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神奈川月記9505b

冠省
知人の細君が亡くなり,そのお通夜に行ってきた。
幸せなことにおれは物心ついてからこうした不祝儀に関わらず生きている。その反面必要悪とでも言うべき弔事の知識欠如おびただしい。今後のこともあり得るからこのたび訊き憶えた作法を記しておこう。青少年諸君は参考にするように。そしておれのとき実践するのを忘れないように。
こういう想定で行こう。死亡したのはシカトできない知り合いの身内で当人には面識なく,宗派は漠然と仏式・告別式は遠慮して通夜に行く。通夜と言っても夜を徹する本式のでなくて焼香だけのヴィジタ参列。それ用の斎場(おれ,この言葉しらなかった)を訪ねる。
まずは香典から。袋はコンビニにあるし,大抵の職場で備品のひとつに数えられているからプライヴェイトでなければ貰える。葬儀を済ませてしまうまでは「霊」なのでタイトルは「御霊前」である,「御仏前」と間違えないこと。告別式でもまだ霊だ。香の代わりに供える物だから「御香料」でも良い。神式だと「御玉串料」・キリスト教なら「御花料」も可。
水引下の中央に自分の姓を薄墨で書く,墨痕鮮やかにしちゃ駄目。ひっくり返して袋の裏に住所と金額を必ず入れる。中袋のある場合は中袋にも金額を記す。水引はヒゲが上っぱねになるからね,外しちゃって判らなくなるな。何かと悩む金額は,想定のケイスで3000円から5000円で良いみたいだ。
普通は亡くなったその晩が通夜なのかな。斎場を借りる場合は込んでると1ん日ふつ日またされることがあるようだ。そうなると参列者のほうは急を聞いて駆けつけるというシチュエイションではなくなる。喪服を着て行かんといかんのかと思ったら,ネクタイがフォーマルなら普段のスーツで構わないことになっているらしい。喪章も要らんとさ。
香典は受付の人に黙って渡せば良い。問題はお焼香だよね。
死者の霊を供養してその霊前を清めるために焚くのが焼香だそうだ。自分の番が来たらまず次の人に会釈をする。祭壇前の遺族の末席まで進み,左右に並ぶ遺族と僧侶に一礼・それから霊前に一礼。斎場でなく座敷だったらここで膝で進むようにして座布団に座る。この座布団はバミリを兼ねるので外してはいけない。位牌と戒名・故人の写真を見てまた一礼。合掌するがまだ拝まない。次に香箱から右手の親指・人差し指・中指の3本で香を少量とって軽く目の高さに捧げ,静かに香炉に落とす。もういちど香を摘んで今度はそのまま前の香に重ねる。合掌して深く一礼。さあ退出だ。2・3歩さがって左右に一礼,右回りに向き直り,席まで戻ろう。
斎場では久しぶりに会う人も多くて笑い掛けそうになるが,決して歯を見せないよう気を付けた。故人の娘さんはもう大きくてクラスメイトが大勢おとない,こちらは遠慮なく談笑している。良い良い,箸が転んでもおかしい歳頃じゃ。
うちの近所のコンビニで食卓塩を買い,ドア前でちゃっちゃとお清めをした。後で気付いたのだが斎場で貰った挨拶状やテレカと一所に「お清めの塩」があったから,これは無駄な出費だった。
さて上がり症のおれのこと,上の焼香の作法はその場に至ってぶっ飛んでしまい,あうあうあうあうと心で言う内にやっとのことで合掌だけして失礼した。あなたの時にはうまくやるから安心してくれ。


