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神奈川月記9705

ウチは大怪獣の上陸してきそうな京浜工業地帯の真っただ中にあり,国道と首都高に挟まれた凶悪な環境にある。平日の昼間などクルマの排ガスと工場の排煙で異臭がする。傍に横たう運河に流量のあったのは幸いで,これが澱んで腐敗しているようなら近未来映画のサイバーパンクダウンタウンだ。困るのは洗濯物を干せないことで──それだけかい──長く外に出していると水に潜らせる前より黒くなってしまう(パンツ盗まれるかもしれないしね)。
外も劣悪だが中も誉められたものではない。おれの部屋は所謂ワンルームのタイプで,押し入れ・収納庫の類が一切ない。コンクリのただの箱である。これはおしゃれな感じとか合理性・自由度といった観点からではなく,ひたすら建築費のコストダウンを謀った産物であろう。それが家賃設定に寄与していれば救いもあるのだが。
しようがないのでベッドを全高1mの高床式のにして,下に本来押し入れに秘匿されるべき段ボール(オウディオ機器や次回引っ越し用)や衣裳ケイス(中身は半分マンガ)をあからさまに収めた。衣服はハンガラックに剥き出しで掛ける。壁際は種種雑多な物品が立ち並びそれらを梱包していた段ボールが僅かな隙間に堆い。永遠に「引っ越してきたばかり」が続くわけである。炬燵のような超大物を置いておける余裕は失われて久しい。ナニ,炬燵は夏のあいだ机にもなるだと,炬燵布団をどこにしまうちうねん。
内憂外患(遣い方まちがい)故に乾燥機とエアコンが必須アイテムとなっている。とは言えYシャツなんぞを乾燥機に放りこむわけには行かぬ。アイロン掛けなんて余計な工数が発生するからな。
陰干しするのと,それから普段きる上着をちょいと掛けておくのには突っ張りポールを用いる。モータサイクルのFフォークみたいに2本のパイプを連結して中にスプリングを仕込み,その反発力で以て両端を壁に押しつけて(突っ張って)留める奴である。ウチのばあい一方は壁に填めこまれたキチンユニットの上縁(床から180cm)を桟代わりに引っ掛けられるのだけれども,今一方は純な壁であって正しく突っ張り力に依存している。耐荷重がどのくらいあるのかは忘れた。
近ごろ随分へたってきて,うっかり多めに吊るしていると突っ張りきれずにズドドドドドと大音響と共に落下するようになった。壁を圧するゴムキャップの摩擦力と母なる地球の重力との死闘に要する時間が不定であるため,脱落は結果的に常に不意うちとなる。非常に心臓に悪い。
洗濯物に取り殺されては恰好が付かないから突っ張りポールを新調したい。今度はひと捻りして縦型のを買おう。つまり左右の壁の間ではなく床と天井との間で突っ張る形式である。突っ張る主柱に何本か横木を留めてこちらにハンガを掛ける。突っ張ってるから地震が来ても倒れないよという趣向である。
配達されてきたパーツを見たらば思いのほか大きくて頼もしい。主柱は一本棒である。天井に接する台座を取り付ける側に5cm程度の伸縮部を設け,床に踏ん張る4本のL字脚を固定する位置で全高を調整する。主柱の下端は床から浮いているわけだ。
さて雰囲気はどんなもんじゃろかいというのでまず台座もL字脚も無いままポールを立ててみた。あっ何と言うことだ,これが既に天井高より長いではないか。垂直に達する以前につっかえてしまう。だーっ。ウチの天井,何となく標準より高い気がして気分よかったのに所詮は兎小屋だったのか。否,量産品のポールが収まりきらないのだから並み以下だ。鼠小屋だ。ちゅーっ。
ポールは230cmあった。建築基準法ではどうなっておるのかね。ウチにアンドレザジャイアントが遊びに来たらどうしてくれるのだ。ったく。ぷんすか。
いつまで慷慨しても解決しないので意を決して切り詰めることにする。主柱は直径4cmであるがむろん中空で,断面は井桁とその4隅を1/8周づつ囲む円弧で描かれた幾何学模様である。構成材は1.5mm厚のアルミ板だ。金鋸を引っ張り出してきて数年ぶりに大工仕事,そう難儀しないで8cmばかりカットできた。
今度はばっちりである。新聞紙大の面積に1畳クラスの横長ハンガ ラック分の収容力・耐荷重は60kgだ。勝った(誰にだ)。
しかしその新聞紙大の面積は1畳弱の横長ラックをお払い箱にして捻出したものである。あれっ,横長ラックの衣料が縦型ポールに移動できたのは良いけど,洗濯物と普段着の分はどうなったの。いやその,漠然と全部おさまるだろと思ってたんですが。あ・そうか,横長ラックがあった所に新聞紙大のポールだから半畳分は空いたわけだもんね,そこを遣うのか。いやその,そこは出入り口の傍で今まで窮屈で堪らんかったもんすから,空いたままにしておきたいん。負けてるやん,んじゃどうすんのよ。いやその,横渡しの突っ張りポールを継続使用ということで。阿呆かいな,それはもう限界なんでしょが。いやその,桟の無い側を縦型ポールのフックに架けて応力分散しますから,何ぶんよしなに。

1997年5月5日


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written by nii. n