神奈川月記9006c

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冠省
郵便物が溜まってゐるかもしれないと近所へ行った序でに*****ハイツへ寄ってみたら,これはびっくり,102号室はもう誰か這入ってゐた。6月16日の事である。僕が出るとき既に空いてゐた105号も埋まってゐる。隣の101が角部屋でありながら2年近く死んでゐた事実を知ってゐるだけに謀られたやうな気がして,思はず野呂圭介の姿を捜した。
僕が入居した後でトラブルがあったらしく大家はアパマンに登録するのを止めたのだけれど──***の不動産屋に窓貼りで出てゐるのを見た事がある──今回どう云ふトリックを用ゐたか。
僕が居たのが原因と言へば全て説明の付くのが面白くない。

引っ越しに伴って銀行やらカード会社やら贔屓の通販会社やらに住所変更の届けを丁寧にしてやった所「お電話番号が記載されておりません」だの「お電話番号も変更なさっておいででしょう」だの「お電話番号もお知らせください」だの「お電話番号の御記入が無いと商品をお届けできません」だので,みんな返って来やがった。だーっ。洗濯機を買った時も収納ケイスを買った時もエアコンを買った時もクリーニングに出した時も,電話ないんですけどと申し立てると皆,嘘だろんてな目をしやんのよ。糅てて加へて職場で住所録を作る折りには,隠さないでくださいと意外にはっきり言はれた。あのな。

は人見知りが強くて気は弱くお負けに口下手ときてゐるものだから,口先だけが勝負の電話は全く不得手である。受けるのはともかく掛けるのは怖いに近い。一大決心を要する。
それで余程の急用が持ち上がったか気持ちが高ぶった際にしか発信する事は無い。その稀な電話では地の上がり症が作用して──僕はすぐ上がるのである。だから双六は強いよ──殆ど変態無言電話になってしまふ。
悪いなあと反省しきりだが如何ともし難い。さう思って僕からの電話の時は優しくしてネ。

TVの普及率は99%を越えてゐると思ふ。電話も此れに近いのぢゃないか。現に貧乏でTVも買へない甘木ですら電話だけは引いてゐる。
年間で100円も遣はない電話を架設する気は起こらなかったが,諸般の事情から設けざるを得ないやうだ。実際,何枚も電話番号欄にナシと書き直させられた作業にむかついたしね。

電話と生涯無縁で居るつもりも無かったから,持った時にやりたいプランは昔からあった。
留守番電話の応答メセイジは,出囃に始まって──タイトル忘れた,志ん生さんの奴。出囃にもちゃんと名前があるのだ──彦六さんか文楽さんの物真似で口上を述べる。例へば,かう。

テン,テケテケテケツテテン。
えー,ただいま若旦那は,あいにく手が塞がってをりますので,えー,手前が代はって御用を承ります,ピイと鳴ったら,お名前とお電話番号を,お知らせくださいませ,ピイ。

これは留守番電話の存在を知った瞬間に思ひ付いた。
両手を自由にしたいのでインカム式,録音用のテイプはマイクロでなく普通のコンパクト_カセットが好ましい。当時は半導体メモリなぞなかったのである。

NTTが伝言ダイヤルを始めたお陰で留守番電話の価値はかなり減じた。僕はパーソナル_ファクシミリの方に興味がある。
これからはどう考へてもファクシミリだ。留守録より圧倒的に情報量が多いし正確で間違へやうが無い。受信した証拠が(何年か)残る。電話から離れても感熱複写機として使へる。
難点は,

  1. 未だ個人ユーザが少ないこと
  2. ハードの値段が高いこと
  3. 紙の無駄遣ひを助長すること

くらゐだ。
1.はまづ隗より始めなければ仕様が無く,2.も単に普及率の問題である。
3.には安易なエコロジカル_マインドが疼くが,紙は本当に無くなり掛けるまで大丈夫だし森林はそんなに脆くない。また石油から幾らでも作れる。石油の埋蔵量は其の時時の採掘技術に則して量られるから毎年伸びる。使用制限が始まったってこんな半産業用消費材は後回しだ,平気平気。

電話の理想形は留守番機能付きファクシミリとコードレスのインカム(外耳に引っ掛けるイヤフォンから超小型マイクが伸びるタイプ。片耳保持が無理なら飛行機のイヤフォンみたいに顎側で支持する)のコンビだらうが──きっと売れる,俺に企画させろ──20万以下では作れないと思ふ。現状ではただの留守番電話に分のあるのは判りきってゐるけれど,かう云ふ器械には僕の先物買ひ・初物買ひの虫が騒いでどんならんでほんまにも
今はやりのコードレスは結局片手が塞がるし受話器が重たいし電話しながら歩き回るとは到底かんがへられず,とんと魅力を感じない。

ファクシミリとしての単機能があれば良いのでごちゃごちゃ言はんと最廉価の物を選ぶ。ムラタのファッピーが其れで次点にパナソニックのUF−23である。
これを貰ったらもう売れないと云ふGマークが付けられてゐるだけあってファッピーのデザインは今一だが,ほぼ互角の機能でありながら本体価格は5万円くらゐ安い。僕のパナ嫌ひ・椎名"能無し"桜子嫌ひにも助けられて本命はこっちだ。