今年もついていないのか。機械が壊れる壊れる。大事なVCRが2台ともいかれた。おれはきっちり編集して残すんでビデオデッキは相互にダビング接続されている。どっちもベータだ。完全に世間に背を向けた構成である。
今までに6台のVCRを取っ替え引っ替えし──すべてベータ──現用機はEDベータ(EDV-7000)とSuper HiBandベータ(SL-2100)である。7000番は88年9月・2100番は91年2月の購入,先に7000番がダウンした。
前から完調じゃなかったのよ。音声入力とヘッドフォンのヴォリウムはとっくにガリ来ていたし,音声出力は右がよく断線していた。カセットの出し入れも手で手伝ってやらないとうまくない。断線のほうはひっぱたくと回復するんで捨て置いたのだが先日とうとうイジェクトの中途でカセットが擱坐,にっちもさっちも行かなくなった。もはやこれまで。
横浜花咲町のソニーSSへコテツで運ぶ。11kgあるんで電車だとしんどい。症状を申し述べるのに漏れがあってはいけないからチラシの裏に走り書きしておいたのをSSのお姉ちゃんは,これ戴いて良いですかとちゃっかり召し上げになった。修理費の見積もりが高いようだと事前に連絡するとのことで,上限値を訊かれる。いくら掛かっても直してもらわないと,新品を買うより安ければ良いんです。と,嫌みを前置きしつつ一応5万円以内としておいた,高高1万円だろうと思ったからよ。
7000番の留守中は2100番がひとりで録画・再生を切り盛りしている。折りしもゴウルデンウィークに引っかかり,修理の遅れが懸念される。ワーク テイプが15時間分くらいしかないからダビングマスタの作り置きは慎重たらざるを得ない。
2100番の操作盤はカセット収納口とインディケイタを隠す蓋の裏側にあり──銀行の,ブラウン管を触るタイプのATMと同類のタッチパネルになっている──ひっきりなしに触るため開けっ放しである。溜まった埃を拭き取ろうとスプレイをパシュッとひと噴き,あっ何ということだ,スイッチシートとその上の保護フィルムとの間に液剤が入り込んでしまった。
電源・再生・録画・停止・早送り・イジェクトといった走行系スイッチの全面に浸水,導電性溶液と見えてスイッチングが莫迦になった。直撃を免れた調整系パネルも電気的にリンクするのだろう,動作がめちゃくちゃだ。だあ。タイマ設定しようとするとチャンネルが替わり入力切り替えで録画スタート・カウンタリセットを押せばやおらイジェクトして電源OFF,もうラリっているとしか言いようがない。なははははは,ぼくナニするの〜,えへえへえへ言うとる。
液剤を拭き乾かせば快復するかと奮闘したけれど,シートはパネル材に封入されており高レヴェルに解体しないと手を出せない。こりゃ参ったね。しかし7000番が戻るまでは修理に出せない。WoWoWで中森明菜のライヴがあるのだ。
幸いリモコン送受信のほうは正気なので取り敢えず基幹操作はOK,しかしダビングのような高精細・高機動の操作には堪えられん。蒸発しきるまで待ってみる手もあるが,10年は掛かりそうである。7000番と交替で入院決定だ。たはっ。


編集済みのビデオカセットがいま216巻ある。映画やドラマが81巻・ドキュメント9巻・音楽物13巻・その他10巻,残り(全体の半分)が落語である。ほとんど全部テレビからのエアチェックだ。
PCMプロセッサで音だけ録っていたのをMDやコンパクト カセットに落とし直したんで,まだ何十巻となく録画すべきカセットが余っている。まだまだベータデッキは現役完動品でないと困るのだ。Hi8デッキ購入計画(Operation 8)が幾度となく立ち消えになっているのも,半分はベータを捨てるうまいタイミングが見つからないせいである。もうベータカセットを使いきる前に次世代録画媒体(DVDのようなディジタルで,録再可能なサラ)の出てきそうな按配で,Op.8はこのまま幻で終わりそうである。


ショッキングなお知らせがある,ショックなのはおれだけだが。
7000番が直ってきた。交換部品は10点に及び,大物ではカセットのロウディング機構がフレイムごとごっそり・回転ヘッドとヘッドドラムもリニューアルされている。その部品代は2万と700円だ。これに技術料と消費税が付いて総計は,うおおおん,3万694円。3万694円あったら1円切手が3万694枚かえるぞ。領収書に収入印紙が貼られるほどのキビしさだ,Operation P2は後退せざるを得ない。
追い打ちを掛けるように2100番の修理見積もりがファクスされる。3万3000円だとよ。こっちははっきりおれが壊したんだからしょーがないけどさ,締めて6万オウヴァはきつい。新品のベータが買えてしまう。


