神奈川月記9103b

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冠省
SCMSで再デビュを果たしたDAT,しかし世間は冷たかった。
鳴り物が大きかっただけに当人も肩身が狭からう。このままではセイントフォーか少女隊だ。う−ん,まぁ実力はあるんだからスペクトラムにしとかうか。

DATはもはやカセットのクオリティを超えてをり,トリック_プレイの多彩さでも頗る有利である。それでも僕自身DATを採る踏ん切りは付かない。将来が全く見えないのだ。今後音楽ソースの記録方式がディジタル化されてゆくのは間違ひ無いにせよ,それがDATフォーマットで決まりかどうかは甚だ心許ない。
磁気テイプに録音するのにアナログだけでオウプンリール・カセット・マイクロカセット・エルカセット・8トラ・ベータ・EDベータ・VHS・S−VHSと,2度しくじったやくざの両手に余るほど媒体がある。ディジタル時代にこんな轍は踏まない? ちっちっち。いやいや,ディジタル録音方式にも既に三役,DAT・8mm,そしてPCMとがあるのだよ。

PCMとはPulse Code Modurationの頭文字であってDATでも8mmでもアナログ信号をディジタル符号化するのは全部PCMなんだけど,便宜上ある一方式すなはちアナログ/ディジタル変換を受け持つプロセッサと,民生用VCRとの組み合はせに依るディジタル録再システムを指す名前として遣はう。
VCRの利用と云ふ点から誤解を招くかもしれない。あくまでも音声だけの録再である。
アナログ信号をディジタル化すると記録容量をばくだい喰ふので生半可な媒体では収容しきれない。そこでPCMではVCRの映像記録部分を流用する事にしたのである。VCRはベータでもVHSでも構はないしβIII・VHS3倍速でも(3倍速なんて言ってるけど,ありゃ間違ひだよなあ)何とか行ける。またTVのNTSC方式に則った変換だから8mmでも大丈夫の筈だ。

DATのDの字も無かった頃のお話である。
今はVCR2台をこき使って喜んでゐるが僕は元元FMエアチェッカであって,高校時分からラジカセと中級カセットデッキ(どっちもアイワ)のコンビでせっせとヒットパレードを作ってゐた。
当時すでにタイプIVが登場してをりそれをマスタにダビングしたのだけれど,所詮はカセット→カセットである。大学に這入って周辺機器のグレイドが上がるに連れ,ハードの交換では物足らなくなってきた。資金繰りの面からもさうさうデッキを買ひ換へてばかりも居られない。ここにおいて究極のダビング_マスタを手に入れる必要が生じたのである。

その頃のハイファイ録音媒体と言ふと,既に死に体のエルカセットは論外としてお馴染みのカセットとオウプンリールの2種があった。84年にはまだオウプンリールの新製品がリリースされてゐたのだ。しかしオウプンは如何にも先細りであり,この期に及んでナカミチのドラゴンでもあるまい。アナログが駄目とならば外はもう,PCMしか無い。でもなあ。
PCMプロセッサの存在は知ってゐたもののVCRがまだまだ贅沢品の域を出てゐなかった。そもそもプロセッサ・コンヴァータ・オプションの類の外付け装置はヒットした試しが無い(今でもさう)。ヒットとポテンシャル乃至クオリティとは関連が薄いのである。将来伸展する物かどうか,疑はしさを払底する材料はとんと見付からぬ。

通常まよった時には機器の重量と消費電力(どちらも大きいほど良い)で片を着ける。この場合は異フォーマット間の選択なのでさうも行かない。決め手になりさうなお値段の方も,オウプン・ドラゴン・PCMセット共に20万円前後で有意差は無かった。うむー。
暫く逡巡を重ねた挙げ句PCMに賭ける事にした。その根拠は,

  1. 現状で最高のスペックである(初のディジタル録再だ)
  2. VCRは成長電器である(PCMが転けてもVCR単体は使へる)
  3. カセットサイズのディジタルレコーダは5年は先の話である(フォーマットどころか回転ヘッドにすべきか固定ヘッドを開発すべきかなんてやってた)

以上3点。
相方のVCRは言はずもがなのベータである。操作性と機動性が最重要ポイントであって,白痴的に動作の鈍いVHSなど使ってゐられるか。
プロセッサはソニーのPCM-501ESである。上位機種に701があり他にアイワやデンオンも出してゐたけれど,主に予算の制約で501になった。高さは半分くらゐだが後は大体カセット_デッキと同じサイズだ。フロント_パネルはレヴェル_メイタと録音ヴォリウムだけで,何の器械だか知らなきゃ判らん。「DIGITAL」と這入った大きなロゴを見てCDプレイヤと間違へたのが居たくらゐだ。
強いて似た製品を探すならdbxかアドレスのユニットかしらん,まぁこれを知ってる奴だってもう居ないけどさ。

