水仙 すいせん 雪中花 Narcissus, Daffodil

水仙 鎌倉瑞泉寺にて

『千々廼屋集』(水仙花) 千種有功

ふりかくす雪うちはらひ仙人(やまびと)の名もかぐはしき花を見るかな

ギリシア神話にも登場する水仙は地中海沿岸の原産。シルクロードを経て唐に渡ると、水に住む仙女に喩えられ水仙の名が付いた。雪中花・女史花・姚女花など様々な別称を持つが、ことに文選『洛神賦』、波の上を軽やかに歩む洛水の神女宓妃(ふくひ)に因んだのだろう、「凌波仙子」(りょうはせんし)の異名には心惹かれる。青々と繁る葉を波に見立てたのである。

日本に至り着いたのは平安末期とされる。太平洋側では千葉県以西、日本海側では石川県以西の海岸で野生化が見られ、伊豆半島や越前岬の大群落は今や観光名所と化しているが、そもそもは大陸から黒潮や対馬海流に乗って漂着したものが根付いのだと聞く。まさに「凌波仙子」、可憐な植物のなんと壮大な冒険譚だろう。

ヒガンバナ科スイセン属の多年草。喇叭水仙・黄水仙など様々な種があるが、いわゆるスイセンと言えば白い花びらに黄色の副花冠をもつニホンスイセンを指す。これは早生種で、秋に青々とした葉を出し、冬の寒い盛りに香りの佳い花を咲かせる。

和歌で取り上げられるようになるのは近世からのことで、上掲の歌の作者は江戸末期の歌人である。歌に「水仙」の名が詠み込まれていないのは漢名を避けたためである。大和言葉の名が付かなかったことは惜しまれるものの(付いていればもっと和歌に詠まれただろう)、「スイセン」という語の響きは、清爽たるこの植物に如何にもふさわしく感じられる。

近代以降は秀歌・名歌の例に事欠かないだろう。前田夕暮(1883〜1951)の「わがふるさと相模(さがみ)に君とかへる日の春近うして水仙の咲く」(『収穫』)、前川佐美雄(1903〜1990)の「胸のうちいちど空(から)にしてあの青き水仙の葉をつめこみてみたし」(『植物祭』)など、すぐ思い浮かぶ歌が幾つもある。水仙を偏愛した葛原妙子(1907〜1985)の「少年は少年とねむるうす青き水仙の葉のごとくならびて」(『原牛』)を愛誦する人もいるだろう。私なら同じ作者の最後の歌集『をがたま』(1987刊)、その名も「水仙光」の表題下に収められた次の二首を決定版としたい。

月光は受話器をつたひはじめたり越前岬の水仙匂ふ

水仙城といはばいふべき城ありて亡びにけりな さんたまりや

一首目、遠隔地との距離を無にする電話という機械が――その機械としての機能とは無関係に――冬の冴えた月光と越前岬の水仙の匂いを一足飛びに結びつける、日常のささやかな奇蹟。この「受話器」は、かつてはどの家庭にも置かれていた、ジーコロジーコロとダイヤルを廻す式の黒い電話機のそれでなくてはならない。

二首目、最も堅固壮麗な建造物である城に、最も可憐な斃れやすい花の名を付けた「水仙城」とは。そんな美しい城の亡ぶべくして亡んでしまった歴史が、一瞬の幻想のうちに、小さな一行の詩の中に、封じ込められている。「さんたまりや」はカトリックの祈りのつぶやき。

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  『鈴屋集』 (水仙といふ花のゑに) 本居宣長
梅よりもなほさきだちて山人と名におふ花や花のこのかみ

  『亮々遺稿』 (雪中水仙) 木下幸文
山里の垣ねの雪間ふみわけて梅よりほかの花を見しかな

  『柳園詠草』 (水仙花) 石川依平
こと草はかるる冬野の霜の色をうばひて薫る花もありけり

  『調鶴集』 (水仙のかた) 井上文雄
黄金(こがね)もてつくれる月を銀(しろがね)の折敷(をしき)に据うる花のさまかな

  『柿園詠草拾遺』(雲葢院にて水仙を) 加納諸平
かつこほる閼伽井のもとの青葉より身にしむばかり花の香ぞする

  『志濃夫廼舎歌集』(詠四時花) 橘曙覧
色匂ひ品をあらそふ春秋に我あづからぬ花の仙人(やまびと)

  『草の夢』 与謝野晶子
白鳥が生みたるもののここちして朝夕めづる水仙の花

  『大和』 前川佐美雄
ひえびえと畑の水仙青ければ怒りに燃ゆる身を投げかけぬ

  『鳥眉』 河野愛子
一夜きみの髪もて砂の上を引摺りゆくわれはやぶれたる水仙として

  『玉菨鎮石』 山中智恵子
青々と天の奧処(おくが)を過ぎゆかむ 見ぬ世ぞかをるきみが水仙


公開日:平成19年1月14日
最終更新日:平成20年5月3日