■ 山際永三氏講演 多発する冤罪‐3(2001/02/11) 目次 前へ

山際永三氏講演 多発する冤罪(3)
二〇〇一年二月十一日 土浦人権集会

情報化時代の冤罪
 そこへもってきて、もうひとつのテーマがあります。私どもがやっている「人権と報道・連絡会」という会がありまして、ニュースをお配りしましたが、「報道」の問題というのが今、非常に大きな問題になっています。要するに、報道が先走りして、あの人が犯人だとか、あの人が怪しいとかいうと、最初から断定的に書いてしまう。その典型的な犠牲者が「松本サリン事件」の河野義行さんです。私のレジュメの中で、私は「情報化時代の冤罪」と呼んでいますが、マスコミが冤罪を作っているといってもいいくらいになっています。これにはテレビの影響も大きいですね。
 テレビというのは非常に感情的なメディアになっていて、勧善懲悪で、いいものはいい、わるいものはわるい、という単純な発想で世の中のすべてのことを割り切ってしまおうとしています。テレビニュースなんかも、ご覧になってもわかるとおり、昔はちゃんとニュースの時間というとアナウンサーが出てきて真面目にニュースを読み上げるだけでしたけれども、最近のテレビニュースは音楽が付きます。おどろおどろしい音楽が入ったりなんかして、まるで娯楽番組を作るように、テレビのニュースそのものが娯楽化しているんですね。それを我々は「テレビニュース、ストレートニュースのワイドショー化」と呼んでいますが、ワイドショーと同じ作りになっています。非常にテレビの影響が大きいし、マスコミがあいつは犯人だと決めつけるというようなことをやるために、裁判所も予断をもってしまうんですね。これは、本当に、おそろしいことなんです。一九九九年の暮れでしたか、京都の小学校二年生が校庭で殺された事件がありました。犯人は姿を見られて、若い男だったといわれて、「また少年だ」ということで、「一七歳の少年」というのがマスコミの常套句になっていましたから、一定の少年が怪しいということになって、その小学校の写真入りの卒業者名簿や近所の中学校の名簿がテレビ局によって十万円で買い取られたという話があるくらいです。みんなが「あいつは不良っぽい」なんてことをいうと、その中から写真を持ってテレビ局の人間が「この人、知ってますか」とか「この人、どんなことをしてましたか」と言って、まわりにきいて歩いたんですね。そんな風にテレビがまともな捜査を妨害しているとしか言いようがないくらいになってしまった。犯人といわれた人はマンションから飛び降りて死んじゃいましたから、本当にあの人は自殺したのか、警察官に追われてやむなく間違って落ちたのではないかともいわれてますが、あの人はいくつか離れた地区の住人で、現場学校の卒業生とか、中学生じゃなかったんです。だから全く最初の噂話は間違いだったんですが、それでテレビ局が道端で子どもをつかまえて「この人知ってるか」とやる。これじゃあもう、まともな捜査はできないという状態で、これがやはり裁判にも影響するんです。

