2007年のコンサートへ


2006/12/7,8
ヴェルディのレクイエム
2006/11/17
ブランデンブルグ協奏曲
2006/10/11
オオウエのチャイ5
2006/09/18
尼オケの悲愴
2006/9/15
401回定期
2006/08/27
オオウエの英雄
2006/7/7
モーツァルト!
2006/6/15
ライン
2006/5/24
ペレアスとメリザンド
2006/5/3
高槻JazzStreet
2006/4/29
星空コンサート
2006/4/26
Osaka International Festival
2006/4/20
英雄の生涯
2006/4/16
ayumi hamasaki 2006
2006/3/23
Jimmy Scott @ BN
2006/3/17
コバケン/我が祖国
2006/2/17
NODA・MAP
2006/02/16
オオウエ@OSAKA
2006/02/14
  オオウエ@TOKYO


2005年以前のコンサート


2000年のコンサート


本ページのすてきな壁紙などは、Nagisaさんの作成したものを使わせていただいています。

 

2006年12月7日、8日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第404回定期演奏会
大植英次:指揮
澤畑恵美:ソプラノ
秋葉京子:アルト
佐野成宏:テノール
ロバート・ハニーサッカー:バリトン
大阪フィルハーモニー合唱団:合唱
ザ・シンフォニーホール 2階W列10番 B席(7日)、1階J列30番 A席(8日)

ヴェルディ:レクイエム

レクイエムの、ウラオモテ

 ちょっとした事情があってね、たぶん定期では初めてになるんじゃないかと思うのだけれども、二日とも聴いたよ。ヴェルディの、レクイエム。
 まあ、そんなに複雑な事情ではないのだけれどもね。僕はいつも、二日目に聴きにいくのだけれども、ちょうどその日、大事な会議があたるかどうか、直前までわからなくって。ウェッブでクワイア席売出の情報があったから、一日目のチケットをそっちで予約して。
 結果的に二日とも行くことができたのだけれども。

 だから、最初の日は合唱団員さんの頭の陰からオオウエエイジの顔を見ながら、二日目はいつもの場所から、レクイエムを堪能したよ。

 たぶん、ムーティのこの曲を聴いたときにも書いたと思うのだけれども。派手な曲、っていうイメージがあるよね。フォーレとか、モーツァルトのレクイエムと比べると顕著なのだけれども。もちろん、CMとかエヴァンゲリオンのBGMとかに派手に使われていたディエス・イレ(怒りの日)が有名だから、なんだけれども。
 でも、実際に聴くヴェルディのレクイエムは、決してそれだけではないんだよね。

 初日。僕の席は、クワイア席の、普通の客席から見たらちょっと左の、一列目。ステージ上にひな壇君で並んでいる合唱団が起立したら、その頭のすきまからオオウエエイジが見える、くらいの一体感のある席。合唱団との距離は、モグラ叩きのモグラくらいの距離かな。
 合唱団がいるからだろうけれど、珍しく2ベルが鳴ってから整列して入ってくるオケと合唱。そしてソリスト。
 そして、オオウエエイジ。

 静かに始まった曲。そして、合唱の第一声。
 ”レクイエム”
 ぞぞぞ、って、したんだよね。
 モグラ叩きが出来そうなほどの距離に、横一列に、奥行き何列にも並んだ合唱隊から、ささやくような男声の”レクイエム”。これだけでね。
 これはもうね、いつもの席から聴いている、前方のステージで奏でられている演奏、っていうものとは全く違う距離感。僕の前には、ベースの男声が列をなしていると思うのだけれども、そのユニゾンが醸し出す立体感、っていうかね。
 ああ、これは、演奏者の位置なんだ。
 演奏者に取り囲まれて、現場で出ている音を浴びながら、オオウエエイジのブレスといっしょに息を吸って。
 それは、しあわせっていうんだろうなあ。

 もちろん、ソリストや楽器、特にソロ楽器を聴くには、音響的にいい位置っていうことではないんだけれどもね。あしたも聴ける、っていう安心感から、そんなこと全く気にならなくって。花道のバスドラもバンダもあしたに任せて。
 ひたすら気持ちよさを浴び続けていたよ。

 そうやって聴くと、ヴェルディのレクイエムって、声楽曲なんだね。キャッチーなところはディエス・イレに任せて、特に後半戦は声楽のソロと合唱が、丁寧に音楽を作っていく。
 テレビ中継とかで、指揮中のオオウエエイジの表情を見るのって珍しくないのだけれども、実際に演奏者の中に入って(いるような位置から)見るのはまた、格別だね。

 そして、もう一つ、格別だったのは。
 鳴りやまぬカーテンコール。指揮台に戻るオオウエエイジ。2006年は、特別な年になりました、っていう挨拶。そして、モーツァルトイヤー最後の最後で、オオウエが初めて、モーツァルトを振った、アンコール。

アヴェ・ヴェルム・コルプス。

 この、たった34小節(だったよね?)の曲。僕にとっても、特別な曲なんだよね。前に言ったっけ? 合唱団に混じって、二昔以上前を想い出しながら、そしてモーツァルトの天才を噛みしめながら、いっしょに口ずさんだよ。
 ありがとね。オオウエエイジに。年末の第九の時期に大変な思いをしたであろう合唱団に。そして、この席を取れた幸運に。
 そして、ヴェルディのレクイエムを、平常な気持ちで聴かせてくれた、時間の残酷さと暖かさに。ありがとう。

 

 さて、二日目は、いつもの席で。
 なんか二日ともぎりぎりに滑り込んで慌ただしく始まっちゃったんだけれども。ちょっともったいないなあ。

 昨日、あれだけインパクトがあった出だしの”レクイエム”。こっち(表側)で聴いたらどうなんだろう、って構えてたのだけれど。それはやっぱり昨日のようなインパクトはなくって。あたり前だけれどもね。
 その分、今日は楽器のおもしろさが際だった。その度に花道を歩いて叩きに来るディエス・イレの大太鼓。そして、ディエス・イレの後に出てくる、ラッパのバンダ。
 二階席の左右からふたりずつのラッパが参加するんだけれどもね。ただそれだけ、4人が演奏に加わっただけなのに、音がっていうか場が変わるんだよね。前で演っているのを聴いていたつもりが、一瞬で自分が音の真ん中にいる。これってすごいよね。ムーティの時ってどうだったんだろう。NHKホールの三階席の一番後ろだったから、あってもわかんなかっただろうけれど。

 そして。
 最後の、リベラ・メ。
 合唱の、最後の声が静かに音をなくしていって。

 オオウエエイジの背中が、静寂を作る。
 オオウエエイジの背中が、静寂の時を刻む。
 オオウエエイジの背中が、緊張を強要する。

 その緊張がふっと消えたあと、静かに起こる拍手。決して爆発的ではないけれど、すぐに大きく育つ、拍手。
 オオウエエイジって、静寂を自分で好きなだけ、作れるんだね。

 二日目のアヴェ・ヴェルム・コルプスも、ちょっとだけいっしょに口ずさんだよ。

 ありがとうね。
 何日か後に、来年の定期のプログラムが送られてきて。もちろん僕は、来年も聴きにいくよ。楽しみにしてるね。

 では、よいお年を。

Topに戻る

2006年11月17日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第403回定期演奏会
ヘムルート・ヴィンシャーマン:指揮
ザ・シンフォニーホール 1階J列30番 A席

J.S.バッハ:ブランデンブルグ協奏曲 全曲

 もう、2年と半年も前になるんだね。
 ヴィンシャーマンのバッハ。管弦楽組曲。

 演奏は、もうあんまり覚えてないけれどもね。シンフォニーホールのステージが、やたら大きく見えた小編成で、しかも最初に予定されていた指揮者の病欠でのピンチヒッターで。
 だからあんまり期待してなかったんだけれどもね。僕は大編成の交響曲が好きだから。

 でも、終わってみれば。
 僕は打ちのめされたんだよね。ノックアウト。そのころ聴いていた2階席から退出する途中、目を真っ赤にして一人で座っていたおねえさんのことは、未だに覚えているよ。
 そう。あれは、僕の中で特別な演奏会だったんだよ。

 たぶん、そう考えたのは僕だけではなかったようだね。今回の定期は、同じヴィンシャーマンの指揮で、バッハの、ブランデンブルク協奏曲、全曲。
 だから、今年のメインの演奏会、くらいに期待して、行って来たよ。
 とはいえ、もうかなり時間がたっちゃったからね、細かいことはあんまり鮮明ではないのだけれども。

 その日は、結構どたばたしていてね。ロビーにたどり着いたのは、開演の7,8分前だったのかな。ああ、あんまり人が居ないな、地味なバッハだからかな、とか思っていたのだけれど。
 ホールに入ったらね、それは間違いだってわかったよ。結構な人のいり。クワイア席に少しだけ空席があったけれど、あとはほぼ満席っていっていいんじゃないかなあ。みんな2年前を覚えていたのかな。いいお客さんだね。

 しかしまあ。2年前と比べてもさらに小さい編成だね。一生懸命数えたんだけれども、何人いるかは忘れちゃったけれど。20人か30人くらいだっけ。でも、コルボは10人くらいでモツレクやったからなあ。
 大フィルの定期ではかなり珍しいんだけれども。2ベルが鳴ってから整列して出てくる楽員さん。とはいってもそんなに人数いないんだけれどもね。
 そして、入ってきたヴィンシャーマン。相変わらずでかい。小さい編成のアンサンブルだからだろうけれど、指揮台はなかったのだけれども、それでもたぶんオオウエエイジよりも打点が高い、はず。

 曲が始まって、何曲か経ってから、はじめて気がついたんだよね。ブランデンブルグ協奏曲って、協奏曲やん。いや、字面を見てるとあたりまえなんだけれどもね。オータイサンって、胃薬なんや、っていうくらい新鮮な驚き。
 全6曲の協奏曲集で、フィーチャーされる楽器が、全体の編成が曲ごとに違うから、1曲終わると楽団員が退場して、セッティングいじって。

 僕は、最初の弦の響き(よく練習してるなあ、っていうのがすごく伝わってくる丁寧なアンサンブルだったんだよ)や、チェンバロのバランス(全体が少人数だからね、音量の調節が出来ないチェンバロが、相対的に大きくきこえてくるんだよね)が、何とも気持ちいいなあって、ちょっとうとうと。
 3曲目の、バロックトランペットの音色でまた、目を醒ましたけどね。でもバロックトランペットって不思議だよね。一音だけで明らかに普通のB♭管やC管とはちがう、バロックの音がするんだよね。
 そんなこんなで、バロックの音を満喫した前半でした。

 後半はね、しっかりと目を醒まして。ヴィオラ・ダ・ガンバっていう、チェロとシタールを合わせたような楽器や、リコーダーの珍しい音色を堪能したのだけれど。

 もちろん、それはそれでとっても楽しい演奏会だったのだけれども。でもそれは、僕がバッハについて持っている、どこまでも心地のよい音楽、っていうイメージをそのまま体現したものなんだよね。前回の管弦楽曲集のような、え、バッハで、っていうくらいのどうにもいたたまれずに全部持ってかれてしまうっていう驚きとは、別のものだったな。今回は。
 もちろん、そういうものに驚かないぞ、って全身に力入れて構えてたから、っていうこともあるんだろうけれど。

