■ 危機的的状況にある冨山常喜死刑囚と恩赦出願−3(2003/02/03) 目次 前へ 次へ

波崎事件
獄中から40年、 無実の叫び!
危機的的状況にある冨山常喜死刑囚と恩赦出願−3

カプセルの溶解時間も伸縮自在に操る事実認定

冨山さんの自宅から亡くなったI(Y)さんの自宅までの距離は、両側に民家がある幅4〜5mの狭い一本道で、約1300メートル。車で約3分(時速30km走行)。「真夜中にI(Y)さんが冨山さんの自宅から車を借りて帰宅する直前、冨山さんが頭痛薬と偽ってカプセル入り青酸カリを飲ませた。運転途中に青酸カリが効きだし交通事故を起こす。結果、交通事故死として処理され、青酸カリによる保険金目当ての殺人とは見破られない」これが検察が推測した完全犯罪の筋書きです。警察官自らが警察の検死判断を甘く見た実にお粗末な筋書きです。現場に行って、狭い一本道を歩くなり車を運転してみれば、交通事故死として処理されるだけの大事故が確実に起きるかに関して、全く現実味のないことが判ります。しかも、事故は起こらず、妻の(I)N証言によると、I(Y)さんは12時20分頃帰宅し、寝床に入って暫くしてから苦しみだしました。この点に関して、「カプセルの溶解する時間が予測したよりも長くかかった」が警察の推論。カプセルの溶解時間は平均5分(日本薬局)のところ、個人差によって10分以上あるいは30分かかる場合もあるとの例外を鑑定書の中から引っ張り出し、都合の良い手前勝手な解釈で交通事故が起こらなかった理由付けをしています。警察自らが考え出した筋書きをこれまた推論で否定しています。これでは同じ土俵に上がっての公正な審理にはなりません。こんな形での一方的な推論だけで事実認定がなされ、死刑判決が下される裁判はもはや裁判の名に値しません。

亡くなったI(Y)さんの死因を警察はカプセル入り青酸カリとしていますが,この死因にも「病死」や「自殺」の可能性が弁護団側から指摘されています。冨山さんと青酸カリを結びつける物証、事件との関連を示す他の物証も一切挙がっていません。判決は物証が無いことを、完全犯罪を狙ったから無いとし、物証を持って犯人を立証すべき検察官、裁判官の職務上の責任を回避しています。

家・屋敷の権利書の行方と12時15分退室説の問題

金策のため八日市場の金融業者との話し合いが終わり、途中何処にも寄らず、冨山さんの自宅に戻ってきたのが夜中の11時半前後。金融業者との話し合の報告を済ませ、I(Y)さんが冨山さんの家を借りた車で出たのが11時45分前後(これは冨山さんの証言)。もし、I(Y)さんが途中何処にも寄らず自宅に戻ったとすると、少なくとも12時前には帰宅しているはずでした。ところがI(Y)さんの妻の証言によると、帰宅したのは12時20分頃となっています。両方の証言が正しいとすると、空白の約35分間、I(Y)さんは何処に立ち寄っていたのでしょうか。警察はカプセルの溶解時間と冨山宅からI(Y)宅までの車でかかる所要時間(車の乗り降り時間を含め約5分)から逆算して、I(Y)さんが冨山さんの家を車で出たのは12時15分頃として、冨山さんの証言を退けました。

ここで問題になるのは、I(Y)さんが冨山さんの家を出るまで持っていた家・屋敷の権利書の行方です。I(Y)さんは途中どこにも立寄らず帰宅したと言う警察の事実認定が正しいと仮定すると、権利書はI(Y)さんの自宅あるいは乗っていった車の中から発見されるはずでした。しかし、発見されませんでした。地裁第24回公判のSさん(I(Y)家の近隣在住)の証言の中で、権利書が自宅になかったことが明らかにされています。さらに、この事実を確認する為に、2001年10月、私たちはI(Y)さん宅を訪ね、妻の(I)Nさんにお会いすることができました。直接ご本人に尋ねましたところ「なかったよ」とのハッキリした返事を受け取りました。この事実をつなぎ合わせていくと、I(Y)さんは冨山さん宅を車で出た後、警察の推論に基づく事実認定とは異なり、直接自宅に戻らず、何処かに立寄って権利書を預けて帰宅していることが明らかになります。このことだけで警察が主張する12時15分退出説は成り立たなくなり、冨山さんが毒入りカプセルを飲ませたという推測による筋書きは見事に崩壊し、冨山さんの無実が証明されることになります。

