いやはや。
 確かに続編をご希望の方はリクエストを下さいって書いたけどね。こんなにも即座に反応があるなんて思ってもいなかったんだよね。ってうれしい悲鳴。
 もちろん読んで頂けることは非常にうれしいからね。がんばって続編、行きましょう。

 とはいいつつ、書き出してから時間が経ち過ぎちゃったけどね。済みません。

  スイング・ジャズとモダン・ジャズ 2

   b.モダン・ジャズ

 学生の頃からずっとバンドをやっている友達曰く、バンドを続けるコツは、バンド内で好きな音楽の話を「しないこと」なんだそうだ。えっなんで、って思うよね。音楽が好きで、一緒にやりたくってバンド組んでるのに。
 でも、バンドのメンツと好きな音楽の話をすると、どっかで相容れない部分が必ず出てくる。その部分から亀裂がどんどん広がって、結局袂を分かつことになるんだそうだ。

 そうなんだよね。ジャズファン(に限らないのかも知れないけれど)の指向って、限りなく狭いんだ。分かる分かる。
 ってことを言い訳にして、この稿も、広大なモダンジャズを網羅するものではなくて、僕個人の限りなく狭い指向から見たモダンジャズ論であることをあらかじめお断りしておきます。あとで偏ってるって怒らないでね。

 というわけで、前回のおさらいから。
 ダンス音楽として隆盛を極めたビックバンドによるスイングジャズ。ところが世界恐慌や禁酒法による盛り場の不景気で、大人数のバンドを養うことができなくなってきた。時期を同じくしてPA設備の発達によって、少人数でもおっきな音が奏でられるようになった。
 そして、プレスリーに代表されるロックンロールの流行。
 かくしてジャズは、薄暗いクラブの一角に追いやられることになった。もちろんビックバンドの出演料など払えるはずもなく、ステージだって二十人も詰め込めない。
 そんなわけで、もっと少人数で演奏するジャズが発達してきたんだ。

 どんな世界でもそうだけど、様式を作って行くのは数人の天才達。もちろんジャズもご多分に漏れなくて、個性華やかなる天才達が様々なスタイルを作っていったのがジャズの歴史です。だから、これから先は個人名が多くなってくると思います。きら星の天才達に思いをはせつつ、ご容赦下さい。

   b1.BE-BPOの誕生と死

 その、ちっちゃいバンドで演奏するジャズのフォーマットを作ったのは、偉大なる天才、チャーリー・パーカー(アルトサックス)。
 彼と、トランペットのディジー・ガレスピーが中心になって作った演奏のフォーマットは、ビバップ(Be-Bop)と呼ばれてるんだ。ドラム、ベース、ピアノの3リズムにサックスやトランペットといった管楽器が1,2人加わったバンド(コンボ)。この編成ではビックバンドの作るようなおっきな音や凝った編曲などができるわけもなく、主な聴かせどころは各人の名人芸のアドリブソロ。

 スィングジャズのときには合奏の合間にちょっとだけ入るソロスペースも、コンボではそっちが主役。申し訳程度に曲のメロディ(テーマ)を演奏したあとは、そのコード進行を使って自由に、即興のメロディを紡ぎ出す。これがアドリブ

 このアドリブの、アイデアの豊富さ、きらめきにかけて、チャーリー・パーカーの右に出る人はいなかった。今でもいないと思うんだけどね。ビバップは、アドリブ一発勝負の音楽。そしてバド・パウエルや、ガレスピーなど、巨匠達の百花繚乱の時代。
 この時代が始まったのは、1940年代の後半くらいかな。今でも鑑賞に堪えるレベルでの録音技術っていうのがこれくらいからのものだから、録音で追えるビバップの始まりはこれくらい。
 ビバップ時代の終わりは、1955年3月12日。34歳の若さで(って俺と同い年やんけ)パーカーが死んだ日。いつの時代もそうだけど、ジャズとクスリ(麻薬)は切っても切れないものだから(僕の偏見です)、一瞬の煌めきと引き替えに身体を蝕んでいく演奏家も数知れないんです。チャーリー・パーカーもその一人。その演奏と、その生き様、死に様で永遠の伝説となったのでした。
 残念ながら、僕は観賞用の音楽としてのチャーリー・パーカーが苦手なので、ビバップのアルバムで紹介できるものをほとんど持っていません。ごめんなさい。パーカーの音楽は、あまりに心の中に強引に入ってきて、かき回すんだよね。不安になる、っていったらいいのかな。聞き流すことのできない音楽なんです。すごいのは分かるんだけどね。


 そして一時代を築き上げた大天才の死と同時、あるいはもう少し前から、バップは新しい時代に入っていった。

 それが、ハード・バップ

 ハードバップについては、次回にね。こちらはそんなにお待たせしないでいけると思いますが、心配な人は催促のメールでも下さいね。

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