証言を歪めるマスコミ
 例えば「和歌山カレー事件」も「稀代の悪女」とかいわれていますけれども、あの人の一番の決め手といわれている証拠も、確か高校生の人が「白い紙コップで何か入れてるのを見た」という証言です。この高校生に対して、マスコミは、和歌山から大阪か神戸に連れていってご馳走したりして、ちやほやして、その高校生から話をきくというようなこともやっているということです。その最重要証人を、おそらくマスコミがおだて上げて怪しいことを言えばお金がもらえる、ご馳走してもらえるみたいな状態の中で、捜査が行われている。だから、その証言そのものが正しいかどうかもわからなくなっているという中で裁判が行われている。これ自体、社会全体にとって非常に不幸なことだと思います。
 私は、三浦和義さんの「ロス疑惑事件」というのもずっと見てきました。私どもの「人権と報道・連絡会」は「ロス疑惑事件」とともにはじまったような会なんです。あれだけ騒がれた三浦和義さんが、実は「冤罪」だったということを我々は比較的早い段階に気がついて三浦さんとも接触し、弁護団と一緒にアメリカのロスまで行っていろいろ調べたりして、三浦さんの無実を確信しましたけれども、三浦さんは一審無期懲役、二審で見事に無罪になって出てきました。そのあと別件で、奥さんに怪我させたというのを、これは、もう最高裁に却下されてしまったのですが、この別件自体冤罪なんですが、また入れられて二年入って、つい先頃出てきました。
 この三浦さんの二審の無罪判決の時に、判決書の中にも書いてあるんですが、「マスコミによる噂のレベルの証拠を、法廷の中に出てきて、確実にこれは証拠だといえるものと区別して考えなければいけない」と「噂に基づく証拠を証拠にしてはいけない」というようなことを判決書の中に書いてあります。こんなことは、ま、何というか、悲しい出来事というか、恥かしいといっていいのか、噂の証拠で裁かれてしまう人がいていいのかと思わざるを得ません。三浦さんの二審判決は、そこを見事に細かく分析してくれました。我々も、法廷で傍聴していて、びっくりするくらいに裁判官がこまかいことを三浦さん本人に聞くんです。裁判官も非常によく記録を読んでいました。そこまで熱心にやってくれる裁判官、また、そこまで裁判官を熱心に動かした弁護団、この成果がやはり三浦さん無罪になったひとつの流れだったと思うんですが、判決書の中では、そうやってマスコミ批判まで書いてくれました。
 こういう裁判官も中にはいるんですね。本当に百人に一人かもしれません。その裁判長は三浦さんの無罪を書いたあと、裁判官を辞めて公証人になってしまわれました。まあ、これは、変な話ですが、出世する裁判官はもう無罪は出さない。出世を諦めて裁判官を辞める直前の人が無罪判決を書くというのが我々の常識になってしまっています。このこと自体情けない。こんな馬鹿な事があっていいのか、というようなことですが、事実なんです。

科学鑑定の間違い
 もうひとつの例をご紹介します。一九九一年ですからもう十年経ってしまいますが、群馬県の「足利事件(幼稚園児殺害事件)」、この菅*さんの事件は、やはり、非常に不幸な経過を辿っています。地元の名士みたいな弁護士さんをある人の推薦で家族が最初につけてしまったんです。相当の報酬をとっておきながら途中で菅*さんが「実はやってないんだ」ということを言い出したときに、その弁護士さんが「えーっ、いまさらそんなことを言えば裁判所の印象が悪くなるばかりだ。否認するのやめなさい」と言って、その本人の申し出を止めてしまったんです。一審の弁護士の職業上の倫理問題とも言えますが、弁護士がそんなことを言っていいのかというようなことが問題になっています。二審から勿論、弁護士さんもかわって、ずっと冤罪を訴えてきたんですが、有罪の無期懲役が確定してしまいました。その決め手というのはDNA鑑定です。この科学鑑定が実にいい加減な鑑定でして、しかも菅*さんの場合は、日本の警察がDNA鑑定を始めた初期の頃なもんで、いろいろな間違いがあるんです。弁護団はDNA鑑定に関しては、鑑定そのものが間違っていたんだということをいろいろな資料で証明していますが、最高裁でも蹴られてしまいました。菅*さんも、今、再審を準備しているところです。

