■ 山際永三氏講演 多発する冤罪‐2(2001/02/11) 目次 前へ 次へ

山際永三氏講演 多発する冤罪(2)
二〇〇一年二月十一日 土浦人権集会

死刑再審第五の門
 そういう意味じゃ、赤堀さんは駄目という人もいたと思うんだが、赤堀さんはどうにかすべり込んだんです。四人だけは出すという話があったというんです。「五人目は駄目だよ」と言った人がいたというんだからおそろしい話で、まさに、この「波崎事件」の冨山さんは五人目、あるいはもっとうしろなわけですよ。それから「袴田事件」の袴田さんとか、「名張毒ぶとう酒事件」の奥西さんね。この奥西さんは一審無罪ですよ。つまり証拠が無い。だから奥西さんは殺人で捕まったけれども無罪。にもかかわらず検事が控訴して二審目から死刑で、最高裁で死刑。現在、奥西さんは第六次再審をやってますが、この奥西さんが「第五の死刑再審だ」と言った人も居ますけれども、その奥西さんも駄目だった。そういう形でいくつかの第五の候補者があるにもかかわらず駄目なんです。じゃあ赤堀さんが出てきたあと、一九八九年ですか、このあと死刑確定になった人で無実の人はいないかというと、とんでもない、いるんですね。いま日本に死刑確定者が五三名います。私、大佛さんから調べてきてくれと言われて、いろんなところできいたんですが、死刑確定者の正確な人数、これ、なかなか難かしいんです。日本で死刑確定した人を調べるだけでなかなか面倒なんです。というのはご承知のとおり、必ずしも最高裁までいって却下という事じゃなくて、中には一審だけで死刑になって、もう裁判やるのもいやだといって、一審で確定になってしまう人もいるんです。だから、なかなか新聞記事を見ただけでは無理なんで「死刑廃止フォーラム」のグループがそこら辺を細かく情報をつかんでいて、全国の弁護士さんに頼んだりして死刑の問題については敏感に記録をとってるんです。毎年、死刑廃止の年報がでてますが、この年報によると資料のページに毎年の死刑確定者の一覧表が出ています。(インパクト出版会刊、イザラ書房発売)
 今日は、お配りしていませんが、二〇〇〇年の分がもうすぐ出版されます。以前は整理されていませんでしたが、レジュメにもありますように、一九九〇年代に三年四ケ月ばかり死刑が執行されない時期がありました。これも先ほど言いました日本の戦後史のあるひとつの遺(のこ)り火みたいなものが、ぼくは死刑という問題に作用したのではないかと思っていますが、ある時期九〇年代の三年四ケ月、日本では執行されなかったんです。そのとき、法務大臣に仏教のお坊さんがいて、死刑執行の印鑑を押すのはいやだといった人がいて、そういう幸運も重なって死刑執行されない時期がありました。
 後藤田正晴が法務大臣になってからそれは崩れてどんどん執行されるようになりました。だからこういう一覧表を作るのも難かしいんです。最初のほうは現在生き残っている死刑囚を書いてあったんですが、それはやめようと。我々が死刑廃止運動をやっているのに死刑執行されて殺されたからリストから外すのはよくないじゃないかと。出版社にたのんで執行された人には斜線を入れてのこすことにしたんです。このアミをかぶせて印刷してあるのは三年四ケ月執行が止まったあとに執行された人です。
 この人たちの執行を止めることが出来なかったという我々の屈辱のあかしでもあるんだという意味でのこしてあるわけです。アミのかぶっていない人を勘定すると、二〇〇〇年末の人数がわかるんですが五二名です。このあともうひとり確定した人がいて、五三名です。
 また、この二月一日に第一審で死刑判決があって、どうやら本人が控訴するのがいやだと言っているので、二週間控訴の期限があるので、二月一五日になると確定してしまうかもしれない。すると、五四名になってしまうかもしれない、というのが最新情報です。

