即座にマクスを連れて行ったようだっ
たが、マリンはビックリしすぎて硬直してしまう。
「あとで二人でアイツを殴りましょ? ま、その前にガントに殺されてなきゃだけど」
「うん、超殴りたい……」
 真っ赤な顔で俯くマリン。
 だが少しだけ、「助かった」と思ったりもしていたのだった。

            5

「はぁ、昨日は散々だった」
 翌朝、目が覚めたマリンが最初に発した一言はそれだった。
 あの後ガントがブチ切れてマクスをフルボッコにし、それを慌ててアシュレイ達が引き
剥がしたのだ。アレイスまで何故か一緒に暴れており、その場はかなり混乱した事になっ
ていた。
 風呂から上がってきたマリンたちが見たのは、結構な傷を負ったマクスだった。
 仕方がないのでメディが回復魔法をかけたが、そのあとマリンと共に一発づつ殴り直し
たのは言うまでも無い。
「あの人、アレで五年もレンジャーやってたなんて…、ちょっと信じられないよ」
 しかもあの後聞いた話によると、昔はガントと組んでレンジャー活動をしていたという。
ガントも熱い所はあるが、どちらかというと二人は正反対だ。そんな二人が組んで戦って
いる所が、マリンにはどうしても想像できなかった。
 いつもの冬用のレンジャー服に袖を通し、そんな事を考えながら下に降りる。
「おう、嬢ちゃん、遅いお目覚めだな」
 良く通る張りのある声に、マリンは眉を寄せる。声の正体はマクスだった。
 まだレンジャー服を持っていないマクスは、昨日と変わらないラフな格好で堂々とソフ
ァーに腰掛けていた。ただ、その胸にはおなじみのレンジャーのバッジが輝いている。
「マクスさん…、おはようございます。でも、遅くはないですよ? 六時半だし」
 マリンは頬を膨らませて、ぷいっとそっぽを向く。
「そうかそうか、そりゃ悪かったなぁ。あ、そうだ、オレに対して遠慮はいらねぇ。さん
付けで呼ぶんじゃねぇよ。丁寧な言葉も御免だ」
「…了解」
 少し離れた距離から、マリンは小さく返事をする。
「えらく警戒されちまったみてぇだな。もう風呂に行ったりしねぇから、な? 仲良くし
ようぜ」
 そう言われて、マリンはちらりとマクスに目をやる。
 昨日の怒りは未だに残っているのだが、拳を差し出し明るくにかっと笑うマクスを見て
いると、なんだか怒っているのが馬鹿馬鹿しくなってきてぷっと噴き出してしまう。
「了解。よろしく、マクス」
 マリンも拳を差し出し、こつんと合わせる。
 マクスの拳は、ごつごつと岩のように荒く硬かった。
「これから顔洗って飯食いに行くんだろ? 引き止めて悪かったな」
「ううん、別にいいよ。マクスはもうご飯食べたの?」
「おう、クロとアレイスとアシュレイ達が今日は山に行くって言ってたからな。一緒に起
きて食ったんだ。今ならまだガントが飯食ってるはずだぜ?」
 それを聞いたマリンの顔が、ぱぁっと一気に明るくなる。
「ガントが!? んじゃ、またねっ!」
 ガントと聞いて速攻で走っていくマリンを見て、マクスが大笑いする。
「んだよ、アイツ。面白れぇなぁ」
 まるで百面相のようにくるくる表情の変わるマリンが、マクスにとっては少し新鮮だっ
た。
「なんだ、機嫌よさそうだな」
 マリンと入れ違いで食堂から戻ってきたガントが、マクスに話しかける。
 そして何事も無かったかのようにマクスの前のソファーに座り、ふぅと一息ついた。
 昨日散々殴り合いをしたにもかかわらず、二人はすっきりしたものだった。
「あの嬢ちゃん、お前と食おうって走って行ったのに、なんだ、あっさり戻ってきたなお
前」
「マリンが急いでたのは別に一緒に食う為じゃない。その後で稽古する為だ。今日は少し
用事があるからな。一時間くらいしか稽古をしてやれんが」
「ふぅん、用事ねぇ?」
 ニヤニヤと笑いながらマクスはソファーにふんぞり返る。
「そうだ、ガント。お前らの稽古風景見てぇんだが、良いか? 興味があんだよ」
 身を乗り出して、マクスがガントに尋ねる。 
「俺は構わんが。後はマリンに聞いてくれ」
 そう言うと、ガントは腕を組んで目を閉じた。
「……、お前ホントにあの嬢ちゃん大事にしてんのな」
「マクスが居ない間に、色々あったんだよ」
「ふーん、色々ねぇ」
 目を閉じたまま動かないガントに、マクスは楽しげに笑った。
「ガントー! お待たせっ! 稽古よろしくっ!!」
 元気良くポニーテールを揺らしながら、マリンが真っ直ぐこちらに向かって走ってくる。
 その声を聞いて、ガントがすっと目を開ける。
「行くか」
 ガントが立ち上がると同時に、マクスも立ち上がり走ってきたマリンの肩にぽんと手を
置く。
「マリン、オレ二人を見学してても構わねぇか?」
「うん、別にいいよ。でも、なんにも面白くないと思うよ?」
「いいんだよ、二人はいつも通りやってりゃいいんだよ」
 何がそんなに楽しいのか、マクスは上機嫌で裏口に向かって歩いていく。
「……、ねぇ、なんでマクスあんな嬉しそうなの?」
「さぁな。普通に楽しいんじゃねぇか?」
「なるほど、ねぇ」
 マリンは何かが引っかかりつつも、裏口へと向かった。

