神奈川月記9104

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冠省
現在愛用中の眼鏡は黒縁・丸形・鼻当て無しの,僕以外だれも掛けられないジャストフィットな代物である。近頃だいぶん傷んできた。
鼻当て無しとしては2代目であり,先代のレノン眼鏡が金属疲労でリタイアした為にスペアから昇格したと云ふ経歴を持つ。
超高屈折ガラスレンズ搭載であり,右が7.25ジオプトリ・左は7.00ジオプトリの矯正率を以て推定0.06の裸眼視力を0.8まで引き上げる能力を有する。っても「ジオプトリ」が何を表はす単位なんだか,さんざん調べてみたけれど到頭わからなんだ。オプトリは光だらうがジて何やジて。

昨年の11月に運転免許証の更新があった。全く使はれる事の無い死蔵のライセンスではあっても二十数万円かかってゐるだけに失効する訳には行かぬ。今となっては取りにくい中型二輪もさる事ながら絶対取得不可能な原付自転車が載っかってゐるのだ。

御案内の通り更新手続きの中には視力検査が含まれる。両眼矯正視力で0.7以上が合格だったと思ふが,この眼鏡ではちょっと心許なかった。幸ひ辛うじてパスできたものの次回は到底うからないだらう。そしてこれ以上の矯正を眼鏡に求めるのは酷であると思はれる。
さうなると,採るべき道はコンタクトレンズ方面しか無い。ただコンタクトには長所と短所とが雑然とあり過ぎて,どうでも良いやと云ふやうな要素はごく限られてゐる。ちょっと整理してみよう。
長所としては,

  1. 軽い
  2. 汚れない
  3. 矯正度数がほぼ無限大
  4. 矯正視野が広い
  5. いろんな眼鏡を掛けられる

短所はてえと,

  1. 高コストである
  2. 保守が面倒である
  3. 寿命が短い
  4. 眼球を傷付けやすい
  5. 脱着に修練を要する

こんな所ですかな。

つまりコンタクトは,高くて取り扱ひが面倒でしかも危険な医療器具なのだ。更に僕の顔は眼鏡を掛けないとヴァランスが取れないやうに造形されてゐるから畢竟ダテ眼鏡は必要なのである。メリットは極めて小さいと言へる。

それでもコンタクトは入れてみようと思ふ。5.に絡むのだが,サングラスを掛けたいんだよ。
御高配の通り度付きサングラスはたいへん高く付く。そして常用する訳には行かない物だ。安いので良いからと言ってスライドグラスに煤をまぶしたやうなのは駄目だけどひょいひょい掛け替への利くのが好ましい。何とならばこれから夏に向かって外は眩しくて仕様が無いのである。街中で僕はいつも眉間に皺を寄せてをり,知人とすれ違ふ時も何やおまへはーとでも言ひたげな顔をしてゐるらしくてよく怒られる。コンタクトにしたらよけい採光が良くなるのかもしれないが,ロングショットの内に知覚できる筈だ。
それで予算を取った。しかしちょっと問題が起こってしまった。

花鳥が遊びに来た折りバッグに生八ッ橋を忍ばせてゐたのを直ちに召し上げ,一度には喰ひ切れないから冷凍しておいた。2週間たって小腹が空いたので──別に2週間がかりで腹をへらした訳ではない──解凍しようとレンジを動かしたところ,キンと音がしてすぐ止まった。
ブレイカが落ちたのかと思ってきょろきょろしたが,冷蔵庫も洗濯機もぶんぶん唸ってゐる。レンジだけ死んだのだ。
パイロットランプ代はりの時計表示も消えてをり,大本のヒューズが飛んだらしい。ヒューズの交換なんてのはお手のものだけれど,それにはキャビを開けなければならない。キャビを開けるなんてのはお手のものだけれど,それには雁字搦めに固定してある螺子を皆はずさなければならない。螺子を外すなんてのはお手のものだけれど,電子レンジの中にはマグネトロンなどと云ふ秘密戦隊の最終兵器のやうなブラックボクスが鎮座ましましてをり触はるのが恐ろしい。マニュアルにも固く禁じてある。また交換に先立ってヒューズの切れた原因の追及と対策を施しておかないと,うまく行っても定格動作してゐるんだか何だか判らない。焼き鳥を喰はうとして温めたらラドンが出てきてこちらが喰はれたなんてのは厭だ。早い話が素人は手を出すべきでない。

壊れたのはシャープのRE−1024で,同社USEシリーズの初期の製品である。秋葉原で3万6000円くらゐだったのだが,はっきり言って騙された。
トーストも焼ける最廉価のレンジと云ふ事で店員に選ばせたらこれを持ってきた。ターンテイブルの無いのを気にすると,このサイズなら関係ありませんと推す。そんなもんかなと納得してしまった。ふっふっふ,俺も若かったぜ。

