☆桃兎の小説コーナー☆
(08.01.30更新)

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 レスは日記でしております〜。



 ドラゴンマウンテン 
  第14話
  冬の嵐は激しく強く(下)
 
 
       
     8

「ん…んぅ……」
 マリンが目を開けると、そこは見た事も無い広い部屋だった。
 どこか黴臭く、壁の四方は煉瓦の壁で、正面には大きな扉が見えた。天井は崩れて無く
なっており、漆黒の空に浮かんだ薄い月が室内を照らしていた。
「…痛ッ!?」
 動こうとして初めてマリンは自分が拘束されていることに気付いた。
 両手、腕、腰は金属で壁に密着する様に固定されていて、まるで磔られている囚人みた
いだ。簡単な仕掛けの金具で固定されている様だったが、頭がぼんやりとして体も思う様
に動かず、すぐにの脱出は出来そうに無かった。
「ようやくお目覚め?」
 下から聞こえてきた甘く囁く様な声に、マリンははっとなる。
 マリンの足元には、封印の魔方陣の描かれた漆黒の棺。その上に涼しげな水色の髪の少
女がちょこんと腰掛けていた。
 黒いベルベットのローブに、揃いの黒のマント。
 年齢は十ニ前後か。どこか生気の無いその少女の金色の瞳に、マリンは背筋が寒くなる。
「ここは…どこ?」
 未だぼんやりとする頭を振りながら、少女に問いかけた。
「貴方はマリン・ローラント。間違いないわね?」
 少女はマリンの問いに答えず、質問を質問で返した。
「そう…だけど…」
 少女はその答えに満足そうに頷くと、磔にされたマリンの頬にそっと触れた。
 氷のように冷たい手が一気にマリンの意識を覚醒させる。
「こんな細い人間のお嬢さんが兄を葬ったの? 兄は賢くもないし強くも無かったけれど、
一応夜王と呼ばれる存在よ? 一体どうやって倒したのかしら?」
 少女は興味深そうにマリンの瞳を覗き込む。
 ドラゴンマウンテンのレンジャーと言う存在が人間の中ではそこそこに力があるという
のは知識として知ってはいたが、目の前にいる少女がそんな力を持っているようには見え
ず、それが少女の好奇心を強く刺激していた。
「何て…? 兄? 良く分からないよ?」
 全く話が見えず、マリンは唯その少女を見つめ返す。
 人形のような美しく可愛い少女。その少女が形の良い唇を動かし、話し始める。
「兄の名はウリアス。齢二百のヴァンパイアよ」
 ヴァンパイアと聞いて、マリンは目を見開く。
(あの時の…?)
 ガントと共に戦ったあの満月の夜の記憶が、マリンの脳裏に鮮やかに蘇る。
「気付いた? 倒した覚えがあるでしょう? 私は妹のレオノーレ。もちろん私もヴァン
パイア」
 胸に手を当て誇らしげにそう話す少女に、マリンは身を強張らせる。
「怯えなくても良いのよ? 私は貴方達にどうこうするつもりは無いの。唯、興味がある
のよ。人間が、いかにして満月の夜の不死の王を倒したのか。その力を目の前で見せて欲
しいのよ」
 金色の瞳を輝かせて、少女は無邪気に微笑んだ。
「私を殺すの…? 復讐なの?」
 その言葉に少女は首を振る。
「だから、殺すつもりは無いと言ってるじゃない。見たいの、その力が。心配しなくても
大丈夫よ? もう一人もじきに此処に来るわ」
「もう…一人?」
 眉根を寄せるマリンに、レオノーレはにこりと微笑む。
「貴方が捕まったと分かった途端、彼、血相を変えていたわよ? うまく釣られてくれて
嬉しいわ」
「ガント…!」
 その男の顔を思い出し、マリンの表情がこわばる。
 ガントがこちらに向かっているという事実は、マリンを安心させると同時に、つらくも
させた。この状況から助かりたい気持ちもあるが、危険な場所に来て欲しくないという気
持ちもある。
 ただ、一人で何とかしようにも、手が拘束されていては魔方陣も描けないし、魔法を唱
えようにも魔石が持てない。魔石をアクセサリーとして装備していれば、そのまま魔法を
使えたかも知れないが今のマリンは何のアクセサリーも装備してはいなかった。
 腰のポーチに二つ魔石が入っているものの、今のままでは何の役にも立たない。
 捕らえられてしまった自分が情けなくて、悔しくて、マリンは奥歯をかみ締めた。
「ね、貴方、魔力が全く無い様だけれど、使ってしまったの? それとも元からなの?
その割には沢山の精霊を引き連れているし。不思議ね? そうだわ。彼が此処に辿り着く
まで、貴方の体、少し調べさせてね? いいわよね? 大丈夫よ、傷つけたりなんかしな
いわ。……ほんの少し、気持ち悪いかも知れないけれどね」
 少女は羽を広げその場に浮かび上がると、その小さな体から尋常ではない魔力を溢れさ
せた。膨大な魔力は風を生み、床に散らばる小石を巻き上げる。
(月は欠けて三日月程しか出てないのに…、なんて魔力なの!?)
 先に戦ったヴァンパイアと同等、もしくはそれ以上の魔力がマリンを圧倒する。もし今
日が満月だったなら、一体どれほどの魔力が彼女の物となるのか、マリンには想像もつか
なかった。
 その未知の恐怖が一気にマリンの心に襲い掛かり、体がガクガクと震えだす。
「ね? 教えて? 貴方の秘密」
 その金の瞳をきらきらと輝かせ、少女はそっと手を天に翳す。
 右手に魔力が集まり、一気に紫色の光に変化する。
 そして少女の右手がマリンに向けられると同時に、複数の触手の様になった魔力がマリ
ンの体を貫いた。
「い、いやぁああああああああっ!!」
 痛みは無い。だが何かが体に入り込み、内側からまさぐられる感覚にマリンは悲鳴を上
げる。
 そんなマリンを、レオノーレは少し興奮した様子で眺めていた。

     9

「うらあああぁっ!!」
 振り下ろされる盾ほどのサイズがある戦斧。
 戦斧はグールを頭から真っ二つに両断し、そのまま床にめり込んだ。
「おーしっ、片付いたぜ。そっちはどうだぁ?」
 マクスが後ろを振り返ると、丁度グールの頭が蹴り飛ばされ、地面に転がった所だった。
「こっちも片付いた。先を急ぐぞ」
 グールの腐液を忌々しげに払い、ガントは通路を歩き出す。その表情にはいつもの余裕
はなく、眉間に深い皺を作り険しい表情のまま通路を突き進む。そして道中はほぼ無言だ。
 ここまで少しも休まず移動して戦い続けているというのに、ガントは休もうとしなかっ
た。冬の森に慣れているとはいえ、疲れていないはずはなかったのだが、それでもひたす
らに前を目指しガントは進んでいった。
 マクスは久しぶりの山ということもあり多少疲れてはいたが、そうも言ってられずガン
トを追いかける。
「おぅよ」
 マクスは短く返事をしてふぅと息を吐いた。  

