ラスト・ビジョン
LAST VISION

 「量子論」で良かったんだろうか。難しい理屈はよく分からないんだけど、これを使うと過去にだって戻れちゃうしパラレルワールドだって存在するんだってことに、どうやらSFあたりの世界ではなっていて、近いところだとマイケル・クライトンが「タイムライン」(酒井昭伸訳、早川書房、上下各1700円)で、中世に戻る史学生たちの大冒険を描いていたりする。

 詳しい原理はともかく(本当はともかくじゃないんだけど)、今やスタンダードになったこのガジェットを、ヤングアダルトの世界で使おうとしたのが、「天剣王器」(メディアワークス、570円)に続く海羽超史郎の「ラスト・ビジョン」(目ディアワークス、670円)ということになる、多分。

 多分というのは、時間の混乱が重要なモチーフとして使われていて、その描写の中に「観測」とか「箱」とかいった、「量子論」に絡んだ参考書とか小説とかによく出てくる言葉が出てきてたりりする辺りから想像したこと。これも良くある、生きているのか死んでいるのか分からない猫なんかを引き合いに語られるような状況も折り込まれてあって、時間を錯綜させたなかに因果が転倒している物語が築き上げられている、ように見える。

 主人公は高校3年生の初乃素直(ういのすなお)。過去に怒りから人を危める事件を犯したことがあって、心に重たいものを抱えている少年だけど、実家が寺で僧侶になることを決めている間ノ井忠、同じくクラスメイトの神無月さゆりとだけは仲が良く、その夏も3人で連れだって島へ旅行することになっていた。島といっても人工島で、所有しているのは大企業の高井産業。そこの令嬢で、何故か初乃たちと同じクラスに入って来て、これまた何故か初乃と話すようになったクラスメイトの高井深奈の招待で、夏休みを過ごすことにしたのだった。

 深奈の故郷というその島は、何かを研究している研究所があって容易には他人を受け入れない。初乃ら3人は深奈の招きといういことで研究所の見学も出来たけれど、深い場所にまでは入れず、おまえに招いた当の深奈が3人の前になかなか姿を現さないという始末。それでも海辺で遊んだり、島を走り回って高校生最後の夏休みを満喫していた3人の前に、突如事件が降り懸かる。研究所内で起こった殺人事件が発端となった、ロボットのようなアンドロイドのような謎の「素体」が破壊されたり暴れ回ったりする状況に巻き込まれてしまい、ついには初乃が撃たれてしまう事態となる。

 深奈を抱くようにして3人に迫ってきた「素体」は一体何なのか。そもそも研究所では何を作っていたのか。撃たれて後、錯綜する時系列の渦へと巻き込まれた初乃の体験を通して事件の真相は明らかになり、10年前の夏の、初乃自信が知らない深奈との約束が成就へと向かって動き出す。過去と現在と未来が入り交じった時間軸のなかに描き出される物語に、整合性などを求めようとして時に戸惑うところもないではない。それでも全体として醸し出される少年たち、少女たちの拙いけれど儚いけれど強くて激しい想いが渦巻き、前向きに流れ出そうとしている雰囲気が読んでいて身に清々しい。

 時系列だけじゃなくって語り手までも錯綜させて、主人公の1人称で延々と続けるんじゃなく、間ノ井とか神無月とかいった、ほかの登場人物が見聞きした事象を、彼ら彼女らの1人称視点で語らせている部分もあって、軸の置き所にちょっと迷う時がある。初乃の1人称の中にも、彼が過去に体験したことがフラッシュバックのように説明もなく折り込まれてあって、親切に説明されることが多い最近の小説を読み慣れている目には、ちょっと唐突に映るかもしれない。むしろもっとハードな「量子論」とかの要素を織りまぜて、大人でも楽しめる青春小説の体裁で出せば理解を得やすい層に届いたかもって気がしないでもない。

 もっとも本を読み付けている人は、歳に関係なくガジェットの原理的な部分は脇において、状況的な面白さでもって物語を楽しむ術を心得ていたするものだし、年配者だからといって原理的な部分が完璧に分かるとも言い難かったりするもので、主人公たちの年齢だからこそ描ける物語でもあるんだと考えると、これはこれで構わないのかもしれない。そもそも本当に「量子論」絡みの話かどうか分かった訳でもないのだし。

 時間の”しゃっくり”めいた設定の面白さはそれとして、こうした主題の小説の場合、その上で錯綜する事象にどう整合性をもたせていくのかという部分が、面白さの中心になりがちで、物語性を楽しみたい人にとって、そうしたパズル的な楽しみ方は邪魔する要素になりかねない。「ラスト・ビジョン」からパズル的な楽しみを除外して、いったいどんな物語性が浮かび上がって来るかというと、案外と単純なボーイ・ミーツ・ガールだったりして、感動がをもたらすような盛り上げがもう少し欲しいような気がした。

 同族の間で起こる権力闘争めいた部分でのリアリティを伴った描写がそれほどなかったのも、読んで興奮をたっぷりとは得られなかった理由のひとつになるかもしれない。ただ、錯綜する時系列と登場するキャラクターをねじ伏せつつ、語り手によって言葉の使い分けも巧みに行い話を進めていく筆の冴えはなかなかで、パズル的な部分の巧妙さも含めて充分な凄みを感じたこともやっぱり事実。得意とするパッケージの枠から外れていく可能性もあるけれど、もしも機会があればもっともっと硬派にハードなガジェットを使いつつ、エンターテインメントとしてもパズラーとしても楽しめる小説を、書いて欲しい気がする。若くて先が長い人だけに今から活躍が楽しみなだ。


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