では一体、誰の所に立寄ったのでしょうか。事件前、I(Y)さんは借金53万円の形(カタ)として家・屋敷の権利書を銚子清川町の賭博仲間Eさんに預けていました。事件当夜、I(Y)さんはEさんから一旦その権利書を借り受け、八日市場の金融業者の所に行きました。従って、用件が終わった後は、借り受けた権利書を元の持ち主であるEさんに戻すと考えるのが最も理に適っています。しかも、次項で紹介するI(Y)さんの妻(I)Nさんの夫・IYさんへの伝言内容から、そのことがさらに裏付けられます。

IYさんの立寄り先調査で握り潰された事実

判決ではI(Y)さんが冨山さん宅を出発した時間を12時15分前後と認定しています。検察は帰宅時間を12時20分と設定((I)Nさん証言を採用)し、そこから逆算してこの時間を割り出しています。この点に関して警察は、事件後I(Y)さんの足取りを調査するために波崎一帯を戸別訪問し調査したと言っています。その結果、立寄った場所がないと断定して、12時15分に冨山宅出発を認定したのです。しかし、何故か銚子大橋を渡った銚子側〈I(Y)さんの博打仲間が住んでいる〉一帯は調査していませんでした。ここで事件当夜、IYさんが帰宅前に、銚子大橋を渡った清川町の賭博仲間の小**門(Eさん)さん宅に寄った可能性が大きいことを証明する(I)Nさん証言を警察調書から以下に紹介します。

(I)Nさんに対する第一回警察調書(s.38/8/26) 鹿島署巡査部長 浜田三喜男 作成(8月25日の夫・(I)Yの行動に関する事情聴取)

「・・・・すると午後8時頃のテレビで『二人ぼっち』というのをやっている時に、ハイヤーを運転して戻ってきたのです。そのハイヤーはハコヤのものと思いましたが、ハイヤーを運転する運転免許は持っていません。それで、夕飯を食べて5分位いで又乗って来たハイヤーを運転して出て行ったのですが、8時頃来る一寸前頃、海老台の小**門という家のおばさんからの声で有線が来て、『銚子の清川町で用事があっから来てくれと言ってくれ』という事だったので、戻ってきたら言っておくと話したので、夕飯に来た時そのことも言ってやったのですが・・・・」

(I)Nさんに対する第二回警察調書(S38/8/30)鹿島署巡査部長 古室善治 作成

「・・・『二人ぼっち』と言う題名でこまどり姉妹の放送が始まったときでした。この放送を見ている途中に海老台で屋号小**門と言う家のおばあさんから有線放送が来ました。その時の内容は『銚子の清川町で用があっから今日でも明日でもいいから来る様にいってくれ』とのことでした。この様な電話をかけてから再びテレビを見ていましたが、こまどり姉妹の放送(フジテレビの『二人ぼっち』は午後8時から8時30分)が終わる間近のころでしたから8時25分ころと思いますが、自動車で夫が帰ってきたのです。・・・略・・・話が前後しますが、夫が家に入るより早く小**門のおばあさんから電話があったのを話しました。夫が家に戻り、食事をすまして出て行った時間は5・6分位と思います。・・・」

夫が死亡した当日の事情聴取と4日後の事情聴取の中に、事件当夜(8月25日)IYさんが冨山さん宅退室後に、銚子清川町の小**門(Eさん)宅を訪問する可能性が語られています。IYさんは八日市場の金融業者に会いに行くに当たって必要な家・屋敷の権利書を借りに、Eさんの自宅を夜8時ごろ訪ねています。I(Y)さんはEさんに借金の形(カタ)として権利書を預けていたのです。権利書を受け取った後、自宅に戻り伝言を妻・(I)Nさんから聞いたのです。I(Y)さんが権利書を受け取った後の伝言であるだけに、「今日でも明日でも」という言葉から急いでいるニアンスが感じ取れます。

