東京月記8804

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冠省

暖冬である。暖冬はありがたい。暖房に費やされる電気代を節約できる,なんつって部屋にゐる間はエアコンぶんぶんカーペットびんびんアンプばっかんばっかん(これもあったかいんだな)湯水の如く浪費した結果が先月は262kW時と最高値を記録した。電気税まで払ってしまったと云ふ大判振る舞ひ。ブレイカをしばしば落とした。

2台のVCRは停電補償が効くから良いとしてもTVとタイマでは通電が遮断されると同時に時計が御破算になる。再設定が面倒臭くてたまらん。20A契約に切り替へようかしら。

実は電子レンジ購入計画がスタートしてゐて,こんなのが這入った日にゃあ配電盤が過労で倒れてしまふ。
でも電子レンジって何ができるのか実力がいまいち判らんのよね。今度ばかりはアース工事が必要らしくて,それも買ふのを躊躇させる。トーストも焼ける奴が欲しいんだけどさ,フリーズしといた御飯を熱熱にまで復元するなんて事はどんな安物にでもできるのかな。

暖冬で困るのは雪が降らない事だ。いや,この辺ぢゃなくて群馬・埼玉・栃木の方。冬場に雪の形で貯水しておかないとまあた渇水でうんこも流せない情けな臭い夏が来る。
昨夏は夜半に減圧するくらゐで,本格的な給水制限は辛うじて回避された。回避されたっつっても人智が解決したのではなく,うまいこと雨が降ってくれただけだあな。その日暮らしのやうだ。

でもどうしようも無いもんなあ。僕などが電気の如く湯水を浪費したつもりてゐても単身者とあらば何て事ない水量である。それでも問題になるのは要するに人口が多過ぎるからだ。大体やね,政府がちゃんと供給水量を算定して,それを越えないやうに人口を調整せんからいかんのですよ。住民がびくびくしながら水を使はにゃならんやうで文化国家と言へますか,奥さん

暖冬とは言っても浮浪者の数は激減した。コートを着る人が過半数を占める頃からぱたぱたとゐなくなるのだが,一体どこへ行くのだらう。地下道の床はさぞ冷たからうとは思へども,其処より他に雨露を凌ぎ風を遮る施設は思ひ付かない。あれだけの人数が毎年凍死するならより大きな社会問題になる筈だ。そんな話は聞かない。
浮浪者じつは富豪の道楽ってのは安直な設定で没,だいいち日本に富豪はをらん。唯一富豪っぽいのはライオンズのオーナくらゐだ。

臭いから僕は嫌ひだけれども,浮浪者のゐない社会は何だか不健康な感じがする。まぁゐても良い,僕は到底なれないが(虚弱体質で偏食王で暑がりで寒がりで異臭に弱くて物欲が強くて性欲を捨て切れないのに勤まりっこない)。所で「浮浪者」は放送禁止用語になったのかな。

局名は忘れたが「定住家屋を持たない人」かなんか持って回ってワンとした言ひ換へをやってゐた。全く阿呆ではないのか。そのうち合州国の浮浪者に倣ってホウムレスなどと言ひ出すに違ひない。プータローで沢山だ。「浮浪者」より「サラリーマン」の方がよっぽど酷い呼称だよなあ。絶対に遣ひたくない言葉だ,もう遣ったけど。


上までは1月中に書いてをったのだけれど,本行に於いては4月に這入ってゐる。2・3の理由から東京月記は中断してゐて,僕も面白くはないが綴る気がちとしない。今夜はテレビ東京で清順監督の『ツィゴイネルワイゼン』をやると云ふから其の時刻になるまで書く。書き易い所から書くかな。

ツィゴイネルワイゼンは誉める人が多いのと百間先生の作品が下敷きになってゐるのとで──クレジットされてゐないさうだが──観る気になってゐる。今日は『天空の城ラピュタ』『グレムリン』と既にがっかりの2乗である。期待したい。でも主演が僕の嫌ひな原田芳雄だもんなあ,3タテを喰らひさうな気がするな。録画保存の予定ではある。


もう1台ハイファイVCRが欲しい。2台目のVCRとなるとなくらいんでもVHSである,S?VHSは理不尽に高いからHQ程度で良い。と云ふのは嘘で,僕の使ひ方ではやっぱりβだ。

一般紙の記事が(故意に?)扇情的だったのでソニーのVHS参入を知って結構取り乱した人が多かった。フジ三太郎とさんまとタモリが意外に素早い反応でぎゃあぎゃあ騒いだのもかなり効いたと思ふ。別にソニーの肩を持つのぢゃないが,ありゃ営業妨害にならんのかしらん。
ソニーはこれで8mm・β・VHSと民生VCRの全方式を扱ふ事になって,つまり最も強力になるのだ。VHS陣営の各メイカは脅威を覚えこそすれソニーに勝ったなどとは考へてゐない,大いに迷惑がってゐる。

10年後にβが市場から消滅してゐる可能性は頗る高いけれど,CDと違って僕がもう手を染めてしまった分野である。今ひとつの超マイナ方式PCMプロセッサとも密接に絡むシステムだし,かうなりゃ一蓮托生で行かう。ちゃんとβの新製品も出たんだぜ。

東南アジア・中近東・放送局ではβが圧倒的に強いさうだ。案外しぶといかもしれぬ,尤も放送局のβは民生用と互換しないが。
合州国でVHSが覇権を握ったのは,βを採らなかった松下日立が盛んにOEM供給で進出したからださうだ。
ソニーは自社ブランドに拘った為に供給量でまづ負けた。アメリカ人はスペイス_ファクタや画質なぞ問題にしない,するするとVHSが普及してしまった訳だな。