再審ラッシュ状況
 このリストでずっと勘定していきますと、相当大勢の人が再審を望んでいるんです。十数年前には一三人とか一四人でした。国会議員が法務省に死刑確定者が何人いて、その中で再審を望んでいる人が何人いるんだと質問すると、数だけは答えるんですね。ところが、その数が、法務省の言う数とこっちがつかんでいる数がなかなか合わないんです。なんでそんなのが分からないのかと疑問に思われると思うんですが、なにせ、それほど死刑囚の人たちは分断されていまして、連絡の取りようがない。死刑囚は家族しか面会できない。弁護士も面会できない。再審をやろうとするとやっと弁護士が面会できる、という今の日本の状態です。
 これも戦後民主主義がある頃、免田さんが入っている頃はもっと自由だったんです。死刑囚には支援者もいくらでも面会できた。免田さんは獄中で小鳥も飼っていたんです。死刑囚だけの野球チームもあったっていうんです。それが戦後だったんです。つまり、GHQが来て、獄内を見て廻ってそんなひどい状態においてはいかんと言ってくれたおかげで、福岡の拘置所なんかすっかり処遇が変わって、死刑囚の野球チームができたこともあった。それが戦後のいい時期だったんです。免田さんは庭に花壇をつくり、小鳥も飼っていた。だから彼の三十四年は「今の死刑囚からみればよかったですね」と言うと「三十四年もいてよかったとは何だ?」と彼は怒るんですけどね。免田さんに言わせるとどんどん悪くなってきたというんですね。つまり戦後の民主主義というのはいいこともあったんです。
 獄中でさえそれがどんどんきびしくなって、ついこの十年くらい前からはもう一切家族以外の面会、文通も認めないという通達が出たりして、獄中にいる死刑囚は今、本当に孤独です。もうみんなノイローゼになっちゃうんです。一日じっと狭い独房にすわって運動の時間も少ない。土曜が休みになったので獄中者は困っているのです。我々は土日休みで連休だなんていってますけど、獄中の人は土曜は運動もない、入浴もない。ただ一日中房内にいるわけです。あぐらはいいんですが、壁によりかかったりしたらもう駄目だと、懲罰だ、なんてことが日本の監獄の現状ですからもう獄中者は土曜・日曜が連休になるのは困る。運動がない。歯がボロボロの人が多いんです。その他、医療問題ではいろいろあるわけですが、そんな状態のなかで再審やろうといってもお金がないから弁護士さんも呼べない。大体、死刑になっちゃうと家族がみんな見捨ててしまう。家族がもともとちゃんとしてない人もいますから、そういう人はほんとうにひとりぼっちになってしまって、獄外との連絡も途絶え再審を起こすということ自体とても難かしいんですね。
 免田さんも最初そうだったんですけど、本人自身が裁判所に手紙出して、その手紙で再審やってくれというわけです。裁判所に言わせれば新証拠もないくせにただ再審なんていったって駄目だというようなことですぐ却下されちゃうような、そういった再審をやっている人もいるんです。なんべんも、なんべんもくり返して再審を却下されると、死刑執行されるかもしれないので再審請求を続けるわけです。今のところ再審をやっているならば執行はされないという、これは法律はどこにもそんなことは書いてないんですけど、不文律でそうなっていた。ところが、最近になって、九九年一二月一七日の金曜日、小**男さんという福岡拘置所にいる人が自分で再審をくり返していた、確か第七回までやったのかな、やっと弁護士さんがついてくれて、その弁護士さんが弁護士の名前で再審請求書を作ってくれて、裁判所へ提出したその数日後に死刑執行されてしまいました。まだ、再審手続中で棄却されていなかったのに執行されてしまったのです。