PCMは鳴り物まったく無しにひっそりとぽこりと登場したのだ。僕が音響関係に最も熱心だった時期の製品だのに,FM雑誌でもオウディオ雑誌でも終ぞ広告を目にした事が無い。
れっきとしたEIAJ標準のフォーマット(でも多分ソニーの主導)である。開発メイカも結構あった。それがどう云ふ訳かまるで広めようとする気概が無い。
さすがにソニーだけはプロセッサ内蔵のVCR(当然ベータ)を発売したもののそれも1機種だけで,あっと言ふ間にカタログから消えた。全然PRしないのだから売れないのも当たり前である。最初から鬼子だったのだらうか。

くどいやうだが映像記録部分を使っての録音システムである。従って音声トラックは完全に遊んでをり,やらうと思へばVCRの音声入力から全く別のソースを録音できる。1本のテイプで2度おいしい。更にサイマルキャスト装備のVCRならノーマルとハイファイのトラックを分けて3倍密の録音も夢ではない。尤もせーので同時に3ソースを入力せにゃならんがね。

PCMのテイプをモニタに映して見ると,砂の嵐を背景に9本のバーが縦に並んでゐる。それらが音声に合はせてダイナミックに縞縞模様を刻む様は何だかユーモラスで楽しい。ひと頃はやったグライコのバー表示に近いかな,だいぶ違ふけど。言はば音波の忠実な視覚化なのでVCRのジョグ/シャトルで頭出しをするのに便利だ。

扱ふのは通常の2chだけれども,カセットのやうに右トラック・左トラックと明確に分かれてゐる訳ではない。左右が交互に一直線状に記録される。理論上モノラル音声でも何m秒か左の音が早く放射される事になるのだが,これは左のスピーカを数mm後退させる事で解消できるから心配しなくても良い,っても知覚も対処も不可能事である。
周波数特性は5〜20,000Hz・ダイナミックレンジが90dBと,CDと同等である。カセットは凌駕してゐるが,DATには負ける。と云ふのもDATはサンプリング周波数をより高く設定してあるからで,CDのコピイでは差は出ないと考へて良ろしい。

第1図
第2図
第3図
第4図

ここでディジタル録音の考へ方と云ふ物を考へて戴きたい。音波をマイクで拾ひ,CDに起こす場合を想定してみよう。
例としてM字形のアナログ信号を挙げる。ディジタル化の為に網目を被せたのが第1図だ。
このx軸をサンプリング周波数・y軸をビット数に採る事にする。

サンプリング周波数とは,1秒間に含まれる情報を幾つに区切るかと云ふ値である。CDの44.1kHz・16bitで記録するなら,ジャンと1秒間鳴った音を4万4100個の粒に分け,そのひと粒ひと粒を16bitの内のどれかひとつに収めると云ふ形になる訳だ。

第2図はさうして第1図の波形を符号化したものである。
何と最大のピークが消えてしまった。かなり好い加減で乱暴な処置に見えようけれども,フォーマットに従ふとかうならざるを得ない。

ここでオウヴァ_サンプリングと云ふテクニックを援用する。CDプレイヤの方で勝手に周波数を上げて標本化するのである。

bit数は変へないで周波数を88.2kHzに増した,即ち2倍オウヴァ_サンプリングを施したのが第3図だ。
不完全ながらピークが復活してゐる。見掛け上原音に近づいたと言える。
ただしCD盤に記録されてゐるのは飽くまでも第2図の情報量でしかない。最大ピークを初めとする中間の信号は,前後の符号の流れからプレイヤが多分ここだらうと想像して置いた虚構の符号である。常にうまくbitを立ててくれるとは限らない。
CDプレイヤの謳ひ文句に「8倍オーバーサンプリング」だの「16倍オーバーサンプリング」とあるのは実はこの事だ。

さて第4図はお負け,8mmVCRの31.5kHz・8bitディジタル録音である。
何か跡形も無い,これ全然ちがふ音になるんぢゃないのと云ふやうな有様だが,豈図らんや充分実用になる。却って透明度が増した感じできれいに聞こえたりするから不思議だ。

