テレキャスター・ダンシング Monkey Strut 両谷承
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左肩からギターのソフト・ケースを下げ、右手の透明なビニール傘を広げて尚美は講義棟を出た。ねっとりした霧雨に包まれながら砂利道を抜け、坂を登る。
サークル棟の裏に回ると、C=二八の窓から蛍光灯のあかりが漏れている。誰かいるのだろうけけど、楽器の音は聴こえて来ない。
傘を畳んで、尚美はドアを開ける。サングラスの三人組−−ジャグラーズ−−はいない。テーブルの向こうのベンチからゆっくりと起き上がったのは、青沼和だ。
「やあ」
かったるそうに声を掛けて、和はベンチに座り直す。同じ新入生のはずなのに、もう何年もここにいるみたいな様子だ。右手には食べかけのフランスパン。
「どうも」
ハルさんの姿はない、尚美はストゥールに腰を下ろす。
「そこのテーブルに楽譜が置いてあるだろ」
そう言って和はテーブルの上からボトルを取ると一口あおった。ワインのボトルだ。
「まだ昼間だよ」
尚美は楽譜を手に取った。
「知ってる。昼飯だよ」
和はパンをかじる。酔っている様子は少しもない。
「なんか昔、そんな台詞の出て来る小説を読んだような覚えがあるな」
尚美はケースからギターを出して、タブ式の楽譜に目を走らせる。
「へえ。なんて小説?」
「忘れたわよ。自分で探せば」
チューニングを終えて、楽譜通りに指を走らせてみる。どさっ、と音を立てて和がまたソファに寝転んだ。
「ねえ、これちょっと違うよ」
「そっちの方がかっこいいだろ」
「−−そうかなあ」
「気に入らないんなら、自分で変えな」
和は立ち上がると、ワインをらっぱ飲みした。
「ギター弾くのはあんただろ。かっこよく弾いてくれりゃ、どうでもいいよ」
尚美は楽譜から目を上げて、和を見た。その目にはおとといと同じ、挑発的な色。
「わかってるわよ」尚美は楽譜を放り出した。「そのかわり、ふぬけたベース弾いたりしたらひっぱたくからね」
「女の子にひっぱたかれんのなんか慣れてるよ」和はワインを置いて、ベンチの横に立てかけてあったフェンダー・ブレシジョン・ベースを手にする。「そういや、約束だったよな。あんた、処女?」
「教えるなんて言ってないでしょ」和の態度に触発されて、尚美の口調も変わっている。
「そんなに気になるんなら、試してみれば」
「試してみていいのかよ」
「あんたの実力次第だね」
尚美はソフト・ケースからシールドを取り出してストゥールから立った。せいいっぱい高慢な表情で、和を見下ろしながら。
「アンプは、一番左のツイン・リヴァーブが調子いいぜ」
和の示したアンプとテレキャスターをシールドでつなぐ。電源を入れて音を出してみると、ぼろぼろのツイン・リヴァーブは思ってもみなかったセクシーな響きを吐き出した。
「派手にやろうや」
和は立ち上がるとベースを低く下げて、不器用にウインクした。
「余計なお世話だよ」
言い返す尚美の身体を、緊張感が包む。そこに、ドアの開く音がした。
「や、ごめん。講義が長引いちまって」
「遅いよハルさん。早くやりたいって、お姫さんうずうずしてるみたいだぜ」
悪い悪い、と言いながらハルさんはドラムセットを前に座って、ステイの間からスティックを引き抜く。
「いつでもやれるよ。尚美ちゃんは?」
「はい、何とか」
「もたもたしてないでさ」和はまたワインを口にすると、コルクで栓をした。「おっぱじめようぜ」
ハルさんがスティックを鳴らして、カウントを取る。和のベースが加わる。
尚美の番だ。ルーズだけど思いのほかタフなリズムに乗せて、尚美は指を走らせる。久し振りだから指は思うようには動かないけれど、それでもできるだけスリリングに。
和は腰骨の上にベースを乗せて、肩でリズムを取りながらプレイしている。そのまま、小さくジャンプ。それをきっかけに、尚美はソロからバッキングのリフに入る。
“Hoo,hoo,yeah!"
ハルさんと声を合わせながら、マイク・スタンドに向かってスキャットする。
“Hi,baby!"
閉じられたドアの向こうに何千人もの観客がいるみたいに、和が歌いはじめる。負けないくらいに精一杯激しく、ソウルフルに尚美もシャウトする。
“If I'm gonna rock ya,rock ya−−”
ハルさんと和の息の合ったリズムと自分のギターの間で生まれるうねりが感じられる。ふたりの男の子の呼吸や心臓の鼓動が、尚美にははっきりと聴き取れるような気がする。歌いながら、尚美は和と視線を交わす。
(あんた、悪くないぜ。まだまだだけどな)
和の眼が、それだけの言葉を尚美に伝えて来る。尚美は笑い返す。余裕をみせなきゃいけない。
(あんたも、なかなかのもんよ。でも、まだまだ)
“C'mon boys!"
ハルさんの叫び声と、ドラムのフィル・イン。ビートに乗せて、尚美はギターをドライヴさせる。
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