井上文雄 いのうえふみお 寛政十二〜明治四(1800-1871) 号:歌堂・柯堂

寛政十二年(1800)、江戸に生まれる。通称は元真。徳川御三卿の一つ田安家に侍医として仕える。和歌・国学を江戸派の村田春海の門人岸本由豆流(ゆづる)、のち加藤千蔭門の一柳千古に学んで一家をなし、医師をやめた後は日本橋茅場町に住み歌人として立った。維新後、時局諷刺の新聞『諷歌新聞』を発行して明治政府に反抗、幕府や会津藩士に同情する歌を発表したことから政府に睨まれ、獄に投ぜられたこともあった(老身ゆえ間もなく許されたという)。明治四年(1871)十一月十八日没。七十二歳。江戸谷中の玉林寺に葬られた。
江戸派の最後を飾る歌人であり、香川景樹以後の詠み口とも称された。個性を重視し、用語の自由を主張して、和歌の革新を用意したと評される。門下には佐々木弘綱などがいる。家集『調鶴集』、歌論『伊勢の家づと』『道のさきはひ』、注釈・研究書『大井河行幸和歌考証』『冠註大和物語』、撰集『摘英集』『さきはひ草』等多くの著作がある。
 
以下には『調鶴集』(続歌学全書一一・校註国歌大系二〇・新編国歌大観九に所収)より二十二首を抜萃した。

  5首  7首  5首  2首  3首 計22首

睦月二日、物へまかりける道にて

竹芝や大井しな川おしこめて江門(えど)大門(おほと)ぞ霞み()めたる

【通釈】竹芝から大井、品川までひっくるめて、江戸の広大な湊が霞み始めた。

【語釈】◇竹芝・大井・しな川 いずれも江戸の港湾地域。今で言えば東京都港区から品川区にかけての沿海部にあたる。竹芝には隅田川の河口、品川には目黒川の河口がある。◇江門の大門 江戸の大きな水門(みなと)

【補記】江戸湊の初春の景を大きくのどかに歌い上げている。文雄は江戸の地名を歌に詠むこと多く、維新前の江戸の風景を髣髴とさせる佳品が少なくない。「田鶴のゐる千代田の梢うち霞み江門の湊に春は来にけり」「神楽坂春の夜嵐さえかへり片下ろしにも降る霙かな」など。

春到氷解

うなゐ子が氷をわたる里川の冬のちか道けさ絶えにけり

【通釈】村の子供たちが氷を渡って歩いていた里の小川――冬のあいだのその近道も、今朝氷が融けて、絶えてしまった。

【語釈】◇うなゐ子(こ) 子供。元来は、うない髪(うなじで束ねた髪型)の童子。

【補記】子供たちの落胆もひと時、春の来る喜びにたちまちかき消されるだろう。作者は都会育ちの江戸っ子であるが、田舎の風物を愛すること深く、田園の風景や生活を素材にした秀詠が多い。

河春雨

隅田川なか洲をこゆる潮先にかすみ流れて春雨の降る

【通釈】隅田川の中州を越えてくる潮先に霞が流れていて、春雨が降っている。

【語釈】◇潮先(しほさき) さしてくる潮の波先。

【補記】細かい観察で春雨の繊細な風情を捉えている。第二・三句が同一の歌が同じ作者の冬歌にあり、これも捨て難い。「夕河の中洲を越ゆる潮先に千鳥一声風ながれして」。

苗代

しめはへて水口(みなくち)まつる(あぜ)つづき苗代ぐみの花咲きにけり

【通釈】注連縄(しめなわ)を張って、水口を祭る畦――その畔づたいには苗代茱萸(ぐみ)の花が咲いているのだった。

【語釈】◇水口まつる 「水口」は田への水の取り入れ口。苗代に種籾を蒔く日、水口に盛り土をして季節の草花、焼米、酒などを供え、豊作を祈る。◇苗代ぐみ 今言うナワシログミ(グミ科の常緑低木)の花は秋に咲くので、掲出歌の「苗代ぐみ」はグミの仲間でも別の木を指すのだろう。グミ科の植物の多くは春に白い小さな花を咲かせる。

【補記】収穫の祈りをこめたささやかな祭と、清々しい白花の取り合わせで、なつかしい田園の風景を描いた。

【参考歌】源師頼「堀河百首」
浪たてる田子の裳裾はそほちつつ水口まつる早苗をぞとる

岡躑躅

片岡の道の小寺のつつじ垣ほろほろ散りて人影もなし

【通釈】片岡の道のほとりの小さな寺――その垣根の躑躅の花がほろほろと散るばかりで、あたりには人影もない。

【語釈】◇片岡 なだらかに続く丘陵地を意味する「岡」に対し、野中にぽつんとあるような小丘や、山へとつながっている傾斜地などを「片岡」と言った。

【補記】春も盛りを過ぎようとする頃ののどかな田舎の風景。

首夏田家(二首)

