神奈川月記9008

前月目次次月


冠省
いつだったか誉めといた浅草キッドが『ザ・TV演芸』の「激突!笑いのデスマッチ」に再登場を果たした。今度は順調に勝ち進んでゐるらしい。らしいと言ふは,第1週を完全に観逃したからである。だるま食堂以来ろくなのが出なかったんでちょいと目を離したら,途端に此れだ。誠に油断は大敵であって,お笑ひ鑑賞家たる者ゆめゆめ監視を怠ってはならぬ。
2週目からはVCRを回して記録に努めるけれど,元もとゴルフや柔道や体操でよく潰れる番組である,イレギュラな編成だとうっかり録画を忘れ易い。前に書いた通りめぼしいライヴァルも居ないから多分10週勝ち抜けるだらう。長町場だが欠けないやう残しておきたい。10年振りに現はれた関東の漫才コンビなのだ。(僕の)大きな期待が寄せられてゐる。

三遊亭円丈一世一代の名著『御乱心』を久久に読み返す。圓生が小さんと対立して落語芸術協会を脱退,新協会設立の画策から挫折そして死亡までを弟子の立場から描いたドキュメントである。
この本は円楽を徹底的に悪人として捉へてをり,至藝を誇った圓生は其の裏で円楽に操られる政治的に無能な老人でしかない。僕の知る限り円楽を正面から批判したのは円丈が初めてだ。圓生を殺したのが円楽である事を赤裸裸に語ってゐる。
円楽の恐ろしさは今でも『笑点』を観れば判る。笑ひ顔が一番怖いのだ。

このところ僕のライブラリに圓生師の口演が増えてきて,その藝の素晴らしさを堪能してゐる。享年72,噺家としては決して高齢ではない。惜しい人を亡くしたと今ごろ思ふ。
不幸にして僕は圓生師に間に合はなかった。師の逝去は79年の9月で──上野動物園でパンダが同じ日に死んでゐる。翌日の新聞のトップは「ランラン死す」,横に小さく「圓生さんも」と出たさうだ。あんまりだ──そのころ僕はやっと枝雀師や米朝師の上方落語を解し始めたばかりだった。遅れて来た者の悲しさも合はせて味はってゐる。
偶に僕より若くして圓生師の高座を憶えてゐるのに話を聞くと,羨ましくて仕様が無い。ちゃんと録っといてくれたら良かったのに。

僕を落語界へ誘った枝雀師は近年あきらかに藝が荒れてゐる。芸風がどんどん派手になってきたのを言ふのではない。手元に5・6年前のテイプが何巻もあるのだが,そちらの方が切れ味鋭く軽快でスピード感もドライヴ感も優るのである。練習S字曲線の平坦部と言ひ切る事もできず,どう贔目に見ても下降線を辿ってゐるのだ。
保有する最新の演目は今年3月に放映された『愛宕山』で,お噺自体極めて良くできた幇間ネタで下げも上上,五指に這入る傑作落語だと思ふが,今回のはどうも感心しない内容だった。
原因は僕なりに究明してゐる。枝雀師が僕の就職と前後して始めた英語落語だ。
師匠は英会話が達者らしくてもちろん落語が好きなので何とかして英語圏の人人にも此の面白さを知らしめたい。毎年のやうに合州国・カナダ・オーストラリアへ公演旅行に出向いてゐる。
落語が日本独特の芸能である事は解る。ソフトウェアを輸出したい気持ちも解る。しかし。断じて其れは日本人の仕事ではない。言はんや枝雀師の仕事ではない。日本語に通じ笑ひを愛し,こんなおもろいもんわしらの国の連中にも教へたらなあかんでと考へた外国人のなすべき行為である。
マクラに海外公演のあれこれを振るのは良しとしても,端端に英単語を混ぜ英語落語の触はりを語り外国人客に受けたとはしゃいでゐる姿は滑稽で哀しい。それはキリスト教を以て野蛮人を救はうとした暗黒時代ヨーロッパの宣教師と同じではないのか。善意の侵略者ではないのか。余計なお世話ではないのか。

