高市黒人 たけちのくろひと 生没年未詳

持統・文武朝頃の歌人。伝不詳。高市氏は県主(あがたぬし)氏族の一つで、古来大和国高市県(今の奈良県高市郡・橿原市の一部)を管掌した。大宝元年(701)の太上天皇吉野宮行幸、同二年の参河国行幸に従駕して歌を詠む。すべての歌が旅先での作と思われる。下級の地方官人であったとみる説が有力。万葉集に十八首収められた作は、すべて短歌である。勅撰集では玉葉集に初出。

  5首 羇旅 13首 計18首

高市古人、近江の旧き都を感傷かなしみて作る歌 或書に云く、高市連黒人 (二首)

いにしへの人に我あれや楽浪ささなみの古き都を見れば悲しき(万1-32)

【通釈】過ぎ去ってしまった遠い昔――そんな時代を生きた人で私はあるのだろうか。そんなはずもないのに、楽浪の古い都の跡を見れば、心が切なくてならない。

【語釈】◇高市古人 作者は高市黒人が正しいと思われる。◇楽浪の 「楽浪」は琵琶湖西南部一帯の古名。南志賀地方。◇古き都 南志賀は、景行・成務・仲哀三代の皇居の地と伝わり、天智天皇の大津京もこの地に営まれた。

 

楽浪ささなみの国つ御神みかみのうらさびて荒れたる都見れば悲しも(万1-33)

【通釈】楽浪の地を支配される神の御心がさびれて、荒れてしまった都――その跡を見れば悲しいことよ。

【語釈】◇国つ御神 天つ御神の対語。天神地祇の「地祇」にあたる。土地を支配する神。

【主な派生歌】
さざなみや国つ御神のうらさえて古き都に月ひとりすむ(*藤原忠通[千載])
さざ浪や志賀の都はあれにしを昔ながらの山ざくらかな(*平忠度)

高市連黒人の近江旧都の歌一首

かくゆゑに見じと言ふものを楽浪の旧き都を見せつつもとな(万3-305)

【通釈】こんな悲しい思いをすると分かっていたから「見まい」と言ったのに。荒れ果てた志賀の古い都をみだりに見せたりして…。

【語釈】◇見せつつもとな むやみに見せられたことで、相手を恨む気持。「…つつもとな」は万葉集にたびたび使われる言い方だが、この歌が最初期の用例。

太上天皇の吉野宮にいでますに時に、高市連黒人の作る歌

大和には鳴きてからむ呼子鳥よぶこどりきさの中山呼びぞ越ゆなる(万1-70)

【通釈】象の中山を、人を呼びながら越えてゆく呼子鳥――大和の方へ行って、鳴いているだろうか。故郷の都を思いやる私の心を、家族に伝えてくれるだろうか。

【語釈】◇大和 原文は倭。藤原京のある方をこう呼んでいる。◇鳴きてか来らむ 鳴きながら飛んで行くのだろうか。「来らむ」は大和の側に身を置いての言い方。◇呼子鳥 カッコウのことかという。鳴き声を「吾子(あこ)」または「子来(ここ)」などと聞きなしたのであろう。◇象の中山 吉野離宮の上の山。象山(きさやま)に同じ。都との間を隔てる山という気持で「中山」と言うか。◇呼びぞ越ゆなる 人を呼びながら越えて行くようだ。

【補記】大宝元年(701)六月、持統太上天皇の吉野行幸に従駕しての作と思われる。

二年壬寅みづのえとら、太上天皇の参河の国にいでます時の歌

いづくにか船てすらむ安礼あれの崎榜ぎみ行きし棚無小舟たななしをぶね(万1-58)

右の一首は、高市連黒人。

【通釈】今頃、どこに碇泊しているだろうか。安礼の崎を漕ぎ廻って行った、あの棚無し小舟は。

【語釈】◇安礼の崎 所在不詳。愛知県東部の海岸のどこか。浜名湖沿岸説もある。◇棚無小舟 船棚(舷側板)の無い舟。簡素な丸木舟。

【補記】大宝二年、持統太上天皇の参河国行幸に従駕しての作。

羇旅

高市連黒人の羇旅の歌八首

旅にして物恋しきに山下のあけのそほ船沖に榜ぐ見ゆ(万3-270)

【通釈】旅にあって何となく家恋しい気分でいたところ、さっき山の下にあった朱塗りの船が、今は沖の方を漕いで行くのが見える。

【語釈】◇物恋しきに 「物」は漠然とした対象を言う。都や家族に対する郷愁の情。◇朱のそほ船 朱塗りの船。官船かという。「そほ」は赭土。霊力をもつと考えられた。◇沖に榜ぐ見ゆ 官船であれば行き先は都であろう。

