神奈川月記9108

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冠省
何だ,この夏は。
空梅雨と思ってゐたらそのまま猛暑に突入してしまった。7月の終はりから連日30度を軽く超える。体温より熱い日もある。正に熱波だ。
朝9時とかに家を出ると──何で9時なんだ──透かさず温気が擦りより抱きつき絡んでくる。大量の湿気を含みしかも沸騰してゐる。水蒸気はレンズとなって直射日光の焦点を上手に合はせる。風は動かない。5分も立ってゐると誇張でなくめまひがする。本当に落ちさうになって最寄りの建物に避難したのが1度や2度ではない。外回りの営業でなくて良かったとつくづく思ふぞ。
東京の暑さは──暑さを実感するのは仕事場の周辺である──太陽・路面・自動車・エアコン室外機と四位一体の直截で苛烈な複合輻射熱に因る。マッチポンプ的でもエアコンが無いと健康に暮らせない。山口も暑かったがかう刺戟的でなかった。野菜炒めの豚コマの気持ちを理解した気になる。


ネタが無いので,また持ち物について書く。
いったい僕は持ち物は多いが物持ちは悪い。性懲りも無くぽんぽん買ひ換へるからさうなるのは百も承知だけれども,さう言へば僕の持ち物で一番古いのは何だらう。

電器は大半が就職してから揃へた物である。洗濯機なぞは去年でTVの購入が5年前でアンプやCデッキは8年前,長老は冷蔵庫かな,10年前だね。おっとドライヤがあった。1kWのハシリで12年前。つい魔が差してパーマを掛けた際に買ひ込んだんだ。確か6000円だった。

引き出しを開けてみる。
「**文庫」の蔵書印が6年前,関数電卓が13年前,ステップラとパンチが16年前だ。おおっ,ntカッタは18年前の遺物だぜ。

レコード棚を覗いてみる。
ビートルズは高校時代に揃へたんだから13年くらゐ前だ。初めて買ったLP・谷山浩子のデビュ盤『ねこの森には帰れない』は14年前。初めて買ったEPは Cafe Creme の"CITATIONS ININTERROMPUES"即ち『ビートルズなーんちゃって!?』でやはり14年前。本当はその前に『仮面ライダーアマゾン/宇宙戦艦ヤマト』の強力シングルがあるのだが見付からない,捨ててはゐない筈だ。あるとすれば17年前。

カセットケイスはどうだ。
これは簡単だ。TVエアチェックした桂枝雀の『壺算』である。大学に受かって**アパートに移る時の新幹線で聴いた憶えがあるからそのちょっと前,12年前である。それ以前の録音は全て潰してしまった。ハードとしてのカセットテイプは15年前の物が残ってゐる。

後は本棚だな。
書籍は新しい物しかこの部屋に無い。実家にあるのを入れたら手塚治虫の『どろろ』と云ふ事になって19年前。漫画でないのでは井上ひさしの『ドン松五郎の生活』が18年前。ませたガキだが当時日刊芸能紙『中国新聞』に連載されててをかしかったのだ。
如何にも残ってゐさうな教科書は高校生物とか日本史の副読本など意識的に除けといたのを除いてみな廃棄してしまった。教育関係で現在も使用中なのと云ふと『明解漢和辞典』がある。が,これは兄のお下がりでいつから僕の物になったか定かでないから勘定しなない。いちおう奥付では昭和45年3月20日の初版第96刷となってゐる。何と定価450円。

毛色を変へて作品で行ってみる。
詞作では『夜行列車』が12年前。実家には高2の時のサイクリング紀行文が埋もれてをりそれは14年前。それ以外は,無いねえ。積極的に捨ててたからなあ。小中学校時分の作文とか広島日記・山口日記はコピイでも取っとけば良かったと今おもふ。

かうして見ると現役最古参はntカッタらしい。ただし段ボールを切るやうな大型なので滅多に出番が無い。その証拠に当時の替へ刃セットを未だに使ひ切ってゐないのである。とは言へやはり無動力・堅牢・単機能は強い。ここで何かアナロジイを捻らないといけないところだが何も無い。おしまひ。

でもよく考へたら20年近く前の文具が残ってゐるだけでも綺談なのかもしれない。
20年前と現在とでは,社会は何にも変はってゐないが,消費財はうってんばってんの違ひがある。20年前VCRは無かったしエアコンは無いも同然だった。脱水機はロウラだったし自動車はオート三輪だった。ntカッタが生き残ってゐるのも,無動力で堅牢な為と言ふよりも単にこれを超える商品が出現しなかったからに過ぎないのではないか。大量消費の世相を戒める意見が大量生産されてゐるけれど,戦後あらはれた製品は余りに革新すぎて熟成する期間を殆ど与へられてゐない。「耐久」する暇の無いものと悪乗りして短命なものとを一緒くたに論ずるのは乱暴ではないか。