 まあでも、楽しく聴けました。
 ありがとね。

Topに戻る
 

2006年10月11日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第402回定期演奏会
大植英次:指揮
長原幸太:ヴァイオリン
秋津智承:チェロ
ザ・シンフォニーホール 1階J列30番 A席

ブラームス:ヴァイオリン、チェロと管弦楽のための協奏曲
チャイコフスキー:交響曲 第5番

 いやあ。
 満たされるって、こういうことを言うんだろうね。

 大阪狭山の長原君で始まった秋のチャイコフスキーフェア。たぶん最後の今回は、あの曲。5番。
 あの曲って言うのはね、もう5年も前だけれども、名古屋でじいさんが、生涯最後に振った曲。その2週間後に僕が大阪で聴くはずだった曲。じいさん最後の演奏のCDを、僕が未だに聴けない、曲。

 とかいって、そんなにしんみりしてたわけじゃないんだけれどもね。だって、この日の朝になるまで、今日の演奏会、誰が振るのか、なんの曲やるのか全然知らなかったし。
 だから、ブラームスとチャイコフスキーって、ちょっとびっくり。
 両方ともマイブームだからね、ちょうど今。

 まあ、そのことについては別のところにいつか書くとして。
 ちょっと夕方ばたばたしていて、開演5分前にあわてて入ったら、ロビーに鳴り響くオルガン。ああ、1ベルのかわりにこんなことしてるんだ。全然知らなかった。
 そして、ホールに入ってびっくり。みっしり満員はもちろん、補助椅子まで入って。そういえば久しぶりのオオウエエイジの定期だもんね。いろんなところでよく見るから、ちっとも久しぶりではないのだけれど。

 さて、ダブルコンチェルト。
 僕はこのまえのチャイコフスキーから、長原君のソロのファンだからね、もう聴く前からイっちゃう構え十分。
 この曲は、じいさんのブラ4聴きに東京行ったときに、サントリーホールで聴いたんだな。相変わらず、コンチェルトの曲のことはよくわからないのだけれども。
 ただ、あのときに思った、新日フィルって柔らかいな、って言う感想。大フィルで聴いた今回も、同じように思ったんだよね。これはブラームスの音、なんだろうね。きっと。
 ブラームスって、あんまり特徴のない、まじめな作曲家、っていうイメージだったんだけれども。なんか、他の作曲家の曲とは響きが違うんだね。
 なんていうんだろう。ハレーションを起こすんだよね。ハレーションって言うか、昔カセットテープで生録するときに、録音レベルを上げちゃうと、フォルテ以上の音が飽和しちゃってみんな同じに聴こえたでしょ。そういう感じ。音量的に大してでているわけではないのだけれど、音質的にもう無理、ってなっちゃんだよね。
 だから、ブラームスの曲って言うのは、生で聴いてるのに、昔FMをカセットでエアチェックしたのと同じ音がするの。なんなんだろうね。え、褒めてるように聞こえない? いや、良かったよ、演奏。ちょっと長いけれど。
 最初のチェロのブンッ、って言うところとか、何度も弓の弦を切る長原君とか。

 でも、ごめんね。
 次の曲聴いちゃったら、印象薄くなってもしょうがないよね。

 って言うわけで、あの曲。

 最初にいっておくと、今までのオオウエエイジの演奏の中で、三本指に入るよ。
 純粋に、わくわくする楽しさ、聴いてる間のしあわせさでいったら、復活とどっちか、って言うくらいの演奏。

 忘れないうちに書こう、と思って演奏会の次の日に書いてるんだけれども。もう、何から書いていいのかわからないくらい、聴き所満載。

 先ず、曲だね。
 僕はこの曲を生で聴くのは3回目らしいのだけれども、知らなかったよ。こんな曲なんだ。こんな曲って言うのはね。
 この曲、旋律が二くらいしかないの? 楽章がかわっても、ずっと同じテーマが流れてて。それがなんか、感情的に入り込みやすいんだよね。すぐにおなじみのメロディになって親しみが持てる。
 そのおなじみのメロディが、いろんな楽器のソロに奏でられて。
 そのソロがね。

 第1楽章の、ファゴットのソロ。
 なんだこれ。聴いたことのない音。
 僕は今まで、ファゴットの音って、堅い木でできた芯を、フェルトで包んだような音だと思ってたんだよね。ところがね、このファゴットは、フェルトのかわりに綿入りの毛布で大事にくるんであって。柔らかいんだけれども、堅い芯がはっきりわかる。
 ぞくぞくって、こういうことを言うんだよね。
 そのあとのフルートが、やけにつまらなく聴こえるくらい、すごかったよ。
 しかも、ファゴットは各楽章に短いソロがちりばめられていて。これだけでも大当たり、なのに。
 なのに。

 ホルン。
 この週末に、ヴァンド/ベルリンのブル9を聴いたところで。あのホルンが至高のホルンなんだなあ、って思っていたのだけれども。
 やっぱり生で聴いた方がいいよね。
 しかも、完璧なホルン。完璧な唄。
 一つ、出だしへくっちゃったけれど、そんなこと全く問題にならないホルン。いつぞやの、パヴァーヌを思いだしたよ。

 それから。
 ブラームスのところで、音がハウっちゃうっていったけれども。チャイコになったらそのリミッターなんか易々と乗り越えちゃって。しかもセカンドヴァイオリンを右に持ってくる編成で、ファーストとセカンドの掛け合いがステレオ効果で解像度が上がって。
 ブルックナー張りの全休止とか、楽章の終わりで聴かせる、完璧なアンサンブルとオオウエエイジの背中から生まれる緊迫感。
 リミッター取り払った弦のトゥッティの迫力と、それを突き破るティンパニ。
 そして、フィナーレのクライマックスで全てを支配するラッパ。
 指揮台の上で、ラッパだけを指し続けるオオウエエイジ。

 嵐のような拍手。

 もちろんこの曲は、歓び一辺倒の曲ではないのだけれども。でも隅々まで人間の感情でできあがってる、しかも過剰な感情でできあがってるチャイコフスキーは、オオウエエイジによく似合うよね。

 いつもより多いカーテンコール。袖でステマネが楽団員に「散れ、散れ」って手を回しているのだけれど、素知らぬ顔で残る楽団員。出てくるオオウエエイジ。
 二階席では立ってる人がかなりいたけれどね。僕も立ちたかったな。それで、ファゴットの人には、bravoって、声かけたかったな。

 ありがとうね。オオウエエイジ。

Topに戻る

2006年9月18日
尼崎市民交響楽団 第21回 定期演奏会
辻 敏治:指揮
アルカイックホール 自由席

えロール:歌劇 『ザンパ』 序曲
シューベルト:交響曲 第5番
チャイコフスキー:交響曲 第6番 悲愴

 毎年恒例の、秋の風物詩だね。
 最初に来たのが、星野阪神がマジック1で盛り上がってたときだから、何年前になるんだろう。もうかなりの常連さんだよね。

 と言うわけで、尼オケの定期演奏会。

 駐車場にクルマ入れるのに思ったよりも手間取って、おなか空きまくりなのに食べる時間がなくって。とるもとりあえず客席に入って。今年はかなり前で見ることにしたよ。5列目くらいの、真ん真ん中。

 一曲目のザンパはね、これぞ序曲、っていう感じのにぎやかな曲で。ブラスが活躍する曲はもう少し後ろの方が聴きやすいのかなあ、とか思ってたんだけどね。

 でも、次のシューベルト。
 シューベルトって、何かとらえどころのない作曲家なんだよね。歌曲(軽音楽)の作曲者だと思ってたら、グレイトとか未完成とか、とんでもなくおっきな交響曲を、あの時代に作っちゃうしね。あの時代ってホントはよくは知らないけれど、鱒とか魔王とかでしょ。あんまりこっち(新しい時代)とは思えないよね。
 そのシューベルトの、5番。もしかしたら聞いたことあるのかも知らないけれど、全く予備知識がなくって。
 そうしたらね、これが。
 いいんだ。

 弦楽中心の、さっと書きの素直な曲なんだけれども。ひとつのフレーズが4小節で、ちゃんと完結する。ヘンな展開とかコードとか全くなくって、最初の2小節を聞けば知らなくても次の2小節が歌えちゃうような曲なんだけれども。
 それが、ひたすら続くんだよね。
 これってすごく気持ちいい。バッハのようなドラマチックな単調さも、モーツァルトのようなぎりぎりと締め上げるような隙のなさもなくって、緩い、ひたすら気持ちいい交響曲。
 しかも、指揮の辻さんは結構こまめにテンポを動かしているようなのだけれども。自信を持って、一糸乱れずにそのフレージングについて行く弦楽器。
 アマチュアのオーケストラって、ひとつの曲に時間をかけるじゃない。プロみたいにいいとこ3日リハして本番、って言うわけにはいかないから。もちろん、楽器の練習それ自体はプロの方が遙かにしているし、曲の理解も深いのだろうけれど、このフレージングのそろい具合だけは、プロではあんまり聴けないんだよね。
 あと、この曲だったかどうか自信がないんだけれど、アルトクラ(だよね、バスクラの音じゃなかったから)の結構長いソロがご機嫌でね。ああ、シューベルトっていいんだ、って言うのと、まじめに練習しているアマチュアオケって、いいなあって。
 何か得した演奏だったな。

 休みあけて、悲愴。
 僕はこの曲が、いまいちつかめないんだよね。それこそレコードの時代からディスクはいくつも持っているし、じいさんでもオオウエエイジでも聴いているんだけれども、よくわからない。
 わからないのは、なんで悲愴って言うか、なんだよね。結構派手な曲でしょこれ。しかもメロディが魅力的だし。
 とか思ってたんだけれども。やっとわかったような気がするよ。悲しいんじゃなくって、せつないんだね。悲愴って。

 このごろ、僕の中ではチャイコフスキー株が急上昇していて。このまえの長原君のヴァイオリン協奏曲もそうだし、その前の野外の1812年もそうなんだけれども。ああ、ロマンティックってこういうことなんだ、って。ちょっと前まで、その剥き出しのぎらぎら感がちょっと、とか思ってたんだけれども。僕の脂が落ちてきたのかな。ついでに体脂肪も落ちてくれるといいのだけれど。

 演奏はね、ああ、荒いな、って。その前のシューベルトに比べると、フレーズの切り方がぶつ切りだったり、テンポの変化について行けないところがあったりして。ああ、シューベルトいっぱい練習したのかな、とか思ってたんだけれどもね。
 でも、そのうちそんなことどうでも良くなってきた。
 アルカイックホールって、結構デッドでね。その中で、前から5列のかぶりつきで、直接音の、しかも荒っぽい演奏を聴いているとね。
 ああ、この曲って、悲愴なんだ、って。
 もちろん、初演の10日後に服毒自殺を命じられたとかそういうプログラムにかけられた呪にかかってる部分だってあるんだろうけれどもね。