ついでにディジタル録音の特徴的なテクであるインタリーヴも解説しておかう。
ソフトに這入ってゐない情報をハードは作りだす事ができると上に述べた。これはつまり,CD盤なり磁気テイプなりに傷が付いて記録信号が欠落した場合でも修復が可能な事を示す。CDが傷や埃に強いと言はれる所以だ。
しかしながら,「123▲5」としか読み込めなかった信号を「12345」と直すのは簡単でも「▲▲3▲▲」と来たらもうお手上げである。物理的な進行方向に発生したドロップアウトは鬼門であり御法度でありタブーであり正しく致命傷なのだ。
そこで隣接した2ワードの間に他から持ってきたワードを挟み込むと云ふ手法を用ゐる。
仮に「12345ABCDEイロハニホ」と云ふ信号があれば録音時「1Aイ2Bロ3Cハ4Dニ5Eホ」に並びかへてしまふ。されば「1Aイ2Bロ3▲▲▲Dニ5Eホ」と連続欠損した不幸も再生時には「123▲5AB▲DEイロ▲ニホ」と分散され,それぞれの復元が容易となる。正にディジタルならではの巧妙な仕掛けである。

サンプリング
周波数(kHz)
周波数特性
(Hz)
Dレンジ
(dB)
歪率
(%)
ワウフラ
(%)
PCM 44.1 5〜20,000 90 0.005 -
DAT 48.0 2〜22,000 91 0.004 -
カセット - 20〜18,000 55 0.8 0.04
8mm音声 31.5 20〜15,000 90 ? 0.005

話を戻す。
PCMのライヴァルはやはりDATだ。
僕のPCMはインタリーヴを112ワード分離でやってゐるがオウヴァ_サンプリングは一切無しである。サンプリング周波数は上げれば良いと云ふものではなくて別の歪みも比例して増えると云ふ面もあり,まぁ二長一短くらゐに思って構はないだらう。
操作性やトリックプレイはコンビのVCR次第である。ローエンド機ならカセットと変はらんが──機動性は落ちる──高級編集機になるとDATに比しても遜色ない。ラニングコストはカセットより安いくらゐだ。でもハード(プロセッサのみ)の価格を入れると負けるかな。
スペイスファクタは逆にハードが最高,ただしテイプがでかいので数が纏まると厄介である。ただDATのカセットは小さ過ぎると云ふ皮肉で重大な欠陥がある。

「んぢゃ決定的にPCMの優れてゐる所って無いの?」え−とね,ディジタルコピイが何世代でも作れるな。「でも第1世代はアナログ入力しか無いんでせう」
既存のVCRを使ふからこれ以上媒体が増えなくて済むな。「却って間違へるんぢゃないかしらん」
プロセッサは機械部分が無いから故障知らず・メンテ要らずだ。「VCRが壊れたら何にもならんでせうが」
あー,煩い煩い。

かうして見るとなーんか見事に繋ぎの商品だね,PCMてえ奴は。

さてお手元のVCRのマニュアルはPCMプロセッサについて触れてあるだらうか。僕のEDβ7000番(88年製)では1頁を割き図解入りで接続法を説いてゐるが,SuperHiBand2100番(91年製)はプロセッサの説明書を読みなさいと云ふ意味の事を3行で語っておしまひである。
さう言へば昔はPCMスイッチなんてのがVCRにちゃんと付いてたなあ。懐かしいなあ。

操作性 多機能 コスト 普及度 将来性
PCM × ×
DAT × ×
カセット
8mm音声

強調しておくがPCMに将来性は,無い。第一プロセッサを今も作ってゐるのはソニーただ1社しかも1機種だけで,僕もこれがいつ消えるかとひやひやしてゐる。世間で絶滅したと思はれてゐるベータデッキでさへ──しかしそんなベータとPCMをカップリングする俺っていったい──10機種あるし固定ファンも多いのに。全国で稼働中のPCMなんて何台ある事やら。

かうなるてえと,PCMプロセッサに骨董品的価値が出てきますな。古いばかりで役に立たないてえとスクラップてんですが,ちゃんと動くとなると,アンティークと名が変はります。それが現代にも通用するてんですから,クラシックだ。希少価値と綯い交ぜになって,好事家には堪らない逸品てえ事になるん。

今まで伏せておいたけれど,実はPCMには困った癖がある。トラッキング_エラに弱いのだ。自己録再なら全く問題無いが,デッキが替はったらちょいとシビアに調整してやらないと──スケールがプロセッサに付いてる──あっさり読み取り不能に陥る。トラッキングがずれたのでは如何なインタリーヴでも補正しきれぬ道理だ。
しかしそれもSL-2100番のオウトトラッキング搭載で解決である。潰して録り直さうかと思った初代サンヨー機プリントのテイプも上機嫌で鳴ってゐる。これはもう持ってゐること自体が快感だ。どうせ僕はベータと心中するつもりなのだ,今さら心中相手が増えたってどうってこたぁないやね。

不一

1991年3月30日


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セイントフォー少女隊スペクトラム

そういう方方が居らしたのである。
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written by nii.n