【補記】続古今集に「読人不知」として入集。「旅にしてものこひしきに山もとのあけのそほぶねおきにこぐ見ゆ」。

【主な派生歌】
霧はるる紅葉にまがふ山本のあけのそほ舟こがれてぞ行く(藤原家隆)
山もとのあけのそほ船ほのぼのとこぎいづる沖は霧こめてけり(藤原良経)
春の夜のあけのそほ船ほのぼのといく山もとをかすみきぬらん(*九条良平[新古今])
ちりまがふ紅葉の色に山本のあけのそほ舟猶こがるらし(亀山院[続千載])
追風に山本とほく漕出でてほのかになりぬあけのそほ舟(源頼春[新千載])
山もとのあけのそほ舟紅葉ばに色わかれゆく秋のうらかぜ(心敬)

 

桜田さくらだたづ鳴き渡る年魚市潟あゆちがた潮干にけらし鶴鳴き渡る(万3-271)

【通釈】桜田の方へ、鶴が鳴いて渡ってゆく。年魚市潟は潮が引いたのであるらしい。鶴が干潟の上を鳴きながら渡ってゆく。

【語釈】◇桜田 名古屋市南区に桜田の地名が残る。年魚市潟の東。◇鶴鳴き渡る 干潮になった年魚市潟を飛び立ち、鳴きながら干潟の上を渡ってゆく。◇年魚市潟 名古屋市熱田区・南区あたりにあった干潟。熱田神宮が近い。なお、この「あゆち」が県名「愛知」の由来という。

【主な派生歌】
若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴きわたる(*山部赤人)
見わたせば穂の上にきらふさくら田へ雁なきわたる秋の夕暮(賀茂真淵)

 

四極山しはつやま打ち越え見れば笠縫かさぬひの島榜ぎ隠る棚無小舟(万3-272)

【通釈】四極山を越えて見やれば、笠縫の島の影に漕ぎ隠れてゆく棚無し小舟よ。

【語釈】◇四極山 所在不詳。中世の『歌枕名寄』はこの歌を引いて豊前国の山とするが、前歌「桜田へ…」との関係から尾張国の山と見る説が多い。◇笠縫の島 所在不詳。

【補記】古今集巻二十「大御所御歌」に「しはつ山ぶり」として、「しはつ山うちいでて見ればかさゆひのしまこぎかくるたななしをぶね」を載せる。

 

磯の崎榜ぎみ行けば近江あふみの海八十やそみなとたづさはに鳴く(万3-273)

【通釈】磯の崎を漕ぎ廻ってゆくと、近江の湖の数知れぬ港で鶴がたくさん群れて鳴いている。なんと賑やかな豊かな土地だことよ。

【語釈】◇磯の崎 磯が突出したところ。◇近江の海 琵琶湖。◇八十の湊 「八十(やそ)」は数が多いことのたとえ。土地讃めの心をこめる。「湊」は船着場になる河口、または入江などの口。◇鶴さはに鳴く 鶴がたくさん群れて鳴いている。これも土地讃めの心。

【補記】玉葉集に採られている。「いそざきをこぎてめぐれば近江路(あふみぢ)や八十のみなとにたづさはになく」

 

我が船は比良ひらの湊に榜ぎてむ沖へなさかりさ夜更けにけり(万3-274)

【通釈】今晩、我等の乗るこの船は比良の船着場に停泊しよう。岸近くを漕いで。沖へ遠く離れるな、もう夜が更けたのだ。

【語釈】◇比良 琵琶湖西岸、比良山の東麓。

【参考歌】「万葉」7-1229(古集中出)
吾が舟は明石の湖に榜ぎ泊てむ沖へなさかりさ夜ふけにけり
    「万葉」東歌14-3348
夏麻びく海上潟の沖つ洲に船はとどめむさ夜ふけにけり

 

いづくにか我は宿らむ高島の勝野かちのの原にこの日暮れなば(万3-275)

【通釈】いったい我らはどこに宿をとろうか。高島の勝野の原で今日のこの日が暮れてしまったら。

【語釈】◇高島の勝野 滋賀県高島市に勝野(かつの)の地名が残る。

【補記】新勅撰集に「よみ人しらず」として載る。
いづくにか我が宿りせん高島のかちのの原に此の日暮らしつ

【主な派生歌】
行末も知られざりけり高島や勝野の原の雪の曙(藤原季経)
高島の勝野の原に宿とへば今日やはゆかむ遠の白雲(藤原家隆[続後撰])
旅衣露のけわぶる夏草にかちのの原は日もくれにけり(藤原為家)
いづくにかしばしすぐさん高島の勝野にかかる夕立の空(藤原為道[新千載])
いづくにか今宵はさ寝ん印南野の浅茅が上も雪降りにけり(藤原為定[新後拾遺])