日常的に冤罪多発
 皆さんもご承知の冤罪事件の他にですね、本当に小さな冤罪事件もたくさんあるんです。ここに書きましたけれども「山形高畠事件」、轢き逃げ事件です。トラックを運転していた人が轢き逃げ事件が起きた少し後、同じ道路を通ったことはたしかに通った。だけど、自分は轢き逃げはしていない。ところが、そのトラックを自宅の車庫に入れておいたところが、山形新聞の新聞記者が二人来て、警察のようなことを言うので、てっきり刑事かと思っていろいろしゃべって、自分は何月何日にどこそこをたしかに通った、というようなことを言って刑事を帰えしたつもりだったのが、それは実は新聞記者で、トラックに血痕が付いていたというようなことを言い出して、警察にタレ込むんですね。で、警察が今度またそれを調べる。それがもとで「山形の高畠事件」というのがこれが又、見事に一審無罪になる。二審でも無罪になって確定しました。だからその人は国賠請求訴訟をやってます。これは警察だけじゃなくて、山形新聞も相手にして訴えています。
 「道頓堀事件」というのがあります。これは大阪の道頓堀の橋の上からホームレスの人を川の中に投げ込んで殺してしまったという若者二人逮捕されたんですが、この中の一人は完全に冤罪です。若者たちが橋の上でたむろしてシンナーを吸ったりしていたことはあった。それで、いわゆるホームレスのおじさんに対していじめるようなこともしていたらしいんですね。そういう状態の中で、ふざけて橋の欄干の上におじさんを乗っけたりなんかしているうちに、間違って落っこっちゃったという事件。だから、確かに、おじさんを抱き上げた人は自分が落としてしまったと罪を認めていた。しかしそばにいた仲間の人は全然手伝っていないんですね。それで、この人は結局、無罪になりました。抱き上げた若者にとっては「部分的冤罪」だったんです。ま、こんな風に事件は起きた、確かに仲間の誰かが絡んでいた、だけど自分はやっていない。こんなこともあるんです。

知られていない冤罪多発
 「帝京大学ラグビー部事件」というのはテレビで大騒ぎになりましたけれども、帝京大のラグビー部の人がある女性を強姦したと、何人かで強姦したという事件で、五人捕まったんですが、その中の二人は冤罪を叫んだんです。この五人は結局その女性と被害弁償して、それで和解をして結局裁判にはなりませんでした。みんな謝って弁償して許してもらったんです。ところが、その五人捕まった中の二人は絶対自分はやっていないといってがんばっている事件です。これもひとつの冤罪です。マスコミを訴えています。
 「成城署母子事件」、これは東京の世田谷の成城署管内、あるおばあさんが団地の自分の部屋で殺された。このおばあさんがつきあっていた人が怪しいと見られていろいろ調べられたんですが、やってはいない。十分な証拠がない。ところが、この容疑者とされたおばあさんが生活保護をもらっていた。しかしその息子さんがいて働いて稼いでいた。そのことを理由にして息子さんがちゃんとお金を稼いでいながら母親が生活保護をもらうのは世田谷区に対する一種の詐欺だということで、おばあさんを捕まえて、息子さんも共犯者として捕まえました。息子さんは遠くに離れて住んでいたんですね。だから決して犯罪というわけでもないのに、よくどこかにありそうな話にもかかわらず、それを詐欺として立件して新聞にはでかでかと「殺人にも関連か?」と書かれました。こんな具合で結局殺人のほうでは逮捕もされずに終わった。生活保護の詐欺は軽い罪で済んだわけですが、新聞に「殺人にも関連」と書かれたままで終わってしまいました。マスコミによる冤罪です。
 最後の「笠*事件」というのは、これも二、三年前の事件ですが、笠*さんという人、私の友達なんですが、この人がタクシーの運転手やってまして、深夜狭い道で運転していたら車の前で自転車を押している男が立ちはだかって動こうとしない。どうも酔っ払っているようだと。窓から首を出して「おーい、どいてくれ」と言ったらやっとよけた、やっとよけたんだけど、その男が「タクシーの雲助」とか怒鳴ったと。それでちょっと腹が立ったんですね、「雲助とは何だっ」と、ひどいじゃないかとちょっともみ合いになったんです。京都でも裁判官がタクシー運転手を差別した「雲助事件」というのがありましたけど、それと似ている事件なんです。すると、その男があとで「自分は何発もなぐられて怪我した」と警察に訴えてそのタクシー運転手は三ケ月以上たってから捕まったんです。だから、その男の傷ももう残っていないし、写真はあるそうですが果たして殴られたのか、酔っ払っていたからどこかで転んだんだか、わからないような傷で、あとできいてみると大変な政治ゴロの人で、佐藤栄作と一緒に俺は日中交渉をやったんだみたいなことを言う人で、政治団体と絡んでいまして、あわよくばタクシー会社から金をとろうということで告訴したんですね。このために懲役六ケ月、執行猶予三年ということで有罪になって、最高裁までいって確定してしまいました。
 確かに相手ともめたことは事実だけれども殴ってはいない。笠*さんは空手をしていたんですね。だから「おまえは空手をやるくらいだから殴ったんだろう」と言われてしまって「わたしは空手はやっているけど、やっているからこそ空手がいかにこわいかということも分っているから人を殴ることはしません」と言い張ったけれども通らなかったという事件です。こんなふうに、ほんとうに小さな事件、ま、本人にとっては大事件でその人の人生狂っちゃうわけですね。にもかかわらずがんばって最後まで「笠*という名前で俺はがんばる」といって、国会で社民党の代議士が質問してくれましたが裁判官は認めませんでした。こんなふうに日常的な事件、我々の身近でいつ起こってもおかしくないような事件でも冤罪があります。

