神奈川月記9204b

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冠省
忘れそうなんで慌てて書いとく。独演会シリーズ第4弾・古今亭志ん朝の巻だあ。
志ん朝師と言って解らなければ,この間まで「サントリー_モルツ」のCFで「私はドライではありません」とヨイショしてゐた噺家である。中井貴一主演のTVドラマ『いまどき銀座物語』にも出てゐた。

この人こそは噺家の中の噺家,志ん生・文楽・圓生亡きあと間違ひ無く落語界を支へる残り少ない大黒柱である。生粋の江戸っ子であり若若しく──54歳だ──力技も利いて華がある。口跡がはっきりしていて気持ちが良い。痰火を噛まないで切れる噺家が何人ゐるものか。
武士・町人・花魁・与太郎,何でも熟せて正にオール_マイティ,ちょっと子供の描写が弱いがそれは師の他の人物像と比較しての話であって,今の林家と三遊亭と関東の桂の全員を合はせても──おっと小遊三と文治は抜いとかう──師ひとりに敵はないと断言できる。
落語の入門者(もはや落語を聞くのにも多少の訓練が要る)に最適でヴェテランは大喜び・大ヴェテランも大満足と云ふ超A級の噺家なのである。もし志ん朝師が無かったら到底いまの落語人口を保ってはゐられなかったらう。子供の頃は外交官になりたかったのだそうだが,そんな事にならなくて本当に良かった良かった。

志ん朝師は御存じ古今亭志ん生の次男坊で,故金原亭馬生は実兄である。ついでながら馬生の娘すなわち志ん朝師の姪に池波志乃が居る。名人が2代つづいた稀有な例だが,実のところ芸風をかなり異にするので父子の比較は殆ど意味が無い。志ん生が志ん生でしかあり得ないのに対して志ん朝師は文楽・圓生の流れを汲む技巧派(正統派)だからである。

例へば文楽・圓生・正蔵なんて名前は先代との比較を恐れて誰も継ぎやしないし継がうとしようもんなら内外から非難囂囂,噺家生命を断たれかねない。唯一の例外が志ん朝師の6代目志ん生襲名だらう。タイプの違ふ志ん生が誕生する分には何ら差し支へ無い。尤もご本人にそんな意思が無いようで,志ん生も当分あきのままである。

さて,独演会の方に掛からう。
所は神奈川公会堂「神奈川こぶし寄席」としてある。こぶしと云ふからオラオラかと思ったら神奈川の区木ださうだ。神奈川公会堂なら比較的仕事場から近いから助かる。

古今亭志ん朝独演会
92年3月27日(金) 横浜市神奈川公会堂
18:00 開場
18:25 お囃し 小口けい社中
18:29 『手紙無筆』 金原亭桂太
18:43 『湯屋番』 古今亭志ん上
19:01 『お化け長屋』 古今亭志ん朝
19:53 仲入り
20:07 紙切り 林家小正楽
20:23 『試し酒』 古今亭志ん朝
21:00 閉演

番組は別表を参照してね。
会場のキャパはざっと400てとこか。天井が非常に高く(10mくらい)お負けに壁面が煉瓦貼りとあって,残響の長い造りである。恐らく室内楽を睨んだ設計なのだらう。演劇を含めて話芸に向いてゐるとは言へない。
場内の広さに反してここの椅子は狭かった。座部が跳ね上がる普通の劇場シートだがこれは中学生サイズだ。両肘掛けを入れて僕の肩幅をやっと満たすくらいで,前列との間隔もまるで足らない。
ただ床の勾配は余裕たっぷりに採ってあり見晴らしは頗る良かった。入場が遅れて最後列の中央しか取れなかったのだけれど──全席自由──演者の膝頭も見える。
場内はどう見てもこの近所ふうの爺婆が大半を占め,G馬場がちらほら居てもさして邪魔になりはすまい。はてこの人達がぴあに行くとも思へんが,チケットはどっから手に入れたのかな。

お囃しが始まって開演である。囃し方もテイプなんかでなく,ちゃんと生バンドが這入ってゐた。
小口けい社中は三味線に太鼓・鉦のトリオで笛が無い。どう云ふつもりか三味だけマイクを通したもんだから圧倒的大音量で舞台上空にセンタ定位,アンサンブルがむちゃくちゃである。

一番手は金原亭桂太の『手紙無筆』である。まあ,はっきり言って落研クラスの腕前だ。憶えた話を憶えたなりに吐き出してゐるに過ぎず,こう云ふのは「なぞる」と云って僕にだってできる。ぢゃあ僕も噺家になれるかと言ふと,そうは行かないんだな。彼我の差ははっきりと声を出せるかどうか・頭を振って登場人物の位置関係を描き出せるかにあるのだ。
『手紙無筆』は文盲の男が兄貴分に手紙を読んでもらふと云ふ噺である。定石どほり実は兄貴分もまた字が読めず,男の話を手掛かりに文面をでっち上げていく。
サゲ近く会話の上で花魁が出てくるのだけれど,いくら「〜ありんす」ったってリアリティが全く無い。それもそのはず桂太は66年うまれなのだ。「無筆」と云ひ「女郎」と云ひ近近ほろびる噺に疑い無い。少なくとも僕より若い者にやれる道理は無いのだ。