 この曲聴くと必ずそうなんだけれども、3楽章の終わりで拍手したくなるんだよね。あれ、4つ目終わったよねって。どうも1楽章のアレグロになるところをカウントしてしまっているらしいのだけれども。

 でも、もちろんホントのフィナーレはその後で。
 4楽章のトロンボンからあとはね、ホントにやばかった。目頭が熱くなって。
 そして、ラスト。
 ラストは、低弦のロングトーンで終わるのだけれども、その時に、もう出す音のないヴァイオリンの人たちが目に飛び込んできてね。自分の音はもう無いのだけれど、まだ一緒に音楽を作っている。
 デッドなホールに、ディミニエンドした低弦のロングトーンが、いつの間にか吸い込まれていっても、指揮者の背中が、そしてオケの全員が、まだ音楽を作っている。
 ホールに留まっていた音楽が、完全にいなくなってからの、拍手。

 こんなこと、そうはないよ。
 おめでとう。

 アンコールのトゥーランドットは、これでもかの泣かせ演出だったのだけれども、今日は気持ちよく、それにのってあげるね。

 すごい、演奏会だったよ。
 ありがとね。

 あれから、居酒屋で残波を飲むことが多くなったよ。

Topに戻る
 

2006年9月15日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第401回定期演奏会
イルジ・ビエロフラーヴォク:指揮
長谷川陽子:チェロ
ザ・シンフォニーホール 1階J列30番 A席

ヤナーチェク:歌劇 死の家の記録 序曲
シューマン:チェロ協奏曲
マルティーヌ:交響曲 第4番

 尼オケの感想先に書いちゃったから、って言うのもあるんだけれども。なんかとっても、印象の薄い演奏会だったんだよね。今にして思えばね。

 ああ、ヤナーチェクって、どう切り取ってもヤナーチェクなんだ、とか。それくらいしか覚えてないや。
 ああ、もう一つ。後半にやった交響曲。
 たぶん、別に。演奏のせいじゃないと思うんだけどね。でも。
 圧倒的に、曲がつまらないんだよね。
 僕の好きなブルックナーやベートーヴェンや。このごろ好きなチャイコフスキーやこの前よかったシューベルトや。。特に好きとかではないけれど、ブラームスやマーラーや。そういう有名な作曲家って、ただ運がよくて有名になって、ただ運がよくて現在まで残ってるわけじゃないんだよね。
 やっぱり、曲としての質が、高いんだ。
 この演奏会を聞いて、そう思ったよ。
 別に何がどうってわけではないんだけれどもね(覚えてないから)。ただ、なんか気持ちよくない。このあとどうなるんだろう、って興味が湧かない。

 ずっと前におんなじように曲のせいにした現代曲みたいに積極的に不快だ、とかそういうわけでは全然ないのだけれど。ただ、興味が持てない。
 こういう曲は、ある日突然好きになる、っていう可能性もないんだろうなあ。

 ああ、その前のチェロはね、とってもよかったんだけれども。おねえちゃんが軽々と運んでる姿を見ると、チェロって軽いんだね。まあ中空だからね。

2006年8月27日
第48回 南海コンサート
大植英次:指揮
長原幸太:ヴァイオリン
大阪フィルハーモニー交響楽団
SAYAKAホール 自由席

チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲
ベートーヴェン:交響曲 第3番 「英雄」

 八月はシンフォニーホールの改修だから、コンサートは一休み、と思っていたのだけれどもね。
 この半年、と言うか一年半の間、僕の生活の大きな部分を占めていたものがようやく(ほぼ)終息してね。ちょうどいい日にぽっかりあった演奏会、覗いてきたよ。
 とはいえ、あいもかわらずオオウエエイジなのだけれども。

 と言うわけで、オオウエエイジ、夏の終わりの地方巡業(近場限定)第一弾、大阪狭山に行って来たよ。

 定期の会場で買ったきり、チケット全然見なかったからね、会場に行ってはじめて知ったんだ。自由席だってこと。
 40分も前についていたのに、のんびりお好み焼きなんて食べていたものだから、ぎりぎりに入って空いていたのは2階席のはじっこ。まあ、小さい小屋だからそれでも十分なんだけどね。

 一曲目は、ちょっとこじんまりした編成で、チャイコフスキーのヴァイオリンコンチェルト。独奏は長原君。もうおぼっちゃま君って言わないよ。
 僕はあんまり期待していなかったんだけれどもね。これがね、すごい。小さいとはいえ第一ヴァイオリン10人くらいの編成の中で、長原君のソロが突き抜ける。どこをとってもチャイコフスキーって言う、男性的なロマンティシズムを堂々と発散させながら。(いや、別にチャイコフスキーがホモだからっていうわけではないと思うんだけれど)
 めちゃくちゃかっこいい。
 最後の方の、聴いているだけで息の詰まるような超絶技巧も、音量そのままで弾ききって。
 もう何やっても大受け状態のアンコールの唄もの、コンマス就任2周年の長原君、成長したね。

 休憩はさんでお次は、待ってましたの英雄。
 あれ、なんか眺めが違うな、と思ったら、第2ヴァイオリンが右側に来る両翼の編成でね。オオウエエイジはベートーヴェンの時はこれ多いのかな。でも、同じ演奏会でがらっと変わるのは珍しいね。
 編成も大きくなって、第1ヴァイオリンがひいふう、あれ、15人? 珍しい数だな、と思ったら(普通、14とか16とか偶数が多いよね、譜面台を二人で一個使うからかな)、一番後ろに長原君がちょこんと座ってた。

 英雄だよ。
 僕にとっての英雄は、あの、じいさんの演奏がリファレンスだから、あんまり許容範囲広くないんだよね。だから、期待半分怖さ半分。
 最初の音二つでね、あ、速い。
 響きは軽くないんだけれども、かなり速い。
 でもね、そんなことは全く気にならないくらい、このときは長原君にやられちゃってたからね。もう、何をやっても大受け状態。あくまで僕が、ね。
 オオウエエイジの英雄は、じいさんみたいに緊張感に満ちた演奏ではないけれど、丁寧なアンサンブルで、ゆったりと曲が流れていく。
 葬送行進曲も、たぶんスコアにとっても忠実で、ベートーヴェンのたくらんだギミックがよくわかる演奏。
 そして、トリオ。
 オオウエエイジになって、一番かわったのはたぶん、ホルンパートだよね。僕は宇野のじじいのしょうもないライナーで、大フィルのホルンは上手くない、ってすり込まれてしまった可哀想なヒトなんだけれど、このトリオだけで、そんな刷り込みは吹っ飛ぶような、すごい演奏だったよ。
 フィナーレもね。

 手が熱くなりながら、ずっと拍手しながら思ったんだけれども、この演奏会、オオウエエイジの背中をほとんど見てないや。いつもはオケよりもオオウエエイジの背中を見てることが多いのに。
 それだけ、演奏に目と耳がいってた、ってことだよね。

 アンコールのピチカートポルカは、これはもう、オオウエエイジの独演会だったけどね。

 こんな王道なプログラムで、地方のホールを満員にして。
 でも、こんな王道なプログラム、シンフォニーホールでこそ聴きたいよ。
 駐車場からクルマ出すのに、1時間近くかかったけれど、そんなこと全く気にならないくらい、とってもいい演奏会だったね。
 ありがとう。

Topに戻る

2006年7月7日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第400回定期演奏会
大野和士:指揮
中村 功:打楽器
ザ・シンフォニーホール 1階J列30番 A席

モーツァルト:交響曲 第33番
細川俊夫:打楽器協奏曲 旅人
ショスタコービッチ:交響曲 第15番

 やばいなあ。
 どんどん後ろにずれてるね。アップするのが。

 まあいいのだけれど。
 400回目の大フィル定期。とはいえ音楽監督のオオウエエイジが振るわけでも、なんか記念演奏会的なイベントがあるわけでもなかったのだけれど。
 大野和士って、人気者なのかな。会場は結構な入り方。オオウエエイジ以外でこんなにはいるなんて珍しいよね。

 最初の、モーツァルト。
 ぼくは、思わず笑っちゃったよ。
 だって、最初の一音出た瞬間に、それはもう紛れもなくモーツァルト、なんだもん。演奏がどうとか、音色がとかバランスがとか、そんなこと全く問題にならずに、どうやってもモーツァルト。
 こういう曲を演奏するのって、どういう気分なんだろう。演奏あるいは解釈によってなんにも付け加えられない無力さもどかしさを噛みしめるのか、それともどうやっても壊れないからって開き直って好き勝手やるのか。そうじゃなくってその中で至高のモーツァルトを求めるのか。
 僕はあんまりやりたくないなあ。

 でも、前は同じ理由であんまり聴きたくないなあ、って思ってたんだよね。それがね、今回。もうあまりのしあわせさ加減で、ああ、モーツァルトっていいなあ、って。
 僕は、演奏する立場から音楽に入っていってるから、演奏者の匂いがぷんぷんする演奏が好きなのだけれども。だから、モーツァルトの音楽って、汗くさくないフュージョンと同じで演奏者の匂いがしないから、なんかなあ、って思ってたのだけれども。
 そういうことをひっくるめて、モーツァルトっていいなあ、って。っていうか、モーツァルトっていう奇蹟を生み出した人間って、捨てたもんじゃないなあ、って。
 最初の一音のインパクトで、そんなこと考えてたよ。それは演奏に依存した気持ちの良さではないから、ものすごく安心して身をゆだねられるんだよね。
 ああ、これがクラッシックの良さか、って。演奏者とか気にしないで、名曲大全集80枚組とか聴いている人が感じてる良さって、こういうのなんだろうね。これもありだね。

 なんかめちゃくちゃくつろいで満足しちゃったんだけど。次は打楽器の協奏曲。これと、次のショスタコも打楽器7人とかの編成で。今日のお客さんは吹奏楽部の打楽器奏者とか多いのかな。心持ち若めだし。
 でもね。もう日にちが経ってるから、ってのもあるんだけれど。ごめんなさい。なんにも覚えてない。天上界から帰ってこれなくてうつらうつらしてたんだと思うんだけれども。ほんと、ごめんなさい。協奏曲って、苦手なんだよね。

 というわけで、休憩あけのショスタコ。
 なんかパンフレットにね、後期ショスタコの特徴は軽さとか、中身のなさとかだよって、そんなこと書いてあるからね。なんだそうなんだ、って感じで構えてたんだけれども。
 確かに1,2楽章はまあ軽い音楽なんだけれども。
 でも、いいやん、こういうの。
 よく鳴るオケで、軽妙で軽い、それでいて大編成でブ厚い音楽を聴くのって、快感だよね。
 とか思ってたのは2楽章の途中くらいまでで。
 そっから先は、えっ、これって十分ショスタコやん。そりゃあレニングラードのような胃が痛くなるような緊張感はないけれど、なんかちょっと、しこりが引っかかるようなテンションは十分ショスタコービッチ。
 しかもバンダも入ってもう、ホールは音の洪水。やるなあ、大野和士。

