■ 危機的的状況にある冨山常喜死刑囚と恩赦出願−2(2003/02/03) 目次 前へ 次へ

波崎事件
獄中から40年、 無実の叫び!
危機的的状況にある冨山常喜死刑囚と恩赦出願−2

裁判所が死刑判決を下した要旨

ここで、裁判所が冨山常喜さんに死刑判決を下した要旨を紹介します。

「IYさんは被告人(冨山常喜さん)の内妻の従弟であり、親しくしているうちにI(Y)が以前無免許運転で車を転覆させた事故を起こしていたのを口実にしてI(Y)に生命保険を勧誘したところ、承諾したのを奇貨としてT生命にI(Y)に相談なく加入の手続きを取り、死亡時600万円の保険に加入し、被告人とI(Y)の妻がそれぞれ半額の受取人となった。即ち、I(Y)が自動車運転中に過って交通事故を起こして死亡した如くに偽装して保険金を取得しようと目論んだ。こうして被告人が好機到来を待っていたところ、たまたま昭和38年8月25日、I(Y)が金策の為、不動産業者と2人で千葉県八日市場市に出かけ、帰りに被告人方に立寄ることになっていたので、かねてからの計画を実行に移すため、青酸化合物を入れたカプセルを作って待っていたところ、同日11時30分頃戻ってきて、0時15分頃被告人の車を借りて一人で車を運転して帰るということになり、しかもI(Y)が以前自分のバイクを担保にして金を借りていたところ、その人がバイクを他人に転売してしまったことがわかり、腹が立って眠れないと言うのを奇貨として鎮静剤かアスピリンのようなものを飲めばよく眠れると告げて正常の薬品の如く装い、これをI(Y)に交付したところ、同人が鎮静剤と誤信して即座に被告人の土間に設けられた水道の水と共に飲み下して、すぐに車を駆って帰途についた。ところが被告人の期待に反して途中で別段の症状も起こさず、同日0時20分頃に帰宅し、間もなく猛烈な苦悶を始めた(この時、冨山に薬を飲まされたと言ったというのである)ので近隣の人が車で波崎済生病院に運び込んだが午前1時30分ごろに死亡した。・・・・・・」

以上の判決要旨を読む限り、冨山さんが犯人に間違いなしとの心証を受けますが、果たして本当に犯人なのかを以下に検討していきます。

保険金取得の計画殺人はそもそも成立しない

判決要旨では、亡くなったI(Y)さん自身が知らない内にT生命に加入させられていたとなっていますが、水戸地裁第13回公判(s.39/10/26)での(I)N証人(IYさんの妻)の尋問で、本人承知の上で加入したことが明らかになっています。そして、この保険の成立に関しては、要旨では触れていませんが、冨山さんは手続き段階で、保険契約はしない旨を何回か保険外交員に伝えていました。そして、事件後に保険証券がI(Y)家に届いて初めて契約が成立していた事実を知ったことが第15回公判(s.39/12/17)で明らかになりました。このことは、保険金取得を目的とする計画的殺人そのものが成立していないことを意味します。一方、事件前に保険契約が成立したことを確実に知っていた人物がいます。それはI(Y)さんの妻・(I)Nさん(第一審公判中、死亡時保険金300万円を保険会社に請求、最高裁判決後、実際に300万円を受領)です。事件の起こる約1ヶ月前に、T生命保険外交員が契約成立の御礼品を届けにI(Y)家を訪問、妻・(I)Nさんが外交員に応対していたのです。このことは警察供述調書(s.38/8/26)で明らかにされています。しかし、このような重要な事実を裁判官は事実認定の中に加えていません。