     6

 『今昔亭』の裏庭、そこがいつも二人の稽古する場所だった。
 今日は先日までの天気のお陰で雪も溶け、足元の状態が良い。
 早朝という事と建物の西側という事で裏庭は薄暗かったが、マリン達にはそんな事さほ
ど問題では無かった。
「うっわ、さむっ!」
 時折吹き付ける山の風に、マリンが身を震わせる。
 それもそのはず、上半身は長袖Tシャツとレンジャー服だが、下は夏と変わらずミニス
カスパッツのままだ。どうせ動くと暑くなるからという事でその格好なのだが、やはり動
く前は寒い。裏庭の真ん中当たりに移動すると、二人は何か言葉を交わすわけでもなく黙
々と柔軟を始めた。
「ふむ、どれどれ?」
 椅子代わりの木箱を裏庭の隅から持ってきて、裏口のすぐ傍に座り込むマクス。
 元相方のガントと、そのガントの弟子のマリン。二人は愛し合う仲だ。
 そんな二人がどんな稽古をするのか、マクスは楽しみで仕方が無い。
 程なく、柔軟を終えた二人が向かい合い、深く礼をする。
「おう、真面目だなぁ……って、おい!?」
 マクスが驚いたのも無理は無かった。
 礼をした瞬間から、組み手が始まったのだ。
 ほぼ実戦に近い組み手は、予想していたものより遥かに激しいものだった。
「おいおい、容赦ねぇなぁ…」
 その稽古には微塵も男と女と言う関係は見えず、師匠と弟子という光景だった。
 明らかにガントが手加減をしているが、マリンに打ち込む拳に迷いも容赦も無い。
「速度を上げろッ! 食らうと吹っ飛ぶぞ!」
 ガントが厳しい声を上げる。
 マリンは所詮十七の少女だ。耐久力は無いに等しい。一撃で沈みかねないその防御力を
カバーするために、マリンは回避力を上げるしかないのだ。
「…、なるほどねぇ。ガントの奴、考えてるじゃネェか」
 マクスの一言を合図にするかのように、防戦一方だったマリンが攻撃に移る。
 だが、繰り出される拳はことごとく流され、かわされる。
(ガントめ、良く見てやがる)
 レベルの差があるのは事実だ。だが、それ以上にガントがマリンの癖を読みきっている
という事でもあった。マリンも多少の変化をつけてはいるが、それすら読みの範疇だった。
「こりゃぁ、レベル高いわ」
 稽古の様子が面白いのか、マクスは真剣に見入っていた。
 鮮やかな真紅の瞳が、二人の動きを正確に追う。ニ年放浪していたのは伊達ではない。
 瞬間、マリンが動きを大きく変えた。
「やぁっ!」
 急所を狙い正確に打ち出される蹴りをかわそうとして、ガントは体勢を崩す。
「もらったぁっ!」
 勢い良く繰り出された拳。
 だが、ガントは口の端を上げニヤリと笑った。
「甘い」
 ガントはすぐさま体勢を立て直しその拳をパンと弾くと、ガードの左手をくぐりぬけ、
一歩踏み込みマリンの胸に掌底を放つ。
 ほぼゼロ距離の掌底。手はたんっと胸に触れただけに見えた。
 だが、その手からは衝撃波が生まれ、その衝撃でマリンが吹っ飛んだ。
「んあああっ!!」
 苦痛に顔を歪め、マリンはぬかるんだ泥の上を滑っていく。
 飛び散る泥がマリンの左半身をまだらに汚していく。
 吹っ飛んだマリンの元へガントはゆっくりと歩いて近づくが、その表情は厳しいままだ。
「っ!」
 マリンはすぐに起き上がり、ガントへ拳を繰り出す。
 顔についた泥すら気にせず、組み手は休むことなく続けられた。
「……、予想してたよりこりゃ厳しいな」 
 山で生死をかけて戦う事もあるレンジャーだ。
 その稽古が厳しくなるのは予想していたのだが、普通はここまでするかというとそうで
もない。流石のマクスも、驚いていた。
 不意にマリンがガントに足払いをかける。
「お」
 急な展開に、マクスも注目する。
 それをジャンプでかわしたガントに、マリンはアッパーを素早く繰り出す。
 だがガントは冷静にその腕を払い、着地と同時に中段蹴りを放った。
「ちょ、まて、それは……!」
 アッパーを繰り出したマリンの体は宙に浮いており、そのままだと確実に横っ腹にガン
トの重い蹴りを食らう事になる。マリンの薄い体では、肋骨を折りかねない。
 かと言って、ガントがそこまで威力を落としているようにも思えず、思わずマクスは声
をあげた。
 だが、マリンはそこで終わらなかった。
 ガントが放った右足を素早く跳び箱の要領で飛び越え、その足を踏み台にしてそのまま
マリンは宙に舞う。
「な……」
 マリンはそのまま一回転し、その勢いのままガントの右肩に踵を落とした。
 ガンッ!っと鈍い音が裏庭に響く。マリンはそのまま落下し、地面を転がり受身を取っ
た。
「はぁっ、はぁっ!」
 マリンは息を切らせて、その場に立ち尽くす師匠を睨む。
 しばらくして、ガントが口を開いた。
「中々いいパターンだ。攻撃も重い。良いだろう」
「わ……! やったぁっ!」
 泥まみれでその場にへたりこみ、マリンはようやく笑顔になった。
「少し休憩だ。薬湯飲んで来い」
「了解っ!」
 マリンは顔についた泥を拭いながら、『今昔亭』の中へと走っていった。