 8月はホール改装なんだね。どんなホールに生まれ変わるんだろう。楽しみだね。
 

Topに戻る

2006年6月15日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第399回定期演奏会
広上淳一:指揮
シャロン・ベザリー:フルート
ザ・シンフォニーホール 1階K列35番 A席

武満 徹:弦楽のためのレクイエム
グヴァイドゥーリナ:フルート協奏曲 希望と絶望の偽りの顔
シューマン:交響曲 第3番 ライン

 岩城さんが、亡くなっちゃったね。
 ぼくの思いの丈は、blogのほうに綴ったから、ここではもう繰り返さないけれど。
 心を込めて、合掌。

 というわけで、399回目の定期演奏会は、岩城さんに捧げる武満から始まった。
 広上さんのしゃべり。ちょっと名前が定かではないけれど、岩城さんの他にもうひとかた、楽壇にとって大切な人が亡くなったらしい。
 そして、二人に捧げたレクイエム。
 
 別に、追悼プログラむくんだわけではないのだけどね。偶然。
 もちろん、あんまり解りやすいとは言えない武満なんだけどね。岩城さんがアンサンブル金沢のために、自腹で現代作曲家に嘱託してた、なんて聞くと、襟を正して聴くしかないよね。
 追悼演奏だからね。みんながそれぞれ、岩城さんの想い出に浸ってか、中途半端な拍手。綺麗な曲だね。
 
 そのあとは、お姉ちゃんのフルート協奏曲。なんとこのお姉ちゃん、フルート3本持ち込んだ。普通のやつに加えて、アルトとバスフルート。でか、っていうか長い。
 曲のほうはね、バスドラを横置きにして、ティンパニみたいな叩き方の上にバストロのペダルトーンが被さって。
 要は吹奏楽曲にありがちな音色、リズム。
 それと、低音の響くフルートのソロ。それが耳に心地よくって、かなり本格的にうとうとしちゃったよ。ああ、気持ちよかった。
 この曲、このお姉ちゃんのために作ったんだね。他に吹ききれるヒト、いるのかな。
 うとうとしてた身には、カーテンコールの熱狂ぶりがよく解らなかったのだけれども。
 
 そして。
 今日のメインは、ライン。
 じいさんの録音がいくつか残っているこの曲、とはいえほとんど聴いたことがないんだけれどもね。
 
 この曲ね、この演奏。
 なんていったらいいか解らないんだけれども、いいよね。
 なんか、アナログレコードの音っていうか、フェスティバルホールの響きっていうか。
 Hi-Fiじゃないんだよね。解像度が低いっていうか。
 でも、これが音楽、なんだよね。あったかい。
 そして、なんだか懐かしい響き。
 
 ぼくが大フィルを一番最初に聴いた、フェスの2階席に響いたブラームスの1番って、きっとこんな響きじゃなかったっけな。って思うほど懐かしい響きが、シンフォニーホールに充満したよ。
 
 なんか久しぶりに、じいさんがそこらへんに降りてきているような、そんな演奏だったね。
 
 なんか、思わぬもうけものをしたかんじで、思わず頬がゆるみっぱなしの帰り道だったよ。

Topに戻る
 

2006年5月24日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第398回定期演奏会
若杉 弘:指揮
近藤政伸:ペレアス
浜田理恵:メリザンド
星野 淳:ゴロー
斉木健詞:アルケル王
寺谷千枝子:ジュヌヴィエール
日紫喜恵美:イニョルド
田中 勉:羊飼い/医師
ザ・カレッジ・オペラハウス合唱団
ザ・シンフォニーホール 1階J席30番 A席

ドビュッシー:歌劇 ペレアスとメリザンド

 あらら、月日の経つのははやいねえ。
 ばたばたした日常をやり過ごしているうちに、結構日が経っちゃったね。
 
 大フィルのオペラ。
 オオウエエイジになってから、第三弾、だっけ。
 いつもの通りの、ステージ両端に置かれた電光掲示板と、今回は、ステージ後ろに歌手用のひな壇。演奏会形式とはいえ、ちょっとは動くのかな。
 
 チューニング済んで、満員のステージ(!)に入ってきたのは、あ、オオウエエイジじゃないんだね、そういえば。
 もちろん知ってたんだけどね。この何回か、大フィルといえばオオウエエイジ。そして、オペラといえばオオウエエイジ。だから、アタマが勝手に予想してたんだよね。当然出てくるのはオオウエエイジだ、って。
 いや別に、若杉さんだからがっかりした、なんてことはないんだけれど。
 オペラって、指揮者でどう変わるのか、よくわかってないしね。
 
 大フィルのオペラって、フランスものが多いのかな。前の、なんだっけ。前のやつの時も、ジュテーム、って連発してたから、フランスものだよね。いや、トスカじゃなくって、2年前のサムソンとデリラだ。フランスもの。
 
 まあおいといて。
 お話はね、記憶のない女の子メリザンドを、偶然拾った王子、ゴロー。そのメリザンドに横恋慕する髪の毛フェチのゴローの弟、ペレアス。二人はひそかに通じる仲になって。そしてメリザンドには子ができる。
 前妻の子供から、ペレアスとメリザンドの仲を聞いたゴロー。怒りにまかせて剣を振り回し。。
 
 オオウエエイジが、よく言ってるよね。オペラには二つの種類しかないんだよ、って。最後に結婚して、めでたしめでたしになるか、それともみんな死んじゃうか。
 これは、典型的な後者のパターン。
 
 音楽的なことはわからないから、戯曲としてみるとね。いろいろわけのわからないことが出てくる。途中でいくつかの幕を省略しているから、そのせいかもしれないのだけれどもね。
 メリザンドの不思議な佇まい。泉に沈んだ王冠や、不自然に伸びる髪の毛。動きを伴わない、セリフだけから想像すると、グリーン・レクイエムのような不思議な生き物なのかなあ、とか思っていたのだけれどもね。
 そういう、いろんなところに寓話的な意味がありそうなんだけれど、あんまり触れられないんだよね。ちょっと残念。
 
 でも、そんなことより。
 久しぶりにね、舞台上の人間に、恋に落ちてしまったよ。メリザンドの、浜田理恵さん。
 なんていうかね、その立ち姿。ちょっとうつむいた薄幸な様子。むかし、TVのドラえもんに出てきた雪女の女の子に初恋したのを、久しぶりに思いだしたよ。
 いや、萌えたわけじゃなくってね。
 
 あと、子役の日紫喜恵美さん。フランスの子供が喋るかわいいフランス語って、こうだろうなあ、っていう、くりっとしたかわいい声が、暗くなりそうなお話のなかで、すごく良かったよ。

 いかんいかん。

 さっき、大植英次っていう本を読んでたんだけれども、オペラっていうのは、お客も演奏者も、コンサバな世界なんだろうね。交響曲以上に、これまでと違うとかそういうことが大きな評価基準になっている。
 僕は、そういう文脈を持っていないから、オペラはまず、面白いかそうでないか、で判断するんだ。何しろ、どんなオペラもはじめてだし、お話だって知らないしね。
 お話が面白いかどうか、そのお話が自然に円滑に進んでいってるのかどうか、お話に入り込んで楽しめるかどうか。
 最初の二つは主に曲のせいで、最後のが演奏のせい、なのかな。
 まあでも、演奏のせいで良くなかったオペラなんか、聴いたことないけどね。
 
 若杉さんの実直そうな後ろ姿も含めて、ああ、面白かった。
 来年は何かな。期待しちゃうよね。

2006年5月3日
第8回 高槻JAZZ STREET 2006

 

 連休だね。なんかいろんな意味で煮詰まってるんだけれども、あれもこれもちょっと一休み。こんなにお天気のいい日は、外でジャズでも聴きたいね。

 っていうわけで、高槻ジャズ。
 とりあえずのお目当ては、5時からの小柳淳子さんだからね。ゆっくりめに行っていろんなとこちょこっとずつ脚向けてみて。
 お目当ての会場の桃園小学校は、阪急駅からJKカフェを通って現代劇場にいたるジャズストのメインストリートからはちょっと外れてて、171を歩いて、市役所のちょっと向こう。驚いたことに、市役所の軒下でもライブやってるんだ。それも結構大編成。とりあえずそれをなめつつ小学校へ。
 聞こえてきたのはビックバンド Amagasaki Jazz Orchestra。とりあえずビールを買って、レジャーシートを広げて。聞いたのはTake The A Trainと、アンコールのなんだったっけ? 確か演奏したことのある曲だったんだけれども、タイトル忘れちゃった。
 ちょっと離れた会場だからかな、フリマや屋台も結構あるのに、お客さんの数はあんまりいない。まあでも、のんびりできていいけれど。
 ちょっと傾きかけたお日様が、ステージ後方真っ正面から照りつけるから、ビールが進む進む。次のバンドはゴスペルの合唱団 BCI Mass Choir。ゴスペルとタップダンスのグループ。Oh Happy Dayで、天使にラブソングを、思いだしたよ。

 さて、お次の小柳淳子とヘルスメーターズ。ツインギターのクインテットを従えて、さてどんなステージを聴かせてくれるんでしょう。
 どうやら小柳さん目当てのお客さんも集まってきだして、数十人くらいにはなったのかな。みんなステージ前に立ってるから、のどかに椅子で見ているわけにも行かず、喜んでステージ前に。

 いやあ。
 ジャズの曲って、あった?
 健忘症がひどくてね、曲目なんにも思い出せないんだけれども。思い出すのは、ディストーションかましたツインギターのかっこいいソロ。あんまり掛け合いって訳ではないんだけれどもね。
 そう、ほとんどジャズを置き去りに、大ポップス大会(いや、ジャズ無かったわけではないのだけれども、印象としてね)。必然的に声を張り上げることの多い小柳さん。ということは。
 そう。
 僕の大好きな、小柳さんのあの声。ちょっとかすれて、微かなノイズが混じるシャウト。久しぶりに堪能しました。

 さて、陽も落ちそうだし、どっか室内に落ち着くか、と思ってふらふらしたんだけどね。現代劇場でやるトシコ=タバキンも気になるし。というわけで、現代劇場に向かったんだけれども。既に満員。あきらめ速いよ、こういう時は。
 現代劇場を後にしようとしたときに、隣から聞こえてくるオレオ。ひさびさの4ビートジャズに導かれて、野見神社能舞台へ。兼子潤トリオ+鈴木久美子feat.前重英美。テナーのカルテット。能舞台でやるジャズって、なんかいいよ。駅前みたいな音量勝負の刺激的なんじゃなくって、アコースティックがよく似合う。
 オレオに続いては、ラッパ入ってカンタロープ・アイランド。ラッパ酔ってたのかな?テーマぼろぼろ。あんな簡単なテーマなのに。

