まず、この演奏会を中止せずに開催するという決断を下した、大フィルの事務局の方に。そして、楽団員の方、合唱指揮の三浦宣明さん。コンマスの長原幸太さん、その横の梅沢和人さん。それから、あの日、ホールにいた皆さん。
そして、残念ながらこの場には居合わせることが出来なかったけれど、間違いなく、この演奏会を、この演奏会の下地を創ったオオウエエイジ様。
それぞれ、苦渋の決断だったと思います。でも、ごらんの通りの結果です。二日経った今でも、まだ、冷静に振り返ることが出来ません。
ほんとうに、ありがとうございました。
演奏会の二日後には、ここまで書くのが精一杯だったのだけれども。それからまた一週間が過ぎて、今度は少し冷静に振り返ることが出来る、のかな。
まあ、やってみるね。
この日の演奏会はね、変わり種の多い今年のプログラムの中では、思いっきりの変わり種、とも言えるし、数少ない正統派、とも言えるんだけど。ともかく、ものすごく楽しみな演奏会だったんだよね。普通、一回の演奏会で聴けるなんて、絶対思わない組み合わせ。そしてもちろん、どっちもメインを張れる曲の組み合わせ。しかも渋い。
本気だな、オオウエエイジ。
そういうプログラムだったんだよね。
楽しみにしていた当日のお昼休み。会社で日経新聞をパラパラめくってると、なんと地域欄に大フィルさんの記事が。
オオウエエイジがめまいでドタキャン。
あらら。大丈夫なのかしら。
オオウエエイジの具合と、そして今日の演奏会。でもあんまり深く考えなかったんだよね。めまいくらいなら、今日は大丈夫なんじゃないか、って。そう信じ込んでいた。
とりあえずなんか食べる前に、ちょっとホールの前を覗いたんだよね。そしたら。入り口前の張り紙。そして、正装してチラシを配る事務局の人たち。
ああ、今日もダメ、なんだ。
事務局の人に、フォーレは合唱指揮の三浦さんが、そしてブラームスは指揮者無しで演奏することを確認して、とりあえずちょっとおなかを満たしに出かけたよ。
お大事に、とお伝え下さい。っていうこと場がとってつけたようにしか聞こえなかったから、やっぱり結構ショックだったんだろうなあ。僕にとって。
でも、係員にくってかかる人や、払い戻しのために窓口に、ってざわめく人は全くいなくって。みんな蕭々と受け入れていた。昨日はどんな様子だったんだろう。
軽く小腹を満たして、ホールに入ったら。補助席まで入っての超満員。そりゃあそうだよね。合唱団だっているし。
その合唱団は、こじんまりとステージの上にひな壇を組んであった。あたり前だけどフォーレのレクイエムは、ヴェルディのレクイエムとはちがうからね。ってヴェルディのときも合唱はステージ上だけだったね。
前置きは、いいよね。
演奏は。
フォーレは、熱心なクリスチャンではなかったみたいだね。プログラムに「あえていうなら、他人の信仰に敬意を払う不信心者の作品」って書いてあって、大笑いしてしまったのだけれども。でも、この一言で、前に聴いたときには取っつきにくいな、って思ったフォーレが、ずいぶん近いところに来たんだよね。
三浦さんの指揮は。
三浦さんは合唱団の指揮者で、だからこの曲もよく知っているだろうし、オケも合唱曲を中心に振ったことがあるようだけど。でもやっぱり、緊張してたんだろうね。当日、リハが終わってから、やっぱり振って、だからね。
いつもは、カーテンコールで出てくるだけだけど、実直そうな人だよね。
その三浦さんの指揮から出てくる音は、特に合唱の音は、とってもあったかくって。そして、とても丁寧で。
オケが少ない分、パイプオルガンの音が相対的に目立っていて。ブツッとしか音の切れないパイプオルガンが、フレーズの余韻を邪魔しているところが結構あったけれど、それはどうしようもないのかな。
ピアニシモの伸ばしとか、緊張感あふれるところでも、ちょっとオルガンが邪魔する感じだったなあ。
でも、そんなことは、敢えて言えば、って言うことで。
オルガンのとなりに位置したソプラノの中嶋彰子さんの、とっても華やかな容姿と、上から降り注いでくる歌声。これだけでも、オルガン席に人が居なくちゃな、っていう立派な理由になってたしね。
そして、そんなことさえどうでも良くなるくらいの、演奏。
