東京月記8809b

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冠省

EDβ7000番が這入ると,以前からぼんやりと想定してゐた「わたしのおへや」的欲しい物リストは全項目に×印が付いてしまふ。次に買ひたい物がまづまづ無くなったと言へようか。
住居費・光熱費・食費を除けば収入の殆ど全部が電器に費やされた。酒は飲まないし煙草も止めて(嗅ぎ煙草はやってゐるが未だ最初のひと箱が空かない),スーツの他は学生時分からひとつも服を新調してゐない。家具らしい家具は鉄製の押入箪笥だけで,他はラワン合板剥き出しのラック・ベッド・スピーカがせこい丸型蛍光灯の下で貧しく並んでゐる。仕上げを気にしてないんだから押入箪笥を含めて家具とは言へないな。
 
てな事を喋ってゐる内に7000番が届いた。ご苦労様。うーん,ルックスは5000番の方が良いですな,95Dよりは上だが。インジケイタも5000番に分があり且つ高級感もある。
目立つのはシャトル/エディタだ。録再のポーズ状態から四半速で順逆双方にスロウ再生ができる。録画ポウズからならこいつを効かせてゐる間は再生状態となり,次の録画開始位置にポジショニングして手を離すと2秒後にまた録画ポウズに戻る。
シャトル/エディタとFEヘッドのコンビでの繋ぎ録りは実に文句の付けやうが無く,1フレイム(1/30秒)の隙間も無く完璧な連続画となって繋ぎ目が(再び四半速で観ても)全く判らない。勿論虹色のノイズも皆無である。ディジタル_トリックも整理されて無駄が少ない。画質音質は特A。いやー,ノーベル賞やりたいねえ,さう思はない?
7000番を持ってしまへば,9000番は明きらかにオウヴァ_ファンクションである。あんな物要らない。
 
VCRに就いては短期間で学習したので──購買能力も付いてゐたし──1年足らずで3台も買ふ羽目になった。
ならば部屋には4台のVCRがある筈だが,さうはなってゐない。4年前にPCM機として入れたサンヨー製間抜けVCRがFF・REW共いかれたので──キャビを開けて調べた結果,それはひとつのゴムロウラで制御されてをり密着すべきゴムが経年劣化の為にスリップしてゐるのだと判明した。判明しただけで,直せはしない──ばらして少しづつ燃えないごみに混ぜて捨ててしまった。
現用のVCR(EDV-7000・EDV-5000・SL-HF95D)の内95Dと5000番は立場を同じくする(5000番が格落ちした)が7000番の相手としては一長一短であって,まぁ3台あるのもまた愉しと云ふ状態にある(でも95Dは金に換へても良いなー)。
 
どうもVHSを好きになれなくて,歴代VCRは全てβと云ふ非常識な構成になってゐる。何故にβかと言ふに,答へは明解,VHSよりあらゆる面で優れてゐるからだ。僕は単なるハード_マニアなのでスペック重視の選択をする。言っちゃ何だが余所でVHSのソフトを観ると汚い絵だなと思ふ。レンタルソフトは論外で,300円も払ってあんな汚い絵からダビングして残す為にハードを買ふ気にはならない。偶にVHS機を扱ふと動作が遅くて故障ぢゃないかといらいらする。
 
EDβが期待以上に健闘してをり準プロ用カメラEDカムも出て,βの将来はさう暗い物ではない。S-VHSの現在の目標はEDβに追ひ付く事で,仮にEDβの器量が今のまま固まってしまったとしてもAVシステムの最終兵器・録再レイザ_ディスクの登場まで(後も)十二分に最高級記録機たり得る。
 

 
秋分の日に始まった3連休は一時も止まない雨続きで──昨夏と違って今年は水不足に至らず暑くもなくて重畳であった。利根川水系のダムは最低水位でも満水時の97%だったらしい。でもそんなに降ったとは感じなかったなー。身体が山口の降水量を覚えてゐるのかしらん──一度松戸へ漫画本の買ひ出し(『機動警察パトレイバーII』『江口寿史のなんとかなるでショ!』『愛のさかあがり・無用の巻』『ゴルゴ13』。以前と違って本屋に通ひ詰める事ができず初版本を手に入れるのが困難である。漫画本は初版が命なので此れは痛い)に行った他は終日部屋にしゃがんでゐた。これを遣らずの雨と云ふ。違ふよ。
 
それでTVを観てゐたが,全く暗澹たる気持ちになる。天皇の病状に関する連日の報道だ。新聞を取ってゐないのでTV放送についてしか言へないが,ああまで特番をぶち込みしつこくくどく無意味な報告を繰り返すとは思はなかった。殆ど怖かった。
 