 アコースティックジャズを楽しんで、今度は駅前に。やたら若いおねーチャンに引かれて高架下でgoneritoneで一曲聴いて、成り行きで噴水広場。
 準備中のバンドが、トロンボーンやパーカッションのいる大人数のバンドだったから、ちょっと気になって始まるまで待ってたんだよね。ギターの入ったカルテットにパーカッション、テナーとトロンボンに歌のおねーチャン二人のSOUL CREW。司会のおねぇちゃんはソウルクロウっていってたけれど、ソウルクルーだよねえ。
 というわけで、演奏するのはもちろんソウル。切れのいいトロンボンとテナー。そして圧巻はお姉ちゃん(左)のボーカル。アレサ・フランクリン張りの歌、そしてグルーブ。最後(?)にやったJBのI Got Youがしばらくあたまにこびりついてたよ。
 あんまり気持ちよくなっちゃったからやっぱり買わねばならんと、今年のTシャツもゲットして。

 同じ場所で、川嶋君が9時からだって聞いて、じゃあその前に軽くメシでも、と思ったんだけれども、もちろんそんなわけには行かず。メシ屋を出たときにはすっかりジャズの音は消えてたんだけれども(裏道に入ったらオールナイトなんだろうけどね)。
 今年もまた、堪能したよ。

 ありがとう。TAKATSUKI。

Topに戻る
 

2006年4月29日
大阪野外芸術フェスティバル2006 星空コンサート
大植英次:指揮
神崎悠実:ヴァイオリン
大阪フィルハーモニー交響楽団
大阪城・西の丸庭園

バーンスタイン:キャンディード序曲
ドヴォルザーク:交響曲 第9番 新世界より 第2楽章 家路
モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク
チャイコフスキー:組曲「くるみ割り人形」より 花のワルツ
ホルスト:組曲「惑星」より 木星
J.ウィリアムス:スターウォーズ メインテーマ
サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン
チャイコフスキー:序曲 1812年
レスピーギ:「ローマの松」より アッピア街道の松
  en.1 天国と地獄
  en.2 八木節

 さて、週刊オオウエエイジ。3回目にして最終回の今回は、なんと、野外コンサート。しかも大阪市のど真ん中、大阪城西ノ丸公園。全国都市緑化おおさかフェアっていう大阪城界隈のイベントの企画のひとつ、っていう位置づけみたいだけれども。

 当日は祝日だっていうことを忘れててね。いつもの食堂がお休みで、ちゃんとした昼食を食べ損ねて。おなか空かして大阪城のお堀の中に入ってね。会場見たら、ああ、広いんだ、って。余裕かまして焼きそばとビール、お店のベンチでゆっくり食べて。
 だまされたんだよね。コンサートのチラシには、確かに「3,000人規模の野外公演」って書いてあったから。この広さで三千人なら、直前でもいい場所見つかるだろう、って。
 ところがね、開演10分くらい前かな、もうよく見えるところはいっぱいで。コスモスの茂みで視界がやや悪い場所をようやく確保して、レジャーシートを広げて。
 6時半開演なんだけどね。ちょっと薄暗くなってきたな、程度で。日が長くなったんだね。前方彼方には特設ステージ。後ろを振り返ると大阪城。空を見上げると伊丹に着陸態勢に入ったおっきな飛行機が横切って。辺りを見回すと高層ビルが建ち並ぶ、都会の野外コンサート。
 こんな遠くで生音聴こえるのかなあ、っていうくらいの距離だったんだけれども、ちゃんとスピーカーも積み上がっていて。ステージ横だけだけれども。

 彼方に聴こえるチューニングの音。そして拍手。どうやらオオウエエイジの入場。そして、キャンディード。もちろん、野外でPAで、そして見分けもつかないほど遠くからの鑑賞だからね。演奏がどうなんてなんもいえないんだけれども。ソロ楽器をきちんと拾ってくれるPAと、めっちゃリラックスして飛ばしまくるラッパ、クラとオーボエを始めとする木管。ええわあ。

 ひとつの曲が終わるごとに、MCを入れるオオウエエイジ。下校の音楽、家路の頃にはいい感じで暗くなってきて、後ろを振り返ると大阪城のライトアップが映える。
 でも、取材のヘリ飛ばしちゃいけないでしょう(^.^)。仮にもクラッシックのコンサートやのに。聴こえへん、っちゅうの。
 お次のモーツァルト。チラシでは田園になってたんだけどね。記念年やし、ポピュラー度は遙かに高いからね。でも、生で聴くの初めてかな。大編成の弦のアイネクライネ。かっこいいね。
 チャイコフスキーは今回、2曲あったんだけれども、ロマンティストのオオウエが振るチャイコ、好きだなあ。とはいえ寒さとビールでトイレに立ちながら聴いてたんだけれども。
 本格的に暗くなってきて、星空コンサートの面目躍如の「木星」とスターウォーズ。とはいえ曇り空で星は見えないんだけれどもね。
 ジュピターの紹介でオオウエエイジが言及した平原綾香。まあいいんだけれど、本田美奈子も歌ってるんだよ。忘れないで欲しいなあ。
 ジュピター。想い出の曲だな。中学の時、めちゃくちゃ下手な吹奏楽部にいたんだけれど。僕の初恋のアルトサックスの女の子がこの曲を演奏したがった。できるわけ無いじゃない、っていう顧問のひと言で却下されちゃったんだけれども、その子の悔しそうな顔、思いだしたな。四半世紀も昔のはなしなんだけど。
 それから、スターウォーズ。ヒカルライトセーバーを嬉しそうに振り回すオオウエエイジ。
 あ、演奏だね。大フィルってすごい。もうタコができるくらい耳にこびりついているロンドン響の「あの」演奏と同じ響きがするんだよね。特にラッパの突っ張った音なんてクリソツ。ステージに向かって字幕が流れていくのが見えたよ。
 17歳なのにやけにドスのきいたヴァイオリンのあとは。

 2曲目のチャイコフスキー。1812年。ポピュラーな曲なのに、案外生で聴く機会はないんだよね。もう、浪漫派絶好調のオオウエ節全開。PA頼りの大砲の効果音もばっちり決まって、バンダも、ステージの左右に配した二つのチャイムもド派手に決まって。
 の筈だったんだけどね。
 なんと、曲の途中で、PAトラブル。いきなりクライマックスで生音だけに。。。部分的にチャイムとか大砲とか、回復するところもあるんだけどね。まあ、それが生ってことで。個人的にはこの距離からの生音も結構聴こえるんだ、と思ってよかったけれど。

 そのあと、PAトラブルのままで多分関市長の挨拶などがあったのかな? 見えない聞こえないでしばらく時間が過ぎて。PAトラブル解決の間MCでつないでください、っていわれて途方に暮れるオオウエエイジ。それはそれで面白かったのだけれども。
 最後の曲は、1812で用意したバンダに居残ってもらってアッピア街道の松。ホント、嬉しそうに振るよね、オオウエエイジ。

 鳴りやまない拍手に、天国と地獄、八木節をおまけにしてくれて。

 いやあ、混んでるはずだよ。3000人規模の筈が、入場者数9300人。よく入ったね。
 帰りの道すがら、いろんな人の会話を聞くともなく聞いていると。クラッシク全く初めての人が友達や彼氏、彼女に連れられてきて。しかも、みんながみんな、よかったね、また行きたいね、って嬉しそうに喋ってて。

 密閉されたホールじゃなくって、野外の、しかも9千人を相手に、見事に魔法をかけたオオウエエイジ。

 改めて、ありがとう。
 オオサカを、選んでくれて。

Topに戻る

April 26, 2006
48th Osaka International Frstival 2006
Osaka Philharmonic Orchestra
Under: Eiji Oue
with: Shota Nakano (piano)
Frstival Hall 1st Fl. Right No.19, S seat

シューマン:ピアノ協奏曲
マーラー:交響曲 第5番

 オオウエエイジって、たまにしか大阪に来ないからね。来るときは集中的にコンサートするんだよね。うれしいけれど。
 特に今回みたいに、のってるときの演奏会はね。三連チャンの演奏会、初回にあんな英雄の生涯聴かせてくれたら、いやでも盛り上がるよね。
 というわけで、週刊オオウエエイジの第2弾。フェスティバルホールのオオウエエイジ。

 フェスって、いつぶりだろう。2003年のスクロヴァチェフスキのブル8か。とにかく久しぶり。シンフォニーホールに慣れちゃった耳に、フェスの大フィルはどんな風に響くんだろう。
 やっぱ、でかいね。ひたすら横に長い客席に、ちょっとわかりにくい座席を探しあてて座る。赤くて、やたら柔らかい椅子に座ると、ああ、フェスだなあ、って。足下結構広いんだね。
 僕が昔、いつも聴いていた席から比べると、ちょっと前目のかなり右。いい席には違いないんだけどね。

 もうホント、ごめんなさいするしかないくらい間が空いちゃったし、これまたゴキゲンの星空コンサートも挟んでるからね、あんまり記憶が定かではないんだけれど。
 とくにシューマン。
 ひさびさのフェスから聴こえてきた大フィルの響きは、緞帳とふわふわの椅子みたいな音がしたよ。よく言えばまあるくて柔らかい、ベルベットみたいな音(小野君がオランダに行った当時、ベルベットパスって呼ばれてたよね)。言葉悪くいえば、フェスの広さに負けちゃってるっていえなくもないんだけれど、ピアノコンチェルトだからね、それでフェスを揺るがすほど鳴り響いたら、そっちの方がヘンだよね。
 でも、なんかフラットな響き、心地いいわ。ってうとうとしてしまいました。

 いいんだよ。もちろんメインはマーラーだからね。
 オオウエのマーラーって、何曲目? よくわからないけれど、結構なハイペースだよね。マーラーの熱心な聴き手ではない僕としては、今回の5番も、聞いたことあったっけ? っていうくらいの熱心さなのだけれども。
 曲が始まって、一瞬でその不安は消し飛んだけれどもね。大体、いえにマーラー全集二つもあること、つい忘れちゃうよね。
 ああ、だんだん思いだしてきた。
 そうそう、ラッパだよね。この曲はソロラッパのファンファーレで始まるんだけれども。もう、どうしちゃったの、っていうくらいのかっこよさ。ブル3に匹敵するね。
 ラッパに限らず、この日のソロ陣はもう、みんなホントにかっこいい。シングルリードもダブルリードも、ラッパもホルンもトロンボンのソリも。定期ががちがちの緊張感の中でやってるとしたら、この日はホント、のびのびと好き放題で、しかもおもしろくらい結果がついてくるって感じ。
 ジーコジャパンの理想型だね、書いてて思ったんだけれども。

 なんだけどね。
 聴いてる間中、ずっと思ってたよ。
 うーん、これって交響曲?