「……、なぁガントよ、お前どんだけ厳しいんだよ」
 少し驚いた顔で、マクスが見上げる。
「アイツに山で死なれる事を考えたら、よっぽどマシだ」
 ガントはそういうと左手で右腕を掴む。そのまま腕をぐっと上に押し上げると、ゴリっ
という音と共に、肩の嵌った音がした。
「お前、今の攻撃で外されてたのかよ……」
「少しずれただけだ。どうという事じゃない」
「嘘つけ。痛くねぇはず無いだろうが。嬢ちゃんの力は昨日見せてもらったからな。何故
稽古で全力を出させる? お前だって無傷ですまないだろうが」
 右腕を回し、調子を確かめるガントに、マクスはくってかかった。
 そんなマクスに、ガントは冬の白い空を仰いで話し出した。
「……、マリンは俺の事を強いと信じている。二人で戦う時は尚更だ。信じているからこ
そマリンは自由に動けるし、最大限で戦える。俺が崩れればアイツも精神的に崩れる。そ
れじゃダメなんだが今の現実はそうだ。俺は強く無ければいけない。だから、稽古だから
といって、手を抜いたりはしない。抜かせもしない。あいつが全力で向かってきて、俺が
それを受け止める。倒せない俺を前にして、マリンは更に強くなろうと努力する。……ア
イツはそういう奴だ」
「なるほどねぇ……。ま、オレには良く分からんが。お前は相変わらず不器用だってこと
はわかったぜ」
 マクスはフッと笑ってガントの背を軽く小突いた。
「ガント〜! ガントの分の薬湯! 持って来たよ!」
 マリンが元気良く扉を開けて、ガントにマグカップを差し出す。
 中には回復効果のある暖かいミントティーが入っていた。
「ん、貰おう」
 ガントは受け取った薬湯を飲み干すと、ふぅと息を吐いた。
「短くてすまないが、今日はこれで終わりだ。また昼からは体があくから、気が向いたら
来い。じゃあな」
「ううん、いつもありがとうね」
 そう言うと、マリンは深々と礼をして『今昔亭』へと戻っていくガントを見送る。
「ふぅ、今日もきつかったー! ……ね、面白かった? マクス」
 運動後のさっぱりした顔で振り返るマリンに、マクスは少し遅れて頷いた。
「そう! それなら良いの! じゃ、またねっ!」
 マリンは手を振ると、元気良く『今昔亭』へと戻っていった。

「……」
 裏庭に一人残り、なにやら眉を寄せるマクス。
「マリンの躍動する尻と太ももでも見てようと思ったんだがなぁ。思わず稽古の方に見入
っちまったぜ。くそ、失敗した」
 本当に悔しそうにマクスはそう吐き捨て、冬の空を見上げた。

     7

「ふんふふ〜ん」
 マリンは鼻歌交じりに、町の商店街を歩いていた。
 時刻はお昼前。
 ガントも居ないし、仕事も無いということで気分転換に町を歩く事にしたのだった。
 観光客や冒険者の来ることが多いこの町は、色々と整備してあって辺境の町とはいえか
なりの規模の町になっている。