ところで実家には僕より劫を経た箪笥や長持が結構ある。住宅でさへ10年もてば(法的に)咎められない昨今かるく30年を過ごしてゐる訳で,かうなると耐久消費財と呼ぶにふさはしい。陽と烟と垢と埃に灼かれたものの研きを掛ければ蘇る。暴いた事は無いがひょっとしたらお袋のお嫁入り道具にも逸品が,おいおい初心を忘れてるぞ。


オフロウドではHUSQVARNA(スウェーデン)とかKTM(オーストリア)なんかが健闘してゐるモータサイクル界だが,オンロウドでは日本4社の独壇場である。まぁレースでの話なんだけど,或るレギュレイションで駆けっくらをするとなれば,速いだけぢゃあ絶対に勝てないのは屁をひるより臭らかだ。レースで勝つバイクが最高性能のバイクであると断言して差し支へあるまい。エンジンは勿論のこと,4輪と違ってフレイムもサスもブレーキも日本製が最も優秀なのである。
ぢゃあDUCATIBMWHARLEYやMOTO GUZZIはどうなのかと言ふと,日本が嫌ひな人とワシそこらのガキと違ふんよねの人とに国籍と値段(高いから)とデザインとで細細と売られる結果に過ぎない。これ,国内の2輪の場合よ。
僕はそこらのガキと大差なく,日本が好きだから買ふなら国産4社から選ぶ。
全てのモータ_サイクルの限界性能が僕の技量の遥か先を走ってゐるので,安心してデザインだけで選んで構はない。そしてオン・オフを問はず最高のデザインとなると,ここはどうしてもカタナになってしまふのだ。

カタナを越えるデザインはこの11年たうとう出なかった。ポスト_カタナも当面は絶望的である。カタナがかなり偶発的な産物である事を示すエピソードがあるのだ。
カタナのイメイジ_スケッチはドイツの工業デザイナ・ハンス_ムートの筆になる。カタナの成功に気を良くしたスズキは次作もムートに依頼した。よし来たとばかりに彼が描いたのはやはりニッポン_シリーズだったが,モチーフは何と「東京タワー」である。い,厭な予感がする。しかし何と言っても「カタナのムート」の作品だ。造形を全く見ずに予約した人も少なくなかったらう。ところが発売された物は……。
今そのインパルスは全く口の端にも上らない。スズキ自身がそのデザインのデザインたる部分を隠すカウリングを付けて売り出した程だった。

それでも将来カタナよりショッキングな意匠を市販するのはやはりスズキだらうと云ふ気はする。恐らくはファルコンぢゃないかな。何年か前のコンセプト_カーで,判りやすく言へば『AKIRA』で金田が乗ってゐたやうなバイクだ。

ここまでの文脈で明らかにしたも同然だが,カタナを買ふ事にした。こないだまでセローがどうのDRがかうのとほざいてゐたのはカタナが無かったからである。カタナが中型免許で乗れる排気量で復刻されなければ,また車検の無い排気量で市販されなければまぁ間違ひ無くDRを買ってゐたらうて。実は今でも,欲しいのはカタナだが乗りたいのはDRなのである。カタナは理性を奪ひ去る妖刀なのだった。

正直なところカタナが出てから購入を決意するまでに葛藤があった。まづ乗って楽しいのはオフロウドの方だと云ふこと,カタナは如何にも高いと云ふこと,盗難やいたづらに遇ひやすい車だと云ふこと,何より正当な置き場所を確保できないと云ふこと等がマイナス要因である。
ぜぇんぶ見切り発車だ。
盗まれて出てこない分には保険が有効なんだけど,部品ドロや壊し魔には泣き寝入りをするしか無い,現行犯で押さへるのは至難である。丸損の可能性はとうてい無視できない大きさのだが,かう云ふ買ひ物は今の内だと云ふ気がしてならないのだ。

カタナの型番は GSX250S KATANA である。尤もオフィシャルな型式はGJ76Aであってぜんぜん関連が無い。
エンジンは248cc水冷DOHC4スト直列4気筒,GSX-R250Rのそれをモディファイした物で,Bandit250やCOBRAと兄弟ユニットに当たる(ちょっとづつ全部ちがふ)。これをダブル_クレードルのフレイムが抱いて前後17inのタイヤで走る。
2060×685×1160mm3の車格にホイルベイス1435mm・シート高750mmはかなり大きい。乾燥重量160kgはかなり重い。ガソリンタンクが大容量17Lで航続距離は推定400km,舵角は左右33度である。
コガタナの諸元表を無くして比較のできないのが残念だけれど,あいつは空冷2気筒だから動的性能はずっと劣ってゐた,車格ももう少し小さかったと思ふ。因みにコガタナの型番はGSX250Eだった。でもあれはあれで立派なカタナだったんだよ。