追い詰められる死刑囚
 免田さんの頃にも、そういうことがあったらしいのです。事実、記録には一九六〇年代には再審中でも執行されたんじゃないかといわれている人がいます。それから、再審請求を裁判所が却下した翌日に執行されたという例もあります。だけど、この三十年、四十年は再審手続き中は執行されないことは不文律だったんですが、この小**男さんにかぎっては、手続き中にもかかわらず執行されてしまいました。
 こんな具合に、少しづつ死刑囚の人は追い詰められているわけです。本人が、再審請求を出した、却下された、また出す、というようなわけです。我々、死刑廃止の運動をやっている人間が誰と誰が正確に今再審手続き中なのかということをつかむことだけでも難しいのです。しかし、弁護士さんとか、いろいろな人を頼んで調べていくと、今、手続きをしている人が二十人くらいです。それから一回却下されたんだが、第二次をやろうとしている人、あるいはもうじき出すという弁護士、そういう人を含めると二七人、五三人の中の二七人が今、死刑再審をやろうとしているわけです。
 皆さんご承知のとおり再審というのは死刑だけではありません。狭山事件などは、冤罪の石川一雄さんは無期懲役でしたけれども、獄中に三十年くらいいて仮釈放で、今、外で元気にしていますが再審をやっています。だから、死刑囚以外にも再審事件はあるんですが、死刑だけに限ってみても五三名の中の二七名の人が実際に再審を希望しているということで、これは日本の裁判がいかにおかしくなっているかという証拠です。しかも二七名の人たちの中のざっと見て十人以上は赤堀さんが出てきたあと、死刑確定してます。ですから日本の裁判所は四人助けてまた十人以上無実の死刑囚をつくっているんです。そんなのが今の裁判所の現状であるということがいえるわけです。

部分冤罪者の再審
 ここ数年再審請求をやる人の数が増えています。これは、どういう人がいるかというと、やはり完全に冤罪という人もいますし、中には、例えば四人殺したことにされて死刑になったけれども実は二人しか殺してないんだとか、人を殺してしまったのは事実だけど、そのあと火事になったその火事は決して自分が放火したんじゃないんだ、というような事件で再審を訴えている人もいます。当然、事実が明らかになれば死刑にはならないで済むような人たちです。こういう人について、我々は「部分冤罪」という言葉を新しく作りました。この「部分冤罪」という言葉は、ついこの間も、私はワシントン・ポストの日本特派員に死刑問題について取材されて海波雄一弁護士と二人でいろいろじゃべったんですが、ワシントン・ポストの通訳が私の「部分冤罪」を何とか英語に訳してくれたんですが、特派員は「えーっ、そんなこと信じられません」とある意味では、そんなインチキなことで再審を訴えるなんておかしいといわんばかりに「部分冤罪」という言葉に対して非常に大きく反応したので、私は「あぁ面白いなあ」と思いました。いかに、そのワシントン・ポストの記者が日本の裁判の現実を知らないかですね。つまり、完全に真っ白の人で波崎事件の冨山さんとか、袴田事件の袴田さんみたいに、全面冤罪の人のほかにそういう部分的な冤罪で、本来、死刑にならないはずの人が部分的に間違った裁判で死刑になってしまう人が結構いるんですね。それがわからない。だから私の大雑把な計算ですが、二七人の中の十人くらいは完全な冤罪、残りの一七人くらいはそいういう部分冤罪という主張で、いま再審請求をやっております。私たちは部分冤罪でも何でもいいからともかく再審の理由があればどんどん再審請求を出したほうがいいと、今、運動しています。我々は再審がラッシュになればいいんだと、それで日本の裁判所がお手上げになれば、少しでもまた日本の司法制度が前進するかもしれないんだから、みんな泣き寝入りしないで、再審請求しようということで運動しています。
 そんな現状で、法務省に言わせるとですね、「駆け込み再審」なんて言葉をいうそうです。要するに死刑執行されたくないから駆け込み再審で再審理由を見つけ出して、なんか訴えている、同じ理由で繰り返して再審やるような人は死刑執行してもいいんだということを小**男さんのときにも法務省は説明しました。国会議員が食い下がったんです。「いや、しかし、小**男さんは手続き中だったんだよ」といって「その手続きは法務省のところへ届いていたのか?」と追求すると、本当に数日の時間しかありませんでしたから拘置所か、あるいは裁判所が報告をサボタージュした可能性が十分にあるという結果で、法務大臣はどうやら聞いていなかったようです。そんなことも報告されています。小**男さんが執行された時、我々は再審の弁護士につきそってもらって法務省の刑事局長と会ってもらって、交渉をして、いろいろと事情を訊きました。
 そのときに、ある弁護士さんが言ったんですが、昔「吉田岩窟王事件」というのがあって再審で無罪になった。この人の無罪の判決書の中には「吉田翁は執拗に再審を繰り返し同じ理由で一貫して無罪を叫んだ。立派なものだ」ということが判決に書いてあるんです。こんな例も持ち出して「同じ理由で再審するからといって、ほめられた人もいるんですよ」と、「だから同じ理由で再審請求してはいけないなんて理屈はどこにも書いてないじゃないですか」と、弁護士さんが法務省に迫ったそうです。本人が執拗に同じ理由で再審していたと、それによってだんだん支援者がつき、弁護団がついたという例もあるわけですし、免田さんも現に第四次請求までは自分ひとりでやっていたんですよ。ところが第五次くらいからやっと日弁連がついて第六次で成功したというわけですから、どうみたって最初の段階で完全な手続きなんてとれるわけがないんですね。