 町の南は住宅が多く、北に行くほど商店が多い。だが、南の方にも小規模ながら店は存
在していて、それらは主に生活に密着した雑貨屋や食べ物屋等だ。
 時間が昼前という事もあって、飲食店からは良い香りが漂ってくる。それにつられて、
マリンのお腹がぐぅと切なそうにないた。
「あ、まりんだ〜!」
「マリン姉ちゃ〜ん!」
 マリンを見つけた町の子供達が手を振り、マリンはそれに答えて手を振り返す。
 マリンは結構子供が好きで、町の子供達とは友達だった。一緒に遊んでやる事もあって、
子供達からは親しまれている存在だ。
 竜の山を行き来する町のレンジャーは子供達の憧れでもあり、尊敬の的だ。
 そんなレンジャーが暇な時は遊んでくれるとあって、子供達はマリンを見かけるとああ
やって手を振ってくれるのだった。
 それ故に、マリンはあのマクスの存在がどうも気になってしかたないのだった。
「……、あんなスケベじゃ子供に堂々と見せらんないよね……」
 あの後聞いた話だと、酔っ払って町の施設をぶっ壊したとか、町長の娘に手を出そうと
して大問題になったとか、ろくな話を聞かない。
「なんで女将さんがマクスを認めたのか…、永遠の謎だわ」
 うぅ〜んと悩み、眉間に皺を寄せるマリンに、一人の子供が話しかけた。
「お姉ちゃん、レンジャー?」
 町の子供とは違う、見たことの無い男の子。年齢は十歳前後だろうか。
 その子の問いに、マリンは笑顔で答えた。
「そうだよ? 僕は旅行で来たのかな? 山に御用?」
「そう、旅行で来たの。でも山に用事はないんだよ、お姉ちゃんに御用があるの」
「私?」
 首を傾げるマリンに、少年は照れた様子ですっとカゴに入ったお菓子を差し出した。
 丁寧にラッピングされた可愛いクッキー。それを見て、マリンはちょっぴり赤くなる。
「ん? これ…くれるの?」
 少年は真っ赤になって目を伏せながらも、こくんと頷いた。
「うん! 今日、僕が作ってきたんだ! 食べて欲しいんだ!」
 その一生懸命な少年が可愛くて、マリンはきゅんとなってしまう。
「ホント!? うわぁ、嬉しいなぁ!」
 早速包みを開けて中を確認する。包みを開けた瞬間、甘い香りがふわりと漂う。
「うわぁ、良い香り。シナモンだね! じゃあ……、お姉ちゃん、頂いちゃおうかな!」
 丁度おなかがすいていたマリンは、そのクッキーを一つぽいっと口に入れる。
「……?」
 シナモンの強い香り。
 それに混じってほんの微かに漂う、魔法の薬品の香り。
「……食べたね? お姉ちゃん。だめだなぁ」
 飲み込む寸前で慌てて吐き出す。だが、目の前は急激に霞み、少年の顔すら見えなくな
っていく。
「ホントにあのウリアス様を倒した魔法使いか? 子供を装ったのは正解だったな!」
 少年のあざ笑う声に抗う事もできず、マリンはその場に倒れこむ。
(ガント……!)
 遠くなる意識の最後で男の名を呼び、マリンはあっという間に意識を失った。


