神奈川月記9109

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冠省
オペレイションKの続報である。
しつこく書くが,カタナ(GSX250S)のスタイリングは異様だ。クールでシャープでそして何処かヒューマン_タッチ。動物に譬へれば痩せて肋の浮いた鮫であり,他の物品で言ふと,やはり抜き身の刀であらう。かう云ふデザインが民生品で実現できた先例はちょっと思ひ付かない。空砲のみを撃てるリアル_スケイルのモデルガンがあれば相似の感動を受けるのかもしれない。
強固だが極めて抑制された意思を感じ,どう見ても息をしてゐる。この春にソニーのVCR(SL-2100)の意匠を誉めちぎったが,あれは徹頭徹尾人間が管理して作り上げた道具に過ぎない。カタナには何だか解らないがかうなってしまった的な生生しい匂ひが漂ふ。エイトマンとエイリアンと云った違ひに当たらうか。

1100カタナの忠実な復刻を目指して企画されまた十全にそれを果たした250カタナであるが──必然のダウン_サイジングは別として──細部でかなり変更がある。ホイル・エキゾースト_パイプ(集合管だ!)は全く別物,Rショック_サスは機械式バネに窒素ガス圧を加へ,空冷の1100には無かったラジエタは巧みに隠されてゐる。シート地・ウインカ・ステップ・ペダル・アクセル_グリップは全て上物に差し換へられた。1100と本当に共通のパーツはバックミラだけらしい。
驚いた事に250の方がタイヤが太い。11年の歳月を感じるのは実に此処の所だ。

「刀」ロゴ

気に入らない点も無いではない。
まづ,タンデムできる単車には必須装備品なんだけど,シートを前後に分割する恰好でベルトが付いてゐる。これは事実上無用の長物だし視覚的にも煩いので取っ払ふ(車検があるなら不合格)。
次いでカタナのステッカ,漢字で「刀」のロゴマークとは立派なのだが,鞘入りの安易な日本刀の絵を手挟ませたのでせっかくのグラフィックが台無しである。これぢゃ「刃」だ,下手すりゃ「匁」だな。これも引っ剥して自分で何かマーキングを施す。
メータのハウジングが速度計・回転計・インジケイタ諸とも一体型なのはともかく,目盛りの切り方が不自然だ。独立アナログ2針でありながら速度計は4時から12時・回転計が10時から6時の変則スケイルであって,さうして互ひに開いた部分に喰ひ込む形で配される。これでは双方の連動性を頗る見にくい。奇を衒った悪ふざけである。
スタイリングで唯一不満なのがFフェンダである。五右衛門風呂の簀の子の端っこみたいでどうも安直なカッティングだ。外してしまっても良いが雨の日こまるのでその儘にしておく。できるものならアクロスかバンディットのそれと交換したい。

コクピット

さて実際に乗ってみた感じはどうか。
納車は91年8月の晦日で,ちょっぴり照りつけて後は曇りと云ふナイス_コンディション。ただし蒸し暑かった。雨が前日まで降り頻ってをり,もし止まないやうなら翌週に延ばすつもりであった。
冒頭で「痩せた鮫」と書いたが,間近で見るととんでもなくグラマラスである。そして糞重い。
引き回すのは重労働だけれど,ひとたび走り出せば極めて素直な,癖の無いハンドリングでかつ安定した動力性能を見せる。3年振りに単車に乗る僕の闇雲な不安感は程無く霧消してしまった。
コダチはドライで160kg,湿らせるとおよそ180kgになる。僕の体重が控へめに言はせてもらって60kgだから実走行時ウエイトの25%から30%を占める計算(裸では乗らない)だ,しかも重心を上げる位置での加重である。スクータ程ぢゃあないにしても意識的に体重移動をしてやれば走行に大きく影響する。
しかしコダチでのライディングは乗ってゐるのでも乗せられてゐるのでもない,奇妙な味はひがある。正に「行かうぜ,相棒_おうよ!」と云ふ感覚なのだ。

