神奈川月記9106

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冠省
N3を買はうかしらんと浮気心がよぎった途端にα5Sの調子が良くなった。よ,よくあるパタンだ。

N3の現物は見た事が無い,秋葉原まで触はりに行った。***からだと小一時間かかるからべくなる行きたくないんだけれど,近所の電器屋には置いてなかったのである。ひょっとしてキャノワードって売れてないのぢゃないだろか。
歴代のワープロはカタログ記載のスペックだけで決め,実物は全く見ずに買ってゐた。今回は慎重に行きたい。型番(CW-note) に「α」が冠されてゐないところからフロッピイの互換性が気になったし,何よりキイタッチを体感したかったのである。A4ファイルサイズと云ふ事で余り窮屈なやうならどんなに勝れた性能でも諦める外は無い。

抜かり無く持って行ったひと世代前の神奈川月記FD(FDは3世代管理と決めてゐる)を喰はせて店頭で叩かせてもらふ。文書の互換はOK,ユーザ辞書も外字も問題なく読み込めた。
それぞれのキイは隙間なしに詰め込まれてあるが,大きさと最低限の間隔は確保されてをり狭さ故のミスタッチは心配しないで良ささうだ。ただファンクションキイは使用頻度の高いものでも巧みに移動・相乗りさせられてゐるので,キイホード上を捜すのにまごついた。慣れで解決するものかどうかは使ってみなければ判らない。少なくとも送信キイを小指の付け根でヒットするやうな熟達のテクは,一度御破算にせざるを得ないやうである。


オペレイションCの続続報である。
コンタクトをレギュラ化して2週間ばかり経った。ダミイとして買ったプラ板眼鏡はあんまり安直なんでパス,2重構造の丸型サングラスはプレヴュ的に知人に見せて回ったら恐ろしく評判が悪く,結局デビュを待たずしてボツとなった。まぁ気違ひ按摩に見えるの評はさして僕をめげさせはしなかったけれど,『北野ファンクラブ』で事もあらうに義太夫が同じ物を掛けてゐたのにはげんなりした。

ダテ眼鏡計画は一時白紙撤回,従ってオペレイションCも戦術的退却を余儀無くされる。
呻吟した挙げ句ちゃんとした光学レンズを入れたダテ眼鏡を作らせる事にした。マルチコートの素通しの眼鏡はできるのかと店員に諮ったら,訝りもせずに作ってくれる。屈折率は無関係なのでプラスティックレンズを採り,徹底的な軽量化を目指した。

フレイム (ニコンFB 631-68)の方は妥協の選択であり鼻当て付き,小豆色をしてゐる。高品位の鼻当てレス眼鏡はさんざん捜したにも関はらず遂に発見できなんだ。レンズ最大径47mmの22gは丸型から離れはしたが,これはむしろ元祖レノン眼鏡に近い。
不思議なのは料金であって,同じレンズがニコンとパックなら3000円なのに単体のブランド_フレイムと組み合はせると1万2000円になる。かう云ふのは抱き合はせ商法に当たらないのかしらん。

ダテ眼鏡と込みで考へてゐたので,これを以てオペレイションCは完遂と見做す。諸君,御苦労だった。

マルチコーティングはレンズの乱反射を防ぐ為にあり,視力矯正を目的とした眼鏡には車のエアコンと同じくらゐ贅沢で必要な処置である。コーティドかどうかは蛍光灯が緑色に映るからひと目で判る。それを逆手に取って素通しとは思はせない,正に青い蝶が木の葉に止まる作戦である。

ところが。あ,その眼鏡すどほしでせうと一発で見破られた。な,何て勘の良い奴。あ,コンタクトにしたんですか。ああっ。バレバレである。何で何で。普段より目が大きいだって。
昔から「近眼魔神」と云ふスナック芸があるくらゐで近視用の眼鏡は透かした物体を小さく見せる。僕は実はふた重のぱっちりした可愛いお目目をしてをり,積年かくしてきたそれが1/1スケールになってしまった訳だ。大枚はたいたのにまたしても滑ってしまひました。ぐっすん。

ついでながら,歴としたレンズでありながら小豆眼鏡を掛けてみるとやはり照度も鮮度も落ちる。外したら言葉通り目から鱗の落ちたやうによく見えるのだ。プラレンズてのは欠陥商品なんでないの。

段階的に延長してゆくべき装用時間を殆どゼロから10時間へ強引に持ち上げ,無理遣り軌道に載せた。
慣れと云ふのは恐ろしいもので,ごろごろするのも今ではさう気にならない。その証拠にコンタクトを入れたままでも眠たい時がある。尤も痛みに慣れたと言ふより目玉が不感症になりつつあるのだ。それは歓迎すべき適応なのだらうが,顔をごしごし撫でたり目をぐりぐり擦ったりするのは御法度なのに──目は擦って気持ち良い2大器官である──ついやっちまってひやりとする事がある,まさか瞼裏で割れやしないだらうけれど。

物の見え方は随分よくなった。脳味噌内補正回路の整備が進んだやうである。でももっとシャープに結像してもをかしくなからうに。また右眼と左眼で世界が変はる。左は右に比して輪郭補正が甘い感じだ。左眼には斜視が這入ってゐるさうで,その矯正が今一なのだらう。作り直すべきなのかもしれない。

オペレイションCの予算は5万円だった。それが決算ではかなりオウヴァしてゐる。そして結果は良くて現状維持なのだ。余程の事情が無い限り手は出さない方が賢明である。
余程の事情と云ふのは殆どの場合色気であらう。僕には最初から動機の乏しいオペレイションであったのだ。