カタナの250cc版が発売されると聞いて或る種おそれを抱いたのは,ヤマハのSRXがちらと頭を掠めたからだ。SRXには 600cc・400cc・250ccのラインナップがあり,600乃至400の堂堂たる車格に比して250の貧弱なこと。全然別物である。さうさう,ちゃうど旧カタナ_シリーズの400・250と125(これは今でも生産中) の落差が再現されるのではないかと危惧したのである。
しかして蓋を開けてみたら,スタイリングはもう1100カタナそのままである。よほど注意して見ないと並べて置いてあってさへすぐにはどっちがどっちか判らない。やや暫く見比べてやっとエンジン_ユニットの大きさの違ひに気付くくらゐだ。何しろ250カタナのシリンダ_キャビには空冷エンジンに擬した冷却フィンが切ってあるのだ,水冷なのに! 徹底的に1100カタナの復刻を目指したモデルなのである。
かうなると嘗ての 750カタナが贋物に見える。あれは正当なカタナの1ヴァージョンなのだが,今となっては正に模造刀である。250カタナは刃の付いたレプリカだが750カタナは竹光のイミテイションである,とは言ひ過ぎか。
400E・250E・125Eは似てない分カタナを名乗る可愛げがあった。750カタナにはそれが無い。この汚名は250カタナのスケイルupヴァージョンの登場に依ってのみ雪がれるであらう。

先に愛称を付けてしまはう。
250Sにこそコガタナの名がぴったりだけれどそれでは先代(250E)とダブってしまふから──先代・二代目で区別しても良いけど──これしか無い。コダチである。

同排気量でありながらコガタナは空冷2気筒,コダチは水冷4気筒である。この違ひはパワの差(確か24psと40ps。コダチの数字は最近の馬力規制に縛られた結果で,本来は45psは絞り出せる)に直結する。

気筒数が増えると何故にパワが出るか。パワを稼ぐには排気量を上げるのが一番簡単なのだが,回転数を増やしてやる遣り方もある。1回当たりの爆発力は同じでも回転数が多ければ単位時間での仕事量は大きくなるからだ,これ解るね。
しかし当然ながらピストン運動のスピードには物理的な上限がある。そこでシリンダ容積を割ってそれぞれのストロウクを短くしてやるのである。
1分間に2万回転も回るエンジンは単気筒や2気筒では作れない。もちろん気筒を増す毎にメカニズムは大きく重く複雑で脆弱になるから分割も自づと限度がある。単気筒のシンプル_メカが生き残ってゐるのもタフさとメンテの容易さと軽さとを買っての事だ。

さてコダチ購入計画のスタートである。これをオペレイションKと名付ける。
買ふのを決めたんだからただ店に行けば良ろしい。買ふ気で行くんだから話も早い。ただし購入店は慎重に選ばないといけない。むしろ車種の決定よりも重要である。如何に日本製と雖も家電と違っていつまでもメンテナンス_フリーでは居られないからだ。最悪の場合引き摺ってでも行けるやうな近所で,できれば修理工場とショウ_ウインドウを持ってゐるくらゐの2輪専門店が望ましい。もちろん暴走族の温床はペケだ。
例に依ってタウンページで当りをつけた。電話で訊いた感じも行って見た印象も悪くない。隣町になるがまづまづだ。

カタナは大変に高い。車両価格だけで56万5000円もする。これより安い軽4があるよねえ。しかも今回は値引きを得られなかった。大体オートバイは販売店の利が薄くて──工場出荷価格が高い──1台うって何万円も儲からないらしい。
安売りを嫌がるのは判るけれど,でも値引きゼロってのは酷いね,強気だな。正価で何か買ふのは久し振りだ。

本体だけ買っても仕様が無く,ヘルメットとグラヴとシートカヴァは当然のセットアイテムである。こちらはメットが割り引きで後2者は只と纏まった。
フルフェイスは嫌ひなのでジェット型を採り,アライのSZである。販売店の親爺(善い人)の云ふなりに色は銀メタにした,つまりカタナとお揃ひ。

フルフェイスの方が万一のとき安全なのだけれども,重くて暗くてきつく,お負けに息苦しい。眼鏡のまま脱着できない。
一番こまるのは走行中まへを見てゐるとチンガードでメータがぴったり隠れてしまふ事だ。メータを読むのに首を振ればそれは即ちよそ見となり,却って僕は怖いのである。

本体価格と用品代だけで済まない。車両の登録費用に代行料・自賠責保険(3年。3万3750円)・盗難保険,更に重量税(新規登録時のみ。6300円)と消費税とが上乗せされる。消費税が結構でかい。
あれやこれやで合計68万2770円に膨れ上がった。げげっ,70万だ。こりゃ1アクションの出費としては新記録だね。去年の引っ越し(オペレイションH)の際はもっと掛かってゐるけれど,あれは転居そのものと家財の刷新とで2アクションと数へたい。キャッシュで払って払へない事も無いが,それをやると預金が随分さびしくなる。頭金に30万いれて残りは3年の割賦にしといたぜ,自賠責とシンクロさせた訳やね。

契約は1991年8月24日で納車は1週間後。楽しみだ。

不一

1991年8月25日


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written by nii.n