 凍てつく冬の森を越え雪の平原を越えた先に、その遺跡はあった。
 その遺跡は山の崖を掘って作られたものだったが、通路は煉瓦できっちり舗装されてい
て頑丈な作りになっていた。だが、所々天井が崩れており、その隙間から星を散らせた夜
空が覗いていた。
 マリンが連れて去られたと分かってから、すぐにガントとマクスは山へと向かった。
 本来ならもう少し人を連れて行きたいところだったが、メディは旅の疲れで動けず、リ
オンでは冬山を行くには経験不足だった。ゴードンも手が放せる状態ではなく、結局二人
で行く事になったのだった。

「こうやって二人で組んで動くってのも、二年ぶりだよなぁ、ガントよ」
「…そうだな」
 ガントは短く返事をし、メモを確認しながら奥へと進む。
 ガントは以前この遺跡にモースと来ており、ある程度の道は記録してあったのだ。その
お陰もあって、今の所罠にも掛からず迷う事も無く、奥の部屋へ向かって進んでいたのだ
った。
「この奥で間違いねぇのか?」
 重量感のある戦斧を軽々と片手で振り回しながら、マクスはガントに問いかけた。
「あぁ、この遺跡に部屋は三つだ。後はひたすら迷路になってるだけだからな。そのうち
の二つの部屋は前に来た時には半分崩れて何も無かったから、この先にある大きな部屋で
間違いない筈だ」
 話すのもそこそこに前へ進もうとするガントを、マクスが戦斧の柄で小突く。
「おう、焦るの分かるけどな、もうちょい落ち着け」
 その一言にはっとなり、ガントは足を止める。
「…すまない」
 ガントは自分でも分かっていた。焦ってはいけないという事を。
 だが、押さえきれぬ思いに無意識のうちに足が早くなっていたのだった。
「あやまるこたぁねぇよ。大事な女が連れてかれちまったんだからなぁ。しかもお前から
話を聞くに、どう考えてもヴァンパイア絡みの事件だよな」
 マリンを攫ったのは、黒い羽の生き物だと子供達が言っていた。それが本当ならば、そ
れは下級の悪魔か使い魔という事になる。
「お前らもついに魔族に名を覚えられる様な存在になったか! オレとお揃いだな」
「これっぽっちも嬉しくないがな」
 肩を組んでくるマクスに、ガントは嫌そうな顔をする。
「聞くところによると、嬢ちゃんはすげぇ魔法使いなんだろ? しかもあの体術まである。
そうそう死にゃしねぇよ」
「…いや、マリンは自力で魔法が使えない。だからこそ心配なんだ」
「……自力で? どういう事だ?」
 マクスは眉を寄せ、ガントに問いかける。 
「マリンには、魔力が無いんだ」
「魔力が? まさか、そんな人間いねぇよ。誰だって大なり小なり持ってる筈だ」
 マクスの意見は正論だった。
 本来は生まれた時から誰しも持っているはずの魔力の器。
 だからこそ、魔力が無いなんて事は、まず有り得ない事だった。   

 この世界は木や草などの自然や月、太陽の発する魔力で満ちている。そしてそれを糧と
して生きる様々な精霊が、あらゆる現象を引き起こす。月の魔力は夜族を強化するし、太
陽の魔力は草木を育てる。全ての生き物がその魔力を受け取り、生きているのだ。
 もちろん、人間も例外ではない。
 人間も様々な物から魔力を受け取れるが、その量は生まれた際に決まる器(資質)によ る。
 器は様々で、大きさはもちろんの事、どういう魔力を受け取れるかでその人の属性、性
格にまで影響が及ぶ。 もちろんその時点で、今後魔法を使えるか、どういう属性の魔法、
精霊と相性が良いか等も確定するのだ。
 その器は、体力等とは違い鍛える事は出来ない。
 人間は自然から受け取った魔力を使い、言霊で精霊に語りかけ、協力を仰ぎ(もしくは
支配し)魔方陣を描く事によって指示を送り、魔法を発動させるのだ。

 魔力の器が無いに等しいマリンは、自力で魔法を使う事が出来ない。
 いや、器が『無いに等しい』事自体が既にありえない事なのだった。
 人は、魔法を使うかどうかは別として、必ず自然の恩恵を受けれるように何らかの形で
器を持っているのだ。

「器が小せぇって事か?」
「俺も詳しくは知らないが…おそらくそういう事だろう。限りなくゼロに近いという事は
本人が言っていたから、間違いない。だからこそ魔石で魔法を使う方法を編み出したんだ
ろうからな」
 ガントはメモで道を確認すると、T字路を右に曲がる。
「おいおい、じゃあ嬢ちゃんの魔法の発動方法はかなりのイレギュラーって事か」
「そうなるな。しかも出かける時に魔石を持っていたとしても数は持っていない筈だ」

「なるほど。……だから契約したのか」

 そのマクスの言葉に、ガントが足を止める。
「いや、ここらへんはメディに聞いたんだ。メディは相当マリンの事好きらしいからな。
実はチークに向かう道中、ずっとマリンの話ばっかり聞かされてよ。んで、お前がマリン
と魔力の契約したって事も、最近何度か変身してるって事も聞かされたって訳だ」
 そこまで言って、マクスは急に真剣な顔になってガントに詰め寄った。

「な、お前、あの変身は『できるだけしない事』にしたんじゃなかったのか? 特に、満
月の晩以外の変身は、相当体に負担が掛かると言ってたじゃねぇか。純粋なワーウルフで
ないお前がその力を行使すれば、体が魔力に耐え切れなくなるか暴走してしまうかのどち
らかだ、そうだろ?」

 マクスの言葉に、ガントは黙り込む。
 拳を握り締め、少したってから口を開いた。

「俺はマリンを守ると決めた。マリンが無事ならば、この体が多少どうなろうが構わない。
共に歩むと…決めたんだ」

 心の決まった、そんな目をして話すガントに、マクスは目を細める。
「お前がダメになりゃ、間違いなくそっちの方が嬢ちゃんは悲しむんじゃねぇか?」
…そうかもしれない。だが、目の前で死なれるのは、もう沢山だ。……それにむやみ
に変身している訳じゃない。ダメになるつもりもさらさら無い」
「なるほどな。確かにそうだわな」
 拳を握り締めるガントを見て、マクスはふむ、と頷く。
「だがな、無理はするなよ? オレだって、お前にゃ死んで欲しくねぇんだよ」
「当たり前だ。俺は死なん」
 口を一文字に閉めて、ガントは大真面目に言い放った。
 その様子がおかしくて、マクスはぶっと噴出す。
「確かに死にそうにねぇよ! お前はな! 俺と組んでいた三年、テメェのしぶとさは散
々見てきたからなぁ! まぁ、なにかあった時は、この自慢の斧で何でもぶった切ってや
らぁ!」 
 マクスが大笑いした、その時だった。
 遠くから、細く響く悲鳴。
 その声に、ガントが顔を上げる。
「マリンの声だ。急ぐぞ!」
「ったく、お前は耳も良いよな。うし、行ってやるよ!」
 ガントとマクスは細い通路を走り出す。
 時々わいてくるモンスターを蹴散らしながら、ガント達は突き進む。
「マリンを…魔族に触れさせては…いけないんだ…!」
「どういうことだ?」
 ガントの呟きに、マクスが問いかける。
「俺の予想の通りだとしたら、マリンが望まない方向に運命が動き出す。それだけは
ッ!」
 ガントの表情が厳しいものに変わり、強い意志が深い紺色の瞳に宿る。
「なんか良くわかんネェけど、とりあえず、いっちょ暴れっか!」
 行く手を遮るモンスターの出現に、ガント達の足が止まる。
 目の前を塞ぐウォームとグールを睨みつけ、二人は同時に飛び掛った。

