神奈川月記9009

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冠省

電話は入れたものの案の定あんまり使ふ機会が無い。何しろ1日の内で使はない時間の方が圧倒的に長いのだ,比較にならないくらゐナ。

いたづら電話が1度だけあった。僕は掛かってきた電話に自分から名乗る事は無い。その時も,へいと応じたきり相手が喋るのを待ってゐたところ向かうも黙ってゐる。こりゃ変態だな。どなた?と誰何したら,んぐぎと妙な声で呷いてぷつんと切れた。ぎゃはは,当てが外れやがったな。でも受けたのが零時ちゃうどだったから,きっと単純な間違ひ電話だね。魔法遣ひがシンデレラに帰宅の確認を入れようとしたのだらう。

国電**駅はみどりの窓口のブースに公衆FAX機がある。

どんなんかなーと仁鶴師匠の真似をしながら近付くと,パナファクスの中級機がぼでんと置いてあった。硬貨の投入口は置き台の方に設けられてをり,どう云ふ加減乗除かそっちでコントロウルするらしい。

料金は何と基本料が15秒で100円,市外通信なら200円,更に30秒毎にもう100円づつ追加と云ふ無茶苦茶な値段だった。30秒だと割りに良い機械でA42枚がやっとだ。単価が100円てのはちと欲を張り過ぎてやしねえか。NTTとは間接的な付き合ひなのだな,ぼろいなあ。おいらも貸しFAXやろうかな。

感熱コピイは別として,内のFAXは何か注文しといたのが入荷したと云ふ告知を受け取ること以外には利用されてゐない,まぁ現状その他に使途は無い訳だが。

東京ではレコード屋も本屋もあらゆる町内にいつつづつあるのだけれど,どの店に行っても同じ物しか置いてゐない。そして僕の欲しい物は決して並べない。これでは1軒も無いのに等しい。勢ひ取り寄せる事になる。

何故か近頃は連絡先を決めないと注文も受け付けてくれなくなった。仕様が無いから昨日までは仕事場の外線電話を活用させて戴いたが,やはり心苦しいものがある。電話が掛かってきたときフロアに居ないと,僕のフケてゐるのがあからさまになってしまふのだ。商店の営業時間と僕の就業時間とを慮ればFAXの方が都合の良いのは自明だ。

所で専有FAX機を備へる個人は未だ西表山猫より少ない。僕も僕より他に知らない。FAX番号を書く時にちょっと面映ゆい気持ちがある。また連絡先の有無は重要だが名称はどうでもよい。一過性の取り引きに本名を明かす必要は全く無い訳である。だいいち僕のばあひ本名を名乗ってもちゃんと聞き取れる奴もちゃんと書ける奴もちゃんと読める奴も皆無なのだ。従って偽名をよく遣ふ。

****・**三四郎・紅羅坊仁哉・三輪山艶之進・二輪山艶之進と手持ちの名前はいつつある。しかしながら一般に馴染みの無い名字ばかりで聞いてすぐ解ると云ふ物ではない。もうちょっとありふれた姓が詐称には適してゐる。

と言って余り平凡だとまた困る。間接的上司の**さんは,余りに同姓の人が多いので逆にちょっと珍しい名を騙る事があるさうだ。う〜ん成程,これには気が付かなかった。

「**」の読み間違ひで多いのはアラヰとイトヰだ。もろにジンセイと呼ばれた例もあるが,そんな楽ありゃ苦もある名字ではない。

アラヰは「**」→「**?まさかね」→「新」→「新井」→「アラヰ」と一度は正解に達しながら結局ドリフトして転倒する思考過程をスキャンできるのだがイトヰが解らない,ヒトヰならまだしも。

ひらめいた。イトヰなら重里のお陰で適当に認知度が高く,漢字に直しても1種しか無い。変名には持って来いである。これを戴かう。序でにFAXの宛て先として不自然でない法人風にしよう。

と云ふ訳で僕の部屋をラボとして「糸井総合研究所」を設立する。略して「糸井総研」。うむー,個人名ぽくもある。ばっちりだ。

実を言ふと公式の名前がもうひとつ僕の系図を辿ると出てくる。産まれてから10年間ぼくは××○○だったと云ふ秘められた過去があるのだ。

どう云ふいきさつでさうなったのか当時も今も詳しい事を訊かない儘なのでよく判らないのだが,小学5年生の或る日ぼくは××○○から**○○に突然かはったのである。どう云ふいきさつでさうなったのか当時も今も詳しい事を訊かない儘なのでよく判らないのだが,親父が**家を継ぐ事になった。どう云ふいきさつでさうなったのか当時も今も詳しい事を訊かない儘なのでよく判らないのだが,家族ぐるみで養子に這入ると決まったらしい。

これに就いて事前に家族会議のやうな物は一切なかった。結婚のさい配偶者に揃へて改姓すると云ふ概念も無い内に,しかも最もありふれた名字から超マイナな其れへ急転直下の大変換である,これがもたらしたトラウマたるや其の後の僕の人生に決定的な影響を及ぼし,たとは思へない。あ,さう,てなもんで受け入れた。数分間なやんだ憶えはあるのだけれど,それはなぜ名前が変はるんだらうではなく,みんなに何て説明すれば良いんだらうと云ふ心配だった。

