神奈川月記9105b

前月目次次月


冠省
ワープロを買ひ換へようかと思ふ。
現用機(今現在キイを叩いてゐるこの機械)は90年の1月に買ったばっかりのα5SUPERである。この前のα10と比べて大変に誉めた憶えもありもう交換はしないだらうとまで書いたのだけれど,少しく事情が変はってきた。
どうも漢字変換の具合がをかしい。をかしいだけならまだしも,変換候補を表示したままKB(キイボウド)ロックを起こす。送信キイは疎かあらゆるPFキイ・モウドキイ・文字キイがリジェクトされて完全に沈黙するのである。勿論キャンセルもバックワードもメニュも効かない。
唯一のエスケイプ法は電源スイッチを切ってしまふ事で,それは即ちそれまでに打ち込んだ文章が全て消滅し前回セイヴした所から空しく入力し直さねばならないと云ふ事だ。同じ文章を2度かくと云ふのは誠につまらない。推敲を併行にできる場合が無いでもないが,概してせっかくの嵌り表現を忘れてしまひ大きに悔しい思ひをする。

どう云ふ時に起こるかと言ふと,はは,実は正確に因果を掴んだ訳ではない。
どうも短い範囲に英字・漢字・片仮名・半角数字などが入り乱れた時その中の何かの組み合はせが誘発するらしいまでしか判ってゐないのである。幾度となく辛酸を嘗めた経験から或る程度は予測と回避が利くものの,イレギュラも多い。食らったら一巻の終はりだ。対抗策はこまめに一時保存を入れておく,ただそれだけ。誠に忌ま忌ましい,そしてきりきり舞ひ

初めてKBロックに見舞はれたのは昨年9月の事である。内緒で原稿起こしのアルバイトをしてゐたら天罰覿面,何段落にも渡って叩き込んだ文章が水の泡と化した。カセットからの聞き取りで会話体に纏めながらの打鍵であり,手間暇の掛かること神奈川月記の比ではない。
万にひとつのアクシデントと信じてゐたのに次第に頻度が増してきて,KBロックに至らないまでも変換不能に陥ったりあるべき熟語が出てこなかったりとエスカレイトの一途である。愛娘のぐれた父親の気持ちや斯くあらん。日が経つに連れ,また使用中にも時間を経るほど酷くなる感じだ。今も此処まで書く間に3回のKBロックと十数回の変換不能を乗り越え,ひと段落に1・2度一時保存を挟んで来てゐる。

α10では皆無だったし昨秋まで本機も一時保存知らずだった。突然の機能障害は一般に故障と云ふのだが,表示や変換のロジックなぞに故障を来すものだらうか。FDドライヴァやプリンタの機械部分が壊れたと言ふのなら解る。しかしこのやうな現象を,僕もプロのソフト屋の端くれとしてハードの原因に帰する事はできない。ROMに傷が這入ったにしてもかう云ふ莫迦な経過は辿らない筈である。
さうなるとOSに元元あったバグが顕在化したかウイルスに感染したかのどちらかだ。しかしてこれ等もまた考へにくい。バグは成長しないものだし僕のキャノワードは完全な閉鎖系であって外部からウイルスが潜入する可能性は絶無である。OSが自己破壊しながら作動を続けるケイスもあり得ないではないけれど,それにしては破壊速度が遅く,また電源を落とせば回復する事の説明が付かない。恥づかしながら原因不明である。

バグにせよ故障にせよハンダ鏝を握ってどうかうできる不具合ではない。メイカに出してもROMなり論理回路なりをごそっとすげ換へるだけだらう。中身を殆ど新品にしてしまふ訳で,修理代がかなり嵩むのではないかとの危惧がある。
ひょっとしてリコールに出てやしないかと念のため問ひ合はせてみたが,故障でせうとあっさりしたものだった。正直言ってケチの付いた物・裏切り者を使ってゐたくはない。いっそ交換してしまひたい。
本機α5SUPERは既にカタログから消え,マイナチェインジ版α5SFが生産中止寸前の雰囲気を漂はせつつ何とか引っ掛かってゐるばかり。かう云ふデスクトップのワープロ自体が下火であって,キヤノンの主力製品は液晶ラップトップのBJプリンタ内蔵に切り換へられてゐる。

BJとはバブルジェット(Bubble Jet)の頭文字だ。キヤノンが偶然にものした革新のプリント方式である。リボンを紙に押し当ててインクを焼き付ける従来方式とはまるで異なり,インクを直接ふき付けて印字を行なふ。
吹き付けと聞けばエアブラシ・スーパリアリズムを思ひ浮かべる私は61年産まれ,あれともちょっと違ふらしい。
原理はかうだ。一端の開いたパイプにインクを充填しておいてこれを瞬間的に加熱,沸騰させる。沸騰すればインク中に気泡を生じ,気泡の成長は即ち体積の膨張であるから堪らずインクはパイプ外に射出される次第である。要するに薬罐の吹き零れだ。
聞けば納得でもワープロの印字ヘッドとしては8・8・64本の2乗のパイプが纏まってゐる訳で,周辺部はともかく中心寄りのパイプの加熱と冷却,更にインクの供給は一体どうやってるんでござんせうか。