     10

「いやだあああっ、やだぁっ、気持ち悪いッ!!」
 磔られたまま暴れるマリンの体の中を魔力の触手が這いまわる。
 涙が溢れ、体が痙攣を起こし、マリンは抵抗する事も出来ずにされるがままの状態でし
かなかった。
…、あら? これは……」
 突然触手の動きがぴたりと止まる。  僅かに触手の先に触れた何かに、少女は首を傾げた。
「ねぇ、何? これは何? これは何を隠しているの?」
 ガクガクと震えるマリンにレオノーレは問いかける。
「はぁっ、はっん、そんな…事…知らない…!」
 心臓の辺りに集まった魔力の触手が、再び少し蠢く。
「何……? あぁ、クラウルがこちらの世界に来ることが出来たら、すぐに解るんでしょ
うに…
 少女は忌々しげに爪を噛んだ。
 そして少し考えた後、少女の顔がぱっと明るくなった。
「……、そうね、壊してしまえば解るかも」
 レオノーレの魔力が一気に膨らみ、その魔力が触手に伝わる。
「ああぁああああああああああっ!?」
 膨大な魔力で膨らんだ触手が、マリンの中心を押しつぶす。
 あまりの圧迫感に呼吸が止まり、その顔がだんだんと青ざめていく。

「マリンを離せっ!!」

 唸るような男の声と共に部屋の扉が勢い良く開き、声の主が宙に浮かぶ少女に向かって
拳を放った。
 レオノーレは落ち着いた様子ですっと手を差し出し、にこりと笑う。
 その瞬間、手から漆黒のベールが展開し、そのベールはいとも簡単にガントを弾いた。
 弾かれたガントはすぐさま体勢を直し、魔力を放つ少女に向かって構え直した。
「もう少し、ゆっくり来ても構わなかったのよ? マリンの中にある何かが解りそうだっ
たのに」
「マリンの中には何も無い。今すぐにマリンを開放しろ」
 ガントは蝙蝠の様な羽の生えた少女を睨みながらも、その後ろに磔られたマリンの気配
を探る。生きている事は確かな様だったが、意識があるかまでは解らなかった。
「テメェ、先に行くなって…うおっ!?」
 少し遅れて入ってきたマクスが、少女の魔力に押されてあとずさる。 
「んだコイツ…、見たまんま判断するとヴァンパイアみてぇだが」
 マクスの言葉をきいて、少女は嬉しそうに微笑む。
「あら、解るの? 嬉しいわ。でも、この二人以外に用は無いの」
 不意に鋭い目つきになり、レオノーレは魔力を放ちマクスにぶつけた。マクスは戦斧で
ガードしたものの、その魔力に押されて壁に叩きつけられる。
「ね、貴方がガントでしょ? 『何も無い』ってどういう意味なの? 何か知ってるのね?
ねぇ、教えてくれない? それが兄を倒した秘密に繋がるんでしょ?」
 金色の目を輝かせ問いかける少女に、ガントは首を振った。
「マリンは魔法でヴァンパイアを倒した。マリンが使った魔力は俺の物だ。それ以上でも
それ以下でもない」
「契約の指輪…ね。そういえば貴方も夜族の一員じゃなかったかしら? ね、私のしも
べになってみない? もちろん、マリンと一緒に…」
 そう言って、レオノーレがガントに触れようとした瞬間だった。
「ガントに触れないでぇっ!」
 マリンが叫ぶと同時に事は起きた。
 ほんの一瞬、瞬きするほどの一瞬だけ、凄まじい光がマリンから放たれレオノーレを後
ろから焼いたのだった。
 レオノーレの背中が焼け焦げ、抉れる。少女の魔力は一瞬弱まり、マクスを抑えていた
魔力も、マリンを押さえつけていた触手も弾けて消える。
「何!? 今、何がっ!?」
 慌てるレオノーレの脇をすり抜け、ガントはマリンの元へと向かう。
 素早く拘束具を外し、マリンを抱きとめる。先ほど確かに叫んでいた筈だったが、完全
に意識は無くマリンは気絶していた。 
 レオノーレはゆっくりと振り返ると、そのままにこりと笑った。
「月の薄い夜は、再生が上手く行かないわ。それに、私はそろそろ元の世界に戻される時
間。残念だわ。もっと遊びたかったのに」
 少女はつまらなさそうに、はぁとため息をついた。
「もっと世が<魔>に満ちれば…、こちらに存在できる時間も増えるというのに…
方ないわ。私の代わりの物を召喚してあげるわね。では、仲良く遊んでいってね。私は魔
界で見ているから」
 魔方陣を四つその場に描き出し、その一つに少女が足を乗せる。
 可憐な少女は手を振り別れを告げると、そのまま魔方陣に吸い込まれていった。
「あぶねぇ…、あんな魔物と戦ってられるかよ」
 冷や汗をぬぐって、マクスが立ち上がる。
「マクス、まだだ、来る」
 残された三つのうち一つの魔方陣がグニャリと歪み、小さな少年をその場に出現させる。
 少年はそのまま一気に姿を変え、禍々しい姿に変貌していく。
「おぅおぅ、一難去ってまた一難かよ。デーモンとは…参ったぜ」
 黒い人の様な体、頭から生えた二本の角。
 広い部屋の中心に現れたのはデーモンだった。

     11

 <聖>の属性と対立する存在がある。それは<魔>だ。
 <聖>の象徴が神で、その使いが天使だとしたら、<魔>の象徴は魔王で、その使いが
悪魔――デーモンという事になる。
 普段異世界に住む彼らは、並みの人間のかなう相手ではない。
 普通の戦士や冒険者と比べるとレンジャーの方がよっぽど強いのだが、それでも全く油
断は出来ない相手だ。それが複数な上に魔法の援助もないとなれば尚更だ。
 デーモンはニヤリと笑ってその場に着地する。
 その瞬間、残りの二つの魔方陣もぐにゃりと歪み、先に召喚された中央のデーモンとは
色の違う赤い色のデーモンが姿を現す。

