東京月記9002

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冠省
ディスクに就いては旧態依然のアナログ_プレイヤを抱へてゐながらテイプのディジタル化には随分はやくから手を付けた。6年前PCMプロセッサ+VCRのディジタルレコーディングを始めたが──当時DATはなんにも決まってゐなかった──このシステムはちっとも伸展せずに転け,またPCM頓挫の場合でもVCRは使へると踏んでゐたのにβ方式が転け,僕の先見性と運の無さを証明する恰好になってゐる。延いては昨年末の有馬記念でもスーパークリーク(3枠)とオグリキャップ(1枠)を単勝で買ひイナリワン(7枠)ともう1頭(2枠)を連勝複式で押さへといて鉄壁の布陣と余裕の態度で居たら,イナリ−クリークと3−7が這入りやがった。こんなんあるかい。

現在アナログ録音で生きてゐるのはカセットだけである。オウプン_リールは死に絶えLカセットは死産だった。βHiFiは虫の息だしマイクロカセットは鬼子で会議録か盗み録りばかりやってゐる。EDβが最高の技量を持ちながら正しく孤高の存在で,しかも高価なEDメタル_テイプに音だけ入れるのはどう考へても浪費だ。
長年の研鑽の結果カセットはアナログNO2の実力を物してをり,大きく劣るVHSを絵抜きで使ふ者もまた居ないのである。

しかし僕はカセットを捨てたい。カセットが憎くてこんな事を言ふのではない。アナログ録音だとどうしてもダビング時の劣化が著しく,実用になるのはせいぜい孫世代までである。ディジタル_コピイでも何故か音が甘くなったりするのだがアナログに比ぶれば立派な物だ。
所がカセットは圧倒的に強くオウプン_リールを葬って以来すべての挑戦者を退けてきた。DATはやうやく10万円を割って爆発的に普及するかと思ひきや,のたのた助走を続けるばかりで一向に飛び立つ気配も無く此の儘ではオウヴァ_ランして海に落ちる。
89年こそカセット最期の年と言はれて有終の美を飾る(つもりの)ハイCPカセット_デッキが続出した。音質で劣りはしてもCDは其の小ささと操作性とトリックプレイの多彩さを以てADに勝利したのである。DATは小ささと特性でカセットに勝るものの操作性は変はらずしかも糞高い。こんな物が売れるだらうか。ハードが6万円を割らない内は(598にならない内は)カセットの牙城に迫る事もできないだらう。

記録再生機として現行もっとも汎用性と潜在力のあるフォーマットはHi8である。しかしながら売れるのはパスポート_サイズのノーマル_タイプ_ムーヴィばかりでちっともはかが行かない。
8mmもDACを内蔵してをりディジタル録音が可能とは言へ僅か8bit・20〜15,000Hzであって,充分かもしれないが──ブラウン管からは約15,000Hzのノイズが盛大に放射されてゐる──オウディオ装置としては魅力に欠ける。
僕のPCMプロセッサ(EIAJ仕様の14bitフォーマットが,別に持つエラー訂正用2パリティのひとつを潰して2bit分追加,都合16bitで動作する。反面エラー訂正能力は落ちる。周波数帯は5〜20,000Hz)から見れは扱へる情報量は実に1/256なのだ。2の8乗根ね。48dBもの差は無視できない。どうして8bitしか載せなかったのか理解に苦しむ。
もっと単純な問題もあって,即ちHi8はラニング_コストが高く付く。Hi8モウドならEDβに匹敵するが──当然S−VHSに勝る──ノーマル8mmはHiBandβに劣る──VHSには勝る──のである。そしてHi8用のテイプはEDメタルより高いのだ。