幾ら新方式でも熱転写より劣るのでは仕様が無い。この神奈川月記を書くやうな場合で比較してみよう。
キヤノン自身の発表に拠れば印字速度がおよそ25倍・ラニングコストは約1/5になる。インクリボンを回さずに済むところから将来双方向印字が実現すれば5倍以上の改善が見込める。ただパーソナルユーズなら印字速度なぞ所詮たいした問題ではない。自動給紙装置を標準装備にしてくれる方が余程ありがたいのである。
焦点は何と言ってもハードを含めたトウタルコストの方だ。知っての通りインクリボンは無駄が多い。1辺64ピンのドットマトリクスのうち通常の文字印刷で実際に使はれるのは半分以下である。少少の空白ならそのまま流されてしまふ。改行の度に何文字分か勝手に送られる。単なる折れ線グラフなのにグラフィックの領域を全て嘗める。極めて平滑な紙でないと欠けが出る。
その点BJは有利である。何しろ実際に文字を構成するドットの分しかインクを消費しないのだ。ヘッドが紙に触れないから摩滅の心配も無い。ざらついた紙でも皺の奥までインクが届く。
問題は,紙質に依ってはインクが滲むのではないかと云ふ心配とヘッドの目詰まりの可能性,それにヘッドから紙に到達するまでに重力や風圧で軌跡を乱す怖れのある点(杞憂だね)だ。おっとマルチカラー印刷も実用化されてなかったね。

キヤノンのインクリボンは1巻1000円である。一方BJカートリジは1個3500円だ。つまりリボンの3.5倍は文字数をこなせないと割りに合はない。先述の数字(5倍)を見ればBJ圧勝のやうであるけれども,インクリボンには裏技がある。一度つかったリボンでも試し打ち用なら充分実用になるのだ。BJは下書き・清書お構ひ無しにインクを費やすので(この辺りはインパクト_プリンタと同じ)どうも勿体無いと云ふ感じが付き纏ふ。
リボンの使ひ回し分を鑑み1.5倍換算で補正すると,BJの経済性は下って3.3倍になる。3倍強でも立派な物だ,ところがまだ考慮すべきファクタがあった。

キヤノンにあるワープロ対応の単体プリンタは,熱転写1機種・BJ3種・LBP1種である。70万円のLBPは論外として,BJは20万・15万・8万のラインナップであり,一方熱転写は5万円だ。単純に3万円の差と考へても──熱転写プリンタはカラー印刷が可能である──これを償却するのに何年かかるのだ。
1巻に就き2000円うくとしてBJカートリジ15巻を使ひ切って初めてプリンタの価格差がちゃらになる。て事はインクリボン45本を消費するのに必要な時間が償却期間だ。僕はかなりワープロを稼働させる方と自認するが,年間で10本も消費しやしない。してみると5年から6年は優に過ぎる。この計算まちがってるかな,ちょっと自信ないんだけど。

実のところ最も安上がりに行けるのは感熱紙の利用であらう。長期保存には向かなくとも月記の連載にはうってつけ,しかも超高精細である。BJは普通紙しか使へないのでこの点でも分が悪い。
本当は熱転写プリンタだともっと安くできる。思はず声が小さくなってしまふが,仕事場のワープロのインクリボンを掻っ払ってきてαのカセットに詰め替へれば只になるのだ。あ,いや,さう云ふ方法もあると言ってみただけ,それだけよ。

さて僕の欲しいワープロは今までだらだら述べてきたプリンタの付いてゐない,所謂ノートワープロだ。キヤノンだと『キャノワードN3(CW-note)』の1機種しか無い。
プリンタ別のはもうひとつα500Lてのがあるがこれは間も無く消えさうな奴で装備が古い。第一OSも辞書も恐らくα5Sと同じ物だ,却下である。

A4サイズと謳ひたいところだらうが,ひと回り大きい為「A4ファイルサイズ」とごまかしてゐる。
ワープロ本体とプリンタとは分離するべきと,予てよりの僕の主張がやうやく認められてきたのは喜ばしいけれど,何もキイボウドを切りつめてまで小さくする必要は無いのだ。ったく何度いったら解るのか。幅が400mmを超えても良いから10キイを付けてくれ。仕事場に日立の(日立のしか無いけど)ウィズミーがあり,これもA4ファイルサイズだがちゃんと10キイまで設けてある。日立機は変換候補を10キイで選ぶ方式なので──実に解りやすい──載せないでは済まされない。そのぶん各キイが小さめに作ってあって,僕の手ではちょっぴり窮屈だ。
フルサイズのキイボードとカラー液晶・2FDデッキのワープロが5万円台で作れないものかしらん。

ワープロとプリンタは不可分の関係にある。しかし別居は可能だ。
どうせ必要な物なら喰っつけちまった方が安上がりだし場所は取らないし接続の手間も要らない。TVだってチューナとスピーカは内蔵されてゐる方が便利である。オールインワン誠に結構,だけどそれでも筐体を分けてもらひたい。
プリンタの位置が問題なのだ。本体の尾部に薄ぺらなプリンタが陣取る形態では,液晶パネルを開いたままの状態で用紙をセットするのが至難の技となる。閉めたら印刷開始のキイを叩くのにもう一度あけないといけない。精密機械には違ひ無いので,余り乱暴に開け閉てする訳には行かない。面倒臭い。
ブラウン管を使ったデスクトップはどうせ奥行きを喰ふのでプリンタを頭頂に持っていきやすい。僕がデザイナでもさうする。それができないラップトップならあっさりプリンタを分ければ良いではないか。

今回プリンタ分離型に固執するのは別にフットワークを求めてゐるからではない。一番の理由はBJにするか従来の感熱を守るか,プリンタの選択を先送りにできるからだ,予算の都合もあるけどね。
取り敢へずこのα5の御乱心から逃れ,最新の辞書に換へたい。当面は印刷の時だけα5を使へば良いのである。
紙数が盡きた。以下,次号。

不一

1991年5月30日


前月目次次月


そしてきりきり舞ひ
 ダウンタウン松本の遣い捨てギャグ。

戻る


70万円のLBPは論外として,BJは20万・15万・8万のラインナップであり,一方熱転写は5万円
 今(00.5/1)考えると恐ろしいような値段が付いてるね。もう2万円してないでしょ。

戻る


written by nii.n