「…ヴァンパイアがデーモンを下僕にしてんのかよ。こんな話聞いたことねぇよ」
 本来、デーモンとヴァンパイアは相反する存在だ。
 その二つの種族が組んで同時に動いていること自体が、マクスにとっては予想外の事だ
った。
(あいつらが組んで動いてるって事は…何かあっちの世界が動き出してんのか?)
 『あっちの世界』とは悪魔達が住むといわれている通称『魔界』の事だ。
 一般人のマクスたちには到底関係の無い事で、そんな大それた事は勇者やら国に任せて
おけばいいのかも知れないが、マクスはその事が気になっていた。
 いくら関係ないとはいえ、いずれは一般人にも影響が来る出来事だから、マクスが関心
を持ったとしてもなんらおかしくは無い。

 『天が乱れる時、地もまた乱れる。人の世が乱れる時、異世界の入り口が開く』

 昔の偉大な賢者、アーガスの残した不文律。
 マクスが頭に思い描いたその事を、実はガントも同時に思い出していた。
「あのヴァンパイア、やけにマリンに興味を示していたよな。その一端に絡まなきゃいい
が…なぁ、ガント。……ん、そういやお前…

 二人の会話を遮るように、三体のデーモンがガント達めがけて炎を放つ。
 マクスは素早く炎を斧で振り払い、ガントはマリンを抱き上げ、その足で全てかわして
いく。
「おいガント! テメェの武器は奴に効くのか?」
 ガントの手甲を顎で示しながら、マクスが叫ぶ。
「いや、マクスの斧の様に魔法はかかっていないからな。微妙な所だ。何より悪魔となん
ぞ戦った事が無いな」
 気絶したマリンを部屋の隅に退避させ、ガントは改めて構えなおす。
 今目の前に居るデーモンの大きさは人と同等くらいだが、その破壊力は倍以上のはずだ
し、強力な呪文を操る知能を持っている。
 ヴァンパイアの少女を相手にするよりはずっとましだろうが、それでも危険な事には変
わりなかった。
「オレは、時々悪魔に追っかけられてッからなぁ。この斧はそれ用に出来てるから、問題
ないぜ」
 マクスは大きな戦斧を構え、デーモンとの間合いをじりじりと詰めていく。
「前から思ってたんだが、何故悪魔に追われてるんだ?」
 ガントのドラゴンガントレットが姿を変え、手を覆う刃になりキラリと輝く。
「あ? そりゃあれだ。昔弱ってた悪魔を見っけてな。あんまり綺麗な女だったから以下
略だ」
「……、最低だな」
 ガントがうんざりした顔になりため息をつく。
 会話が終わると同時に、二人は飛びかかった。
 ガントが黒色のデーモンの腹を浅く傷つけ、時間差でマクスが戦斧を振り下ろす。
「割れちまえッ!!」
 だが、どうしても戦斧による攻撃は隙が出来る。
 その隙を見て赤のデーモンが呪文を唱える。
「うおぉ!」
 戦斧は空をきり、炎の塊がマクスを覆う。まとわりつくような炎に、マスクは地面をこ
ろがり、服を捨てることで凌ごうとする。
 だが悪魔の発した炎は中々消えることなく、その皮膚をじりじりと焼く。
「ふんっ!」
 炎を放った赤い悪魔に間髪居れずガントが蹴りを放つ。ゴスッという鈍い音が部屋に響
き、赤い悪魔はその表情を一瞬歪ませた。だが、ガントは次の瞬間弾き返されていた。
(硬い)
 悪魔達は、その魔力を見えない薄い壁に変えて自らを守る鎧として体に纏っている。
 その鎧は物理的なダメージを軽減する上に、魔法によるダメージも何割かの確率で無効
にしてしまうという厄介な物だ。
 ガントは空中で体をひねり、着地に備えようと体勢を直す。
 だが悪魔はガントをそのまま地面に叩きつけようと赤い腕を振るい、ガントの頭を掴む。
 ゴツンと鈍い音が部屋に響き、思い切り叩きつけられたガントの頭から鮮血が散る。
 だがガントはその赤い腕を掴み、一気に引いた。
「ガッ!?」
 バランスを崩した悪魔の懐に、ガントはすぐさま飛び込み、右の手の平をぴんと張る。
「硬い物は…、中から壊す」
 瞬間ガントは力を溜めて、そのまま悪魔の腹に掌底を放った。
「ゴッ!?」
 衝撃波がデーモンの体を揺さぶり、勢い良く飛ばされもんどりうつ。
 赤い悪魔は横に頭を振ると、忌々しげにガントを睨みつけた。
「燃えて消えてしまえっ!」
 不意に中央の黒い悪魔が大きく叫び、朗々と呪文を唱えガントに向けて放とうと手の平
をむけた。だが、炎に焼かれていたマクスが戦斧を振り上げ、その手に思い切り振り下ろ
した。
「グガッ!?」
 ガツンという鈍い音と共に、黒い色の血が周囲に飛び散り、悪魔は数歩あとずさった。
「…ちぃ、戦ってみた感じランク低そうだと思ったんだがな。流石は悪魔。腕くらい落
とせると思ったんだが…かてぇな」
 服が焼け上着が半分なくなった状態のマクスが、眉を寄せる。
 炎によるダメージは最小限に抑えたが、流石にあの炎を連発されると死にかねない。
「アレで低ランクか。さて、どうするか」
「あちらさんはまだ全然余裕がありそうだぜ? そうだな、あの黒い奴の”右”からでど
うだ?」
 マクスが顎で悪魔を指す。
 昔、幾度もかわしたサイン。その懐かしさに、ガントは思わずニヤリと笑った。
「”右”か。了解だ」
 頷きあうや否や、ガント達は同時に黒い悪魔に飛び掛った。
 ガントは素早く後ろに回りこみ、その右肩目掛けて思いっきり手甲の刃を突き立てた。
 僅かに突き刺さった刃が、その硬い皮膚に数センチの穴を開ける。間髪居れずその穴目掛
けて、ガントは更に右の拳を叩き込んだ。
 みしり、という音を立てて傷は更に広がり、黒い血がごぷりと溢れる。
 悪魔はガントに炎を放とうと振り返り、その手を突き出す。
「どけぇっ!」
 それと同時に、今度はマクスが戦斧を振り下ろした。
 空気を切り裂いて振り下ろされた戦斧は、見事にその傷の上に沈みこむ。
 重い戦斧はその重量とマクスの力に押され、悪魔の腕を肩口までざっくりと切り裂いた。
 ぶらりと垂れ下がった右腕を押さえて、悪魔が絶叫する。それと同時に、三体の悪魔が
同時に魔力を放ち、風の精霊に命令を下した。
 悪魔達を中心に放たれた真空の刃が、部屋の全てをなぎ払おうと床を削っていく。
「うぉやべぇっ!! 合体呪文かよ!」
 マクスは慌てて戦斧で身を隠し、ガントの方を見た。
 だが、ガントは身を守る事をせず、部屋の反対側へと走っていく。
「待てガント!?」
 叫ぶと同時に、真空の刃がマクスを襲った。
「っ!!」
 硬い筋肉に覆われたマクスの肌を、刃が容赦なく切り刻んでいく。
 舞い散る花びらのように赤い血が飛び散り、後ろの壁にびしゃりとかかる。
 その呪文は一分程続いた後ようやく落ち着き、部屋に静寂がおとずれた。