クォータとしては破格のボディ_サイズも僕くらゐの上背と猫背があれば両足ぺったりの余裕綽綽・やや強めの前傾姿勢(ハンドルが遠い)もジャスト_フィットである。特別誂へのやうな寸法採りなのだった。
ヘッドライトは充分あかるく,ウインカはプッシュ_キャンセル方式。コガタナ(GSX250E)のドヒャドヒャ云ふ排気音が大好きだったのだけれど,コダチのビヨーも心地よい。積載性は特に低く,完全に乗る事が目的のバイクである。コダチを単なる移動や買ひ物に使ふのはテニスラケットで布団を叩く行為に近い。
今日半日はしっただけで忽ち左手の薬指が莫迦になり──クラッチを握る──両腕が真っ赤に日焼けしてゴッツ痒い。情けないね,どうも。
とにかく眺めて嬉しい・乗って楽しいモータサイクルだ。あらゆる点でコガタナを上回る。コダチに何か悪さする奴みんな殺すー。

コダチ自身は10点法で10点を付けて差し支へ無い優れた機械だが,頭の痛いのが置き場所である。正当で最善のマンション敷地内が駄目なのでなるべく近い歩道にゲリラ駐輪しかない。
マンションの真ん前を仮想してゐたらコダチは思ひのほか大柄で両端が車輛の出入り口に食み出す。両隣には町工場が軒を並べてをり普段あたりまへのやうに歩道も作業場に組み込んでゐるから強引に割り込むとトラブル必至だ。歩道を業務に遣ってはいけないんだぞと正論を吐く事はできるけれども,同じく僕が私用に遣ってもいけないのである。
それで今は30mくらゐ離れた大きな工場の正門脇にカヴァを被せて停めてある。「駐車はご遠慮ください。」の立て看板の並びだ。正直言って心苦しく,どきどきしてゐる。
最悪の場合に備へて3人の知人に置き場所を貸していただく約束はできてゐる。しかし住所は板橋近辺であって,乗車が週末の2日に限られるとは言へ僕みたいなA級怠け者がコダチに逢ひに通へる地区ではない。始めの2・3週でギヴアップするのは目に見えてゐるではないか。やっぱり適当な土地へ引っ越すしかないわなあ。


押し入れの奥から古いのを引っ張り出してやうやう夏の電力不足を切り抜けた衛星放送3波,新衛星BS-3bが無事うち上がってまづひと安心である。万一の事故も期待してVCRを回しておいたら,ちゃんと発射された。
アポロから20年も経ってしかも無人機であると云ふのに緊張の夏・日本の夏である。航空機と並んで日本の空の技術は合州国から何十年も遅れた儘だ。

3bには「ハイビジョン」専用chが載ってをり,本放送も間近に迫ってゐる。次世代TVについては日本は世界最先端も最先端で欧米より20年は進んでゐるらしい。他国では実験放送は疎か計画以前の段階にある。
ハイビジョンのデモを観た事があるが,確かに驚嘆すべきものだった。幾ら目を凝らしても走査線が見えないのだ。ハイビジョンの情報量は現行NTSCの5倍である。5倍てえなぁ圧倒的な差だ。それにしたって受信機に400万円も掛かるのでは話にならない。
しかしハイビジョンは映画にも遣へフィルムに取って代はる可能性があるから,まづ映画館で初体験して徐徐に家庭に普及,延いては世界共通規格にごり押しできるかもしれない,好い加減日本製品に業を煮やしてゐる欧州連合は必死に阻止を図るだらうが。


延び延び延びになってゐた引っ越しがこのほど実行された,いや僕の職場の話。
引っ越しと言っても同じビルの4階から3階へ移っただけである。新しい建屋ができ上がったんでオフィス面積に若干余裕が生まれた。それで部署単位の移転が相次いでをり僕の寄生主の**(コンピュータ開発室)も頭数に這入ってはゐるが新築の**には入れてもらへなかったと云ふ複雑な事情があったのだ。

占有空間は増えた。具体的な数字は判らないし目測でも見当が付かないので何m2と挙げられないのが残念だが,100人くらゐが執務を執る部屋割りである。
机と椅子が新品になって気分が良ろしい。殊に椅子はOA用品で極めて快適である。ここ10年に於ける事務椅子の進歩は誠に著しい。大学3年生くらゐで机と椅子の生活を捨てたので今は関係ないが,もし復活する事があれば是非かう云ふのを採用したい。5・6万円はするけれど作業の能率と質に対する貢献に計り知れないものがあるのだ。

不一

1991年9月8日


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written by nii.n