死刑再審「三崎事件」
 私が支援している事件で「三崎事件」という事件がありますが、これは、神奈川県の三崎というところで一家三人が殺された事件なんですが、その事件が起きてまだ部屋の中が血の海になっている所へたまたま知り合いの家の中で何か変な音がしたというので、すぐそばに酔っ払って駐車していた荒**男さんという人がですね、「何が起きたんだろう?」というので、知り合いの家ですから、ドアが開けっ放しになっていたんで、そこへ入ってみたら血の海だった。で、自分の知っている人が殺されている。これはいかんというのであわてて外に出た。いろいろな事情があって、年末で夜おそくまで忙しいとか理由があってですね、荒*さんという人は魚屋さんですから、一本気というか、べらんめえの魚屋さんなもんで、警察にかかわってまた面倒なことになるというので、車に乗って立ち去ってしまったんです。いわゆる第一発見者ということで、これが疑われて荒**男さんが捕まりました。真犯人が家を飛び出した直後に荒*さんが中へ入っている。だから真犯人と入れ替わってしまった。まるで小説か映画みたいな話なんですけど、この何分か、あるいは何秒か、というような入れ替わりがあったために捕まって、一家三人殺されてますから、一審死刑ということで、二審、三審とも死刑で、まだ再審やっている、荒**男さんという人もいます。この人も目の病気があって、手術すれば治るんだろうけれども手術もできないで、今、もうほとんど目が見えない状態で、蛍光灯の明るい暗いがやっと判るという程度だそうです。それで、弁護士さんしか面会できません。拘置所の中でも車椅子で生活しているという状態で本当に気の毒ですが、いかんともしがたいわけです。

国会閉会中の死刑執行
 ご承知のとおり、死刑囚は日本で七ケ所の拘置所に入っていて、七ケ所の拘置所には死刑台があります。この七ケ所の拘置所で執行されるのを待っているわけです。死刑は大体、今、木曜か金曜に執行されるということで、金曜日なんか、朝、看守の足音がすると、みんなぞっとなり、かたくなって、自分の番かと待つということです。そして自分の房の前を足音が通り過ぎるとやっとほっとするというような、金曜日の朝の状態です。なぜ金曜日かというと、土・日がはいると国会でさわがれないで済むわけです。ウイークデイにやっちゃうと国会での死刑廃止議員連盟の議員さんが、また、法務大臣にすぐ交渉したりしますので、法務省はいやがってるんですね。国会が開かれていない間の金曜日というのが、今、非常に危ないといわれています。そんな具合で死刑の問題というのは大きいです。
 そういう中で、今日のテーマは「冤罪」ということなんですが、冤罪で死刑になる人がいるから、だから死刑は廃止しようというのも、ひとつの大きな死刑廃止運動の誰にもわかりやすい論点なんです。ところが、じゃあ、冤罪じゃない人なら死刑執行されてもいいのか、という逆の論理にも、下手をするとなるんですね。ところが、私どもに言わせると完全に冤罪でなくても部分冤罪の人もいるし、それから、ひどい犯罪を犯した人でも裁判の中身をよくよく細かく見てみると決して真実を裁いたということではない、というのが現状です。
 それくらいに日本の裁判官の大多数が免田さんから赤堀さんまでの四人の死刑再審について完全に反省をしていませんから。あの四人は例外だから、そのあとは絶対に出さないことにしようという根性ですから、もう日本の裁判はいよいよ悪くなっていくような気がします。

−つづく−

※再審無罪となっていない方の名前は一部伏字としておりますが、名前がよく知られていると思われる方については原文のままとしました。


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