出生や系図に対する僕の冷淡さは此のとき既に発現してゐたのである。

名は体を必ずしも表はさない。体を表はす名の付け方はあるが,人間のばあひ体が後からでき上がる。どんな名を幾つ付けようと大した問題ではないのだ。

ただし子供に変な名前を付けると長じてから刺される可能性もあるので充分な注意が必要である。


ビートたけしが12月いっぱいで到頭『オールナイトニッポン』を降りる事になった。81年の元日からだから実に10年の超ロングランである。

ニッポン放送の看板番組だけに慰留工作も盛んに為された筈だけれど,もう勘弁してくれよと言はれれば止むを得まい。例の事件で半年程ブランクがあるものの鶴光のオールナイトより長い(8年間。ただし延べ時間は多分こっちの方が勝る)のだ。またどう云ふ取り決めかは知らないが,ギャラは数万円らしい。たけしを2時間拘束するのには恐ろしく不自然な額ではないか。

第1回目の放送を聞いたのは全くの偶然で,80年の大晦日(浪人をしてゐた)から夜更かしをこいてゐたら「元旦や,餅で押し出す2年糞」とうまい事を言ふのが居た,それがたけしだったのである。

当時は未だツービートのよく喋る方と云ふ認識しか無かったのだが──そのころ僕は上方落語に傾倒してゐた──この回が強烈に面白かった。以来関東のお笑ひの最高峰と云ふ僕の評価は固定してゐる。

たけし自身も初めてひとり(ピン)でやる仕事とあって心に期する物があったやうだ。と言ふのもニッポン放送としては完全に繋ぎのつもりだったのである。ダディ竹千代(誰も知らんだらうな)の後を受けての登用だったのだけれど,4月からの担当者は既に決まってゐた。所がたけしが余りに面白く且つ絶大な反響を呼んだものだから──ピーク時は聴取率が3%・占有率は75%あった。木曜25時からの番組だぜ──継続に継ぐ継続で,1クールが40クールに延びたのである。

この番組でたけしはさうたう自信を付けたと思ふ。『オールナイト』で受けた話をTVに掛けると云ふやうな事もよくやってゐた。

『オールナイト』を聞かずしてたけしを語る事はできない。『ひょうきん族』も『スーパージョッキー』も『TVタックル』も枝葉である。たけしの神髄は『オールナイト』にある。

グレート義太夫のやうに『オールナイト』を全て録音して保存してゐる者も結構ある。僕は其処までやってゐないけれど──120分テイプが500本いる──居留守録音で翌日きくから次の回までに2・3回は同じ放送を聞く。CMと歌をカットすれば90分くらゐだ。

聴取者の投稿も高レヴェルだが──要するに世の中の「間抜けなもの」を笑ふと云ふ物。沢山のコーナが作られては消えていったが,皆これに収斂されてしまふ。投稿者(ハガキ職人と呼ばれる)の興味はたけしを如何に笑はせるかと云ふ一点に絞られてゐる──大半はたけしのフリートークである。繰り返しの再生に堪へる世間話と云ふ稀有な例が此処にある。

雑談に於けるたけしの語り口や物の見方・ボケ方・ツッコミ方は大変参考になった。僕も随分パクッて遣ってゐる。すぐ「しょーがねーなー」と言ふのも其れだ。

僕の会話体はたけしと小さんと志ん朝の複合体と言ってよいくらゐで,ネイティヴな物は殆ど残ってゐないのである。東京訛が移ってしまったのだ。

『オールナイト』を降りる理由は公式には体力の衰へと云ふ事で,恐らく其れに違ひは無いだらうが,たけし自身それほど辞めたいとは思ってゐない筈だ。毎週生放送でやる必然性は無く,昼間あき時間に録っといたのを流すのでも構はない。月一でも良いから続けて貰ひたいのがファンの気持ちでありたけしも其れで良ければやりたいのではないかと思ふ。

軍団員を何人かスタジオに入れて比較的ゆるい放送コードの中で精選されたファン(念を押すが木曜25時から2時間のAMラジオ放送なのだ)を相手に喋り散らすのは,たけしの一番すきな形態だらう。大事を取って辞めたは良いが,フラストレイションが溜まって逆に精彩を欠くやうな事になりやしないかと気懸かりなのである。

たけしは此れから何処へ行くのか。近年は文化人扱ひされて本人も嫌がってはゐるのだが,この傾向は強まっていくだらう。映画関係に進めば尚更さうだ。

最終的にはやはり政界だと思ふ。と言って横山ノックや西川きよしでは仕様が無いので衆院の方,吉田茂の線であはよくば政権をもと狙ってゐるかもしれない。

ただし其れを実行に移すのは未だ早過ぎる。あと5年はTVでお笑ひの王者で居なければなるまい。

不一

1990年9月12日


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written by nii. n