こいつでご飯を凍らせといたのを解凍・加熱すると,沸騰寸前に熱熱の部分と完全凍結のカチカチの部分とが殆ど緩衝地帯なしに隣接するのだ。こんな莫迦な食べ物は無い。マグネトロンの陰に回った所にも電波は届くのだらうがあいにく氷面は電波を反射しやすい。直撃でないとマイクロ波は効力が極めて薄く,従ってターンテイブルは電子レンジに於いて必須アイテムなのだった。

甚だ気に入らない器械なので壊れたのを幸ひ買ひ換へる事にする。
予算に8万円を計上してカタログ審査に這入ったら電子レンジの価格分布は10万以上か5万前後に集中してをり,ミドルクラスの製品は意外に少ない。またターンテイブルの付いてないレンジはもはや見当たらなかった。
ロ−エンドは3万を割るくらゐであって,して見るとターンもしないで4万5000円(定価)と云ふシャープ機は如何にも高い。

  1. トーストが焼け
  2. お魚が焼け
  3. 飯が炊ける

と云ふ条件なら「炊飯オーブンレンジしかもグリル付き」のカテゴリに這入る,そのままやないかい。
各社とも6万円凸凹で1機種づつあるから,後はメイカの好感度に掛かってくる。当然シャープは×,日立三菱で決まりだね。

白物はシヴィアに性能差を問ふても詮ない,店頭で値段で決めてしまふ。こんな物をひとりで買ひに行くのは厭だったので風月に付いてきてもらったら,店員の姉ちゃんは風月にばかり説明する。それを無視して全部ぼくが決めたから,きっと僕を横暴な旦那と誤解したらう。

お店には日立のも三菱のもあったけれども,あれやこれやでサンヨーのEMO-R71AWと相なった。まづまづの値引きで5万4000円である。他にタイガーの良いのがあってちと迷ったが,2万円ちかく高くて諦めた。何より豚に真珠の感があったし筐体が大き過ぎて冷蔵庫に載るかどうかも怪しく思はれたのである。
水曜日に契約して日曜日の配達だ。設置サーヴィスは断った。
アースを落とすやうに指導されてゐるけれど,ラインの引き回しが難儀だから無視しよう。
この部屋にはアース端子がふたつしか無くて──ふたつもあると言ふべきだらうが──それ等はエアコン・洗濯機・乾燥機・ファクシミリ・AMチューナからのアースで蛸足接地になってゐる。アースなんてのは単純な電位差なんだらうから,そのうち逆流して一蓮托生にぶっ壊れるんぢゃないだろか。

てな事を書きつけてゐる内にサンヨー機が来た。古いレンジは引き取ってくれる約束である。
部屋に持ち込んでも,覚悟してゐた程の大きさではない。冷蔵庫の上にも楽に載った。数字で言ふと(括弧内はシャープ機)470×355×305mm3・12.5kg(420×290×255mm3・9.0kg)で,高周波出力が550W(400W)である。容積は何と136%upして,丼鉢も余裕で這入る。ドアは左に向かって横に開き──プッシュオウプンは拒否した──これは下にヒンジのある方が良かった。
面白いのはターンテイブルで,スタートスイッチを押す度に回転方向が変はる。何か法則があるのかもしれない。

やはりターンテイブルの威力は絶大である。加熱の偏りは無くなった。ちと効き過ぎの感もあって,僕は温いミルクが好きなのだが,1分間の通電で沸騰しさうになる。
炊飯も試してみたけれども,やはりレンジで御飯を炊くと云ふのはやらない方が良いみたいだ。1回に半合か1合しか炊けないのはさて置き,ね。付属品に「ライスシェーカー」などとふざけた物がありでも便利これにお米と水を入れバーテンよろしくシャカシャカ振り回して磨ぐんだけど,マニュアルに「洗米」と表現してある。厭な言葉だなあ。なんか洗剤臭い飯が炊けさうだ。

何か温めててラップが半球を描いて膨らんだり湯が沸いたりする様は覗いてて面白いんだけど,中は電磁波の嵐な訳だよね,あんなメタルパンチの電磁シールドだけで大丈夫なんだろか。ずっと見てたら目玉が沸騰するんぢゃないかしらん。AM放送は不要輻射を受けてブガー一色に完全に塗りつぶされてしまふ。
この手の環境汚染は野放しのやうだが,そのうち規制が始まるのではないかと思ふ。

不一

1991年4月28日


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死蔵のライセンス
天地茂主演(だったよね)のTVドラマ『非情のライセンス』の捩り。

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written by nii.n