■ 危機的的状況にある冨山常喜死刑囚と恩赦出願−4(2003/02/03) 目次 前へ

波崎事件
獄中から40年、 無実の叫び!
危機的的状況にある冨山常喜死刑囚と恩赦出願−4

何故出ない銚子大橋料金所職員の目撃証言

こうして見ると、事件当日の真夜中、冨山宅から約38メートルの目と鼻の先にある銚子大橋料金所で働いていた日本道路公団職員の証言(冨山宅前に自動車が何時まで駐車していたかに関する目撃証言)や、冨山さんの車が深夜銚子大橋を何往復したかに関する記録資料が今まで一切法廷に証拠として提出されていない理由も理解できます。公団職員の目撃証言等が警察・検察の12時15分退出説を補強するものであれば当然にも採用され、既に証拠として法廷に提出されているはずです。提出されていないところを見ると、12時15分説を否定する証言・証拠という理由で握り潰されてきたと考えられます。

この事実を確かめるために、波崎事件対策連絡会議のメンバーは、事件当時に銚子大橋料金所で働いていて、現在、東京都、福島市、山梨市、蓮田市、飯田市等に在住している人々を訪問して、直接お話を伺いました。不思議なことに、毎日働いていた料金所から昼夜良く見える家に住んでいた冨山さんが、保険金殺人で逮捕されたという田舎での大事件であるにもかかわらず、事件のことは憶えていない、警察の事情聴取を受けたこともないと、口裏を合わせてあるような返事でした。中でも、現在北海道に在住のTさんは、水戸地裁第28回公判(s.41/10/1)記録に検察側証人として名前が挙がっている人ですが、理由は明らかになっていませんが、W取消しWとなっています。私達は前から、警察は事件当夜に誰が銚子大橋を利用したか、さらに、料金所から見える冨山さん宅前に何時までコロナが駐車していたかを事件との関連で調べていたに間違いないと思っています。そのために、事件当日の真夜中に働いていた公団職員を特定し、事情聴取を行い、銚子大橋利用記録(料金徴収記録)の提示を求めたと確信しているのです(実況見分調書添付の警察写真には冨山宅から料金所を撮った写真と、料金所から冨山宅を撮った写真があります)。理由が明示されていませんが、結果として公判記録にあるようにW取消しWとなっているにしても、検察側証人として一度は検察がTさんを法廷で証人喚問しようとしていたことは疑う余地はないと思います。一般的に検察・弁護士が法廷で証人を喚問する場合には、事前に証人と接触し、打合せをします。このことを考慮に入れますとTさんは最低一度は警察による事情聴取を受けていることは確かと思われます。ところが、このTさんも事件のことは忘れた、警察から一度として事情聴取されたことはないとの一点張りです。そして、もうこれ以上関わりたくないから、連絡しないで下さいの言葉を私たちに残しています。こうなると、警察から何らかの圧力がかかり、口封じされているのではないかと疑わざるを得ません。

過去の冤罪事件(松川事件、免田事件、松山事件、財田川事件、徳島ラジオ商殺し事件等)で再審無罪になったケースでは、再審が開始された大きな理由として、検察庁が隠し持っていた無罪を証明する目撃証言、アリバイ証言や鑑定書等が弁護団の粘り強い働きかけにより開示されたことが挙げられます。この波崎事件でも隠されている証拠を開示させることにより、真実を明らかにしていくことが必要です。

T生命保険に関するIN証言の信用性

これまで、計画殺人の不成立、殺人動機の有無、カプセル容器の溶解時間、資産状況と「自殺」の可能性、家・屋敷の権利書の行方、12時15分退出説の問題、立寄先調査に関するアリバイ工作と偽証工作、開示されない目撃証言・物証等に関して述べてきました。結論として、冨山さんを有罪とする警察・検察の根拠は全て状況的な推論に基づいていること、推論がいつのまにか事実に摩り替わってしまっていることが明確になったと思います。このような状況証拠だけで裁判官は「合理的疑い」を超えたとされる心証を形成し、冨山さんに有罪(死刑)判決を下しました。何が真実であるかを偏見なしに公平・公明に追求し、正しい判断を下すべき裁判所が、推論(想像)を事実に、事実を虚偽に変えてまでして、如何して過った判決を下してしまったのでしょうか。最大の理由としては、偏見から、冨山さんを最初から犯人と決めつけていたことが挙げられます。