 刃が通り過ぎた後は、それは酷い事になっていた。
 床はぼこぼこに抉れ、壁の煉瓦は削れ、マクス自体も血まみれだった。
 赤く染まった体でマクスはすっと立ち上がり、重い戦斧を肩に担ぎ上げる。
「畜生、また傷が増えちまうじゃネェかよ…あぁ、血が足りねぇ」
 ふらふらとぐらつく頭で、飛び出していったガントを探す。
「……馬鹿っ、アイツっ!!」
 マクスのいる位置から反対側の部屋の隅、そこに血まみれのガントがうずくまっていた。
 ずたずたに切り裂かれた背中の傷は内臓にまで達しており、その傷の深さはマクスの比
ではなかった。
 そっちへ走って行こうにも、今は立っているので精一杯で、マクスは動く事が出来なか
った。
「……ぐ」
 少しして、ガントが低く唸った。熱い痛みと失血でその表情が歪む。
 とめどなく流れる血を無視するかの様に、ガントがピクリと動き体を引きずった。
 ぐらりと立ち上がり顔に流れてくる血を拭いとると、ガントはうずくまっていた場所に
目を落とした。
 そこには無傷のマリンが横たわり、未だ意識を失ったまま眠っていた。
 ぽたりぽたりとガントの血がマリンの顔に落ち、その頬に赤い筋を作る。
…無事か」
 ついさっきまで痛みに歪んでいた顔が、その一瞬、安心したようにほぐれていく。
「…アイツは」
 マクスは口の端を上げ、にぃっと笑った。
「よう、ガント! 生きてるみたいだな!」
 マクスは声をあげて、呼びかける。
「あぁ、なんとかな!」
 口から血を吐きながら、返事をするガントはなんとかというレベルではなかった。
 だが、ガントは夜空を見上げると何かを決めたようにニヤリと笑ったみせた。
 それを見て、マクスの表情から笑みが消える。
「……おい! やめろッ!」

「こんな事に巻き込んで済まなかった。さぁ、早い事終わらせちまおうぜ、なぁ、マクス?」

 そういうとガントは天を仰ぎ、目を見開いた。
 死ねない。死ぬわけにはいかない。
 深い紺色の瞳に、静かだが熱い、強い思いが宿る。
「変われぇッ!!」
 星の煌く夜空には、薄い月。
「馬鹿野郎ッ!」
 マクスの叫びは魔力の風にかき消され、ガントには届かない。
 ガントは僅かに降り注ぐ全ての魔力を吸い寄せるように、その身を変えていった。

     12

 急な魔力の流れに、悪魔達が警戒の声をあげる。
 黒い悪魔がぶらりとぶら下がった自らの右腕を引きちぎり、変わりゆくガントを睨みつ
ける。それを合図に、二体の赤い悪魔が揃って羽を広げ宙を舞った。
「おっと! テメェらの相手はこのオレだぁっ!」
 マクスは大きく叫ぶと共に、その筋肉を大きく膨張させた。
 すると流れ続けていた血がぐっと止まり、顔の左右に入った赤い刺青が、見開かれた赤
い瞳がその赤さを増す。
 不意に溢れだした闘気に、一瞬、悪魔達の動きが止まる。
「空へは行かさネェ!」
 勢い良く戦斧を後ろに構え、マクスはその斧を空中の悪魔目掛けてぶんと投げつけた。
 凄い速さで回転しながら、斧は悪魔達の羽の皮膜を切り裂き、斧は回転したままマクス
の元へ帰っていく。皮膜を深く切り裂かれた悪魔達は、空中でぐらりと傾きふらりと地面
に降りた。
 マクスは勢いよく返ってきたその斧を見事にキャッチし、ニヤリと笑う。
「どうだ、すげぇだろ。もう一丁くらえやぁあっ!」
 再び斧を振りかざし、横薙ぎに放つ。ゴウと音を立てながら、手前に居た悪魔のわき腹
を深く切り裂く。
 斧が宙を舞っている間にマクスは腰から鉈を取り出し、回転する戦斧に気をとられてい
る奥の悪魔に斬りつけ、そのまま返って来る戦斧をキャッチする。
 奥の悪魔がふらついている間に更に斧を投げつけ、手前の悪魔の右腕、足をも切断する。
 マクスは戻ってきた戦斧を両手に持ち直し、ごつごつとした床を走る。足を失いふらつ
く悪魔にマクスは一気に斧を振り下ろした。どんっ、という鈍い音を立て、悪魔の肩から
腰までが一気に裂ける。
 マクスの戦斧によるダメージは大きく、引き裂かれた悪魔はぐらりと揺らぎ、その場に
沈み息絶えた。
「ふははは! これがオレの必殺の技って奴だ! 『今』のオレはローラより強いぜ?
知ってっか? 知らねぇか」
 不敵に笑いながら、盾ほどの大きさの戦斧を軽がると持ち上げる。 

 その奥で、ガントは徐々に姿を変えていった。
 体が少しづつ大きくなり、耳が後ろへ伸び、銀色の毛に覆われていく。
 だが、いつものような急激な勢いも無く、傷の回復も遅々として進まない。
 ようやく変身を終えた後も、血を流し、眉間に皺を寄せたままだった。
「さっきまでヨリハ…、少しマシカ」
 牙もいつもほど長くは無く、体もさほど大きくはならない。
 手は狼のそれだったが、足はさほど変わらずいつものようにブーツが壊れたりもしてい
なかった。
(攻撃力は、さほど上がらない…か。いや、拳に魔力が乗るだけで大分違うはずだ。)
 変身後の内側から魔力を発するガントの拳は、エンチャントが掛かった状態と酷似して
いて、月の魔力が彼らの防御壁を相殺しそのままダメージを与える事が可能になるのだっ
た。
(それに…
 ぐちぐちと生々しい音を立てながら、徐々に塞がっていく背中の傷。
 その魔力による回復のお陰で、ガントは死を免れたとも思えた。
「さぁ、マクス……ばかリ…ぐ…ア」
 不意にガントが身を強張らせ、その場に固まる。
 魔力は一瞬その流れを止め、しぃん…と、その場に静寂が訪れる。
 だが、それはほんの数秒の事だった。
 ガントはその目を見開くと、毛に覆われ獣のそれとなった手から鋭い爪がぐっと伸び、
同時に足の爪もブーツを突き破って床を掴む。
 止まっていた時が動き出すように、ガントはその身を震わせ赤い悪魔を睨みつけた。

