神奈川月記9208

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冠省
人の多い所は好きじゃあない。
僕が痩せてるのに出無精なのは出かけること自体が面倒臭いのもあるけれど,どこへ行っても莫迦が大勢いると云うのが抜きがたくある。歩くのに邪魔で目障りで,タバコを持った手を振り回し吸い殻を捨て,唾を吐き痰を吐く。阿呆である。

***に住むようになって,プレイ_スポット(ぎゃはは)は横浜に変わった。平日夕飯を食べに行っても感じるが,ことに休日は恐るべき人口密度だ。金曜夜の六本木・日曜昼の渋谷をも凌駕する勢い,蟻塚を引っ剥がしたような騒ぎである。
横浜と聞くと港のヨーコで赤い靴で,ブルーライトでたそがれでイレブンでドールで追いかけて,銀蠅で,さぞおもしろかろうと思えども,国電横浜駅の周りは実は何にも無い。そごうとハンズがあるばかりだ。そこへ大人数が蝟集するから座る所が圧倒的に足りない。レストランと云わず喫茶店と云わず午後の2時3時になっても行列が切れないのである。夢に見たらきっと絶望的な悪夢に分類されるだろう。
ディズニーランドや往年のホブソンズ・封切りのロードショーなんかの行列,また年末年始・ゴールデン_ウィークの大渋滞を見るに付けどうも正気の沙汰とは思えない。そうして何時間も空費して得るものって何だ。それ程のものか。

かように僕は混雑ひいては行列が嫌いな訳だが,無為な時間を過ごす腹立たしさもさることながらもう一歩さきに長時間たっていることへの不安がある。貧血への恐怖である。
僕は今までに十数回貧血で倒れている。小学生のとき1回・中学で2回・高校で10回ちかく,実は就職してからも2回ある。これらは完全に意識を失った奴で,未遂のものはもっと多い。

主として高校の時の経験を踏まえ,貧血を起こす条件や前兆をかなり把握しているから今ではかなりの成績で回避できる。有力なファクタは高温・多湿・直射日光・無風・寝不足・便意・緊張・人酔い・立ち続けの状態などで,それぞれに持ち点があって合計が閾値を超えるとぐわっと来ると云う感じだ。
来るとまずあくびが出る。それからこめかみの裏が冷たくなり目の前が暗くなり,体表温度は急上昇・動悸がしてわんわんと反響音が聞こえ,やがて暗黒を背景にサイケな光が渦を捲いて暗転と云う経過を辿ることが多い。
ただ実際に落ちている時間は10秒たらず(数秒?)なものであり,どぉっと冷や汗をかいて目が覚める。微量ながら失禁や脱糞を伴う例もあった。そこで本当に地面に伸びているのは稀で,いつのまにかしゃがんでいるのが常だ。また落ちる寸前の汚濁した感覚が一掃され妙な爽やかさを以て回復する場合もある。いったん落ちた後は同じ気象条件でも続いて来ると云うことが無い。カタルシスと云った言葉(カタストロフィでなく)を思い浮かべてしまう。むしろ早めに対処した場合の方が気持ち悪さをずっと引き摺って終日憂鬱で居ないといけない。

貧血貧血と言っているが,勿論これは脳貧血のことだ。本物の貧血は赤血球(血色素)量の足りない重篤である。脳貧血は一時的に脳内の動脈流が減少しただけ。心拍低下か血管収縮で心臓が重力に抗して充分な血量を押し上げられなくなった為に起こる。脳細胞が壊死する前に活動休止して,酸素を節約する訳である。
生あくびの段階で座れれば問題ないけれど,区間の長い電車なんかに立っているとそれだけで緊張してクライマックスを早める。一番よいのは銀行とかデパートとかエアコンの効いた室内に逃げ込んで体表温度を下げ,腰かけて頭を膝より低くすることだ。それが叶わなければ応急処置を施す。
貧血常習者は各人我流の処方を体得していることと思うが,僕のはこうだ。目を虚ろにし(情報量を減らして脳の負担を軽くする)心拍数を増やし,やや深呼吸をする。
意外に効くのが指圧だ。指で人中(鼻の下の溝の所)や百会(頭蓋の頂の凹んだ所)をぐっと押さえると意識がはっきりする。試しにやってみなさい。どうだい,指先の力以上の衝撃が走るだろう。特に人中は急所中の急所だから喧嘩の時の最後の手段に狙うと良い。うまくヒットしたら相手は死ぬぜ。


うぬ,とうとうクラッシュしてしまった。
それは92年7月25日10時30分の国道16号線上で,間も無く横浜市街に這入ろうと云う所。時速50km程度の車の流れの前方が赤信号になり各車減速を始めようとした,すかさず僕は擦り抜け体勢に変わって先頭に出る,と前に居たタクシが無警告ですぱーんと左折したのである。急ブレーキを掛けたが間に合わない。バイクはタイヤが少ないぶん制動距離を多く要する。また全力制動中はハンドルを切ることができない。タクシの後部と歩道を隔てるガードレールとに挟まれる格好で失速し,ひっくり返ってしまった。