所で「ファクシミリ」は普通「ファックス」と呼ばれる。僕は此れをどうしても口にできない。お察しの通りあの4文字語(four letters word)を連想させるからである。それを指す日本語はへっちゃらなのに,なぜ英語だとタブーが働くのかよく判らん。ファースト_コンタクトが良くなかったのだらうか。
最近は英語圏の人でも「fax」を遣ふやうになったらしいが,僕は未だ女の子が「ファックスして」なんて言ふのを聞くとギクリとする。文章でも気にして長ったらしく書いてゐるくらゐだ。
はて日本語を話せる外国人で「お目こぼし」と言へない人は居るかしらん。

此処で我が家にもエアコンと云ふ物が付いた。
*****で使ってゐた東芝製の窓据ゑ式エアコンは土壇場で人にドナドナと売り払ひ──9割引き。彼は新天地で歓待され運転中と云ふ事だ──新しいのを物色しなければならなかった。ちゃうど日立の特売をやってゐるのへ7掛けでRAS-257AXを購ふ。もともと秋葉原で適当なのを買ふつもりでやってゐた各社機のカタログ審査でも白くまくんは競り勝ち,採る予定だった,もっと安い奴だけど。
パナソニック程ではないが日立機は此のところ力作揃ひで,ネイミングもデザインもCFも革命的に変はってきてゐる。誰か家電部にひとり天才が這入ったのぢゃないか。

室内機が9kg,室外機は36kgもあるのに据ゑ付け工事の兄ちゃんはひとりで来た。僕がメイン_スピーカのコードに3.5SQの電力線を使ってゐるのに気付いて,ぎょっとしたのがをかしかった。
できれば配管を自分でやりたかったが,見てゐると現物合はせでパイプを切ったりやたらテイプを巻いたり貼ったり,かなり原始的な作業である。経験が大きく物を言ふ仕事と判り,すぐに降参した。
部屋に最初から設けられてゐた2本のボルトの水平出しがいい加減で,室内機のホルダが固定できない。どうするのかなーと思ったら,ニッパでホルダを裁断し難無く水準器ぴったりに直してしまふ。お見事。全工程を全く澱み無く小1時間で仕上げ,満足げに帰った。

*****ハイツではエアコンと電子レンジとを同時に使ふと簡単にブレイカが落ちた。此処では容量倍増30Aで余裕綽綽,20A契約でも良かったかなと贅沢な気分で居たのに据ゑ付けた兄ちゃんの言ふにはぎりぎりでせう。
関東は電源周波数が50Hzで関西より電気を喰はない,その代はり出力も1割減である。一応7畳から10畳の部屋をカヴァする器械だがメイカの測定室と実際とは違ふ。社販の兄ちゃんも冷房はともかく暖房は苦しいかもしれないと言ってゐた。
30A遣って其の程度なら常時フルパワー運転かしら。

電気代を心配したがいざ稼働させてみるとえらく強力な奴で,こりゃ寒い。室温27℃設定でドライ運転を試みたところ愛用の温度計はぴたり27℃に落ち着き,ドレン水がびっくりするほど出る。極めて優秀で東芝の窓付けなぞ鎧袖一触,むしろ冷たい風が身体に当たらないやう逃がすのに苦労する。

通常のローンは面倒臭いから現金で行かう。締めて16万5000円。こんな大金を手に取ったのは久し振りである。しかし白くまくんの縫ひぐるみプレゼントがある筈なのにくれなんだ。ずるいぞ。

**にある西友でファッピー(それにしても下らん名前だ)を見付けたが此れは9掛けで,リーズナブルでない。
電器は概ね定価の3割が工場出荷時の値段であり,狙ひの新製品が2割引きなら上出来と言へる。電話機はシヴィアに差別化を問ふ商品ではないから正味のCP最優先で行きたい。
**には何故か秋葉原ロケットの支店もあり,冷やかしに這入ってみると698と云ふお手頃価格の器械が薄く埃を被ってゐた。
東芝のパブリック(PFX-30)で彼社だけに詰まらんデザインではあるけれど,元が14万8000円となれば話は別だ。殆ど半額である。
CPを重視する余り5割引きと聞くと,気に留めてもゐなかったやうな物でさへ買ひたくてむずむずしてくる。古来この貧困な精神は安物買ひの銭失ひと戒められて来た。しかし今回は目的に合致するのである。

買ってみました。

UCカードで伝票を切らうかてな段になって,店にもメイカにも在庫の無い事が判った。どうしようかなと難色を示す振りをして見せたら,案の定もう1万安くして展示現品を引き取ると云ふ話に決着した。しめしめ。1年落ちの製品が6割引きだ。圧倒的勝利と言へやう(いつ勝負したんだ)。

素性は中級機だから何処を取ってもファッピーよりは優れてゐるに決まってゐる。受話器がちょっと寸足らずで重い(250g)のが気になるが,液晶ディスプレイが付いて中間調も行ける。後は本当にファクシミリを送受信する機会があるかどうかだ。

どうも世間には愚か者が多いのであって,愚か者ぢゃない奴以外は全員ひとり残らず愚か者なのではないかと思ふ。発注したベッドは3週間経っても未だ来ないし電話の開通は10日も掛かるし。
手違ひとかうっかりミスとかは生活万端自分でやらなければだーれもやってくれなくなった山口時代から何度も味ははされて来た。良い良い世の中かうした物ぢゃててな悟りを開きはしたけれど,俺の担当になる人間が俺の時に必ず迂闊な事をするのはどう云ふ訳だ。
神奈川月記のネタにはなるが,別に日記を書く為にいろんな物を買ふのではない。

不一

1990年6月27日


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written by nii. n