定家十体

はじめに 定家十体 補足メモ

はじめに

藤原定家の編と伝わる『定家十体』は、十の歌体(歌の様式)を掲げ、それぞれの例歌を挙げた書物です。写本は多く伝わり、内題(扉や本文の初めに記された題)はいずれも「十體」とあるのみで、外題(表紙の題)には「和歌十體」「十體和歌」「定家十體」などとあります(『日本歌学大系』第四巻解題)。
定家の著であることがほぼ確実な歌論書『毎月抄』に挙げられた十の体(てい)と名称が一致し、また同書に「勘へ申し候ひし十躰」とあることから、定家がこの十体についての著をあらわしたことは事実に違いありません。本書に例として引かれた歌は新古今集を中心として後世作の混入はなく、定家の撰と見て不都合はなさそうですが、偽作とする説も根強くあり、一般的には「存疑」の書とされているようです。
承元元年(1207)の最勝四天王院障子和歌の歌を含み、また順徳院の御集の建保元年(1213)の歌に「同比、十体を人人分けて詠之」との詞書が見え、「長高様」「幽玄様」の題があるので、成立はこの間、すなわち定家四十六歳〜五十二歳頃の撰と推測されます(石田吉貞『藤原定家の研究』)。

凡例


定家十体(歌学大系による)