英語落語をやってゐるのが枝雀師でなかったら,二流三流の売れない噺家であったなら,ひと言「この莫迦が!」で済む。僕等はエディ_マーフィのジョークが本当に面白いだらうか。上方落語を東京に移植するのにも非常な困難を伴ふ。一般の外国人に落語の魅力の伝はらう筈がない。笑ひが取れた所で小話の域を出ないだらう。「風邪うどん」を英語に置き換へる暇があるならもっと日本語で磨いて貰ひたいのだ。日本人を笑はせて貰ひたい。
芸の上でピークを迎へたとは言へ未だ第1次の其れに過ぎぬ。枝雀師の才能が余りに勿体無い。浪費であると敢へて言はう。芸の肥やしになるやうな遊びでもない。英語落語は全く以て有害無益である。

はプロフェッショナルの至藝と云ふ物が好きなので,噺家も名人上手しか相手にしない。
当代名人と言へばまづ古今亭志ん朝,この人が一番好きだ。「私はドライではありません」とヨイショしてゐる落語家である。
次いで御味噌汁なら柳家小さん・ひとり分にしかならんのです桂米朝,ちょっと落ちて柳家小三治・桂枝雀・春風亭小朝,またちょっと落ちて三遊亭小遊三・桂文珍,この辺まではほぼ無条件にエアチェックの対象となる。
噺と出来に依っては録るのが立川談志,昔は滓だったが此のところ急に良くなった橘家円蔵(元の月家円鏡)・桂ざこば(元の桂朝丸),坊さんになった三遊亭円歌,小遊三と一所に『笑点』を辞めなさい三遊亭楽太郎など,有望株が桂べかこ及び雀雀・古今亭志ん駒と,こんな所かな。 逆にだんだん嵌らなくなってきたのが桂小南,最初から嫌ひなのが三遊亭円楽である。

他のお笑ひはどうか。
寄席の出し物で落語以外の演芸を色物と云ふ。漫才・漫談・コント・奇術・小唄・踊り,全て色物だ。どんなに人気のある芸人でも色物は一等低く見られ──もちろん色物の大御所より落語の前座が上と云ふやうな事は無い──楽屋も原則的に隔てられてゐる。
僕はお笑ひ鑑賞家であるから奇術や講談の類はよく解らない。漫才に絞らう。
漫才は年季や熟達と言ふよりもネタとテンポだ。まづダウンタウン(新ネタ作れよな),それから浅草キッド,あとは阪神巨人・いとしこいし・サブローシロー,いづれもプロ中のプロである。(漫才ぢゃないけど)ウッチャンナンチャンやB21スペシャル・とんねるずなんかとは一線を画す。ダウンタウンなぞ,ぽっと出の新人のやうに思はれてゐるが実は結成8年の中堅なのだ。

古今亭と柳家・桂は超A級の名人が居るので当面安泰だが,三遊亭はちと怪しい。林家は正蔵(彦六)さんが死んで壊滅状態,小朝が林家に替はる迄は駄目だらう。小朝が三平の娘泰葉と結婚したのは正蔵の名前が欲しいからだと悪口を言ふ人も居る(僕ぢゃないよ)。
実のところ古今亭も志ん朝師の後継者は育ってゐない。寄席は確実に減ってをり,昨年池袋演芸場が閉鎖され円楽の若竹も潰れた。落語愛好家もがんがん少なくなりつつある。
所が落語家は増えてゐるのだ。あら不思議。将来性無いのに,何で。
寄席やTVで落語をやる機会は多く望めないのだけれど,三遊亭とか林家とか亭号があるとキャバレーやお祝ひの宴・繋ぎのTV番組などに司会者として呼んで貰へるのである。落語をひとつも知らなくても充分喰へる,それで入門者は後を絶たない。これで成功した例が桂三枝・明石家さんま・笑福亭鶴瓶である。
円楽も苦しい経営ながら若竹を修業の場として残したかったのだが,若手に全く(本当に全く)やる気が無いので持ち前の癇癪を起こし,そんなら止めちまへーと云ふ事になったらしい。お先真っ暗ですな。

