レクイエムの、ウラオモテ
ちょっとした事情があってね、たぶん定期では初めてになるんじゃないかと思うのだけれども、二日とも聴いたよ。ヴェルディの、レクイエム。
まあ、そんなに複雑な事情ではないのだけれどもね。僕はいつも、二日目に聴きにいくのだけれども、ちょうどその日、大事な会議があたるかどうか、直前までわからなくって。ウェッブでクワイア席売出の情報があったから、一日目のチケットをそっちで予約して。
結果的に二日とも行くことができたのだけれども。
だから、最初の日は合唱団員さんの頭の陰からオオウエエイジの顔を見ながら、二日目はいつもの場所から、レクイエムを堪能したよ。
たぶん、ムーティのこの曲を聴いたときにも書いたと思うのだけれども。派手な曲、っていうイメージがあるよね。フォーレとか、モーツァルトのレクイエムと比べると顕著なのだけれども。もちろん、CMとかエヴァンゲリオンのBGMとかに派手に使われていたディエス・イレ(怒りの日)が有名だから、なんだけれども。
でも、実際に聴くヴェルディのレクイエムは、決してそれだけではないんだよね。
初日。僕の席は、クワイア席の、普通の客席から見たらちょっと左の、一列目。ステージ上にひな壇君で並んでいる合唱団が起立したら、その頭のすきまからオオウエエイジが見える、くらいの一体感のある席。合唱団との距離は、モグラ叩きのモグラくらいの距離かな。
合唱団がいるからだろうけれど、珍しく2ベルが鳴ってから整列して入ってくるオケと合唱。そしてソリスト。
そして、オオウエエイジ。
静かに始まった曲。そして、合唱の第一声。
”レクイエム”
ぞぞぞ、って、したんだよね。
モグラ叩きが出来そうなほどの距離に、横一列に、奥行き何列にも並んだ合唱隊から、ささやくような男声の”レクイエム”。これだけでね。
これはもうね、いつもの席から聴いている、前方のステージで奏でられている演奏、っていうものとは全く違う距離感。僕の前には、ベースの男声が列をなしていると思うのだけれども、そのユニゾンが醸し出す立体感、っていうかね。
ああ、これは、演奏者の位置なんだ。
演奏者に取り囲まれて、現場で出ている音を浴びながら、オオウエエイジのブレスといっしょに息を吸って。
それは、しあわせっていうんだろうなあ。
もちろん、ソリストや楽器、特にソロ楽器を聴くには、音響的にいい位置っていうことではないんだけれどもね。あしたも聴ける、っていう安心感から、そんなこと全く気にならなくって。花道のバスドラもバンダもあしたに任せて。
ひたすら気持ちよさを浴び続けていたよ。
そうやって聴くと、ヴェルディのレクイエムって、声楽曲なんだね。キャッチーなところはディエス・イレに任せて、特に後半戦は声楽のソロと合唱が、丁寧に音楽を作っていく。
テレビ中継とかで、指揮中のオオウエエイジの表情を見るのって珍しくないのだけれども、実際に演奏者の中に入って(いるような位置から)見るのはまた、格別だね。
そして、もう一つ、格別だったのは。
鳴りやまぬカーテンコール。指揮台に戻るオオウエエイジ。2006年は、特別な年になりました、っていう挨拶。そして、モーツァルトイヤー最後の最後で、オオウエが初めて、モーツァルトを振った、アンコール。
アヴェ・ヴェルム・コルプス。
この、たった34小節(だったよね?)の曲。僕にとっても、特別な曲なんだよね。前に言ったっけ? 合唱団に混じって、二昔以上前を想い出しながら、そしてモーツァルトの天才を噛みしめながら、いっしょに口ずさんだよ。
ありがとね。オオウエエイジに。年末の第九の時期に大変な思いをしたであろう合唱団に。そして、この席を取れた幸運に。
そして、ヴェルディのレクイエムを、平常な気持ちで聴かせてくれた、時間の残酷さと暖かさに。ありがとう。
さて、二日目は、いつもの席で。
なんか二日ともぎりぎりに滑り込んで慌ただしく始まっちゃったんだけれども。ちょっともったいないなあ。
昨日、あれだけインパクトがあった出だしの”レクイエム”。こっち(表側)で聴いたらどうなんだろう、って構えてたのだけれど。それはやっぱり昨日のようなインパクトはなくって。あたり前だけれどもね。
その分、今日は楽器のおもしろさが際だった。その度に花道を歩いて叩きに来るディエス・イレの大太鼓。そして、ディエス・イレの後に出てくる、ラッパのバンダ。
二階席の左右からふたりずつのラッパが参加するんだけれどもね。ただそれだけ、4人が演奏に加わっただけなのに、音がっていうか場が変わるんだよね。前で演っているのを聴いていたつもりが、一瞬で自分が音の真ん中にいる。これってすごいよね。ムーティの時ってどうだったんだろう。NHKホールの三階席の一番後ろだったから、あってもわかんなかっただろうけれど。
そして。
最後の、リベラ・メ。
合唱の、最後の声が静かに音をなくしていって。
オオウエエイジの背中が、静寂を作る。
オオウエエイジの背中が、静寂の時を刻む。
オオウエエイジの背中が、緊張を強要する。
その緊張がふっと消えたあと、静かに起こる拍手。決して爆発的ではないけれど、すぐに大きく育つ、拍手。
オオウエエイジって、静寂を自分で好きなだけ、作れるんだね。
二日目のアヴェ・ヴェルム・コルプスも、ちょっとだけいっしょに口ずさんだよ。
ありがとうね。
何日か後に、来年の定期のプログラムが送られてきて。もちろん僕は、来年も聴きにいくよ。楽しみにしてるね。
では、よいお年を。
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