続いて古今亭志ん上の『湯屋番』だ。彼は二ツ目で間も無く真打ち昇格が約束されてゐる。
実にこの真打ちが約束されると云ふのが大問題であって,談志・圓生一門の落語協会脱退ひいては圓生の過労死の遠因となった。噺家になって何年か経てばセコでも真打ちになれるなんておかしいと云ふ彼等の離会理由は,真意はどうあれ明快で正当である。
噺家にも生活があるとは協会の言ひ分なのだが──当然ワリが違ふ──「真打ち」の称号は武道の段位に等しい。技量の伴はない真打ちなら詐欺だ。年功序列で昇進てんぢゃあサラリーマンではないか。
現在落語界と聞くと如何にも斜陽産業だけれども,実は噺家の頭数は増えてゐる。しかし落語をやりたい者ばかりではない。誰かの弟子になれれば即芸能人と云ふ事だし「〜亭」と付けば落語を全く知らなくともキャバレーや慶事の司会に呼んでもらへて喰ふに困らない。つまり最終的にタレント(鶴瓶やさんま)になるのが目的だから落語の修業なんか積む気はさらに無く,従って屑真打ちの大量輩出が導き出されると云ふ次第なのである。
上は落語界の傾向である。志ん上は良い出来だった,意外なほど。以前ラジオで聞いたのよりずっと良い。今の真打ちの水準は充分クリアしてゐる。コンスタントにこの出来なら僕も敢へて真打ち昇進に反対しない。

さあ,志ん朝師だ。うむー,何と云ふ事だ,出囃しと共に裾から座布団に座るまでの間・幾歩か歩く間がもうをかしい。言っちゃ何だが志ん上が如何にうまくとも鎧袖一触,格の違ひをまざまざと見せつける。今回ご一所した甘木夫妻は落語素人なのだが,この違ひをはっきり認めた。
志ん朝師のマクラは話題がふらふらして,何をやるのかなかなか掴めなかった。名人の話を始めたので『名工矩随』かと思へば若貴に触れて『阿武松』?幽霊の話になり博打の話になり『一眼国』?『へっつい幽霊』?ついっと噺に這入ったと見ると『お化け長屋』だった。高座に上がるまでに決めていなかったのかもしれない。マクラに対するお客の反応を見てネタを変へるのである。こうした手足れを見られるのもライヴならではだ。
初めは何とはなく乗っていない様子だったが,次第に熱が這入ってきた。志ん朝師,珍しく変な顔を作る手まで遣って徹底的に笑はせに掛かる。もちろん僕等は徹底的に笑はせられるのである。

『お化け長屋』は空き店を物置き代はりに使ってゐたのを大家に咎められた長屋の連中が,逆恨みして誰も越してこないように幽霊話を捏造するといふのが大筋である。ひとり目が長屋最古参の語る因縁話にびびりまくり財布を落として逃げ帰ったまでは良かったが,ふたり目は全く動ぜず悠然と引き上げる。

「何だい,あの野郎あした越してくるってよ」
「ぢゃあ財布なんざ落としていかなかったらう」
「あ,さっきの財布もってっちゃった」

普通ここでサゲてしまふのだけれど,本来はまだ先がある。引っ越し祝ひに集まった悪友連がいたづらで怪談をトレイスする下りがあるのだ。志ん朝師匠,怒濤の寄り身で最後まで行っちまった。は・初めて聞いた。完璧版だ。
1席目にして50分を越す熱演である。

仲入りを挟んで小正楽の紙切りに移る。この人は小朝の独演会の時スケに出た正楽の弟子である,名前ききゃ判るけど。一見して陰気でちょい険しい顔をしてゐる。こりゃ駄目だ(楽しめそうもない)なあと思ったら,案に相違して愉快だった。紙切りの腕は師匠に譲るが口は達者である。明るく声を張るのぢゃなくて淡淡と但しツボを心得た喋りなのだ。
ふたっつ切って見せてから客のリクエストに答へて制作物をプレゼントするのは正楽と同じ構成である。当夜のネタは「相合ひ傘」「藤娘」「鐘馗様」「虎」「古今亭志ん朝」「小錦」「花嫁人形」てんでこれも師匠のに被るね。正直いって紙切りに後継者が居たとは思はなんだ。

再び志ん朝師の高座で『試し酒』。
おやおや,これは柳家のお家芸の筈だ。志ん朝師,小さんに習ったんだらうか。落語のネタは門外不出と言ふのぢゃないが外が遠慮してやらないでゐて,これはあそこの噺てな軽いタブーが結構ある。
酔っ払ひは小さんがまたやたらにうまいから,志ん朝師にすれば却って挑みにくい種類のものに思へる。それが10年前から演じてゐるような完成度だ。この噺はサゲが命なので筋を割るのは避けておくが,どこを採っても瑕が無い。堪能するとはこう云ふ高座に対して言ふのだ。

ぴったり21時に終はりである。恐ろしいようだね。え,21時。始まったのは18時半だぜ,この独演会,1500円だよ。

「神奈川こぶし寄席」のネイミングに1500円・会場がニチイの裏と云ふ事で,僕はこの会を見縊ってゐた。ところが蓋を開けてみたら濃厚で上質で長町場の好演である。2時間で3000円とった小朝や枝雀は──そりゃおもしろかったけどさ──何なのだ。余りに安過ぎる。
ふとパンフを見るに

主催:横浜市文化振興財団・神奈川区役所
後援:横浜市・神奈川区文化協会
協賛:横浜中央ヤクルト販売株式会社・株式会社ニチイ

としてある。何とお旦は官民一体の横浜そのものだったのだ。爺婆の横溢は敬老関係の仕業に違ひあるまい。僕の住民税も遣はれたのかな。無論こう云ふ遣はれ方なら文句は無い。どんどんやってちょーだい。

うーん,志ん朝師匠のすばらしさを思ひ知った独演会だった。ふう。

不一

1992年4月25日


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先代との比較を恐れて誰も継ぎやしない
 文楽は継がれちゃったん。あーあー。(99.9/15記)

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オラオラ
 荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険』主人公承太郎のスタンド極め技のひとつ。オラオラオラオラオラオラオラオラと叫びながら両拳でどつき回すのだ。

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written by nii.n