「マクス、マリンを見なかったか?」
 ガントの声に、ロビーでのんびりしていたマクスが顔を上げる。
「いや、大分前に出かけたっきり見てねぇよ。何だ?」
「マリンが昼飯をまだ食いに来てないらしい」
 眉を寄せてそう言うガントに、マクスがぶっと噴出した。
「んだよ、外にでも食いに言ったんじゃネェか? そんぐらいで何心配してんだよ」
 ガントはその問い掛けに首を振った。
 仕事の多い季節ならいざ知らず、この仕事の無い冬にマリンがお金を使うような事をす
るはずが無かった。そんな金があるなら、真っ先に魔石購入の資金にしてしまうマリンだ。
それに、食べる量が尋常ではないので、食べに行くにしても向かいの食堂以外に行く事は
まずないのだった。
「それは無い。それにどうも嫌な予感がする。少し町を見てくる」
 どこか落ち着かないガントを見て、マクスも立ち上がる。
 ガントの勘が良く当たるのは、マクスも良く知っている事だった。
「なんだ、気になるな。仕方ねぇな、オレも行ってやるよ」
「悪いな」
「かまわねぇよ、どうせ暇してんだ」
 マクスは愛用の斧を背に背負い、ガントと拳をぶつけ合う。
 その時だった。
「はぁっ、はぁっ!」
 息を切らせた町の子供達が、『今昔亭』の扉を開ける。
「どうした?」
 ガントはしゃがみ込んで、少年達が落ち着くのを待つ。
 少年達はみな真っ青で、何か尋常ではないその様子にガントは眉間に皺を寄せる。
「大変……なんだ!」
「黒い羽の魔物! マリン姉ちゃんを……!」
「連れて……飛んで……!」
 口々に叫ぶ少年達の言葉に、ガントの表情が一気に変わる。
「何処だ? 何処へ行ったか分かるか?」
「山、山に飛んで……! そう! ここら辺!」
 少年達は一斉に地図の三合目を指差し、泣きそうな顔で訴える。
「そんなとこ、なんもねぇだろうに」
 そう言うマクスにガントが首を振る。
「いや、ココには少し前に見つかった遺跡があるんだ。以前そこからヴァンパイアが山を
降りてきた事も……、まさか……」
 何かに気付いたのか、ガントの表情が一気に険しくなる。
「……、ん、やばそうな気配じゃネェか。よぉし、行こうぜ、その遺跡とやらによ!」
「あぁ、もちろんだ。その前に、女将に知らせてくる。マクスは用意を頼む!」
「了解だっ!」
 昔の呼吸が戻ったかのように、二人は迅速に動き出す。
「マリン姉ちゃん、助かるよな!?」
 少年が涙を堪えて、ガントのズボンのすそを握る。
「……もちろんだ。助からないはずが無い。俺達はレンジャーだ。そうだろう?」
 ガントは自分に言い聞かせるようにそう言うと、硬く拳を握り締めた。  



 続く 
  


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