更に、青酸化合物入りカプセル(警察の想像の産物で、この事実すら立証されていません)を冨山さんが交付したとなっていますが、これも想像で目撃した人はいません。交付したとされる場所は6畳間で、その時間帯には20歳の娘が脇で寝ていました。しかも、隣りの4畳間には内妻のIMさんが目を覚まして2人の会話を聞いていたのです。経験則上、完全犯罪を企む人がこんな危険を犯すとは考えられません。また、交付したとされるカプセルを即座に土間にある水道の水と共に飲み下し、となっていますがこれも想像で目撃証人はいません。このように想像に想像をいくら重ね合わせても事実にならないことは誰の目にも明らかです。なのに、裁判官は想像(推測)を事実に変えてしまい、「青酸化合物の入手経路、その所持の事実、これを証すべき証人、これを与えたとの目撃者等のいずれもが不明であるが・・・」と認めた上で、「それでも被告人を有罪とするのを妨げない」と刑事訴訟法での立証責任の原則を無視した、信じられない強引さで判断を下しています。最初から偏見を持って冨山さんを犯人として見てしまうと、想像が事実に、事実が虚偽に変えられてしまい、真実が見抜けなくなるのです。

冨山さんには殺人の動機はなかった

一審判決では、冨山さんには事件当時収入がなく経済的に困窮していたとの事実認定に基づき、殺人の動機を経済的困窮度からくる保険金殺人としました。しかし第二審公判を通して、裁判官は、当時冨山さんは経済的には困窮していなかったということがわかり、確定判決では「本件は保険金の取得を目的とし、・・・・被害者に毒を飲ませて殺害したという物欲からでた計画的犯行であって・・・・被告人には、当時特に金銭的に窮していた事情もなかったこと・・・・」との事実認定に変更せざるを得なかったのです。事件の構成要素で最も重要な動機の変更ということを考えれば、検察が推測していた虚構の土台が崩れたのですから当然無罪判決しかなかったのですが、再度の死刑判決でした。第二次再審棄却決定(2000/3/13)では「請求人は、経済的にあまり余裕のない生活をしていることがうかがわれる上・・・・」と述べ、経済的困窮からくる保険金殺人を動機にしています。このことは、冨山さんの経済状態に関する確定判決の事実認定を否定し、驚いた事に一審の事実認定に戻ったのです。動機に関する事実認定がこの時点で変わるということは、裁判官の心証が揺れ動いていることの証明で、同時に死刑判決に対する自信のなさを表しています。

当時の冨山さんの経済状態は保険金殺人を計画するほど逼迫していたのでしょうか。亡くなったI(Y)さんとは違い、借金で首が回らないほどの借金はありませんでした。事件の前年、20歳の娘が自宅から車で約10分の所に美容院を開業した際の借入金はあったものの、返済計画は確実な上、美容院の経営も順調で、事件当時急いでお金のいる特別な事情はなかったと、内妻のIMさんは法廷で証言しています。また、冨山さんは事件の起こる直前に、京成成田駅近くの山林(6町6反歩)を京成電鉄に売却する不動産の仲介をしていました。京成電鉄のT証人によれば、冨山さんが逮捕されなければこの商談は成立していたはず、と水戸地裁第20回公判(s.41/2/10)で証言しています。また、内妻のIMさんも第5回公判(s.39/4/10)で同趣の証言をしています。そして、この商談が成立すれば、総額の2分(約300万円)が手数料として手に入ることになっていたのです。経験法則上、こんな中で経済的理由を動機として保険金殺人を考える人がいるのでしょうか。ここでも、偏見から冨山さんを最初から犯人と決めつけて、筋が通らない事実認定をしているのがわかります。

賭博の借金で首が回らなかったIYさんと「自殺」の可能性

亡くなったI(Y)さんは当時賭博のための借金が約400万円、現在のお金にして約5千万円あり、持っていた土地のほとんどを担保にお金を借りていました。借金で首が回らない状態にあり、市民感覚からして、何時夜逃げか自殺してもおかしくない状況にあったといえます。事件当時近くに住んでいた賭博仲間のSさんは、最近訪ねていった私たちに「あいつは賭博に狂っていて、土地の権利書を持っていて駆けずり回っていた。いくら注意しても聴く耳をもたなかった」と当時を振り返って話してくれました。地裁公判の中でも明らかになりましたが、莫大な借金の尻拭いをIYさんの実兄がやっていたのです。また、この事件の一ヶ月前にIYさんは賭博容疑で鹿島警察署の取調べを受けています。