この偏見は、IN証人の言葉「夫は、『酒飲まねエ、酒飲まねエ』と2,3回繰り返して、今度は『箱屋にだまされて、薬飲まされた、はな2粒飲まされて、あと1つ飲まされた』といったのを聞いた」を警察・検察・裁判官が疑いも無く信じてしまったところから生まれていると考えます。そもそも、青酸化合物の特徴は、それを飲むと一瞬の内に言葉がしゃべれなくなることです。従って、夫の言葉をこれだけ多く聞いたとする、IN証言をまず疑ってみるのが捜査の常道です。しかも、T生命保険の半額300万円を受け取る資格のある人です。それなのに、伝聞であるIN証言について「人の死の断末魔における苦悶とともに発した自然衝動的な言葉は、それ自体所謂伝聞証言でない事は明らかである」と100%の信用を置いています。この信用性に関して、第2次再審補充書の中で弁護士は、「・・・死の断末魔に自然衝動的な言葉を発したのは(I)Yであって、INではない。従って、(I)Yが発した自然衝動的な言葉をINが正確に伝えたか否かは別問題であって、その信用性を十分検討する必要がある・・・・」と主張しています。この検討を十分しなかったということは、最初から裁判の公平さを失っていたのです。

はたして、IN証言は信用できるものなのでしょうか。T生命保険に関する証言に限って、2回の警察供述書、1回の検面供述調と4回の公判記録を分析してみた結果、供述内容に見逃す事のできない重要な変遷が見られるので、その内容を以下に要約します。

[1] T生命に夫IYが加入していたかを事件以前に知っていたかに関して・・・最初は「知っていた」を最後には「夫の死後保険証券が送られて来て初めて知った」に変えています。
[2] 「T生命険会社」の名称に関して・・・最初は「調査員にT生命と確認した」次に「調査員が言わなかった、聞かなかった」最後には検察官の追及に「最初に言ったのが正しい」に変えられています。
[3] 保険金額に関して・・・最初は「50万円」次に「少額」最後は「額は聞いてない」に変えています。
[4] 夫・IYに保険のことを聞いたかに関して・・・最初は「その夜(保険調査員が訪ねてきた日)に聞いた」次に「聞かない」最後、裁判長の厳しい追及に「確かにその夜に聞いた」に変えています。
[5] 夫・IYと保険の件で話した内容に関して・・・最初「俺は払わねえ、冨山が払っているだっべや」最後は「そんなのは入らねえど」に変えています。
[6] T生命保険外交員提出の『追加告知書』の本文に関して・・・最初「自分では書かない」次に「忘れた」最後、検察官の厳しい追及に「沈黙(書いた)」に変えています。
[7] 冨山さんが夫IYに毒を飲ませたと初めて思ったことに関して・・・最初「自宅で苦しんでいるのを見た時」最後は「夫の死後」に変えています。

以上7点にわたる供述内容の変遷はいずれも意図された嘘で、偽証罪と法廷侮辱罪に相当し、決して見逃すことのできないものと言わざるをえません。ここで、第2次再審請求補充書の中から、保険金に関連する弁護側主張を以下に引用します。

「・・・IN自身は裁判の場では、そのような保険の存在は知らなかったと、ひたすら主張しているにもかかわらず、原判決は、INは保険金の額はともかく保険がかけられていたこと自体は認識していたと認定している。第三者であるMK(保険外交員)の証言などからは当然の認定であるが、ひるがえって、保険契約の存在を知りながらそれを知らないと言い張りかつ被告人に毒を飲まされたと主張してやまないIN証人のどこに信用性があろうか。そして、現実にINは保険金の請求を自ら行っているのである。」、「・・・・INは、被告人が犯人となることで、直接的に三百万円の利益を得ており、原判決は、その証言によって利益の得られる証人の証言を唯一の直接的な証拠として、被告人を有罪と断定したのである。証拠法的には、IN証人は『被告人にとって最も危険な証人』であって、その証言の信用性は、最大限の疑いの目を持って、検証されなくてはならない。保険契約の認識についての証言から見ても常識的に考えると、INの証言を全面的に信用することほど不合理なことはないのである。・・・・」。

この弁護人の主張は今も生きているのです。

IN証人の供述内容の変遷は、判決文に書かれている「記憶が薄れた結果の記憶違い」でなく、十分計算されたものです。このように嘘で固められたIN証人から出る如何なる言葉も信用に値しないことは明白です。従って、夫IYが苦しみながら「箱屋にだまされた、薬を飲まされた・・・・」と言ったのを聞いたとするIN証言を疑う根拠がここにあるのです。検察官・裁判官はこのようなIN証人に対し最初から何の疑念も抱かず、IN証言を100%信用し、一方、冨山さんに対しては逆に、最初から偏見を持って犯人と決めつけ、完全犯罪との推測の下、冨山さん供述に対しは100%疑ってかかっています。これではとても公正・公平な裁判とはいえません。信用できないのはIN証人であり、冨山さんではありません。弁護側は検察・裁判官の人権を無視した不公平な判断に対し異議を唱えているのです。

即時釈放・再審開始決定を!