裕仁が早く回復するやうにとわざわざ出掛けて名前を記帳する人が1日に何万人もゐる(これが一体何になる)。正月の一般参賀が十数万人のレヴェルだぜ,この数字は異様だ。教育の成果と云ふのはあるので爺婆ばかりなら判らんでもないけれど,若い奴が意外に多い。早くお元気になられるやうにと餓鬼まで連れて来てゐる。昔からファンだと言ふのまでゐた。非常に気持ち悪い。これこそ憂国ではないのか。また裕仁(宮内庁)の反応が「みながしんぱいしてくれてありがたう」だと,何だ此れは。こんなお言葉,小学生にだって言へるではないか。つまらん事を仰々しく発表し報道するな。どうも宮内庁ってのは大本営発表の時代と変はってないのぢゃないか。
裕仁が死んだ時,喪に服せと云ふので公官庁から市井の商店からお休みになるのではないかと今恐れてゐる。僕の大好きなお笑ひ番組が狙ひ撃ちで内容変更になったのがとても不気味で腹立たしい。見損なったぜフジテレビ,裕次郎と裕仁と何処も変はりゃしないだろが。各地でお祝ひ事が自粛され,宮内庁の方がびびって,派手に自粛するなと言ひ出す始末だ。それに裕仁が無制限の輸血を受けるのは,問題ではないのか。ただの老人が同じ処置をして貰へるだらうか。裕仁を放置して死ぬに任せろと言ふのぢゃない──好加減に引導を渡してやれとは思ふが──余りと言へば余りの特別扱ひに不快感を覚える。
 
天皇を1度だけ生で見た事がある。かれ此れ18・9年前,僕が小学2年生だった(と思ふ)頃,裕仁が広島に来て何故か国鉄芸備線に乗った。或るひは原爆関係を視察したついでだったのかもしれない。その日の授業の途中で突然日の丸の小旗を配られた僕等は先生の引率で学校のすぐ側の土手(線路から100m弱の田んぼを隔ててゐる)に導かれ,今度列車が通ったらとにかく此の旗を振れと厳命された。果たして芸備線を見慣れた蒸気機関車(だったかなあ)が通過して行き,その中に菊の紋章の這入った妙な客車が混じってをり──事前の連絡がうまく行ったのか──妙な爺と婆とがひと番ひぼんやりこっちを見てをった。小学生が天皇制を云云する筈も無く,僕も素直に旗を振ったんぢゃないかと思ふ。あれを天皇と識ってゐたかも怪しい。土手に集った人数からして,参加したのは僕のゐたクラスだけだったのだらう。何にしろ訳の判ってゐない餓鬼に歓迎の真似事をさせるのは感心しない,県教委は関知してゐたのか。今でもさう云ふ事をするのかしらんね。
ゴルゴにあっては狙撃のチャンスだけれど,どうせ装甲車輛に防弾ガラスだったらうな。窓際にゐたのが本物とは限らぬし,第一当時ゴルゴは未だ連載されてゐなかった。
 

 
ベン_ジョンソンとカール_ルイスの対決,僕はルイスが勝つだらうと踏んで1000円張ったと云ふのに(おいおい)大差を持って敗れてしまった。これゃ参ったね。どうも腑に落ちなかったのでかう考へた。ジョンソンが予選準決勝で一度フライングを取られたが,あれはワザとである。これを強硬に抗議して,ジョンソンのスタートは測定限界以下のタイミングで反応してゐるとソウルの運営委員会に思ひ込ませ,今更フライング判定装置の再調整も儘ならないのでいっそ外してしまふやうに仕向けた。さうしておいて決勝でまた絶妙のフライングを犯し,ルイスを抑へて世界新記録を樹立したのだと。
この説はちょっとだけ受けたけど,まぁ負けたものは仕様が無いか。
 
所が,今日会社に行かないでTVを観てゐたら(こらこら)何とジョンソンのドーピングが発覚し金メダル無し世界新無し2年間出場停止,奴さんは逃げるやうに(逃げたんですけど)帰国なさいまし。うーん,陰毛かいかい接して漏らさず違った天網恢恢疎にして漏らさず,筋肉増強剤を漏らした為にジョンソンはばんざーい,無しよになってしまった。やはり薬物はよく効き薬物の助け無くんば記録も更新されなくなったと見るのが正しい。前月号の御隠居は正しかったやうで。トトカルチョは俺の勝ちだ。
 

 
さて,原因の詳らかでないめまひの為に眼科と耳鼻咽喉科の検査を受ける。耳の方は単なる聴覚測定で,周波数帯と音量とがどの程度聞き取れるかを調べる物。10分くらゐで済んだ。しかしてめまひで耳鼻科は分かるが眼科とは何故に。まあ受けろと言ふから,受けた。
項目は焦点深度と視力と視野と眼底と明暗反応とで,眼圧は測らなかった。脳味噌に何らかの異状があれば大概眼に表はれるさうだ。目は心の窓だな。
内科耳鼻咽喉科眼科に渡る一連の検査の結果,どうせ異状無しと出るだらうと予想はしてゐた(その方が幸せなんだけれど)。所が今回,大山鳴動して鼠が1匹出てしまった。何と右眼の耳側に10%の視野狭窄があると言ふ。まづいぢゃねーか。この程度なら心配無いらしいが,2週間後に再検査を致す。もし狭窄が進行してゐるなら緑内障を疑はねばならない。
 