PCM或るいはDATにも欠点がある。

  1. ディジタル_コピイ時に音量調整ができないこと
  2. コピイ_ガード符号を無力化できないこと
  3. 回転ヘッドのため精密な頭出しが困難なこと

2.は止むを得ない,3.はスキップID等で凌げるにしても1.が最も痛い。
技術的にはどれも克服可能だが大幅なコストアップに直結する。ディジタル_ヴォリウムはビクターのDAT1機種にあるだけだったと思ふ。そやつは最近の製品だからコピイ_ガードが効く筈である。また現用のPCMシステムとDATでは互換性が無いので其のビクター機を買ってもディジタル_コピイはできない。
畢竟どの方式を選んでも一長一短であって,ひとりぼっちになる可能性は内在してゐる。一方式に頼るのは大博打と云ふ事だ。

ソニーが結局S−VHSのVCRを売り出したのは正直おもしろくない。EDβはHi8の後継機のリリースが先だらう。
ソニーが米コロムビアを買収したのは8mm映画ソフトの乱れ撃ちでハードの普及を謀る為と睨んでゐたのだが,何だか怪しくなってきた。全方式を手掛けるのは愛敬か粋狂かよく判らないけれども,ソフトも全方式そろへて出す義務と責任があるのではないかな。

PCMプロセッサも今や(全メイカで)一機種しか無い。厭だなあ,昔の4chステレオやLカセットの轍を踏むんぢゃないだらうな,踏みさうだな。

僕の予想が常に外れるとすれば,カセットがいよいよ栄華を極めてDATは敗退,EDβカセットを使ふディジタルVCRの登場でやうやくテイプ戦争は終結となる。しかし此の外れると云ふ予想はなくらいんでも外れるだらう。この予想が外れるか。
でも本当はソニーのディジタルVCRとパイオニアの録再LDとがハルマゲドンを演じてパイオニアの辛勝,と思ったらどっこいソニーが真打ち録再ディジタル_レーザ_ディスクを持ち出して天下を制するのである,と思ったら松下三菱日立が音楽用の固形メモリチップを実用化してしまひ,塩煎餅からビスケットへとまた混沌の時代を迎へるのであった。これ確実よ。

ハードを買ふ金はあってもソフトに価値を見出せず二の足を踏んでゐたCDまたはLDのプレイヤだが,遂に何が何でも欲しいディスクが登場した。CDソフトではなくLDの方だ。

それは『吉本新喜劇ギャグ100連発』で,内容はタイトルが全てを語ってゐる。中学時代土曜日の僕を時速100kmで帰らせたあの吉本新喜劇が復活した。吉本をあの多感な時期(本当か)に見てゐなければ僕がお笑ひ鑑賞家になるのに何年もの遅れを出したやも知れずひょっとしたら今に到達しなかったかもしれない。
彼等の芸は言葉通りに十年一日であって1世代まるごと同じギャグを見てゐる筈だが物にはやはり旬がある。体力だけを取ってもさうだし取り分けスター女優が若奥さん役を無理なくやれるのも短い間だ。
当時広島では裏で松竹新喜劇もやってゐたのだけれど藤山寛美はちっとも面白くなかった。だから寛美や都蝶蝶に対する僕の評価は──恐らく不当に──低い。逆に岡八郎や間寛平や木村進や船場太郎や中山美保の旬を遺憾なく味はへたと信じる。関東の連中は此れを知らない。『あっちこっち丁稚』を静岡で見てゐたと云ふ報告はあったがあれでも薄口であって本質はやはりこっちだ。

尤もさう云ふ僕も浪人前には観なくなってをり──放送されなくなったか入院した故か──昨夏たうとう解散したさうなのでもう放送で鑑賞する機会は訪れない。秋に『11PM』で吉本の特集があったのを見逃してしまひ翌日甘木に教はって臍を噛んだ憶えがあり,それをやうやく取り返せる。
ヴィディオでも販売されるとは言へ此のソフトはLDであるべきだ。1度再生したら御蔵入りに決まってゐる映画と違って機械的な耐久性を求められるソフトだからである。LD導入の起爆剤として打って付けの1枚と言へよう。