この様な足取り捜査にとっては最も重要な情報を、しかも夫をなくした妻の(I)Nさんから直接得ていたにもかかわらず、I(Y)さんの立寄り先捜査対象地区を波崎一帯に絞ってしまった捜査方法を認める訳には行きません。これは単なる捜査上のミスではありません。そのことは公判中での捜査員大内朝吉証言に照らしてみれば明らかです。『その時間は5分間位でなければならない。15分も20分もかかるような所へ行って戻ってくるというようなことは考えられなかったので、そういう短い時間でやった。』、『5分で帰ったというのは立寄り捜査以前に出した結論である』。要するに、事件直後、夫を亡くした(I)Nさんの夫・(I)Yさん足取り(立寄り先)に関する最重要な情報を握り潰したのです。握り潰した上で、そ知らぬ顔でI(Y)さんは冨山さん宅退出後何処へも立寄っていないという、波崎町約2000世帯の立寄先調査報告書を証拠として法廷に提出しています。しかも、この立寄り先調査を開始したのは事件後なんと2ヶ月と18日たった11月13日でした。真実を追究し真犯人を捕まえることを仕事としている警察・検察が自分たちの勝手な想像(12時15分退出説)を事実に摩り替えるため、嘘のアリバイ工作をしたのです。

虚構の「12時15分退出説」を補強する虚偽の証言

[1] 自転車に乗った酔っ払いの若者3人組の証言
警察は12時15分説を補強する為に、12時10分に冨山宅の前にコロナが駐車しているのを見たという若者3人を探してきました。その内の一人は、証言内容がころころ変わり検察側は証拠として採用するのを諦めましたが、残る2人は最初の事情聴取の時に話した内容を変更し、最後は警察の望む12時15分に近い内容を証言し、証拠として採用されました。この3人の自宅は冨山宅から約1300メートル離れたIYさんの自宅を通り越した先にありました。道は一本道。I(Y)宅までの所要時間は自転車で約9分、車で約3分です。12時10分、家の前を通り過ぎる時、駐車中のコロナを見たという2人の目撃証言が真実なら、12時15分、後から出発したI(Y)さん運転のコロナに、3人はI(Y)宅に行き着く手前の何処かの地点で追い越されるはずです。これが論理的帰結です。しかし、3人の若者からは車に追い越されたとの証言は一切出てきていません。さらに、同じ時間帯にI(Y)家の方角からハマグリ業者のAさんが、ハマグリを千葉に運ぶために仲間の一人と車を走らせていました。このAさんは銚子大橋の料金所で時間を尋ね、12時20分と確かに聞いたと地裁第16回公判で証言しています。若者2人の証言が真実なら、3人の若者はI(Y)家に着く手前のどこかで正面から走ってくる、このAさんの車にすれちがっているはずですが、そのような証言は一切ありません。また、Aさんも自転車に乗った3人組若者にすれちがったとの証言をしていません。警察は目撃証言工作に成功したと思っていますが、これでは頭かくして尻隠さずで、逆に虚偽証言を3人に強要したことを自ら証明したことになります。そして、次のAで述べるように、警察はこの3人の若者の偽証証言を利用して冨山さんの内妻IMさんに、I(Y)さん退出時間を最初の証言11時45分から12時15分に変更するよう迫ったのです。

[2] 冨山さんの内妻・IMさんの証言
IMさんはIYさんの退出時間を当初、冨山さんと同じ12時45分頃と供述していました。しかし、警察は保険外交員をしていた、IMさんに対し、外交員が通常便宜的に加入者名の代筆や三文判の捺印をしていることを捉え、私文書偽造で逮捕すると脅迫する一方で、経済的弱みに付け込んで、多額な見舞金やブローチ、ネックレス、シミューズ、ブラウス、靴下等をプレゼントすることで懐柔し、ついに、退室時間を12時過ぎというように証言を変えさせました。この事実は、地裁第18回公判(s.40/10/7)で明らかになりました。

荒川弁護士「私があなたの証言の変化に驚いて、何かあったのかと思いあなたのアパートに行きましたね。そしたらあなたは『警察に12時15分だと言ってくれと頼まれた。冨山に犯人はお前なんだと言ってくれ。現に12時15分頃に冨山の家の前に車があったと言う証人がいるんだとしつこく言われた』と泣きながら言ったじゃないですか。
IMさん 「そんな事ないです」
荒川弁護士「あなたは確かにそう言ったではないですか。それともあの時、私に話した事はウソだったのですか」
IMさん 「・・・・・・・・・・・」

という問答の末、IMさんは下を向いて黙ってしまいました。このようなやり取りが法廷で展開されたにも拘らず、裁判官は警察の脅迫行為や懐柔策を擁護するばかりで、IMさんが何故、最初の証言を変えざるを得なかったかに対して、全く理解を示そうとはしませんでした。

※関係者の個人名の取り扱いについてはこちらを御覧下さい


目次 前へ 次へ