■ 再審請求に関する救済お願い書 (10) もどる

判決文における争点:(8)IYは途中、オート三輪車と遭遇していた

右の件はまだ、公判でも一度も出て来たことはありませんが、当時、IYが帰宅の途中に、生ハマグリを積んで船橋へ向かっていた三輪車と、私の家とIYの家のほぼ中間地点で衝突しそうになり、あわててハンドルを切り損なって道路際にある水神社の石垣にぶつかってしまったという噂が飛び交っていたのであります。

勿論警察の方でもそうした噂はつかんでいた筈であり、それが証拠に、わざわざ鹿島警察署から、小**治ほかの二名の警官が来訪して「すみませんが、おクルマを一寸拝見させて頂けませんか」と言って、色々とバンパーその他を調べておりましたが、その際バンパーの右端に真新しい擦通傷を伴った凹痕跡を発見し「ううん、確かにこれは新しいキズだな、しかしこの程度では命にかかわるような事故にゃなんねえだろうな」などと話し合いながら、「どうもありがとうございました」と礼を言って帰っていった事実があります。

当時はまだ、カプセル構想などもなかった頃で、そうした可能性なども或いは捜査目標の一つに入っていたのかも判りません。私自身も後になって、こんなにも辞去時刻の件で苦渋を舐めさせられることが分かっておりましたならば、無理をしてでも、三輪車の人物を割り出していたものをと残念でなりません。事実その頃はまだ自由の身でありましたし、その頃手掛けていた山林の件を詰めるため、IAにクルマを運転させて成田方面まで遠出をしていた事実もあったのですから。

そしてこれもまた今になって思い至ったことなのですが、実はこの時点では既に、三輪車の持主は特定していたのではなかろうかと思われる節がなかった訳でもなかったのです。

それは私が逮捕されて間のない頃のことですが、私がこのことについて尋ねましたところ、取調べにあたっておりました県警の市*警部補が、何か予期しなかったことでも聞かれたかのように、一瞬「何にッ」と慌てたような調子で「いきなり何だこの野郎、そんなデマ何処から聞いて来やがったんだ。そんな野郎なんかどこを調べてもいなかったわい」と一蹴されてしまいましたが、警察の組織をもってすれば、これらを探し出すことくらい朝飯前のことでしょうから、もしそうした上でこれを頬かむりしていたとすれば、それは彼らの想定の上からは不利であり、私自身の証明のためには有利であるという、何らかの要素を含んでいたからに外なりません。

とすれば必然、IYとの遭遇時刻に関する問題以外には考えられませんし、又それらの噂が、単なる流言蜚語の類いにしか過ぎなかったのなら市*の言うことは本当だったのかも分かりません。

然し私といたしましては、次に申し上げますように、その内容が如何にも真実を帯びて生々しく、そして具体的であり過ぎる点から考えても、私はこれを、今でもその事実はあったものと信じている次第です。


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