事件当夜、I(Y)さんは、妻には内緒で最後に残っていた担保物権(家族が住んでいる宅地・家屋)で120万円のお金を借りる交渉のため、家・屋敷の権利書を持って、仲介者と一緒に冨山さんの車を借りて、八日市場にある金融業者のところに行きました。もし仮に、お金が借りられたとしても、当時のI(Y)家の農業からの現金収入は月平均約3万円であったことを考えると、その借金が返せない可能性がありました。返済できなければ担保物権である家・屋敷は貸し手である金融業者に取り上げられ、家族は路頭に迷う事になるのです。判決では「自殺せねばならなかった事情があったと認めるに足る証拠がない」とし、「自殺」の可能性を否定していますが、果たしてこれは正しい事実認定でしょうか。事件当時、銚子市清川町に住んでいた賭博仲間のEさんは水戸地裁第20回公判(S.41/2/10)で弁護士・検察官の質問に以下のように応えています。

弁護士:亡くなる直前は、借金で首が回らないような状態だったわけですね。
Eさん:そうね、それと自分ではたいした借金はないようなことを言っていたけれどもね、あったんじゃないですか。(略)
検察官:借金で土地をかなり手放しているんですが現在はまだ半分以上は残っている様子ですか。
Eさん:半分以上残っているでしょうね。(略)
検察官:あなたの目から見て、そういう借金をして、自殺しそうだということを感じたことありますか。
Eさん:そういうことはありません。
検察官:それはどういう点からですか。
Eさん:おそらく、あの男は、売るものがみんななくなったら死ぬかもしれないけれど、あるうちは死なないでしょう。

上記のEさんの応えの中に事件当時のI(Y)家の資産状況を正確に把握していないところがあります。借金の担保に取られていない土地がまだ半分以上残っているという箇所です。弁護団が登記簿謄本や名寄帳を調査した結果、事件当時、ほとんどの土地には借金のための抵当権が設定されていて、無傷だったのは家・屋敷だけという事実です。従って、Eさんの、「あの男は、売るものがみんななくなったら死ぬかもしれないけれど、あるうちは死なないでしょう。」の言葉通りなら、「自殺」の可能性は十分あったと判断するのが正しのです。それにしても、警察・検察はEさんの「半分以上残っているでしょう」の言葉を裏付け調査もせず鵜呑みにしてしまったことが伺われます。冨山さん犯人説の偏見からくる職務怠慢としか言いようがありません。

「自殺」の可能性に関してもう一つ、水戸地裁第5回公判(S.39/4/10)における、IMさん(冨山常喜さんの内妻 当時44歳)の証言を紹介します。

弁護士:証人は、(I)Yを被保険者とする生命保険を契約したという事をいつ頃知ったか。
IMさん:昨年(S.38)7月頃と思います。
弁護士:(I)Yはそのことを知っていたのか。
IMさん:自分が入ったのですから、知っていたと思います。
弁護士:売渡担保で金を借りると言う話が出る以前に、(I)Yが証人の家に来て、「自殺しても保険金は受け取れるか」、という事を証人に問うた事があったか。
IMさん:ありました。
弁護士:それはどういう機会にあったのか。
IMさん:話の初めは(I)Yが私に「俺が死んだらお前どうなるか」というので、私は「お前が死んだら借金が残って子どもが可哀想ではないか」と申したところ、(I)Yは更に「保険は自殺と関係あるのか」と聞くので、私は「自殺したら取れないぞ」と申したのです。

事件当時、賭博による借金で首が回らず、追い詰められて「自殺」と「保険金」を考えていた様子が十分伺える証言といえます。そして、もし仮に8月25日に事件が起こらなかったとしても、翌日の8月26日には金融業者が担保物権である家・屋敷を評価しに来る日になっていました。従って、妻に内緒にしていたこの件がばれてしまい、修羅場となることが予想される日でもあったわけです。裁判官が変えなければいけないのはIYさんの資産状況と自殺の可能性に関する事実認定です。

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