だからクラッシュと言っても殆ど立ち転けである。びびって降りて来たタクシの運ちゃんに手伝ってもらってコダチを引き起こしたら,クランク_ケイスがほんのちょっと削れて左のバックミラが明後日の方角を向いたくらいのダメイジだった。FRPのカウルやブリンカは奇蹟のように無傷だ。歩道の段差とガードレールと郵便ポスト(腕時計に赤い塗料が着いていた)が巧みな軟着陸を助けたらしい。
僕の方は──家に帰ってズボンを脱いでやっと気が付いたのだが──左の脛を擦り剥いていただけ。ジーンズは破れなかった。それからタクシも無傷。補償問題に発展しそうもないのでその場で別れた。
250カタナのエンジンおっと驚嘆したのはカタナのエンジンのタフさである,3速で横転したままドッドッドッドとドライヴを続けていた。購入以来ついぞ触れなかったキル_スイッチを初めて使ったよ。

コダチは通算3台目のモータサイクルだ。初代エポからカタナ・カタナと3車ともスズキ製である。スポーツ_バイクには珍しく最初からペット_ネイムが付いている。ただ選んだのは全てデザイン最優先であって,1社に偏ったのは偶然なのだ。エポポに至ってはこれに乗りたくて原付の免許を取った程である。後追いで僕はスズキを好きになった。

納車したその日に全開走行して全損と云うような莫迦ではないにせよ,警察沙汰にならない程度の事故はそこそこやっている。
エポポは雪の日とり回し中にタイヤを捕られ投げ出すように転倒させたのが1回,タクシにコツンとぶつけたのが1回,渋滞の十字路を擦り抜けで飛び出して対向右折車に激突されたのが1回ある。甘木に貸してウイリーされてぶっ飛ばされたこともあったな。十字路の時はヘッドライト_ステイとブリンカが飴のようにひん曲がった。
コガタナは立ち転けオンリ,ハンドルを切りきった状態で前ブレーキを掛けて前輪をロックさせると徐行中でも為す術なく転倒することを学んだ。片足では車重を支えきれないのだ。立ち転けならハンドルを引き上げてなるべくゆっくり倒してやれもするのだが,車から離れていてサイドスタンドが外れた場合はそれもならず,クラッチ_レバを折ったことがある。
コダチは先述のだけ。両輪とスタンドの裏以外が初めて接地した。く・悔しい。

盗難もあるぞ。エポポとコガタナが1回づつ,いずれもバックミラを盗まれた。どう云うつもりなんだかね,ガキの仕業であってもパクられれば社会的生命を危うくするのに。いやいやそんなことより,わざわざ工具を用意して1000円とか2000円の物を盗む精神が理解できないよ。
それからこれはガメられたのかどうか確信を持てないのだが,コダチのシートカヴァが完全に姿を消したことがある。風に煽られたカヴァを辛うじてハンドルに引っかけたものの尻は丸出しと云うコダチは2回みた。しかし或る朝は素っ裸だったのだ。わぁ到頭やられたと真っ青になったが,見たところ異状は無い。いたずらの形跡も無い。カヴァを盗む者が居るとは考えにくく,カヴァが全く脱落するともまた脱落したにせよどこにも落ちていないと云う状況も不条理の極みである。その後は何でもないからまぁ良いけどサ。風で飛ばされたカヴァが車道に落ち順繰りに通行車が隣町まで撥ね飛ばして行ったか,歩道に落ちたのを浮浪者がこれ幸いと持ち逃げしたか,どちらかだと思いたい。
そうそう,ヘルメット紛失事件も未解決の儘だった。

シートカヴァはごく普通のポリエステルなので,タンクやカウルの擦れる部分にけっこう傷を付ける。あちこち錆も浮いた。大気汚染が酷く海辺に近くあまり乗ってやらないからコダチは1年間でけっこう野生味を纏っている。
一番ひどいのはやはりマフラで,カンカンに灼けたあと何のメンテもしないので真っ赤に錆び錆びである。触わると1層ぽろりと剥離する。耐熱塗料なんかではぜんぜん駄目なのだ。ステンレスかアルミの市販マフラに交換したい。7・8万円なのだけれども純製品だって5万近くする。耐蝕性を考えたら倍値でも安いくらいだ。間も無く12箇月点検であり,購入店が扱っていれば換装を図る。

不一

1992年8月15日


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港のヨーコで赤い靴で,ブルーライトでたそがれでイレブンでドールで追いかけて,銀蠅
 『港のヨーコヨコハマヨコスカ』DownTownBoogieWoogieBand・『赤い靴』童謡・『ブルーライト横浜』いしだあゆみ・『横浜たそがれ』五木ひろし・『横浜イレブン』木之内みどり・『ドール』太田裕美・『追いかけて横浜』中島みゆき・横浜銀蠅。「横浜イレブン」はも一度ききたい。

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written by nii.n