 

いもあれも一つなれかも三河なる二見ふたみの道ゆ別れかねつる(万3-276)

【通釈】あなたも私も一体だからでしょうか、三河の二見の別れ道で、別れようとしてなかなか別れられないのは。

【語釈】◇妹 女性に対する親愛をこめた呼び方。この歌では宴席に侍った遊行女婦(うかれめ)を指すのであろう。◇三河なる二見の道 不詳。東海道と姫街道(浜名湖北岸)の分岐点(今の愛知県豊川市あたり)とする説などがある。

【補記】一・三・二と数字を配した言葉遊びを含む。

 

早来ても見てましものを山背やましろ多賀たか槻群つきむら散りにけるかも(万3-277)

【通釈】もっと早く来て見たかったものを。山背の多賀の欅林の紅葉は散ってしまったよ。

【語釈】◇多賀 原文は「高」。京都府綴喜郡井手町多賀。奈良時代創建と伝わる高神社がある。◇槻群 ケヤキの林。

【他出】「新拾遺集」題しらず 高市黒人
とくきてもみてましものを山城のたかつきむらのちりにけるかも

高市連黒人の歌二首

我妹子わぎもこ猪名野ゐなのは見せつ名次山なすきやまつのの松原いつか示さむ(万3-279)

【通釈】妻よ、あなたに猪名野は見せたよ。今度は名次山と角の松原を、早く見せてあげたいものだ。

【語釈】◇猪名野 今の兵庫県伊丹市から尼崎市あたりの平野。◇名次山 西宮市名次町の丘陵。◇角の松原 西宮市松原町の津門(つと)の海岸という。

【補記】に与えた歌。

【参考歌】中皇命「万葉集」巻一
我が欲りし野島は見せつ底深き阿胡根の浦の玉ぞ拾ひりはぬ

 

いざ子ども大和へ早く白菅しらすげ真野まの榛原はりはら手折りて行かむ(万3-280)

【通釈】さあ皆の者よ、大和へ早く帰ろう。白菅の茂る真野の榛(はん)の木の林で小枝を手折って行こう。

【語釈】◇いざ子ども 旅の同行者に対する呼びかけ。妻がこの歌に返答しているので、一行の中には妻も含まれていたか。◇白菅 カヤツリグサ科の植物。スゲの一種。◇真野 神戸市長田区真野町あたり。琵琶湖西岸の真野とする説もある。◇榛原 ハンノキ林。ハンノキはカバノキ科の落葉高木。低湿地に生える。紅葉が美しい。◇手折りて行かむ 土地の霊を身に帯びるためのまじないであろう。同時に旅の記念ともなる。

【補記】妻の答歌は、「白菅の真野の榛原往くさ来さ君こそ見らめ真野の榛原」

【主な派生歌】
いざ子ども香椎の潟に白妙の袖さへ濡れて朝菜つみてむ(大伴旅人[万葉])
いざ子ども早く大和へ大伴の御津の浜松待ち恋ひぬらむ(山上憶良[万葉])

高市連黒人の歌一首

住吉すみのえ得名津えなつに立ちて見渡せば武庫むことまりゆ出づる船人(万3-283)

【通釈】住吉の得名津に立って見渡すと、武庫の泊から、今しも船人たちが大勢漕ぎ出してゆく。

【語釈】◇住吉 摂津国住吉。今の大阪市住之江区・住吉区。◇得名津 住吉にあった港。◇武庫の泊 武庫川河口の船着場。

【主な派生歌】
朝まだき霞みにけりな武庫の浦に出づる友舟かずかくれゆく(源師光)

高市の歌一首

あどもひて漕ぎ去にし舟は高島の安曇あどの港にてにけむかも(万9-1718)

【通釈】声をかけ合い、連れ立って漕ぎ去って行った船は、今頃高島の安曇川の港に碇泊しただろうか。

【語釈】◇安曇の港 安曇川の河口。滋賀県高島郡。

【補記】確証はないが、歌風からして黒人の作と認められている。

高市連黒人の歌一首 年月不審

婦負めひの野のすすき押しなべ降る雪に宿借る今日し悲しく思ほゆ(万17-4016)

【通釈】婦負の野の薄を一面なびかして降る雪の中、見知らぬ土地で宿を借りる今日という日はことに悲しく思える。

【語釈】◇婦負 越中国の郡名。今の富山県富山市から婦中町・婦負(ねい)郡にかけての地。

【補記】左注に「右伝誦此歌三国真人五百国是也」とあり、三国真人五百国が越中守であった大伴家持に黒人の作として伝誦した歌。


更新日:平成15年11月21日
最終更新日:平成21年06月19日