宵々の卯の花月夜ほととぎす田舎ははやく夏めきにけり

【通釈】毎晩卯の花が月光にほの白く映え、時鳥が鳴く――田舎は都会よりも早く夏めくのだった。

【補記】卯の花と時鳥は夏の訪れを告げる風物。いずれも街中ではなかなかお目に(お耳に)かかれない。

【参考歌】作者未詳「万葉集」巻十
五月山卯の花月夜ほととぎす聞けども飽かずまたも鳴かぬかも

 

御仏に水そそぐ日と里の子が寺田の畔にうつぎ折るなり

【通釈】仏様に水を灌ぐ日だというので、村の子供たちが寺田の畔で空木の枝を折るのだ。

【語釈】◇御仏(みほとけ)に水そそぐ日 四月八日、灌仏会(かんぶつえ)の日。◇寺田 寺院が所有する寺。◇うつぎ 空木。ユキノシタ科の落葉低木。この木に咲くのが卯の花。灌仏会の供花(くげ)にした。

雨中新樹

(かし)が花露とこぼれて小雨ふる森の下道夏めきにけり

【通釈】樫の花が露のようにこぼれて、小雨の降る森の下道は夏めいてきたことよ。

【語釈】◇樫 白樫・赤樫など樫の仲間の総称。ブナ科コナラ属の常緑高木。晩春から初夏にかけて薄緑色の地味な小花を穂状に咲かせる。

岡卯花

岡越えの切り通したるつくり道卯の花咲けり右に左に

卯の花
卯の花

【通釈】岡を切り通して作った岡越えの道、そこに卯の花が咲いている、右にも左にも。

【語釈】◇卯の花 ユキノシタ科の植物。別名ウツギ。初夏に白い花が咲く。

【補記】「つくり道」は出来て間もない新道。その切通しの崖に卯の花がこぼれるように咲いている。この花の旺盛な生命力と共に、時代相を感じさせる歌である。

夏井

(しづ)()は昼寝してけり水あまる庭の筒井に熟瓜(うれうり)ひやして

【通釈】農婦は昼寝していたのだった。水が溢れる庭の筒井で、熟した瓜を冷やしながら。

【語釈】◇賤の女 身分が賤しいとされた階層の女。ここでは農婦であろう。◇筒井(つつゐ) 筒状に掘った井戸。

【補記】田園散策の折にふと見かけた情景をそのまま歌にしたような詠みぶりである。おそらく題は後付けであろう。腰の句「水あまる」が見どころ。

夏声

昼寝する枕にひとつ名のる蚊のほそ声耳を離れざりけり

【通釈】昼寝している枕もとで、蚊が一匹、その名を名乗るようにか細い声で鳴く――その音がいつまでも耳を離れないのだった。

【語釈】◇蚊のほそ声 蚊のかすかな羽音をこう言ったもの。

【補記】題「夏声」は《夏の趣をおぼえる音声》を主題とし、滝の響きや蝉の声を詠むのが常套で、蚊を取り上げるという発想自体珍しかった。

夏糸

日盛りのわら屋の庭は鳥も来ず山繭ひく子薄ねぶりして

【通釈】夏の日盛り、藁葺きの家の庭には鳥ひとつ来ない。山繭の糸をつむいでいる子が居眠りしているばかりで。

【語釈】◇山繭(やままゆ)ひく子 山繭(蛾の一種)の繭から採った糸をつむぐ女の子。

七夕言志

七夕のおほそらごとも古き世の(ためし)となれば捨てられずして

【通釈】七夕という嘘っぱちも、過去の時代の先例とあれば、ないがしろにもできずに…。

【語釈】◇おほそらごと 大きな嘘。星の伝説であるから、「大空」の意も掛かることになる。

【補記】多くの歌人がなお旧態依然たる七夕詠を詠み続けていた中、リアリストたる江戸市民の正直な感懐を吐き出すように七夕伝説を「おほそらごと」と言い放ったのは痛快であるが、古から連綿と伝えてきた行事としてはこれを尊重せざるを得ない。歌人としてはなおさらで、「捨てられずして」と言いさしたのも正直な心だったろう。題にある「言志」とは、つまりは理窟よりも歴史を重んずる保守的な思想の表明である。