 僕は、オオウエエイジの2番でひっくり返るほどの衝撃を受けたから、じいさんが言った「マーラーの曲は、1番は歌謡曲だけれども2番以降は非常によくできた交響曲」っていう言葉を単純に信じていて。
 だけれども、これは交響曲って言うのかなあ。(いや、言うんだってことは重々承知しているのだけれどもね)
 っていうのはね。あまりに魅力的なメロディが、しかもソロ楽器で生き生きと唄われていて。神出鬼没の華麗なオーケストレーションなんて陳腐な言葉を使うしかないくらいわくわくもさせてくれるし。
 でも、それは唄であって、交響曲ではないんだよね。僕の中では。
 言葉を変えると、風景であって世界ではない、って言うことなんだけれど。

 僕がここでいっている交響曲って言うのは、ブルックナーのような交響曲、って言う意味ね。マーラーとブルックナーって、そういうタイトルの本があるように、並べて評価されることがあるけれども、全然違うやん。
 もちろん、全然違うこと自体は悪いことでもなんでもないし、どちらがいいとか悪いとかいう問題でもないんだけれど。
 要は、シリアスでないハッピーなマーラーは、フェスでの大阪国際フェスティバルのとりに相応しいね、ってこと。あー、楽しかった。

 あ、そうそう。
 とりといえば。
 国際フェスの最終日だったこの日は、ささやかな閉会式があって。
 その最後に、團伊玖磨の作ったファンファーレが演奏されたんだ。
 淀川工業高校吹奏楽部の、ブラス隊によってね。

 淀高の名前はね、知ってたよ。僕も吹奏楽少年だったからね。東の市立川口、西の淀高ってね。
 だから、うまいんだろうとは思ってたんだけどね。

 まいったよ。
 これほどとは。

 ホンの短いファンファーレなんだけどね。なんていうか、楽器の音がしないんだ。煌びやかとか、そういうのでは全くなくて。
 響くんだ。
 ラッパからチューバまで、どこも飛び出さずに、完璧なバランスで音が出るとね、どっからなんの音が出てるのかわからなくなって、音の壁が押し寄せてくるんだ。
 ファンファーレはステージ右側の袖を使ったからね、僕はホンのすぐ近く、だったんだけれども、一本一本の音はしなかったな。
 あっけにとられている間に、かっこよく退場しちゃったけれど。

 高校生最後の夏に、埼玉栄のダフニスとクロエを聴いて、(これ以上の演奏なんかありっこないんだから)もう吹奏楽なんか聴かないし演らない、って思ってたんだけどね。
 ちょっと聴いてみたいな、淀高の演奏会。

 ブラス隊の人数からして、こんなに上手くてもコンクールには全員は出れないのかも知れないけれど。練習はスパルタできついのかも知れないけれど。
 楽器が上手いって、とっても素敵なことだよ。
 吹奏楽に限らず、好きな音楽をずっと続けてね。高校生の皆さん。

Topに戻る

2006年4月20日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第397回定期演奏会
大植英次:指揮
フランソワ・ルルー:オーボエ
長原幸太:コンサートマスター
ザ・シンフォニーホール 1階N列4番 A席

ベートーヴェン:コリオラン 序曲
R.シュトラウス:オーボエ協奏曲
  en. ドラティ:アリとキリギリス
R.シュトラウス:交響詩 英雄の生涯

 さて、契約を更新して、4年目となったオオウエ/大フィル。その新年度一発目はオオウエエイジの英雄の生涯。オオウエの十八番らしいけれど、どんな演奏してくれるんだろうね。

 直前に、金曜日いけなくなってね。急遽電話して、当日窓口でチケットを交換してもらって、どうにか滑り込んだ一日目。桜色のチケット、春らしいね。

 さて、今回のプログラムなんだけど、面白い組み合わせだよね。ベートーヴェンと、R・シュトラウス。質実剛健と豪華絢爛。もし、定期の客層が曲目によって変化するんなら、同じ客層ではないよね、この二人。でもまあ、ベートーヴェンは序曲だから、前座扱いなのかな。

 直前で確保したチケットは、ヴァイオリンよりのちょい後ろ。座って、目薬差そうとして上を向いたときに気がついた。ああ、ロマンティック聴いたの、この辺だったな。天井の形に見覚えがあるよ。

 さて、ベートーヴェン。
 やばいよね、これ。
 このごろ、ベートーヴェンの序曲を聴くことが、(交響曲を聴くよりも)多いのだけれども、やばいんだ。ベートーヴェンの序曲って。
 もうね、どこを切り取ってもベートーヴェン。最初の和音から疑いもなく、ベートーヴェン。それは、手垢のついたとか、耳慣れたとかじゃなくてね、奇跡的なとか、極上のとか、そういう形容詞なんだよね。
 ああ、僕はベートーヴェンが好きなんだなあ、って。オオウエエイジのベートーヴェンは、ナチュラル。僕にとって、ね。よく鳴るんだけれども、ナチュラル。まあ、僕にとって違和感がないってことだから、ホントにナチュラルかどうかは知らないんだけどね。
 ほんの短い序曲なんだけれど、この一曲だけでもう、おなかいっぱい。新シーズンの滑り出し上々、なんだよね。

 続いては、珍しいオーボエの協奏曲。オーボエってね、ヴァイオリンみたいに音色の変化がある訳じゃないし、ラッパみたいに大きな音がある訳じゃない、ピアノみたいに幅広い音域がある訳じゃないから、ひとつの曲をソロとして対比するのってどうなんだろう、って思ってたんだよね。
 でもね、びっくりすることに。
 オーボエの音色って、いっぱいあるんだね。元々ものすごいデリケートな音色は、楽器の向きと耳の位置関係でころころ音色が変わる。ベルアップした時、それをそのまま降ろしたとき、それから横を向いたとき。豪快な音色がどんどんやわらかくなっていく。
 音量の変化もすごくってね。最初のほうは十分楽しんだのだけれども。
 だけれども、まあオーボエに限らずコンチェルトはたいがいなんだけれど、やっぱり単調なんだよね。速いパッセージでタンポの音が気になったり、装飾音みたいな音型のテンポ感が気になったりしてるうちにうとうとしてしまいました。
 アンコールのソロはすごく生き生きしてて面白かったけどね。

 休憩終わって英雄の生涯。いっぱいいるなあ。いつの間にかホルンにはアシが生えたようで、9人もいるよ。どんなスペクタクルが展開されるんだろうね。
 ちなみに、なんかよく知った気になっている英雄の生涯っていう曲なんだけど、このまえ家でCDさがしてみたら、持ってないんだよね、一枚も。知らないのかな。まあいいや。

 プログラムに、シュトラウスといえばなんだ、って書いてあったけれど、やっぱりホルンでしょう。そう思いながら聴いたんだけどね。この曲の前半は、もうコンマスの長原君の独演会。ずっとソロなんじゃないかっていうくらい弾きまくりで、しかもかっこいい。主席コンマスに昇格して、のってるんだね。
 でも、やっぱり後半、これぞシュトラウス。これぞホルン。澄んだ音色の英雄の動機(っていうのかどうか知らないけれど、たくさん出てくるメロディ)。それからラッパのHi-C(ハイシーじゃないよ、ハイツェー。推定だけど)のロングトーンも見事に決まって。袖に引っ込んだラッパのファンファーレもかっこいいし。
 ファゴットもイングリッシュホルンもクラリネットも、それはもう見事な名人芸で今日はソリスト完璧だね。フルートはもう少し丁寧に吹いて欲しかったけれど。

 多分英雄が英雄たる戦いの場面が済んで、曲は静かなクライマックスへ。
 この曲、ソロのロングトーンが異様に多いんだよね。チューバとユーフォニウムのロングトーンとか、アシを従えたホルンとか。木管も交えて、ゆったりとしたロングトーンのコードが重なっていく。
 ブラス吹きだった僕は、このロングトーンがどれだけ緊張するものか知ってるよ。だんだん肺に空気がなくなってきて、ずっと同じ空気の圧力をかけるのが難しくなってくる。くちびるは痙攣して、音が揺れそうになる。最後の一息を吐き出す手前で、やめてしまいたいんだけれども曲が、テンポが許さない。
 もちろんその状態を知っていて、だけれども団員の力量を把握して、信じてゆっくりとした曲のテンポを優先させるオオウエエイジ。それに応えて完璧なピッチを、音色をキープするソリスト。
 この、(多分)ぎりぎりの見切りと、信頼感。そこから生まれる響き。ああ、この信頼感が、オオウエエイジ3年間の成果なんだね。それを知らせるための、契約更新初回のこの曲なんだね。って思ったら、ちょっと目頭が熱くなってきた。あれ? 初めてかな、オオウエエイジで目頭押さえたのって。

 オケが奏でる音の、最後のひとつが天井に吸い込まれて消えるまで。その余韻をみんながかみしめるまで。棒の緊張感を解かずに拍手を拒否したオオウエエイジ。前半で聞こえた、気合いの抜けたブラボーなんてはいる余地のない拍手の嵐。
 僕は時々顔を押さえながら、オオウエエイジとすべてのソリストと、そしてオケに、心の底から拍手をおくったよ。
 ありがとう、オオウエエイジ。早く大阪に家を探してね。

 そうそう、ひとつだけ。
 終わり近くのホルンのソロ、ひとつだけ完全にぶつかった音があったんだけど、あれってスコア通りなのかな? 伸ばしの最中突っ張ってたからそうかな、とも思うのだけれども、僕と同時に横に座ってたおじちゃんもあたま抱えてたからなあ。誰か知ってたら教えてください。

Topに戻る

2006年4月16日
ayumi hamasaki ARENA TOUR 2006 ~(miss)understood~

 いやはや。
 10回目だよ。あゆ。
 このごろさすがに、気恥ずかしくなってきたよ。こんなオッサンが喜んで飛び跳ねていてもいいんだろうか、って。ってやっとこのごろかい。
 まあ、それも電車降りてダフ屋のおっチャンに声かけられるくらいまでなんだけどね。入り口に近づいてきたらもう、そんなこと忘れて相変わらずうきうきしちゃうだけれども。
 それに、客層は多分みんなが思っているほど(僕がイメージで作り上げているほど)低くなくって、親子連れからOLのお姉ちゃん、カップルの人たち等々。まあ学生さんにはちょっと高いもんね。そんな、周りが気になるってこと自体が既におじさんなんだけどね。

 追加公演も含めて、キャパの大きい城ホールでたっぷりやるから、チケットありませんかーみたいなのって、あんまりなくって。整然とした入場風景。あゆぱん買う合間に、ビールを一杯飲んで。

 なれた足取りでアリーナ席へ。今回の席は、舞台からアリーナ中央のミニステージに伸びている花道の、すぐ右側。
 おお、ここあゆが通るんだ。

 今回のステージはね、結構ストーリー性が強くって。いつもの三つのモニタと、ダイオード付けた巨大なカーテンも映像を映し出す。まるでDVDで見た最初のツアーの第2幕を想い出すような感じで、映像の中のストーリーと、映像のあゆと、そして実際のあゆがシンクロしていく。
 衣装替えの場つなぎをよっちゃんのギターソロや、ダンサーズ達にやらせる代わりに、映像でつないだ、ってことなんだけどね。
 だから、もちろん衣装もコスプレ色が強くって。

