神奈川月記9206b

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冠省
SC-101(左右)とMX-10(中央), アンプはA-10ではありません。83年頃。僕のハイファイ用スピーカ第1号はデンオンの2ウェイ_バスレフ(SC-101)である。確か82年の夏に買った。サイズはミニコンポだが音は強力雄大で,ミニのくせによく鳴ると云う感じだった。翌年秋にアンプ(A-10)を購い,これは未だに交換不要のNEC一世一代の大傑作である。
いずれも当時エアチェックに不可欠で購読したFMfan誌の『ダイナミックテスト』(今も連載中)をガイドにした。その筆者がイレギュラでマトリクス_スピーカ(MX-10)の工作記事を書き,ワンボクスでステレオになると言う。半信半疑で作ったところこれが大当たり,爾来ダイナミック_テスタでMX−10設計者の長岡鉄男は僕のオーディオの師匠であり敬愛する三賢人のひとりとなったのだ。

長岡は大正15年東京うまれ,もういいかげん爺いだ。わしも昭和ひと桁に入れてくれと発言したことがある。元はコント作家・クイズ作家で──まだやっているらしい。昨年NHKの『おかあさんの勉強室』にパズルを連載したそうだ──30歳頃からオーディオ評論に手を染め,現在スピーカ工作の第一人者,と言うより意欲的にスピーカを発表しているのはもはやこの人しか居ないだろう。オーディオ評論はハード・ソフト双方に跨がり著書多数。4年前に48畳相当が2階建てのVAルーム「方舟」を造り120in.の3極管プロジェクタ(信号機みたいな奴)を稼働させてV系も制覇した。
年休2日だそうでとにかく仕事を減らしたい,まずハードのテストレポートから徐徐に手を引いてCD・LDのソフト評論に絞り最終的には映画評論を専門にやりたいそうだ。ま,死ぬまで無理だろな。どうせXデイは近いんだから今の内に良い仕事を残してもらいたいと不肖の弟子は思うのだ。

この人の凄い所は評論家でありながら本当のことを書いてしまう点にある。オーディオ_ジャーナリズムは他分野と御同様,新製品は全て両手を挙げて絶賛絶賛絶賛の嵐・こないだ絶賛しといた旧製品にはあれがいかんかったこれが駄目だったとケチの付け捲りと云う世界なのだが,その中でゆいいつ反対もする人なのである。BS反対・DAT反対,現在ハイビジョン反対を唱える評論家は長岡ただひとりだ。
このタイプは各分野に定員1名である。オーディオ業界にもふたり抱える器量は無い。尤もふたり目が出ようにも長岡クラスの筆力の持ち主なぞありはしないし,長岡はスター評論家で読者に非常に受けが良く──「長岡教」と揶揄されるくらいだ──恐らく商品の売れ行きにも影響を及ぼす。メイカからの圧力がどうこうと云う懸念は無い。フォステクス(スピーカ_ユニットのメイカ)なんか長岡に万一のことがあれば社の存亡に関わるのじゃないかしらん。
長岡の人気を解剖するに,読み物として耐え得るその文章もさることながらリファレンスのスピーカが自作である点も見逃せない。物差しがどっかのメイカ品であるかオリジナルであるかは評論記事の信頼度に関わってくる。そんなら自分でやってみろと云う評論家殺しの文句がこの人には効かないのだ。

D-70(左右)の外側に黒いDRW-1, アンプはA-10。85年頃。MX−10のほか僕は長岡設計のスピーカを何台か作っている。20cm2発の大型バックロード(片ch 75kg)をふた組(D-7 IIとD-70)に超大型スーパ_ウーファ(全高215cm)をひと組(DRW-1)・14in.TVの上に載せるマトリクスひと組,就職してから19in.TV(現用)の置き台兼用マトリクス1台に10cm1発バックロード(現用)とこれに組み合わせるサラウンド_スピーカ(現用・ダブル_バスレフ)を各1組。
スピーカの自作と云っても僕の場合長岡の引いた図面を殆ど変更なく真似っこしており,何のことはない,プラモデルとおんなじである(あ,前回の話と繋がったね)。
バックロードとマトリクスばっかりだが,このふたつは便宜上の呼称であって同列の分類ではない。バックロードはスピーカのキャビの形態,片やマトリクスはスピーカの接続法である。当然バックロードでマトリクスのスピーカもあり得,現に僕はそうしている。

スピーカはキャビネットの型式で密閉・バスレフ・バックロード・その他と大別できる。長岡は全てに通じているが特徴的なのはバックロードだ。
言うまでもなくスピーカとは電気信号をその強弱に従って振動板を前後に振り空気の疎密波すなわち音波に変換する道具である。こう書くと前面から放射される音波にばかり目が向くけれど,よく考えたら振動板の裏側でも同じ操作が行われている,ただし空気の疎・密はちょうど反対だ。これ,解るね。
波動には回折効果と云うのがあって,前の音波は裏側へ・後ろの音波は表側へそれぞれ回り込もうとする。屏風の向こうのひそひそ話が聞こえたりするのがそれだ。聴きたい前面波と位相の反転した背面波が混ざってはまずいので衝立(バッフル)で遮る。前後の干渉を完璧に防ぐのは無限大の面積を持ったバッフルであるがもちろん実現不可能だから,適当な所で折り曲げて裏側で閉じてしまう。はい,キャビネットのできあがり。スピーカが箱に収まっているのはつまりこう云う訳なのだ。