さて,ニューリファレンスN3を入手した。なるほど小さい。秋葉原から電車で持ち帰るのも楽楽だった。N3の検分に出向いた際に買ふつもりは希薄だったのだけれど,2軒目に這入った***無線の姉ちゃんの色香に(好んで)迷ひぬりけん。
実はここはα5Sを購った店でもあって,姉ちゃんもその折りの姉ちゃんと思ふがなあ。でも僕を憶えてなかったし──づうづうしいね──自信があるのぢゃない。
秋葉原に電器屋が何千軒あるか知れないが自主的と言ふよりは相互監視的な価格統制がある様子で,実売価格は意外な程ばらつきが少ない。そして安い訳ではない。***無線はどう云ふポジションなのか,他店の売り値に言及しつつもひとつ下げた数字を提示してくる。今回も余所より2万円以上も,あ,何ですかあなた方は。わ,ちょっと待ってくれ,いやそんなつも,判った判った,だから,

暗転。

僕の筆記具として5代目のワープロ,キャノワードでは4代目,FDに文書を残せるやうになってからでも3代目だ。あまり賢い買ひ物ではないが,ハードの能力向上は未だに日進月歩の有様で,仮に半年毎に交換してもあっと驚く付加機能がある。こんなスピードで進化し普及した商品は外に知らない。大学1年の頃は和文タイプを買はうかと悩んでゐたくらゐなのだ。

例に依って諸元を言ひ立てる(括弧内はα5S)。
サイズは310×250×44mm3・驚異の2.6kg(396×275×313mm3・12.0kg),ダークグレイ(黒)のボディで110×220mmのバックライト付き青液晶スクリーン(10in.モノクロCRT)に50桁×20行(同)を表示する。電源は内蔵ニッカド電池11.5V(AC100V)に充電器兼用DCアダプタの2ウェイだが,最大17W(42W)の消費電力でたったの2時間しか稼働できない。辞書は何と31万語(20万語)である。3.5in.のFDデッキが横置きの1基(同前付き),ノートワープロだからと2in.にしなかったのは偉い。αシリーズと完全互換を保つ。付属のFDは拡張システムが2枚(1枚)にタイピング練習用と文書作成例(1枚)のが各4枚の計4枚。

α5Sとの最大の相違は言ふまでもなく大きさであるが,N3にはプリンタが付いてゐないのだからそのまま比べるのはフェアぢゃない。それにしても小さいな。
てな訳でキイの数も94個から86個に減った。文字キイは減らせないところから機能キイの整理と統合でA4ファイルサイズを実現しようとした努力は買,はない。何かとシフトやコントロウルのプラスキイが必要であって,操作性は著しく後退した。キイそのものも薄型に替はり,α5のカタカタ言ふ乾いたタッチはオイルダンプでも施されたやうな粘っこいそれに変じてゐる。
翻って進歩した点には,やっと「F」と「J」にポチが付いた。これはブラインド_タッチには欠かせない,キャノンにしては遅過ぎる措置である。
なほα5Sでオプションながら可能だった画像情報の取り込み機能がN3では割愛されてゐる。

ポータビリティ最優先の設計の為か,突起を排除し全面に硬質ゴムのしっとりした感触を持たせ,底面にグリップまで設けた気遣ひを感じる。しかし連続稼働できるのが僅か2時間では結局AC電源のある室内でないと使ひ物にならないだらう。
10分間キイタッチが無いと自動的に電源が落ちる。ただし内蔵電池がバックアップ電源にもなるので,例の忌まはしい打ち直し作業は発生しない。同じ理由で時計も設定し甲斐がある。α5Sにも時計はあったけれど,電源を切ったらおぢゃんになる間抜けな物だったのだ。
搭載辞書はたうとう30万語に達した。α10から5での増強にもびっくりしたが更に10万語の追加である。ユーザ辞書(1000語)は4割がた埋まってゐるけれども,若干の固有名詞の外は殆ど全て歴史的仮名遣ひの活用だ。一般ユーザなら数%も要らないのぢゃないかしらん。

どうでも良いけどマニュアルが厚いね。今度は3部構成でタウンページ1冊分の分量がある。こんな物を読む時間があればドストエフスキーだって読破できらあ。

ワープロはこれからどこへ行くのか。パソコンとの境界がますます曖昧になるのは疑ひ無い。やがてワープロと云ふ商品は無くなると思ふ,パソコンの方へ同化してね。
商売柄この手の機械はお手の物だ。パソコン(厳密には「ワークステーションと呼ばれる業務用機。自ホストのみならず他ホストコンピュータとも遣り取りするんでパーソナルの範疇を越える)も僕にとっては専ら文書作成のツールだから両者の得手不得手は呑み込んでゐる。
はっきり言やあワープロなんか莫迦莫迦しくて使ってゐられない。漢字の変換効率などは特化能力だけにワープロにイチヂクの浣腸があれど,図形や縦横無盡の罫線が這入ってくるとかったるくてとろくて,まるでお話にならなくなる。

数百万円のワークステイションと十数万円のワープロとを同列に論じてはまた偏頗に過ぎるが──いま数百万円のワープロがあるかどうか疑問だけど──それでワープロの課題は見えてくる。即ちマウスとマルチ_ウインドウを駆使したパブリシングである。複数の文書や図形や画像のメンバを同時に開けといて,範囲指定で切り貼りする。もちろん割り付けの変更も領域の重なりも自由自在だ。
ただかう云ふのはワークステイションでもまだ遅い(処理スピードが)くらゐであって,民生ワープロが実現するのはずっと先の事である。

不一

1991年6月9日


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written by nii.n