緑内障と云ふのは,眼圧が異常昂進して視神経を圧迫し視野を徐々に狭めて行く病気だ。白内障と違って視力は落ちないから新聞やTVを見るのに支障無く,かなり酷くなるまで自分では気が付かない。発見できても進行を抑へるのが治療の成果で既に失はれた視野は回復しない,非情の眼疾である。こんなのに取っ憑かれたら生涯薬を飲み続けなければならず,何より失明を意識して怖い。僕の商売にも趣味にも致命的な障害である。右眼と左眼と代はり番こに瞑ってみても自分では差が判らない。ただ高校の時に顕微鏡を覗いて,左右で色の見え方が違ふのには気付いてゐる。測定誤差である事を祈らう。
 
さて再検査の結果,何でもなかった。先の狭窄の部位も今回は見えてゐる。思ふに前回は無精長髪が目尻に被ってゐたのではないか,誤差の出易い測定方法(頭を固定してパラボラの中心を見詰め,端からピンスポットの反射光点を中心に向かって走らせて視野に這入った所をブザで知らせると云ふ行程を繰り返す)だったし。
収穫は裸眼視力が0.06であると判ったくらゐ,乱視も盛大に含むらしい。
 
ばらばらではあっても肉体の広範な部位を検査した結果として,機能的な異状は無い。あれこれ騒ぎ立てた分気恥づかしさが無いでもないが,それでもやっぱり気分は悪いのよ。
前に書いた,他人の身体を借りてるやうな違和感ね,あれは離人症って奴ぢゃないかなあ。離人症の激したのがドッペルゲンガなんだ,嘘だけどよ。離人症は精神的な負の衝撃を受けると起こり易いんだけど,さう云ふ劇的な事件に心当たりは無い。身体の具合ひが良くないのを僕が内向してストレスを溜めたかな。
今現在は離人症も薄れ,代はって喘息と結滞が猛威を振るってゐる。とにかく何処かしら変だ。しかし,仕事が嫌で,無意識下にサボる口実を肉体の不調に求めているのではないかと勘ぐってはいけない。そんな事を言っては僕がかはいさうである。
 

 
栓を抜いた浴槽に毎時定量の水を注ぐと,或る水位まで溜まって其の後は安定する。蛇口を更に開けば水が溢れ出すかと思へばさにあらず,水面は少し上がった所でまた均衡するのだな。体重もさうなのかしら。
ちゃうど1年前僕の体重は55kgだった。それが此の春の健康診断では何と61.3kg,増加量も絶対量も僕の半生で最大値である。体重計の故障を願った。どうしよう,秋には70kgを越えるんぢゃないかしら。
 
その秋が来て,また健康診断の日も明けた。検診項目は身長・体重・視力・色神・血圧の測定と内科問診・検尿である。粗方の検査は離人症騒ぎの時に既に済ませてゐる。同じ検査は新味が無い。対照にもなるまい。耳目を聳動させるのはやはり体重だ。
体重は着衣のまま計量して適当に引いた数値を採る。衣裳は1.5kg換算と見た。さうして得られた値は61.6kgであった。何だい,横這ひと言へさうだ,ほひー。どうやら止め処無い肥満化は免れたやうである。
 
余り小さな頃の体重は憶えてゐないが,小学生の高学年あるひは中学に上がる迄は40kg無かったと思ふ。高校3年の入院時代は49.5kgだった。恒常的に50kgを越えるやうになったのは予備校に這入ってからだ。此処までは成長期であって増加して当然,しかし軽いね。
 
親元を離れて面白をかしく暮らした大学時代(5年間)はずっと55kgである。これが第1次安定期であらう。入社時の健康診断では58kgに漸増したもののまた55kg台に戻り,完全無欠なひとり暮らしを始めて半年後すなはち昨秋61kgにジャンプアップしたのである。今また安定期に這入ったのかもしれない。
 
目方が増えたと言っても筋肉が増強された訳ではなく(ドープしなかったし)脂太りである。全く以てみっともない。食生活に問題があるな。朝食は抜き,昼食は社員食堂の定食を殆ど残し夕食は自炊を続けてゐる。自炊とは名ばかりで,肉と卵か餃子を焼きちょっぴり菠薐草を湯掻くだけ,この1年半毎日同じメニューである。なくらいんでも脂の摂り過ぎだ。自前でフォアグラを作る事はない。でもおいら,料理識らないんだよ。
 
喰らふ飯の量と云ふのは学生の時とさう変はりやしないだらう。昔と違ふのは間食と飲料水の圧倒的な多さだ。仕事をしながら間断無く飴玉をしゃぶってゐるし,僕の机の上には紙コップの珈琲・缶コーヒ・野菜ジュース・ポカリスエットが全部ちょっとづつ飲み掛けで並んでゐるので皆呆れる。これで月に何万円か遣ってをり,摂取する砂糖も熱量も莫迦にならない。
 
下を向くと顎の輪郭線が消える。顔の幅と頚の直径とが等しくて,鶏のやうだと意外にはっきり言はれた。しかし自分ではむしろバッタではないかと思ふ。殿様バッタのつもりでさう言ったのに,精霊バッタに採りやがった。畜生め。

不一

1988年9月吉日


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written by nii. n