「オォオオオッ!」

 短く吼え、ガントは一気に悪魔の懐へと駆け抜けた。急に目の前に現れた半獣のワーウ
ルフに、赤い悪魔は驚いて硬直する。だが次の瞬間、悪魔は床を壊しながら吹っ飛んでい
た。懐に飛び込んだ瞬間に腹に放たれた拳が、悪魔を吹っ飛ばしたのだった。
 その速さに、マクスは目を見開く。
「流石に変わった後はさらに尋常じゃねぇな! テメェはよぉ!」
 自分に向かって吹っ飛んでくる悪魔に向かって、マクスは斧を振り上げる。
「おらぁっ! 死ねぇッ!!」
 勢い良く振り下ろされた戦斧は、どん、という鈍い音と共に赤い悪魔の胴体を真っ二つ
にした。
「テメェも死に晒せッ!」
 息つく間もなく、マクスは一匹だけ残った黒い悪魔に戦斧をぶん投げた。
 腕を失っていた黒い悪魔は、回転する戦斧を避けきれず、そのわき腹は大きく切り裂か
れた。
「後は頼んだぞガントぉっ!」
 マクスは帰ってきた戦斧をキャッチすると、ガクンとその場にへたり込んだ。
 顔の刺青は鮮やかさを失い、筋肉は元に戻り再び血が流れ出す。
 マクスの声を聞いたのか、ガントは一気に飛びかかり、わき腹に傷を負い動きの鈍った
デーモンとの距離を詰める。
「ヴオォッ!」
 ガントが後頭部に一発拳を放つと、悪魔は小さく呻いた。魔力を乗せた拳が悪魔の脳を
揺らす。間髪居れずにその角を掴み、ガントはその腕をわき腹に突き刺した。マクスの裂
いた皮膚を更に押し広げるように、腕をもぐりこませ、その中身を一気に引きずり出す。
「……、ガントお前…?」
 黒い血がガントの銀色の毛を濡らし、薄い月明かりを反射してぬらりと輝く。
 悲鳴を上げる悪魔を無視してそのままどんどんと中身を引っ張り出していくガントを見
てマクスの表情が固まる。
 膝を折り悶える悪魔を踏つけ、ガントはそのはらわたを引きちぎった。
「おい! ガントっ!!」
 マクスの呼びかけを無視する様に、ガントは悪魔への攻撃を続けた。銀色の毛が輝く背
中から赤い血を噴出させながら、ガントは悪魔の頭を幾度も幾度も踏みつけた。
 靴からはみ出した爪が悪魔の目を貫き、頬に穴を開ける。
「ガント! もう死んでる! やめろ!」
 既に悪魔は事切れ、ガントが踏みつけるたびに反射的に動くだけだった。
「あんの馬鹿野郎! 正気を失いやがった!」
 マクスは戦斧をその場に置き、重くなった体を引きずりガントの元へと向かう。
「うらァッ!」
 マクスは拳を握り締め、ガントの頬を思いっきり殴った。
 ガントは横を向いたまましばらく固まっていたが、少したってから忌々しそうにマクス
を睨みつけた。
「ガァ!」
 不意に首をつかまれ、マクスは顔を歪める。マクスはその腕を掴み、かすれる声で叫ん
だ。
「オレはどうなっても構わねぇがな、マリンはどうする!?」
 マリンという言葉に、ガントがピクンと反応する。
 首を掴む腕がその力を緩め、ガントの瞳に迷いが生じる。
「そうだ! マリンだ! 何の為にお前は姿を変えた! 良く考えろ!」
「マリ…ン!」
 ガントはその場に膝をつき、部屋の隅で横たわるマリンに目をやる。
「マリン…!」
 紺色の瞳に一気に光が戻る。
 その瞬間ガントの魔力が一気に体外へ放たれ、ガントの体は急激に人へと戻っていった。
「はぁっ…はぁっ…! …俺はっ!」
 脂汗をかきながら、座り込んだガントはようやく我にかえった。
「マクス…すまない」
「無茶しやがって、コノヤロウ。これで二度目だぜ?」
「あぁ、悪かった。本当に済まない」
 ガントは目を伏せ、マクスに頭を下げる。
「まぁ、オレは大丈夫だって信じていたぜ。その読みどおり、今回は『マリン』の一言で
帰ってきたじゃないか」
 マクスもその場に座り込み、小さく笑った。
「結局悪魔も倒したし、マリンも無傷だ。大成功じゃネェか! なぁ?」
 血を流しながら拳を突き出すマクスに、ガントは苦笑する。
「あぁ、そうだな」
 ガントはその拳を突き合わせ、夜空を見上げた。

「……んぅ」
 部屋の隅でマリンが唸る。
「おう、お姫様のお目覚めだ。キスで起こしてこいや」
 マクスが親指でマリンをぴっと指差す。
「行きたい所だが、流石に体が動かねぇよ」
「ははっ! そりゃあ残念だ!」
 急激に人に戻った程の反動を受けたガントだ。指一本を動かすのも重く感じ、流石に暫
くの間は座り込む以外に何も出来そうに無かった。

「…、んぅ、ガン…ト?」

 ようやく目覚めたマリンが見た物は、部屋のど真ん中で座り込み、大笑いする血まみれ
の男二人だった。

     13

「マリン、もう体の調子は良いのかい?」
 台所へお湯を取りに来たマリンに、女将が尋ねる。
「うん、少し変だけど…、私はもう大丈夫! ありがと女将さん」
 本当は胸の奥を押された違和感が強く残っていて気分は良くないのだが、心配をかけた
くなくてマリンは笑顔を見せた。
「そうかい? 無理はするんじゃないよ? はい、そこにお湯沸いてるからね」
「ありがとう! うわ、あちち、少し水混ぜて持っていこうかな」
 ポットの中の湯に触れて、マリンはその手を引っ込めた。
「……!」
 不意に一瞬胸が苦しくなって、眉間に皺を寄せる。だがマリンはふるふると首を振り、
「私は大丈夫」と呟いた。気分が悪いだけの自分なんかよりも、マリンは上で休む男の事
が心配でならなかったのだ。
 マリンは桶に湯を張ると、それを持って台所を出て行った。

 階段を駆け上がり、二階の真ん中の部屋の扉を片手で器用にあけ、マリンは部屋の中へ
と入っていく。落ち着いた雰囲気の男の部屋。今日だけでもう4往復はしただろう。
 そっと寝室のドア開け、ひょこっと中を覗く。
「まだ…起きないなぁ」
 マリンはベッドの横の台に桶を置き、タオルを濡らす。ぐっと絞ってタオルをほぐすと
ベッドに横たわる男の額の汗をそっと拭いた。
 死んだように眠る男の横顔に、マリンは胸が詰まる思いになる。