 ステージに現れたあゆは、推定18センチ。わーい。
 結構前半におなじみナンバー持ってきて、飛ばす飛ばす。のど強くなったね。
 そして、お待ちかね。もうなんの曲か忘れちゃったけどね。花道をこちらに(誤解)向かってくるあゆ。すぐ隣を通るあゆ。推定87センチ。おっきい。かわいい。細い、って言うのは後ろ(この場合は隣になるのかな)の席の高校生達(これも推定)の言葉。いやあ、ホントに生き物なんだねえ。

 そうそう、僕が一番よかった、って言って自信たっぷりに GAMEと間違えた曲は、Is this love? だったな。

 いつもの通り、あっさりと本編終わって、ちょっと長いブレイクの後に出てくるあゆ。
 もう衣装終わりで、これからはGパンTシャツやでって、同じグループのあゆ先輩が初心者に教えてあげてて。その時は、えーっつて、抗議の口調だったのだけれど。もちろんあゆが出てきたら、Tシャツかわいい、って。
 そうなんだよね、Tシャツかわいいんだよね。

 もちろん、2時間のエンターティメントとしては完璧に楽しませてもらってるし。いろんな要求あるけれど、すべてのヒトを満足させる、というあゆの野望は、ものすごい高いレベルで達成されてるんだけれども。
 シンプルなセットで、Tシャツのあゆが2時間唄いまくる、って言う、アリーナツアーとは対極にある「ライブ」、見てみたいよなー。

 そうそう、とりの曲のあと、走り回るあゆ。いつもはステージ左右に行くけれども、真ん中のミニステージに来ることってあんまりなかったんだよね(多分)。でも、今回は来てくれました。ありがとう。
 肉声の「ありがとうございました」。はじめてのあゆだった(であろう)後ろの子、やっぱり感動してたよ。

 ちょっと日にちが経って、記憶がなくなってる上に冷静になっちゃってるからあんまりそうは思わないかも知れないけれど。僕の最初のアリーナツアー、fake japaneseのとき以来のすごいコンサートでした。お願いだから、DVD化するときは、シンプルなカメラにしといてね。

やっぱり、あゆかわいい。

Topに戻る

2006年3月23日
ジミー・スコット and ザ・ジャズ・エクスプレッションズ
ブルーノート大阪 2nd stage

ジミー・スコット Jimmy Scott (Vocals)
アーロン・グレイブス Aaron Graves (Piano)
T. K. ブルー T.K. Blue (Saxophone/ Flute)
ヒリアード・グリーン Hilliard Green (Bass)
ドゥウェイン“クック”ブロードナックスDwayne "Cook" Broadnax (Drums)

 僕がじいさん好きなのは否定しないけれどね、まったく。別にどんなじいさんでもいい、って言うわけではないんだよ、ホント。3年前のめいほう音楽祭でやられちゃったジミーおじさん。それがブルーノートに来るっていうから、行って来ました新生ブルーノート。あ、大阪ね、もちろん。

 とはいえHPの更新をさぼり倒してて、もう一ヶ月くらい前になるんだね。どんなやったっけ?

 新しいブルーノートはね、前の雰囲気も残しつつなかなかいい感じ。ボックス席は狭そうだったけれど。整理券11番で、ちょっと右手のステージかぶりつきに陣取って。
 今回の面子はね、編成は前と同じくワンホーンだってことくらいしか気にしてなかったんだけれども、結果的にはピアノだけが交代してあとは同じ面子。期待も盛り上がるよね。

 あっ、期待っていうのはね、3年前に78歳の超おじいさんが、どんな苦闘と苦悩を聴かせるのか、っていう残酷な期待ではなくてね。まあ、それも含むのかも知れないけれど、やっぱりどれだけのステージを聴かせてくれるんだろう、っていう期待。そうじゃなくっちゃ高いお金を払ってブルーノートになんか来ないよね。

 7割くらい埋まった客席。ステージにはスクリーンが降りて今後のスケジュールを知らせる映像が流れて。
 そして、バックバンドによる曲が演奏されている間に、ジミー・スコットが入ってきた。車椅子で。綺麗な女性(奥さんか娘さんか、よくわからないけれど)に連れられて。ジミーはすぐにはマイク前には行かず、ステージ端で休憩。
 バックバンドの曲はね、前回のおぼろげなイメージとは、ちょっと違っていて。なんていうか、アグレッシブな今風のジャズ。いまとなってはピアノが変わったからかな、って思うんだけれどもね、なんかサックスの変貌ぶりが耳につく。トラディショナルなバップフレーズいっぱいだった前回に比べると、叫び声の入った今風のサックス。それはそれでいいんだけどね。

 じいさんが立ち上がって、ステージ中央にゆっくりと歩いていく。ピアノの前の椅子に座って、All of Me
 この曲の歌い始めの All of me ってとこ。この音域が、多分いまのじいさんの一番説得力のある音域なんだよね。それより上はともかく、下はあんまり迫ってこない。奇蹟の歌声っていうよりも、がんばれおじいちゃん、っていう感じになっちゃうな、どうしても。サックスのT.K.Blueも寄り添う、っていうよりも勝手にやっちゃってるし。
 それでも、後半の2曲くらいはエンジンかかってきたようで、僕の求めてる3年前のジミー・スコットらしさを十分に堪能したんだけどね。やっぱりこの2曲は少し張り上げるくらいの音域が多かったのかなあ。覚えてる曲の中で、よかったのは Someone to watch over me っていう曲。
 えっ、3年前のジミーらしさってなんだ、って? なんだろうね。多分、僕の知らない往年の奇蹟の歌声を彷彿とさせるところと、面影はあるけれど現在の衰えが表に出る部分と。その二つの相克の様がリアルだったことなんだろうな。
 今回のステージ、特に前半は歳月に戦いを挑んでねじ伏せてやろう、っていう気概を感じ取れなかったんだよね。
 もちろん、それでもいいんだけどね。

 ステージのあと、3年前のLive in Tokyo聴いてみたけれど、やっぱりこのときは絶妙だったよな、T.K.Blue。

 ジミーじいさんが、本国でどれくらい働いているのか知らないけれど、もう十分働いたでしょ。もう、ゆっくり休んでもいいんだよ。
 ホント、長い間ご苦労様でした。ありがとね。

Topに戻る

2006年3月17日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第396回定期演奏会
小林研一郎:指揮
ザ・シンフォニーホール 1階J席30番 A席

スメタナ:交響詩 我が祖国

 2005年度、大フィル最後の定期。なんだけど、これを書いてるのは年度を超えちゃったよ、ごめんなさい。って誰に謝るのだろう。

 さて。コバケン。
 僕はね、ちょっと苦手なんだよね、コバケン。いかにも(身だしなみに気を遣わない)芸術家然とした髪の毛や、お歳のわりにイケイケどんどんな所や。そして特に、にもかかわらず熱心なファンが多くってヘタに悪口いえなさそうなところがね。
 まあいいや。
 今回は、我が祖国。何年か前に、チェコフィルで聞いたときの印象がまだ残ってるよ。ゾクゾクするほどのソリストの名人芸と、フォルテでも決して乱れない音。綺麗だったな。
 コバケンも、チェコフィルでこの曲十八番にしてるみたいだね。楽しみ楽しみ。

 細かいところはおいといてね。
 前半3曲は、エンジンかからなかった印象のあるチェコフィルに比べても、よかったよ。ヤスリで磨いたようなチェコフィルに比べたらざらざらした感じの弦も、ゴキゲンなグルーブだったし。
 ただ、ソリストはなんかなあ。加瀬さんがいなくなった影響が、オーボエはもちろん、クラリネットやフルートにまできてるみたいに、ちょっとずつ違和感が残るんだよね。なんでだろうね。ほんのちょっとなんだけど。
 でも、一曲目から楽しかった。

 ところがね、そんなことどうでも良くなっちゃうのが後半。
 よく知らなかったんだよね、いままで。
 我が祖国って、こういう曲だったんだ、って。前に聞いたときの感想を見返してみても、後半はホルンのことばっかりで、こんな曲だったって言うのは、書いてないなあ。

 あ、こんな曲って言うのはね。
 民族愛の扇動曲、ってこと。

 いやあコバケン、煽る煽る。イケイケどんどん、徹頭徹尾大音量で煽りまくる。これ聴いたらもう、居ても立ってもいられないよね。チェコの自立のために立ち上がろう。

 なんだけれどもね。
 本当に、こういう曲なのかなあ。
 民族愛の扇動曲って言うことでは、すぐに頭に浮かぶのはフィンランディアだよね。この曲を、今回のコバケンのように演奏するのは多いと思うのだけれども。
 でも、フィンランディアについて、朝比奈さんが「フィンランドのオケにこの曲を好きなようにやらせたら、重々しく悲痛に演奏するんだ。ストコフスキーはドンチャカやって大失敗した」みたいなことを書いていて、ああそんなもんなんだ、ってずっと思ってるからね。
 だから、煽りまくりの扇動曲は、なんか嘘くさく感じてしまうんだよね。
 もちろんこれは、かなり歪んだ、極個人的な感想で、しかも大運動会でいい汗かいたって爽快に帰るには、演奏が切実すぎたよね。
 質量共に圧倒的な音の洪水。しかも切実。これって名演奏の条件を悉く満たしてるね。オオウエエイジのレニングラード並みの。
 ただ、ちょっとやりすぎ、なんだよね。僕にとってはね。

 ひさびさに聴く、感極まったブラヴォーコール。これはコバケンの応援団だね。各パートを丁寧に立たせて、何回も拍手を受けるコバケン。鳴りやまない拍手に、「疲労困憊でアンコールの余力がありません」と喋るコバケン。
 ああ、面白かった。

 けど、やっぱりなんか、ミスマッチ感が消えないなあ。

Topに戻る

2006年2月17日
NODA・MAP第11回公演
「贋作・罪と罰」
脚本・演出:野田秀樹
シアターBRAVA! 2階C列10番 S席

 もう、ずいぶんと時間が経っているんだけどね。僕は、このお芝居をどう位置づけていいのか、よくわからないんだよね。
 まあ、僕はほとんどお芝居なんて観たことないし、野田秀樹が、再演のこの作品の初演時の状況がどうで、どういう評価を受けていたのかもさっぱり解らないんだけどね。

 もちろん、さっぱり解らないから、自分の中の評価軸だけをあてにしようとするんだけどね。そうすると、???なんだよね。

 野田秀樹って、ぽんぽんテンポのいい言葉遊びの不条理もの、っていうイメージがあるんだけれども。
 このお芝居は、きちんとしたストーリーもので。客席の真ん中にステージのある、特殊な舞台の2階席だったからか、ちょっとセリフの不明瞭なところもあって、言葉遊び度はそんなに高くなくって。
 しかも骨太のストーリーが、ドストエフスキーと幕末をベースにしていて。幕末は、ちょうど北方謙三の幕末ものを読んだばっかりだったからよかったんだけど、ドストエフスキーはよくわからなかった。って、タイトルになってるんだから、よく分からない僕が悪いんだけどね。