さて振動板前面から直接放射された音ばかり聴いているとどうも低音が足りない。数十cmのスピーカ_コーンで動かせる空気の量など高が知れており,また低音ほど振動板がゆっくり動く道理で,空気は充分に圧縮されるより先に周りへするする逃げてしまうせいだ。
しようがない,密閉箱に閉じ込めといた背面波を利用しよう。幸い低音なら位相の狂いを知覚しにくい。100Hzとか50Hzとか出したい低音の周波数は共振パイプの断面積と管長でコントロウルできる。瓶の口に息を吹きかけるとボーボー言う,例のヘルムホルツの共鳴管である。このように逆相の背面波を積極活用するのが位相反転式(バスレフ)スピーカだ。スピーカユニットの脇にぽこっと穴の開いた奴を見たことあるでしょ,あれだあよ。

D-70バックロードの音道低音は空振りが多くて聞こえないとは言っても音圧が小さすぎて耳に感じないだけであって,いちおう出ていることは出ている。この空振りを少なくして小さな音圧をうまく育てたい。それを実現するのがバックロードホーンである。振動板の後ろに音圧を載せる道を付けたものだ。トランペットやトロンボーンのホーンを想像しよう。ただスピーカの場合ホーンは数mに及ぶのでまともには付けられない。折り畳んだ格好でキャビの中に収めてしまう。
バックロードにするともうひとつ良いことがある。密封した空気を加圧圧縮または負圧膨張させるには大変なエネルギーが必要だ。キャビネットの内容積が小さいほどユニット背面の空気は粘度を増して振動板の動きを阻害する。バスレフの小さなポートでは大した息抜きにならないが,バックロードならこの背圧から解放される。軽い力で振動板が動き,したがって微小信号の再生に有利に働くのである。

駆け足の解説だったけど,解ってもらえたかな。便宜上あたかも密閉→バスレフ→バックロードと進化してきたように書いてしまったが,実際の歴史がどうなのかは知らない。バックロードの登場はかなり古く,全盛はむしろステレオ以前の時代である。
バックロードはキャビ6面体の底面を除く5面のいずれかのバッフルの半分くらいをホーン開口が占めると云う特異な外見を持つ。これを普通のお店で見掛けたことは無いだろう,メイカ品でバックロードは無きに等しい筈だ。
どうしてメイカは作らないか。理由はこうだ。

  1. 設計が難しい
  2. キャビの構造が複雑で量産に載らない
  3. ユニットの口径に比してキャビが巨大になる
  4. 周波数特性が全域で暴れやすい
  5. 強力なユニットが必要である
  6. 低域から超低域で位相がずれやすい
  7. ホーンからの音とユニットからのそれとで時間差を生じる

などなど。
上の1.から3.はメイカの都合だ,本質的な欠陥ではない。3.については同じキャビならユニットの多い方・大きい方を決まって買うユーザにも問題がある。4.と6.は5.と1.でそれぞれ解決する。
7.は説明を要するかな。前述の通りバックロードでは振動板背面の音をホーンに掛けて利用するのだけれども,大型のシステムだとホーン全長は2mから3mに及ぼうかと云う長大な物になる。つまりホーンを通って来た音はユニット前面から直接放射された音よりも何m秒か遅れて耳に届く。へたをすると「ドーン」と云う音が「ド・ボーン」と分かれて聞こえる,ことが無いでもない。
でもまぁそんな3mを超すようなホーンを作らなければ良ろしい。それに背圧ぎゅうぎゅうの密閉式やマルチ_ウェイの重たいウーファ_コーンがえんやらさっと動き始めるまでの時間を忘れてはいけない。音色はユニット前面の直接音で殆ど決定されてしまい,元元ステレオ感に乏しい低音の数m秒の遅れなど無視できるのだ。大切なのは電気信号が瞬時に音波に変換されることであり,それには軽いフルレンジ_コーンが背圧ゼロで駆動されるバックロードが最も適しているのである。

ふう。くたびれた。マトリクスについては前に書いたことがあるので割愛しよう。あ,もう紙が終わりだ。
要するにそろそろスピーカ_システムを交換したい。現用機のAVヴァージョンを長岡が発表したのでそれに乗り換えようかと云うわけ。ついでに6ch化だ。

不一

1992年6月20日


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今も連載中
 呆れたことに今も連載中である(99年8月記)。長い長岡ファンは一読してお解りだろう,今号はみんな長岡の受け売りだ。

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written by nii.n