 マリンが目覚めた後、マリンはすぐに手持ちの二つの魔石を使って遺跡を脱出した。
 動けない二人を抱えて下山する事は流石にマリンには無理な上、更に自分もまともに動
ける状態で無かった事から、ガントの緊急用の花火を上げて救助を待つ事にしたのだった。
 程なくして山に来ていたクロフォードとアレイス、それにローラ、アシュレイ達が救助
にやって来て、マリンはローラに担がれて何とか下山する事が出来たのだった。
 『今昔亭』についてからは、メディの力を借りた。
 ガントとマクスに回復魔法を、マリンには解毒の魔法を施してもらい何とかマリンとマ
クスは動けるまでに回復。ガントは自力で動いて自分の部屋に戻ったものの、そのまま昏
睡状態に陥ったのだった。
 昏睡状態になってから二日。
 マリンは二日間寝る間を惜しんで、着替えさせたり、体を拭いたりと必死に介抱してい
たのだった。

「ガント…」
 マリンはそっと手をとり、その大きな手を頬に当てる。
 マクス曰く、ガントの昏睡状態の原因は、デーモンと戦った際の無理な変身の後遺症だ
という。
 自分が全く役に立てなかった事と、レオノーレに胸の奥を押されてからは何も覚えてい
ない事が、マリンの胸を余計に苦しくさせていた。
「……っ」
 僅かにガントが動いた気がして、マリンは顔を上げる。
「ガント、ガントっ!?」
 マリンの声に、ガントの瞼がピクンと動く。
「……、マリンか」
 搾り出されるように発せられたその声に、マリンの目からぽろりと涙がこぼれる。
「ごめんね! ガント、ごめんね! 私…っ!」
 それ以上は言葉にならず、嗚咽に肩が震えた。
 愛する男の手を握ったまま泣きじゃくるマリンを見て、ガントは未だ重く感じる体をぐ
っと起こした。
「起きなくて…いいからっ、まだ、寝てな…きゃ…っ」
 ぼろぼろと涙をこぼし喋るのもままならないマリンの頬に、ガントはそっと手を添える。
「折角無事だったのに、何を泣いているんだ」
「二日も…! 二日も目を覚まさなかったくせにっ…! ちっとも無事じゃないっ!」
 泣きながら、マリンは大きく首を振った。
「俺なら大丈夫だ。そんなにやわに出来ていないからな」
「嘘だ! マクスに聞いたよ? 絶対、もう無茶な変身なんかしないで! お願いだから
っ…!!」
「…そうだな。解った」
 泣きやまないマリンの頭を撫で、ガントは苦笑する。
 ガントの手が暖かくて、目覚めてくれたのが嬉しくて、マリンは涙が止まらなかった。
 そんなマリンを、ガントは何も言わずぐっと抱き寄せた。

 自分が守るべき者。
 こんなにも大事に思っている筈なのに、いつも泣かせてしまっているような気がする。
 ワイバーンを素手で殺し、ドラゴンに致命傷を与え、下級の悪魔をも葬るその力。
 だが、ガントはそれでもまだ足りないと感じていた。
 ベッドの横の台の上に置かれたドラゴンガントレット。赤いその手甲を見るたびに心に
蘇るカヒュラの言葉。
『わかっておるよ、お前の望みくらいな。
 だが、その心の底にある願いは半端な覚悟では超えられないだろう。
 一生をかけるつもりなのだろう?』
 そして同時に『いつか自らに与えられし運命に気付いた時、怯まず進め』とマリンに言
い残したポイズンドラゴンの言葉が脳裏をよぎる。
 悠久の時を生きるドラゴン達に見えている事など、自分達には解らない事だ。
 だが、ガントはマリンの運命という物をなんとなく予想していた。そして、その事をあ
の吸血鬼に気付かれたであろう事も。
 その予想が当たっているとしたなら、その運命のレールにマリンを乗せるわけにはいか
ない。
 マリンの笑顔を守りたい。ずっと共に居たい。
 そのガントの決意は固く、まさに一生をかける覚悟だった。

 ようやく泣きやんだマリンに、ガントは問いかけた。
「マリンは何処もおかしい所は無いか?」
 ガントの問いに少し戸惑って、マリンは答えた。
「ちょっとね、胸が苦しいの。何かが外へ押してるみたいな…変なの。押されたはずなの
に…。後は、レオノーレに押された後のことが全く思い出せないことくらいかな…って、
気を失って寝ちゃってたから、仕方ないんだけど……」
「そうか」
 申し訳なさそうにするマリンの髪を優しく撫で、ガントは目を細めた。
「…マリン、大事な話がある」
「?」
 いつにも増して真剣なガントの表情に、マリンの心臓がどくんと跳ねる。
「……マリン、そこのバックパックを取ってくれないか」
「えと、これ?」
 ガントが愛用しているバックパック。いつもは荷物がぎっしり詰まっているのだが、今
は何も入っていないのかへにょりとしていて軽い。
 ガントはバックパックを受け取ると、少し考えた後に何かを決めたようにこくんと頷い
た。
「マリン。これを」
 ガントはバックパックから小さな木箱を取り出し、そっとマリンの手の上に乗せた。
…? あけて良いの?」
 マリンの戸惑うような言葉に、ガントは深く頷く。
 木箱の蓋をずらし、マリンはその中を覗き込む。

「…! が、ガント! これっ…!? あ、あうっ!!」

 マリンは真っ赤になって、ガントと箱の中身を何度も見比べた。
「あぁ、そうだ。…その、あれだ。誓いの……指輪ってやつだ」
 ガントもその顔を真っ赤にし、その紺色の瞳をすっと逸らす。
 綺麗な網のような細工の施されたプラチナのリング。網の隙間には数種類の宝石が飾ら
れ、その精巧な細工は見るからに高級品だった。
「が、がんっ、と!?」
「お前と一緒になるんだったら…まず、これを渡すのが筋だろう。これが俺の気持ちの
全てだ」
 照れながらも必死に言葉を紡ぐガントに、マリンの心臓は爆発寸前だった。
 ガントは指輪を取り出すと、マリンの左手を手に取り、その薬指にそっと嵌める。
「……、いいのか、受け取って」
 受け取ってくれるとは限らない。ほんの少しそんな気持ちがあったガントがぼそりと呟
く。
「…、いいに…! …決まってるじゃない!!」
 マリンはガントの胸に、こつんと頭をぶつける。
 照れくさくて、恥ずかしくて、嬉しくて、顔をまともに見れない。