 そういう中で、僕なりに思ったのは、「衝動的に人を殺してしまって、それを理屈で正当化するインテリ女の哀しさ」みたいなものなのかな、って。
 ところが、後からパンフとか見ると、「崇高な思想のためなら殺人さえ許される、という思想のもとでの計画的な殺し」なんだ? それだと、このストーリー全体がなんかちぐはぐ。計画的な殺しなら、その善悪を警察とも争わなくちゃいけないのに、やったやらないを争ったら、争う前に負けだよね。動揺した時点で負け。
 竜馬と松たか子のラブストーリーとしてみても、特に泣かせてくれる訳じゃないし。

 お芝居的にいえばね、ひとつの舞台で同時に進む三つのストーリーとか、出ずっぱりの松たか子が一番緊張した顔で鳴らすそろばんとか拍子木とか。変幻自在な椅子とか古田新太のうまさとか。もちろんそういうもの、それからストーリー自体は十分楽しんだんだけどね。

 やっぱり、衝動的な殺人とドストエフスキーの超人思想は、ちょっと違うんじゃないか、っていう思いはずっと消えなかったな。

 昔、芝居に近いところにいた友達は、野田の芝居は初心者にも受けるっていうし、この芝居を見た友達は、野田度が高いっていってたから、きっと僕と野田の相性があんまりよくない、ってことなのかな。

 ちょっと悶々としてたから、つかこうへいの戯曲を、声に出して読んで、少しだけ泣いてみたよ。

Topに戻る

2005年2月16日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第395回定期演奏会
大植英次:指揮
長原幸太:ヴァイオリン
ザ・シンフォニーホール 2階AA列12番 A席

武満徹:ノスタルジア −アンドレイ・タルコフスキーの追憶に−
ブルックナー:交響曲 第7番

 オオウエエイジが還ってきた!!

 いつもは金曜日の二日目なんだけどね。ちょっとその日に用ができてしまって。チケット完売だったから、交換は無理だろうなっておそるおそる電話したらね。同じこと考える人がいるもので、無事に木曜日のチケットと交換できました。
 というわけで、今回は木曜日、第一日目の定期です。勝手に無理だろうって思いこんじゃって、東京まで行って来たんだけどね、それはそれ、これはこれ。

 久しぶりのシンフォニーホールの二階席。オケのみんなの顔が見える席も、やっぱり捨てがたいなあ。
 さて、タケミツ。
 コンマス隣りの人が遅れて入ってきて、ソリストと間違えた会場からの拍手に照れまくって、場が一気に和んだところに、おぼっちゃま君(なんていつまでもいってたら失礼だね。長原君です)とオオウエエイジの登場。
 もちろん一昨日に聴いた、同じ曲なんだけどね。
 ああ、こんなに違うんだ。
 長原君のヴァイオリン。僕のいた席は、ソロヴァイオリンの表の面が直接見える席だったから、もしかしたらソロの音が一番直接響く席だったのかも知れないけれど、かっこいい。
 サントリーホールで気になった、ハーモニクスの出来損ないみたいな音は、一カ所しかなくって。だからこれはソロの調子の善し悪しなんだと思うけれど。今回はほぼ完璧。
 音が自信に満ちていて、細かいミュートみたいな小細工もばっちり決まってたし。何より綺麗。ソロだけじゃなくって、曲がね。
 この差が、もしホールの差だったら、僕はシンフォニーホールの近くに住んでいることを感謝するよ。もし長原君の調子のせいだったら、僕は今日聴けたことを感謝するよ。もし僕の体調や心の状態のせいだったら、、僕は、一昨日の僕を恨むよ。
 いつもは、なんか崇高だけれども近寄りがたいな、って感じるタケミツだけれども。ああ、単純に、綺麗な音楽なんだ、って。
 いいなあ、タケミツ。

 とくれば、もちろんブルックナーも期待大きくなるってもんでしょ。
 2階席からみるブルックナーの布陣は、第一ヴァイオリン16人のフル編成。シンフォニーホールのステージも結構余ってた。そうか、ハープとかはいることもあるもんな。余裕があるわけだよな。

 さて、七番。
 サントリーホールより心なしか小さい会場には、ブルックナー開始のトレモロが響き渡って。
 チェロが入ってくる頃には、僕はもう、夢中。

 ああ、そうなんだ。
 7番って、聖フローリアンのイメージがとても強くって(僕のFavoriteはエクストンの7番だけどね)、なんか女性的とか、弦が中心とかのイメージがあるけれど。
 そうじゃなくって、やっぱりブルックナーの交響曲なんだ。
 1楽章の終わり、今まで薄皮に包まれていた音色のヴェールをいきなり剥ぎ取る場面。2楽章のワグナーチューバ。ああ、やっぱり男性的な交響曲なんだ。
 もちろん、っていうか。
 僕はこの演奏で涙に暮れることはないし、神(キリスト教のじゃなくって、音楽の、ね)に出会うこともない。でも、いいじゃない。
 即物的っていえばそうだけれど、これはじいさんじゃない、オオウエエイジのブルックナー。思わず跪いてしまうような畏れ多さはないけれど、音楽の楽しさでは決して負けてやしない。
 それでいいんだよね。

 前半に比べて軽いっていわれている7番の後半、特にフィナーレを堂々と鳴らし切るオオウエエイジを観て、ホントに嬉しくなったよ。

 ひいき目に見て、東京よりも愛情のこもった拍手を受けるオオウエエイジ。素直に拍手できるオオウエエイジって、久しぶりだな。
 しあわせだな。

 何度目かのカーテンコールで、胸のポケットに手を当てるオオウエエイジ。もちろんそこにはお守り代わりの「あの」写真が入っているのだろうけれど。
 もう、それを取り出す必要はないんだよ。だって、じいさんのコピーではなくって、オオウエエイジのブルックナーを、魅力的に響かせたんだから。

 半世紀後のオオウエエイジのブルックナーは、それはとても楽しみだけれども。でも、それにいたる過程全部、やっぱり楽しまなくちゃソンだよね。
 そんな当たり前のこと、ようやく気がついたよ。

 おかえりなさい。わくわくさせてくれるオオウエエイジさま。

Topに戻る

2006年2月14日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第13回東京定期演奏会
大植英次:指揮
長原幸太:ヴァイオリン
サントリーホール・大ホール 2階5列22番 S席

武満徹:ノスタルジア −アンドレイ・タルコフスキーの追憶に−
ブルックナー:交響曲 第7番

 別にオオウエ求めてニシエヒガシエっていうわけではないのだけれどもね。いくつかの事情が重なって、行って来ました、東京定期。
 そして、これが今年初めての演奏会。あけましておめでとうございます。ご無沙汰しております。

 大フィルを東京で見るのって、初めてなんだ。サントリーホールで見たじいさんは親日フィルだったし、大フィルの遠足は札幌だったもんね。とはいえ特に感慨もないのだけれど。
 とはいえ、開演が近づくにつれてなんだかどきどき。僕の大事なオオウエエイジが、大フィルが、東京の人にどうやって受け入れられるんだろう。いじめられるんじゃないだろうか、って。

 一曲目は、武満の弦楽アンサンブル。少人数の弦楽に、おぼっちゃま君がフューチャーされるんだけれども。
 おぼっちゃま君のヴァイオリンはわかりにくいよね。いや、タケミツのこの曲が解りに難いんだろうけれど。
 圧倒的なでかい音を出すわけでも、透明に鳴り響く澄んだ音を出すわけでもなく。ハーモニクスの失敗のように、ボウリングの途中で変わる音色と、息切れするロングトーン。
 なんだかとっても中途半端。
 微妙な指定のミュート奏法とかだったらごめんなさいね、的外れで。

 タケミツって全然聴かないんだけれど、この曲は、ひたすら綺麗、心地いい。時たまピッチ外したような微妙な音程があるんだけれど、タケミツだからな、不協和音なんだろうな、って許せちゃう。得だね。
 正味15分くらいの演奏のあと、20分の休憩で。

 休憩時間に椅子が増えて、ブルックナー編成に。あれ、でも弦少ないのかな? 5列で並べた椅子の後ろには、おっきなスペースが余ってる。サントリーホールって、ステージ大きいんだろうか。
 でも、ホルン5、ワグナーチューバ4を始めとする管楽器はこんなもんか。ああ、加瀬さんいないんだね、もう。

 んで。
 曲が始まった。

 僕は、何を求めてるんだろうね。

 オオウエエイジのブルックナーに。大フィルのブルックナーに。

 ちょっと前、ひさびさにじいさんのベートーヴェンを聴いたんだよね。2000年の、7番。シンフォニーホールで僕が最初っから最後まで泣き通したときの演奏。
 愕然としたよ。
 耳になれているこのごろの大フィルの音と、あまりに違うから。音の充実度も、安定感も、密度も。何もかも、格段にうまくなったんだね、大フィル。
 にもかかわらず、CDで聴いてさえ、やっぱり泣いちゃうんだけれどもね。

 さて、今日のこの演奏。

 僕には分からないんだよ。

 東京討ち入りで固くなっているのか、クラリネットとかトランペットとかのソロはぎこちなかったし、1楽章の弦のピッチとかも気になったけれど。
 でも、奇を衒わない正統派のブルックナーだし、トゥッティの音の密度とか、サントリーホールに音が吸い込まれるブルックナー休止とか、ホントに気持ちがよくて、ちょっと前ならば「性能のいいオケでブルックナーを鳴らし切る快楽」とかいって大喜びしてたに違いないんだけれども。

 僕は、なんでこの演奏を楽しめないんだろう。

 今回のパンフレットの曲目紹介に、7番初演時の批評家の評論がこう載っているんだけれど。「天才的な着想を、興味深く美しいともいえる箇所をーーここに6小節、あそこに8小節とーー含んでいる。だが、これらの閃光の間に横たわっているのは、果てしない暗闇と、鉛のような退屈、そして熱に浮かされたような過度の刺激である」

 今回の僕の感想は、まさにこれ。
 じいさんのタクトに語らせれば、雄弁に語るはずのそこかしこが、なんにも伝えてくれない。唄ってくれない。
 ブルックナーの曲の中で一番美しいって思う1楽章。ここがちょっと固くって入り込めなかった、っていうのがあるんだろうけれど。でもアダージョになっても寡黙なままで。
 もちろん音は綺麗だし、メカニカルには盛り上がってもいるんだけれども。

 なんだろう。
 じいさんじゃないっていう理由で、満足できないのかな、俺。そしたら、この先も、オオウエエイジがどんな演奏しても、だめなんだろうか。

 東京の人たちに祝福されるオオウエエイジを見ながら、なんかちょっと寂しい気持ちを味わってしまいました。
 もちろん、オオウエエイジや、大フィルにはなんの責任もなく、ただ、僕の方の問題なだけなんだろうけどね。

Topに戻る