駅路霧

旅人の朝たつとよみ静まりて駅家(うまや)火影(ほかげ)霧に残りぬ

【通釈】旅人たちが早朝出発する騒ぎが静まって、宿場町の灯火が霧の中に残っている。

【語釈】◇駅家 宿駅。街道筋に旅客を宿泊させるための設備がある所。

【補記】「駅路霧」は中世から見える歌題。掲出歌は宿場町の賑わいと、旅人が出発した後の宿駅の静かな趣を詠んで、秋の朝の風情と共に時代相も浮かび上がらせている。

遠紅葉

朝霧の絶えまに見れば遠山は思ひしよりも色づきにけり

【通釈】朝霧の切れ間に眺めると、遠くの山は思っていたよりも色づいているのだった。

【補記】深く立ち込めていた朝霧がひとところ途切れ、姿を現わした遠山の紅葉。霧のほの白さとの対比で、紅がいっそう鮮やかに見える。

【参考歌】肥後「堀河百首」
夕霧のたえまにみれば花薄ほのかに誰をまねくなるらん

田家秋興

落栗を炭櫃(すびつ)に焼きてにひしぼり飲みつつをれば月も出でにけり

【通釈】落ちた栗の実を囲炉裏で焼きながら、それを肴に新酒を飲んでいると、月も出て来たのだった。

【語釈】◇にひしぼり 醸造したての新酒。

【補記】明らかに賀茂真淵の歌を下敷にしている。真淵は文雄が属した江戸派の祖と言うべき人。

【参考歌】賀茂真淵「賀茂翁家集」
にほとりの葛飾早稲の新しぼり酌みつつをれば月かたぶきぬ

聞落葉

おのづから乾きて落つるもみぢ葉の音を聞きしる暮もありけり

【通釈】紅葉が自然と乾からびて、枝から落ちる――その幽かな音を、家にいて聞き知る夕暮もあるのだった。

【補記】「聞落葉」は平安後期から見える歌題。夜または明け方、寝床で落葉の音に哀れを催すといった趣向が多い。掲出歌は「乾きて落つる」に澄んだ感覚がはたらいているのみならず、「暮もありけり」の結句には、話者の日頃の静かな生活が思いやられて余情が籠る。

古寺落葉

朝清めおこたりもなき大寺の庭の砂子(いさご)に散る木の葉かな

【通釈】朝の清掃怠り無く、隅々まできれいに掃われた大寺の庭――その敷砂に散る木の葉であるよ。

【補記】塵ひとつない白砂に、散り紅葉がひときわ鮮やかに映える。

田家老翁

山里は麦まき()がひ種おろし老いたる人ぞ暦なりける

【通釈】山里では、麦の種蒔き、蚕の飼い方、稲の種蒔き、すべては老人に尋ねて知るので、老人が暦なのであった。

【補記】これも田舎の風俗に対する関心の深さが窺われる一首。文雄は一時江戸を離れ、今の埼玉県川越あたりに住んでいたことがある(武蔵国入間郡の「みよし野の里」を詠んだ歌もある)。その間、田舎暮らしに相当親しんだのだろう。因みに「田家老翁」は平安後期から見える歌題。

えせ人のはかせ立ちをるを憎みて

世をそしり人をののしり我だけく物定めするえせ博士(はかせ)かな

【通釈】世間をけなし、人を罵り、自分だけがえらいと思って、物事を決め付ける、贋博士よ。

【語釈】◇我だけく 我猛く。自分で自分をえらいと思って。うぬぼれて。

【補記】偽者が博士ぶっているのを憎んでの述懐歌。歌としての価値が高いとは言えないが、江戸っ子らしい辛辣さもこの人の魅力の一面なので、その種の歌から一首選んだ。

あやしき事

言霊(ことだま)のさきはふ道をいたづらに遊びのわざと人は言ふなり

【通釈】歌道は言霊が栄える道であるのに、無益になす遊びのわざであると、物を知らぬ世間の人は言っているそうな。

【語釈】◇言霊 ことばに宿っている霊的な力。

【補記】題の「あやしき事」は「道理に外れている事」という程の意。枕草子の物づくしに倣ったものか、「ここちよげなるもの」「侘しげなるもの」といった題で作者は歌を詠んでいる。「うつくしき物」の題では「紅のつな引きさして少女子(をとめご)が裳裾(もすそ)の上にねぶる唐猫」。

【参考歌】山上憶良「万葉集」巻五
神代より 言ひ伝てけらく そらみつ やまとの国は すめかみの いつくしき国 言霊の さきはふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり…


公開日:平成20年02月11日
最終更新日:平成20年02月11日