日本ではどうかと云ふと,偏に最長録画時間の差に帰する。βは最長5時間・VHSだと8時間だが,だからって四半日もヴィディオを観続ける莫迦があるもんか。

ったくなあ,まあ勝負の着いた物をぼやいても仕様が無いか。要するにソニーと日立の(当時の)販売センスだな,関ケ原的決着ではなくじりじり押されての敗北だからベータの逆襲(THE BETA STRIKES BACK)はちょっと考へ難い。EDβが高品位TVの実用化まで持てば或るいはマニアの間で生き延びるかな。

それにしても日立のOEM商売は凄い。厭んなっちゃふくらゐいろんな所へ部品を送り込んでゐる。ヴィディオ_カメラなんかソニーと松下以外の製品は,京セラからコニカキヤノンシャープ三洋ヴィクタその他諸諸,少なくとも光学系メイカの商品は全部あれ日立製である。しかも日立は自分では販売してゐない。全く呆れてしまふ。


今日は健康診断があった。年に2回4月と10月にある。身長体重視力血圧の測定ならびに尿検査ついでに問診と,春は此れに胸部レントゲン撮影が付く。何度も書いてゐるが去年の夏から体調が悪い。身体がだるくて重い。

僕は入社時に58kgあったのが半年で55kgになって以降安定してゐる。小学校を出るまで30kg台を越えられず高校生になってもしばしば50kgを割った。それが何と云ふ事でせう。体重計(電光デジタル表示)に片足を掛けたらちかちかと47kgを示し両足を載せたら,ええー,61kgを表示したのである。おー,壊れてんぢゃねえか。これはをかしい。別にズボンに重りなんか入れてないぜ。驚いたな。

僕はいつの間にかデブになってゐたのだ。だって去年の10月には55kgちゃうどだよ。半年で6kg,月1kgか。一般的には特に急激なペイスと言へないものの僕は産まれて此のかた太った事なんか無いのだ。無論60kg台は初めて,余りの変化に私は戸惑ふペリカン

では,冷静になって,太った原因を探る。繰り返すが成人して以来僕の体重は概ね55.6kgを維持して来た。もちろん痩せ過ぎだが幾ら喰はうと実にならなかったのだから仕様が無い。学生時代に外食を重ねても就職して入寮しても1年前に独立して自炊生活を始めても診断表はローレル指数82%の羸痩である。それは昨秋の測定が最後になった。うーむ,何故だ。

消去法で浮かび上がった解答は──通俗的で厭だけど──煙草を吸はなくなった事である。あんまり身体の調子が悪いので止めてみっかなと絶煙したのと,ぴたり符合するのだ。どうも面白くない。筋肉で太ったんぢゃないのが明きらかだもんね。水と脂ぢゃなあ。歳行ってから太り出すと止め処無いと云ふし。

中年の殺せ殺せ殺せ殺せブタ野郎の若い頃の写真を見て,まぁこんなに痩せてたんですか信じられないわなんてのはよくあるパタンだ。僕も10年後には小林亜星になってゐるかもしれない。そんな役は嫌だコーナ。其処まで行かなくったって,61kgでは普通の人ではないか。減量して栄光の50kg台に戻さう。
やれやれ此の俺がダイエットかよ。全く信じられねえ。

煙草を始めれば痩せるんだらうね。
一行月記に拠ると10月2日付けで「喫煙止メル」となってをり,此れ迄も何度か喫煙は中断した事があるので「禁煙」と云ふ言葉は注意深く避けてある。大学3年の暮れに喘息で3日入院したのを機会に半年ばかり吸はなかった(教育実習を終へた解放感からか再開)のが最長不倒記録だけれども,間も無く更新してしまふ。多分もう生涯吸はないだらう。既に他人の煙が不快である。

かうなると俄然弾劾派に回るあたい,喫煙者の私室を除いたあらゆる場所は全て禁煙にするべきだ。歩きながら煙草をふかすやうな莫迦はしょっ引いて罰金を取れ。一般消費税は廃棄して煙草の課税で賄へ。なあにがヤングハイライトか莫迦垂れが。

しかし何だね,僕より年若な連中は確かに喫煙率が低い。でも小中学生の喫煙は漸増中らしいから世代まるごとのブームかな。喫煙の効用を説く輩も現はれる始末だが身体に良くはない。と言ってチェルノブイリ小麦なんかと比べてそんなに悪くもない筈だ。

前にちらと書いたけど,未来から力を借りて来るタイプの嗜好品である。借りを返さずには済まされない。


桜が満開にならうかと云ふ昨日一昨日,冬の間にも見られなかった程の雪が積もった。ネタの擦れを取り繕ってくれたやうだ。

不一

1988年4月吉日

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大体やね,…,奥さん

説明不要と言いたいところだが,もはや必要か。竹村健一の口調を真似たもの。

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そのうち…ホウムレスなどと言ひ出すに違ひない

数年のうちに本当に言い出した。おれが「ホームレス」という単語に接したのは,90年ごろ何かの特番で小野洋子がニューヨークの浮浪者をそう呼んでいたのを聞いたのが最初である。(02.4/6記)

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戸惑ふペリカン

井上陽水『とまどうペリカン』。

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殺せ殺せ殺せ殺せブタ野郎

おれ『LOCAL SALOON』。

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そんな役は嫌だコーナ

往年の「ビートたけしのオールナイトニッポン」の1コーナ。と言っても同番組のすべての企画が田舎者を嗤うという一点に絞られていたからタイトルで分ける意味はない。

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written by nii. n