上記のライブラリ構成から解るように,主として落語を録るために使っている。以前は映画も録っていたのだけれど,エアチェッカの常として二度と再生することがない。たいていの作品はWoWoWでの捨て観で充分なのが解ってめっきり録画は減った。
落語は別格である。再生率が非常に高い。何回みても同じ所で笑える。志ん生や圓生・文楽(もちろん先代)・金馬(もちろん先代)・三木助(もちろん先代)・松鶴といった物故した名人の映像はもうテレビ局も消しやしないだろうが,現役のは多くを残しておるまい。小さんなんかぼちぼち,あ・いや,何でもない,おれのライブラリがけっこう貴重なものになる可能性はあるぞ。
放送に載るような噺はほぼ録りつくしていることもあって,とうに演者ちがい・テイク違いのヴァリエイション収集がメインである。せっかくエアチェックしてもそれが既に録音済みのテイクであったり市販品でもう買ってしまったものであったりが少なくない。
この確認は現物の突き合わせ(両者を同時に再生して聞き比べる)以外に手は無く,それには誰の何を持っていてどの媒体のどの巻に収録してあるかを記録しておかねばならない。もはやおれの記憶容量は超えておる。このためのDB構築がパソコンを入れた強力な動機のひとつなのだ。


嬉しいお知らせがある,嬉しいのはおれだけだが。
Windowsがまた壊滅した。MSゴシックを指定した文書の文字がみなナカグロに化けて印刷される。ありゃフォントが消えたかと思って再登録しようとしたらちゃんとある。ここでWinの莫迦,同じフォントはいったん削除してから入れ直してちょとメセイジを出したままハングしやがった。リブートして入れ直そうとしたらWinの莫迦,プログラムマネージャの描画途中でフリーズしやがった。何度やり直しても同じ。いや,嬉しいのはこれではない。
やむなくWinの再インストール。付属フォントだからこれで回復するはずが同じ所で凍り付く。まさかと疑いつDOSからセット。やっぱり同じ。Winをディレクトリごと削除してからやってみた。やっぱり同じ。
こうなるとパーティションの初期化からだ。前回退避のシステム ファイルは古くて遣えない,PATH文やアイコンを生成するにはアプリの再インストが確実だ。FDを気の遠くなるほど差し替えた。賽の河原とはこんな所ではないか。まだ嬉しくないよ。
OS/2 Warpも入れ直し。こいつもWinのファイルを書き替えるからだ。ここでフト思いつき,ダメ元でディスプレイアダプタにclvmode.exeを指定してみた。これまでこのセットアップ画面で何をするのか解らなくて放っておいたのだ,「ほとんどの場合,アダプターのデフォルト設定をそのまま使うことができます」なんて書いてあるしよ。Visionみたいな純正ヒット製品が「ほとんどの場合」に入らないとは考えないじゃない。
正解。Win-OS/2が立ち上がり,OS/2上でWinアプリが走るようになりました。いやー,嬉しい嬉しい。clvmodeはディスプレイの水平/垂直同期周波数を設定するドライヴァなんだけど,そういやおれ,WinもWarpも1024×768×256にしてたのよね。VGAでなきゃこれが要るのだ。
できてしまえば何故*oem.fonやgdi.exeのエラだったのか理解できる。ま,後から理由を云云するのは簡単ということだね。Operation P2も急がなくて済むというものだ。
しかしWin-OS/2,サクサクにはほど遠い。DOS+Winよりむしろ悪い。RAM16MB程度でHPFSにしちゃいかんのかな。今度はチューニングだ!

不一

1995年5月13日


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コテツ
SUZUKIのGSX400Sに付けた名前。

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written by nii. n