「ずっと…一緒だ。何があっても……マリンをこの手から離さない。そう誓おう」
「私だって、絶対ガントと一緒にいたい…! 私も頑張るんだからっ…!」

 お互いに指を絡ませ、その誓いを胸に焼き付ける。 
 見つめあい、唇が触れるその寸前で、ガントがぴたりとその動きを止める。
「……ガント?」
「……、なんの用だ」
 寝室のドアをじろりと睨むガント。
 そこには、アレイスとマクスが立っていた。
「きゃああああっ!?」
 マリンは耳まで真っ赤になって、ガントのベットから飛びのく。
「なんの用だ、は、ねぇだろう? オレたちゃちゃんとノックはしたし、声だってかけた
ぜ?」
 これ以上ないくらいニヤニヤとした顔で、マクスがふんぞり返る。
「いや、覗くつもりはあらへんかってんけどな、ほら、ついや、つい」
「…おめぇらなぁっ!!」
 動けないガントがベットの上で叫ぶ。
 そんなガントを見て何かを思いついたのか、アレイスがぽんと手を叩く。
「せやけど、なんや、これで二人は婚約か? おーし! 皆に言いに行ってくるわ!」
 ガントが動けない今がチャンスだとばかりに、親指をグッと立ててアレイスは小走りで
部屋から出て行く。
 それを止めようと、真っ赤になったマリンが涙目で追いかけていく。 
「おいまて! アレイスっ!!」
「やだっ! 馬鹿アレイスっ! いっちゃだめぇええええええええ!」
 二人は嵐のように部屋から居なくなり、部屋にはしばしの静寂が訪れる。      


「…、おう、この前の用事ってのは指輪を取りに行く事だったのかよ」
 部屋に残ったマクスが、ベッドの端に座りちらりとガントを見る。
「……そうだ。隣町のハーレンには良い職人がいるからな。少し前に依頼してたんだ」
 少し不機嫌に、ガントはそう答えた。
「そういう金はしっかり持ってるよなぁ、お前は」
「別にそういうわけじゃない。俺の決意を形にしたかっただけだ」
「今時古風な奴だよ、おめぇは」
 静かに話すガントに、マクスはやれやれと首を振った。
「昔はもっととんがって、女になんぞ見向きもしない奴だったのになぁ…。あ、そうだ。
なんでこのタイミングで婚約なんだ? お前、もう少し後にする感じだったじゃねぇか」
「…さぁな。教えてやんねぇよ」
 ガントは髪をくしゃくしゃとしながら、目を伏せた。
 一階からマリンとアレイス、他のレンジャー達が騒ぐ声が聞こえる。
「マクス」
「あ?」
「マリンに…、何が起こったか言わなかったんだな」
「お前がそう望むだろうと思ったんだよ。間違えてねぇだろ?」
「あぁ、感謝する」
 男達は拳をぶつけ合い、無言で頷きあう。
「おう、二日ぶりに起きたんだ、腹減ったろ? 後で下から何かもってきてもらえよ」
「そうだな、後で…」

「ガント! 遂に婚約かい?!」    

 女将が嬉しそうな顔で、突然寝室に飛び込んできた。
「あんな高そうな指輪、よく用意したよな、すげぇ!」
 さらにリオンが後ろから顔を出し、何やら喜んでいる。
「んだよ、お前達も近いうちに式あげんのか?」
「そんなのはまだ先だ」
 クロフォードの問いに、ガントは首を振る。
「ってことは何だ、周りに『マリンはオレのもんだ』と示したかったんだろ」
 遅れて部屋にたどり着いたモースが、にやりと笑う。 
…まぁ、此処に馬鹿がいるしな」
 ガントはちらりとマクスを見やる。
 その視線に気付いた皆が一斉に大笑いして、マクスは勢い良く立ち上がった。
「ちょ! お前、まだ尻の事根にもってんのかよ! 救出成功でチャラだろ!?」
 マクスがそう叫んだところで、マリンが部屋に勢い良く入ってきた。
 片手にぼこぼこにしたアレイスを引きずりながら…。
「ガント! アレイスぼこぼこに…! って、きゃぁっ!?」
 戻って来るなり、マリンはマクスにひょいと担ぎ上げられる。
「おぅガント! 悔しかったらさっさと復活して、マリン取りに来いっ! それまでマリ
ンはオレが預かるっ!!」
「てめぇええええ! 離せ!! お前が触るだけでマリンが妊娠する!」
「ほーう、いいんだな? 食っても」
「手ぇだしてみろぉ! ブチ殺すからなぁああああッ!!」
 拳を握り締め、鬼のような形相でガントが叫ぶ。
「うわ…ガントがマジギレしてんぞ…。やべ、マジでこえぇ」
 リオンはその迫力に押され、思わずモースの後ろに隠れる。
「そういやぁ、メディが風呂場で言ってたぜ? おめぇに揉まれてマリンの乳が大きくな
ったってなぁ! あん時は見損ねたからなぁ! 今からしっかり見てきてやるぜ!」
「そんなに死にてぇかあああああああああああああああ!」
 動かない体を強引に動かしながら、ガントは全力で叫んだ。
「おう、じゃあな」
「このヤロっ! 待ちやがれぇ!!!!」 
 マクスはにやりと笑って、マリンを担いだまま部屋を後にした。


…、おうマリン。お前、愛されてるな」
 すっかり真っ赤になったマリンを担いだまま、マクスが階段を降りる。
…あそこまでガントが必死になるなんて」
 マリンは正直ビックリしていた。
「嬢ちゃんが連れてかれた時は、もっとだったんだぜ? あー、ガントは変わったよ」
「変わった…?」
 ロビーでソファーの上に降ろされ、マリンは首を傾げた。
「おう、良い方にな。…さーて、オレは逃げっとすっかな!」
 マクスは真紅のマントを羽織り、戦斧を背負う。
 腰にサブウェポンの鉈を差しあらかじめ置いてあったバックパックに手を掛けて、マリ
ンに向かってひらひらと手を振る。
「んじゃ、仕事にいってくらぁ」
 カウンターで待っていた冒険者に合図して、マクスはドラゴンマウンテンに向かう。
「……いっちゃった」
「マクスは嵐みたいな人ですもの」
 ソファーの向かいに座っていたメディが、ふぅとため息をつく。
「マリン、良かったじゃない。それ、守りの指輪を細工したやつみたいよ? いいの貰っ
たのね」
「うわぁ…、これ、そうなんだ…!」
 薬指に嵌められた綺麗な指輪。
 いざという時に身代わりになるというその指輪を見ながら、マリンは頬を染めた。
…、ね、マリン? 私もマリンとお話したいのはやまやまなんだけど、そろそろ上に戻
らないと、ガント、憤死しちゃうかもよ?」
「!?」
 上からガタン!と大きな音がして、『今昔亭』が小さく揺れる。
「やだガント! 無理やり起きようとして…!?」
 慌てて走り出すマリンを、メディは優しい眼差しで見送る。
 可愛い妹分が走っていき、決して本気になることのない男が仕事へと出て行く。
「……、やぁね。ちょっと悲しいわね。嵐が過ぎ去った後って、…せつないわ」
 一人ロビーで紅茶のカップを揺らし、メディは小さく笑った。

 冬の『今昔亭』に新たな仲間が加わり、決意が運命を動かす。
 これから起こる出来事を皆が乗り越えていけるように、メディは祈りを捧げた。 
 そして、ひとりぼこぼこにされたアレイスが、仲間達に名言を残した。  

  「女の照れ隠しは、容赦ない」と…。  




おわり。



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