九条良平 くじょうよしひら 文治元〜仁治元(1185-1240) 号:醍醐入道太政大臣

摂政関白兼実の子。母は皇嘉門院女房、藤原頼輔女。異母兄良経の猶子となる。後鳥羽院の中宮、宜秋門院子任子の異母弟。子に大納言高実ほかがいる。
正治二年(1200)、元服して従五位上に叙せられる。侍従・右少将などを経て、左中将となる。建仁四年(1204)三月、参議に就任。同年四月、従三位。元久三年(1206)、正三位に昇り、承元二年(1208)七月、権中納言。同年八月、皇后宮権大夫を兼ね、十月には正二位に進む。承元元年(1207)正月、権大納言。承久三年(1221)十月、大納言に転じ、元仁元年(1224)十二月、内大臣に就任。安貞元年(1227)四月、左大臣。同三年四月、病のため大臣を辞す。暦仁元年(1238)七月、太政大臣として官界に復帰、従一位に叙せられる。延応元年(1239)正月、病により出家。翌仁治元年(1240)三月十七日、播磨にて薨ず。五十七歳。
十代から後鳥羽院歌壇に登場し、建仁元年(1201)の和歌所影供歌合、千五百番歌合に出詠したのをはじめ、元久元年(1204)の春日社歌合・元久詩歌合、建永元年(1206)七月の卿相侍臣歌合などに参加した。順徳天皇歌壇でも活躍し、建暦三年(1213)二月の内裏詩歌合、同年八月の内裏歌合、建保二年(1214)九月の月卿雲客妬歌合などに出詠。新古今集初出。勅撰入集十八首。『続歌仙落書』に歌仙として撰入。

元久の詩歌合に、水郷春望といふことを

春の夜のあけのそほ船ほのぼのといく山もとを霞みきぬらむ(続古今48)

【通釈】春の夜が明け、朱塗りの船がほのかに見える――いくつの島山の下を霞みながら航行して来たのだろう。

【語釈】◇あけのそほ船 赤土を塗った舟。「あけ」は「明け」と掛詞で、初句との続きから「春の夜が明け」の意を兼ねる。

【本歌】高市黒人「万葉集」
旅にして物恋しきに山もとのあけのそほ船沖に榜ぐ見ゆ
【参考歌】九条良経「正治初度百首」
山もとのあけのそほ船ほのぼのとこぎいづる沖は霧こめてけり

千五百番歌合に

散る花の忘れがたみの嶺の雲そをだにのこせ春の山風(新古144)

【通釈】散る花を思い出すよすがとなる峰の雲――せめてそれだけは吹き払わずに残してくれ、春の山風よ。

【語釈】◇忘れがたみ 記念。思い出のよすがとなるもの。◇そをだに残せ 風に対して呼びかけている。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
あかでこそ思はむ仲は離れなめそをだにのちの忘れがたみに
【参考歌】良岑宗貞「古今集」
花の色は霞にこめて見せずとも香をだにぬすめ春の山風

 

けふよりは秋のけしきの森なれややがて身にしむ山おろしの風(千五百番歌合)

【通釈】今日からは秋の兆しがする気色の森なのだろうか。間もなく山颪の風が身に染みて感じられるだろう。

【語釈】◇けしきの森 大隅国の歌枕。鹿児島県国分市の天降(あもり)川河岸一帯の森という。地名に気色の意を掛けている。

【補記】『千五百番歌合』五百三十八番左勝。

千五百番歌合に

夕されば玉散る野べの女郎花枕さだめぬ秋風ぞ吹く(新古338)

【通釈】夕方になって、玉のような露を散らす野辺のおみなえし――枕の置き場所に迷って泣く涙に秋風が吹いているのだ。

【語釈】◇玉散る 風で露が散る。「女郎花」に掛かる。◇枕さだめぬ 枕の位置によって恋しい人に夢で逢えるという俗信があった。

【補記】秋風に吹かれて露を散らす女郎花を、枕の置き場所に迷って涙を流す女になぞらえた。

【参考歌】兼茂朝臣女「後撰集」
夕されば我が身のみこそかなしけれいづれの方に枕さだめむ


公開日:平成14年07月09日