CDまたはLDを入れるとすればどちらで踏ん切りを付けてもコンパチにしようと思ってゐた。
ADプレイヤ・アンプ・チューナを除けば全てソニー機なので彼社には御遠慮願ふと他はパイオニアしか無い。大ベスト&ロングセラーCLD−100(Pioneer:\79,800)で充分と思ふけれども,そんな事を言ってロウコスト機を入れすぐに上級機に買ひ直すのが常である,最初から良いのにしよう。フルコンパチ・両面再生のCLD−909(\168,000)が狙ひ目だ。
しかし対抗馬にパナソニックの同仕様機があり間違ひ無く露骨に909にぶつけて来る(発表のみで未だ市場に出てゐない),デザインはこっちの方が優れてゐるから安ければ曲げてパナに決めるかもしれない。

LDのレンタルは未だに実現されてをらず──もう少し普及すればなされるはず──ソフトは買ふしかないが,CDは借り物ばかりになりさうだ。此処に於いて,CDのダビングはDATが良いかPCMにすべきかHi8に替へるかと云ふ冒頭の問題に戻るのである。

大学を卒業する間際──録音にカセットを使ふのを止め一昨年に新しくカセットを買ふのを止め,手持ちのテイプを埋めたり潰したりするのは落語関係に限ってきたのだが──ADなりCDなりからミュージックソースを複製するのは絶えて久しい──遂に底を盡きつつある。もはや最後のカセットテイプを埋めつつある。計画ではかうなる前にポスト_カセット戦争が終結する筈だったのだ。こりゃ参ったね。

将来性の寒寒しいのは承知の上で現状ではPCMに移行せざるを得ない。仕事上のお付き合ひでひょんな事から志ん朝師の名演カセット集を借りられると云ふ僥倖に預かり──代償は僕の演芸ライブラリ(450タイトル!)からのダビング──これでPCMコピイの口火を切る。

第1回収録は『崇徳院』と『明烏』『柳田角之進』,いづれも長町場の堂堂たる熱演で且つ2時間テイプが6分しか余らなかった。カセット編集の例に倣って余白はB級のポップスを埋め──終端でぶつ切れ──これには甘木の愛聴CDとパナソニック製ディスクマンを頼む。
志ん朝師の底力は諸諸の不安や動揺やセコ根性を一掃するに余りあり,予想を上回る出来映えに余は満足ぢゃ。

VCRに就いて僕は(今の所)βと心中するつもりなので,PCMを入れて3P状態で行くパピュ。腹を括ったぜ。

熟慮の末CD/LDコンパチプレイヤはパナソニックの新型を待ち──多分3月下旬発売──取り敢へずソフトの方を手元に置く事にする。機械だけあっても空しいメディアだけに順序としては正しい。
CDはレンタルで良い,LDは前述の『吉本100連発』に唯一見逃したビートルズ映画『YELLOW SUBMARINE』,面白いに決まってゐる荒木"JOJO"飛呂彦原作『バオー来訪者』が眼目である。

『吉本』は関東で売れる訳無いし『サブマリン』に廃盤などあり得ず従って『バオー』の入手が最も困難と考へて秋葉原石丸電気に買ひ出しに行った。
石丸は東京最後のADレコード売り場を持つ,オウディオ_マニアの聖地だ。LDは20畳くらゐの狭いフロアに追ひやられてをり普及率の低さを訴へてゐた。VHDディスクは更に悲惨で,完全に邪魔物扱ひである。
意外な事に『吉本』『サブマリン』は見当たらないで少数プレスの筈の『バオー』をのみ得られた。をかしいな。
石丸のLD売り場には恐怖のオタクばかりが蝟集してゐたから二度と行きたくない,僅かばかりのLDも扱ってゐる仕事場近くのCD屋(ADは皆無)に此れをくれいと発注した。
所が,何と云ふ事でせう。『吉本』は完売,『サブマリン』も11月以来の在庫切れでしかもどちらも再プレスの予定は無いさうだ。ビートルズを切らすなんて事があるのか。きっと新作のプレスにかまけて重版を疎かにしてゐるのだ。
余程のバックオーダが発生しないと再発は無理と云ふ感触だった。こりゃ参ったね。なまじ『バオー』があるが為に今更LD導入は中止できない。他に観たい物なんて無いのにどうしてくれる。

不一

1990年2月10日


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written by nii. n