旧くは「中皇女」あるいは「中皇女命」の誤りとして「なかちひめみこ」等と訓み、間人皇女(孝徳天皇の皇后)とする説が有力視されていた。中皇命を「なかつすめらみこと」と訓んだのは喜田貞吉が最初で、喜田博士は「なかつすめらみこと」は『続日本紀』などによれば中継の女帝を指す普通名詞であるから、舒明朝の「中皇命」と斉明朝の「中皇命」は別人とし、万葉集1-3・4は斉明天皇(宝皇女)作、巻1-10・11・12は倭姫王作とする説を唱えた。ほかに全て斉明天皇作とする説などもある。万葉集巻一に歌五首。
以下は「中皇命」の名で載る万葉集所載歌全五首である。
天皇の宇智の野に遊猟したまへる時、中皇命の
やすみしし 我が大君の
反歌
たまきはる
【通釈】[長歌]国をお治めになる天皇陛下が、 朝になれば手に取ってお撫でになり、 夜になればお側に立てておかれて、 いつも大事になさっている、梓でこしらえた弓。 その弓弭(ゆはず)の鳴る音が聞えます。 そのたびに私は、朝の狩に今お発ちになるのだな、 夜の狩に今お発ちになるのだな、と思うのです。 いつも大事になさっている、梓でこしらえた弓の 弓弭の鳴る音が聞えます。これから大君はお発ちになるのですね
[反歌]今頃大君は宇智の広々とした野に馬を並べて、朝の大地を踏んでおられることでしょう。その草深い野を。
【語釈】[長歌]◇やすみしし 平らかにお治めになる。「我が大君」に掛かる枕詞としても用いられる。◇中弭 諸古写本の原文は「奈加弭」。いかなる弓筈(または弓筈の一部?)を指すのか、諸説あるが不詳。
[反歌]◇たまきはる ここでは地名「宇智」に掛かる枕詞として用いられている。ほかに「命」「心」「内」などにも掛かる。「魂きはまる」の意かという。◇宇智 いまの奈良県五条市あたりの山野。◇草深野 「草深き野には鹿や鳥など多ければ、宇智野をほめて再云也」(契沖『万葉代匠記』)。
【主な派生歌】
きぎす鳴くすだ野に君がくちすゑて朝踏ますらむいざ行きてみむ(源俊頼)
狩人の朝踏む小野の草わかみかくろへかねてきぎす鳴くなり(俊恵[風雅])
朝狩りにいまたつらしも 拠点いくつふかい朝から狩りいだすべく(岡井隆)
ひるがへりひるがへしゆく歌ありて来む世も風の朝踏ますらむ(山中智恵子)
中皇命の紀の温泉に
君が代も我が代も知るや
【通釈】あなたの命も私の命も、あたり一帯を支配する霊地である磐代の岡の心のままですよ。その岡に生えている草を、さあ、結びましょうよ。そして命の無事をお祈りしましょう。
【語釈】◇紀の温泉 和歌山県の白浜あたりの温泉。斉明四年(658)十月から翌年正月にかけて斉明天皇の行幸があったと日本書紀に記録がある。◇君が代 この「君」は次の歌の「我が背子」と同一人物と思われるので、作者の夫か近親であろう。「代」は命・寿命の意。◇知るや 「知る」は「支配する」「領有する」の意。「や」は「知る磐代」の語間に投入された間投助詞。◇磐代 和歌山県日高郡南部町。磐代の岡は海岸の段丘か。◇草根をいざ結びてな 草の茎や木の枝を結ぶのは、一種の呪術行為。植物の生命力を頼って、生命の安全や長命を祈ったものと思われる。
我が背子は
【通釈】あなたは野宿のための仮小屋を作っておられます。適当な萱がなければ、ほらこの小松の下の萱をお刈りなさいな。
【語釈】◇小松が下の 常緑で長寿の木である松は、霊力の強いものと考えられた。その下に生えている萱なら、小屋を作るのに適当だと言うのである。
我が
【通釈】私が見たいと思っていた野島は見せていただきました。けれど、水深が深い阿胡根の浦の真珠はまだ拾っていません。
【語釈】◇野島 和歌山県御坊市名田町野島。海浜の地。◇阿胡根の浦 所在未詳。野島付近の海を言うか。
【補記】万葉集の左注に「山上憶良の『類聚歌林』によればこれらの歌は斉明天皇の御製である」旨ある。
【主な派生歌】
わぎもこに猪名野は見せつ名次山角の松原いつか示さむ(*高市黒人[万葉])
更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年04月15日