冤罪多発の原因
 なぜ、こんなふうに冤罪が多いのかということをレジュメに五として問題点を書きました。私がここで解説しなくても皆さん見ていただけばおわかりと思います。問題点が複合的に絡んでいます。ですから冤罪というのはある意味で奥が深いです。この冤罪をなくすことで私は日本の社会も少し変わっていくんじゃないかとさえ思っています。冤罪がこんなにある限り日本の社会がいいわけがないと思います。ここでも皆さんやってらっしゃるでしょうけど「水戸事件」、あれなんかももう本当にひどい裁判ですよね。今、控訴審ですか。何とかがんばってもらいたいと思います。ところが「水戸事件」やっておられる弁護士さんはいい弁護士さんだから、ついこの間も私その人に別の事件頼んじゃいました、申し訳ないんだけど。これも死刑事件です。いい弁護士さんが少ないから事件が集中してしまうんですね。刑事事件でがんばろうという弁護士さんがいなくなっちゃっているんですよ日本には。民事事件だけやる弁護士が多くなってしまった。弁護士さんの気持ちも分かるんですよ。刑事事件でいくらがんばっても駄目にきまってんだから最初からやんないほうがいいんだ、ということになっちゃうんです。

冤罪事件の弁護士が不足
 そんな具合で弁護士さんが絶望している状態、弁護士さんがある意味では法廷で単なる儀式の一員にされてしまっているような状態になるわけです。つまり弁護士さんがこの事も調べてくれと言うとみんな却下!却下!そんな必要ないといって検察官の言うなりに裁判が終わってしまう。
 死刑事件で証拠もたくさんある。普通死刑事件でもダンボール箱で三つも四つも記録がある。これだけでもきちんと調べるのに大変な時間がかかる。にもかかわらず死刑事件でも一年くらいで終わってしまう事件が多いんです。つまり、本人も諦めてしまうわけです。実際、争ってもしょうがないと、もう早く終わったほうがいいという気持ちになる。そうやって殺人事件を起こす人も、何も計画的に冷静にやるわけじゃなくて、あわててやっちゃったという人もいるわけですから、そういう人にとってみればもう自分で自分を責める気持ちで一杯で、もう何を言われてもはいはいといって裁判が終わってしまうんです。
 判決が死刑。これであわてて死刑じゃかなわないといってがんばる。だけども二審というのは事実調べはしないというのが原則になってますから、ほとんど却下されちゃう。そうすると二審も一年で終わっちゃう。その後、最高裁やっても駄目ってことで、死刑事件で短い人は三、四年で終わってしまう人もいるんですね。がんばっている人はもう十年近くもがんばるんですが、がんばればそれだけまた損もすると。拘置所では労働もありませんから身体はボロボロになるということで、いろいろ損が重なる。そのためについ一審、二審で諦めちゃう人がいるんです。そのために死刑確定者の中で再審を希望する人が非常に増えていくわけです。
 私のほうからお話したい気持ちはたくさんあるのですが、あとは、質疑の中でご意見を伺った上で、また、お答えしたいと思います。よろしくお願いします。

−おわり−

※再審無罪となっていない方の名前は一部伏字としておりますが、名前がよく知られていると思われる方については原文のままとしました。


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