冨山常喜死刑囚の無実の訴えに、偏見から真摯に耳を傾けず、更に、弁護団の有罪判決に対する反論に対し、立証責任を放棄して、推測・想像・推論と言った状況的証拠のみで応え、真実を見抜けないまま、無実の冨山さんに有罪を求刑した警察・検察、そして死刑判決を下した一審から最高裁までの裁判官達の責任は問われなければなりません。IYさん立寄り先調査で握り潰した重要証言、偽のアリバイ工作、偽証強要等を考えると、これは100%、警察・検察による権力犯罪です。しかも、殺人罪に値します。この罪を償う唯一の道は即時釈放・再審開始しかありません。

獄死を許さない恩赦出願

冨山さんは40年近く獄中から不屈の精神で無実を訴え続けてきていましたが、その冨山さんは85歳、現在東京小菅刑務所に収監されています。2000年(平成12年)6月以降、冨山さんは車椅子の生活になりました。2002年6月、病舎に移管された冨山さんは、「頭痛が時々起こり、血圧もときたま200に達し、常時食欲不振と吐き気があります。現在は体調が悪く、食べることができなくなり、栄養補給の点滴を毎日やっています。また、喋ることもままならず、耳も良く聞こえなくなりました。こうした次第で獄中生活が耐えられなくなりました。もう駄目かなという感情に暫々襲われます」と病状を訴えています。2000年3月、東京高裁に異議申立て請求をしてから早くも3年近くが過ぎようとしています。冨山さんの年齢と健康状態を考えると、このように決定を長引かせている理由として考えられることは、裁判所が冨山さんの獄死を待っているということです。獄死は死刑執行と同じ行為と考えますので、絶対に許す訳にはいきません。

2002年11月の面会の時も、寝たきりの状態であり、車椅子で面会室に来ることはできても、面会者との会話は自由に進まず、文字を書いたり意思を表明することができなく、体調の悪化が顕著で獄死が危惧される状態でした。このような危機的状況に置かれている疾病・老衰者に死刑という厳罰を科することは、「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」(第36条)とした憲法に違反します。すなはち危機的状態の疾病・老衰者にとっては「拘置」自体が拷問であり残虐であるとの認識から、弁護団は2002年12月6日、東京拘置所長宛てに恩赦出願を提出しました。恩赦の種類は特赦もしくは減刑または刑の執行免除としました。

現在再審請求中ですが、このことで不利益を得るという理由にならないと考えました。過去、いわゆる福岡事件では、3人に対して、再審請求中にあっても恩赦が認められています。むしろ、誤審の疑いのある者こそが、率先されて恩赦にされるべきと考えます。刑事司法の鉄則である「疑わしきは被告人の利益に」の理念が、現在の冨山さんにも適用されることを求めているのです。

2003年2月3日

連絡先:
「波崎事件対策連絡会議」
代表:篠原道夫(しのはらみちお)
住所:東京都東久留米市柳窪1―10―37
電話:042−473−9782

「波崎事件の再審を考える会」
代表:大仏照子(おさらぎ あきこ)
住所:茨城県新治郡千代田町稲吉東4―14―2
電話:029―831−9638
URL: http://www.asahi-net.or.jp/~VT7N-YND/

事件と裁判の流れ
1963年 8月26日 IYさん波崎済生会病院で0時30頃に死亡
1963年10月23日 冨山常喜さん私文書偽造容疑で逮捕
1963年11月 9日 毒殺容疑で再逮捕
1963年11月30日 殺人・私文書偽造で起訴
1966年12月24日 水戸地法裁判所土浦支部判決 死刑
1973年 7月 6日 東京高等裁判所判決 死刑
1976年 4月 1日 最高裁判所上告棄却
1980年 4月 9日 第一次再審請求
1984年 1月25日 第一次再審棄却
1987年11月 4日 第二次再審請求
1997年 7月29日 第二次再審請求補充書提出
2000年 3月13日 第二次再審棄却
2000年 3月17日 東京高等裁判所に異議申立書提出
2002年12月 6日 東京拘置所長宛に恩赦請求提出

※関係者の個人名の取り扱いについてはこちらを御覧下さい


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