僕の中で、丁寧、って言うのは演奏を聴く上での大きなキーワードだからね。三浦さんが、オオウエがいないからいっちょなんか奇抜なことやって名を挙げてやろう、っていう人じゃなくって、多分いつも合唱団に言っていることを丁寧に丁寧にステージでもやろう、っていう人だってことが演奏によく現れていて。
もちろん、本職指揮者のオオウエが振れば、もっとケレンに満ちた豪華な演奏になったのかも知れないけれど。
でも、この演奏からは、フォーレの匂いが、立ち上ってきたよ。僕の中のフォーレは、朴訥なピアノ曲のイメージが強いのだけれども。
ありがとうね、三浦さん。
そして。
ブラームス。
もちろん僕は、この演奏を瑕ひとつない大名演だっていうつもりはさらさらないし、例えばCDが出たって、買うけれど愛聴版にするとも思えないのだけれど。
でも、そういうこととは全く無関係に。
演奏中にたまらずハンカチを取り出した僕は、しゃくり上げるのを堪えるのに必死だったよ。
一週間以上経った今でも、思いだしたらツンと来るもの。
休憩終わって、コンマス以外の席が埋まったステージに入ってきた長原君。客席の拍手は、コンマスに贈るべきモノなのか、指揮者に贈るべきモノなのか迷いがあって、それが異様な緊張感をもたらして。
久しぶりに並んだ長原君と梅沢さんの組み合わせが、この演奏会にかける意気込みを表しているようでもあり、こういった事態を予想していたようでもあり。それもまた緊張感を(僕にね)与えてた。
ブラームスの4番って、すごく指揮者冥利に尽きる曲、と思うんだよね。各フレーズでテンポを揺り動かすことが効果的な。オオウエエイジに似合いそうな曲。もちろんリハでそのニュアンスを伝えている部分もあるだろうけれど、指揮者がいなければ再現できない部分が多いだろうから、今日の演奏は、僕らが聴くはずだったモノとは完全に違うモノ、と思った方がいいと思うのだけど。
そう。この日、ステージで繰り広げられたのは、全くの別物。
大きく身体を揺すりながら、あるいは弓でテンポをとりながら演奏をリードする長原君。楽団員の視線は、いつもよりも3メートルばかり右にずれて、コンマスの一挙手一投足に注目する。
誰も確信に満ちないまま、ぎりぎりと集中力だけが高まっていく。
そして、出てくる音楽は、指揮者の仕掛けるギミックを取っ払った、骨太の、ブラームス。
この集中力と異様な緊張感に溺れそうになった僕は、1楽章だけで、すでにあっぷあっぷの状態だったよ。
多分、聴衆のかなりの部分もそうだったんだろうね。定期ではあり得ない、1楽章での拍手。控えめながら、賛同を得て続いていく拍手。
もちろん、僕もしたよ。
そうしないと、失礼に当たる。そう思ったからね。
でも、そこで拍手をしてしまったら。あっぷあっぷの状態から一息ついたら。
今度は、涙が止まらなくなった。
拍手に応えて、少しだけ笑顔を見せた長原君。すぐにまた緊張感の中に戻っていって。
そこからの一挙手一投足を、僕は目に焼き付けた、と思ったのだけれども。でもどちらにしろぼやける目だったから、思い返しても、ぼやけた再現しかできないや。
高校の時、吹奏楽部で下手な楽器を吹いていた僕らの部室には、模造紙に毛筆で書いたスローガンがかかっていたんだ。
「みんなでひとつになって、ひとつの音楽にしよう」
っていう、当時の熱血高校生から見ても、いささか恥ずかしいと思えるスローガンだったのだけれど。
でも、全然恥ずかしいことじゃないよね。
このブラームスを聴きながら、この標語が、長い間壁に貼って、黄ばんだ模造紙に書かれた達筆な書体が、鮮明に想い出されたよ。もう四半世紀も近く前の話しだけれども。
でも、僕はこの日、確かに聴いたよ。
その昔、僕らが唱えたスローガンを、プロのオーケストラの楽員さんが、必死で、実現するのを。
僕らは、間違っては、いなかったんだ。
もちろん、これはアクシデントであって、オオウエエイジが振ってくれたなら、その演奏とこの演奏を比べることなんてナンセンスなのだけれど。
でも、聴いてよかったな。
あくまで、一回なら、だけれども。
緊張感で縮こまって、小さくまとまった演奏のほうがやりやすかっただろうに、萎縮せずにいつもの大きな響きを聴かせてくれた楽団員の方、ありがとうございました。
僕は、生まれて初めてのファンレターを、オオウエエイジに出したよ。