古典落語の時代設定は江戸中期から後期・明治・大正,どんなに新しくても昭和初期までであり,舞台も遊廓・城中・長屋・大店と現代に無い物ばかりだ。やってる方も聞いてる方も知らない事をネタに連帯してゐる。其処で落語を聞くにも多少の訓練が必要になった。僕でも未だによく解らないサゲやクスグリがあり,今後はますます取っ付き難くなるだらう。
これではいかんと云ふので新作に走る者も少なくないのだが(冒頭の円丈や桂米丸・春風亭柳昇など)どうにもかうにもまるでつまらない。古典落語は別に過去の風俗を描くのが主眼ではない。お互ひ莫迦だね,と笑ひ合ふのが基本であって,本質を捕まへずにギャグだけ折り込んでも仕様が無いのだ。また差別ネタ・身障者ネタが多いから明らかに昔の話として演じる方が現代ではやり易いと言ふ事情もある。

いみじくも古典(クラシック)と言ふだけあって,同じ演題でも演者に依って出来に雲泥の差が開く。仕草ばかりでなく,ラジオやテイプで聞くだけでも嫌になるくらゐのDレンジだ。
下手に古典をやらうものなら過去の名人に比較されてけちょんけちょんに叩かれるのが落ちである。皆が憶えてゐるだけでも志ん生・文楽・圓生・三木助(先代の)・金馬(先代の)・正蔵・松鶴,きら星の如くきら星が並ぶ。それで陸に修業をせず逃げたのが何をやろうと面白い訳が無い。困った事に其の手合ひが多いのである。
藝の道とは誠に厳しい物であって,皆モロッコに修業に行く。高田文夫も本当は噺家になりたかったのだが,藝の奥深さを思ふと恐ろしくて踏み込めなかった(修業の辛さを厭ったのではない事に注意)。先年立川籐四郎として真打ちになりやっと悲願を果たしたが,それでも緒に着いたと云ふだけである。

僕も喋るのは好きだ。ただし気の置けない人間をひとりかふたりだけ相手にする時にしかうまく話せない。声が小さいので2m離れるとアウト。書き言葉を多用するから聞き取り難い。必ず法螺を混ぜる。抑揚に欠け,自分が先に笑ふ。最低のスピーカである。さだまさしみたいに,小さんにでも師事すれば良かった。
目下ぼくの最大の悩みは僕の誠実を誰も解ってくれない事だが,これはきっと話術に起因するのだ。改めねばならぬ。


最後の木工工作,になるかもしれないプレイヤ_キャビネットの裁断が上がって来た。18mm厚定尺シナ合板を6分割したパーツの積層構造でいつものやうに東急ハンズに切らせたのだが,1箇所指定を忘れてモータの電源コードとアースラインを引き出す穴が無い。僕も焼きが回ったものだ。
前に使ってゐた同工のキャビは汚らしいのと重いのとで引っ越しの際すててしまった。
ダストカヴァも作るけど,未だアクリル板を手配してゐない。裸で使ふ訳にも行かないから,キャビができてもプレイヤとしては稼働できないでゐる。

真のスーパ_アイドル小泉今日子が12in.シングルを3枚同時に出した。これが日本最後のアナログ_レコードと思はれる。何しろ日本からADをプレスする機械が無くなるのだ。全く信じられない,ほんの5年前はCDの方が珍しかったのに。
近所のCD屋に注文すると,這入るかどうか判らないと言ふ。結構おほきめのチェイン店でLDも置いてゐる癖にADは一切あつかはない。否,もう扱へないのだ。結局入手できなかった。

もううかうかしてゐられない。カートリジとターンテイブル_シートは何点か確保しておかないと,手持ちのビートルズさへ聴けなくなる。
世界に何兆枚あるか見当も付かないアナログ_レコード故に一朝一夕には消滅しないだらうが,HiFi再生用となれば聞こえれば良いと云ふ物ではない。

ADは死んだ。後は死骸の腐るのをできる限り遅らせるのみである。

不一

1990年8月5日


前月目次次月


戻る


戻る


written by nii. n