幽玄様 長高様 有心様 事可然様 麗様
見様 面白様 濃様 有一節様 拉鬼様

幽玄様 五十八首

後撰・拾遺 [抄][百] 元良親王

001 わびぬれば今はた同じ難波なる身をつくしてもあはむとぞ思ふ

新古 式子内親王

002 いきてよもあすまで人はつらからじ此の夕暮をとはばとへかし

 秀能

003 風ふけばよそになるみのかたおもひ思はぬ浪になく千鳥かな

後撰 [抄] 伊勢

004 おもひ川たえず流るる水の泡のうたかた人にあはで消えめや

新古 [抄] 寂蓮法師

005 今はとてたのむの雁もうちわびぬおぼろ月夜のあけぼのの空

古今 [抄][百] 忠峯

006 有明のつれなく見えしわかれより暁ばかりうきものはなし

新古 [抄] 定家

007 たまゆらの露もなみだもとどまらずなき人こふる宿の秋風

古今 [抄] 読人不知

008 鳴きわたる雁のなみだや落ちつらむもの思ふ宿の萩の上の露

新古 [抄] 家隆

009 むしの音も長き夜あかぬ故郷に猶おもひそふ松風ぞ吹く

 俊成卿

010 昔おもふ草の庵のよるの雨に涙なそへそ山ほととぎす

 俊成卿女

011 をしむとも涙に月もこころからなれぬる袖に秋をうらみて

後撰 [抄][百] 天智天皇御製

012 秋の田のかりほの庵のとまをあらみわが衣手は露にぬれつつ

新古 [抄] 人丸

013 さを鹿のつまどふ山の岡辺なるわさ田はからじ霜はおくとも

同 [抄] 好忠

014 山里に霧のまがきのへだてずは遠方人の袖も見てまし

 西行法師

015 きりぎりす夜ざむに秋のなるままによわるか声のとほざかり行く

拾遺 [抄] 重之*注1

016 わするなよ別路に生る葛の葉の秋風ふかば今かへりこむ

新古 伊勢

017 わすれなむ世にもこしぢの帰る山いつはた人にあはむとすらむ

古今 [抄] 行平

018 わくらばにとふ人あらば須磨の浦にもしほたれつつわぶと答へよ

新古 [抄] 人丸

019 ささの葉はみ山もさやにみだるめり我は妹思ふ別れきぬれば

 二条院讃岐

020 身の憂さに月やあらぬと詠むれば昔ながらの影ぞもりくる

 法橋行遍

021 あやしくぞかへさは月のくもりにし昔がたりに夜やふけぬらむ

 人丸

022 蘆鴨のさわぐ入江のみづのえの世にすみがたき我身なりけり

同 [抄] 俊成卿

023 あかつきとつげの枕をそばだてて聞くもかなしき鐘の音かな

 人丸

024 石の上ふるのわさ田のほには出でず心のうちに恋ひやわたらむ

同 [抄] 俊成卿女

025 下もえに思ひ消えなむ煙だに跡なき雲のはてぞかなしき

同 [抄] 式子内親王

026 わすれてはうちなげかるるゆふべかな我のみしりて過ぐる月日を

同 [抄] 八代女王

027 御秡するならの小河のかは風に祈りぞわたる下に絶えじと

同 [抄] 秀能

028 もしほやくあまの磯屋の夕けぶり立つ名もくるし思ひたえなで

 惟成

029 しばしまてまだ夜はふかし長月の有明の月は人まどふなり

同 [抄] 秀能

030 袖の上にたれゆゑ月はやどるぞとよそになしても人のとへかし

古今 [抄][百] 素性法師

031 今こむといひしばかりに長月の有明の月をまちいでつるかな

新古 秀能

032 いま来むとたのめしことを忘れずはこの夕暮の月やまつらむ

同 [抄] 俊成卿女

033 夢かとよ見し面影もちぎりしもわすれずながらうつつならねば

同 [抄] 読人不知

034 天の戸をおし明けがたの月見ればうき人しもぞ恋しかりける

同 [抄] 範兼

035 わすれ行く人ゆゑ空をながむれば絶え絶えにこそ雲も見えけれ

同 [抄] 寂蓮法師

036 うらみわびまたじ今はの身なれども思ひなれにし夕暮の空

 家隆

037 さても猶とはれぬ秋の夕は山雲吹く風も峰にみゆらむ

 秀能

038 おもひいるふかき心のたよりまで見しはそれともなき山路かな

 家隆

039 おもひいる身はふかくさのあきの露たのめしすゑや木枯のかぜ

 俊成卿女

040 ふりにけり時雨は袖に秋かけていひしばかりをまつとせしまに

同 [抄] 寂蓮法師

041 里はあれぬむなしき床のあたりまで身はならはしの秋風ぞふく

 俊成卿女

042 露はらふねざめは秋の昔にて見はてぬ夢にのこるおもかげ

同 [抄] 天神御歌

043 みちのべのくち木の柳春くればあはれ昔としのばれぞする

 慈円

044 柴の戸に匂はむ花はさもあらばあれながめてけりなうらめしの身や

古今 [抄][百] 小町

045 花の色はうつりにけりないたづらに我身世にふるながめせしまに

新古 能因法師

046 山寺のはるの夕暮来てみればいりあひの鐘に花ぞ散りける

 恵慶法師

047 さくら散る春の山辺はうかりけり世をのがれにとこしかひもなく

同 [抄] 西行法師

048 芳野山やがて出でじと思ふ身を花ちりなばと人やまつらむ

 慈円

049 木葉ちる宿にかたしく袖の色をありともしらで行く嵐かな

同 [抄] 西行法師

050 ながむとて花にもいたくなれぬればちる別れこそ悲しかりけれ

後撰 貫之

051 またも来む時ぞと思へど頼まれぬ我身にしあればをしき春かな

新古 [抄] 高光

052 神無月風にもみぢのちる時はそこはかとなく物ぞかなしき

 元輔

053 冬をあさみまだき時雨と思ひしに絶えざりけりな老の涙も

 瞻西上人

054 つねよりもしのやの軒ぞ埋もるる今朝は都に初雪やふる

 紫式部

055 ふればかくうさのみまさる世をしらであれたる庭に積る初雪

 式子内親王

056 ほととぎすそのかみ山の旅枕ほのかたらひし空ぞわすれぬ

 忠峯

057 夢よりもはかなき物は夏のよの暁がたのわかれなりけり

同 [抄] 読人不知

058 つつめどもかくれぬものは夏虫の身よりあまれる思ひなりけり

長高様 二十一首

新古 [抄] 慈円

059 おもふことなどとふ人のなかるらむあふげば空に月ぞさやけき

(詞花) 清胤

060 君すまばとはましものを津の国の生田の森の秋のはつかぜ

古今 [抄] 人丸

061 立田河もみぢ葉ながす神南備のみむろの山に時雨降るらし

新古 後京極

062 天の戸をおしあけがたの雲間より神代の月の影ぞのこれる

同 [抄] 慈円

063 をかの辺の里のあるじを尋ぬれば人は答へず山颪のかぜ

(玉葉) (式子内親王)

064 いづかたへ雲居のかりの過ぎぬらむ月は西へぞかたぶきにける

新古 能因法師

065 かくしつつ暮れぬる秋とおいぬればしかすがに猶ものぞ悲しき

 宜秋門院丹後

066 吹きはらふあらしの後の高根より木の葉くもらで月や出づらむ

古今 [百][抄] 天神御歌

067 このたびはぬさもとりあへず手向山もみぢの錦神のまにまに

新古 [抄] 西行法師

068 風になびく富士のけぶりの空に消えて行方もしらぬ我思ひかな

同 [抄] 安法法師

069 世をそむく山のみなみの松風に苔の衣や夜ざむなるらむ

同 [抄] 西行法師

070 ふけにける我身の影をおもふまにはるかに月はかたぶきにけり

 経信

071 すむ人も有るかなきかの宿ならしあしまの月のもるにまかせて

 宜秋門院丹後

072 何となくきけば涙ぞこぼれける苔の袂にかよふ松風

 慈円

073 山里に月はみるやと人は来ず空行く風ぞ木の葉をもとふ

同 [抄] 読人不知

074 よそにのみ見てややみなむ葛城やたかまの山の峯の白雲

拾遺 読人不知

075 いその上ふるの社のゆふだすきかけてのみやは恋ひむと思ひし

千載 [抄] 顕輔

076 かづらきや高間の山のさくら花雲ゐのよそに見てややみなむ

新古 寂蓮法師

077 かづらきや高間の桜さきにけり立田のおくにかかる白雲

 雅経

078 うつりゆく雲にあらしの声すなりちるかまさきのかづらきの山

同 [抄] 能因法師

079 しぐれの雨そめかねてけり山城のときはの杜のまきの下葉は

有心様 四十一首

新古 赤染衛門

080 なげきこる身は山ながらすぐせかしうき世の中に何かへるらむ

 雅経

081 君が代にあへるばかりの道はあれど身をばたのまず行末のそら

 行能

082 かきながす言の葉をだにしづむなよ身こそかくても山河の水

 季景

083 同じくはあれないにしへ思ひ出のなければとてもしのばずもなし

(拾遺) [抄] 読人不知

084 山寺の入あひの鐘の声ごとに今日もくれぬときくぞ悲しき

新古 慈円

085 たのめこし我ふるてらの苔の下にいつしかくちむ名こそ惜しけれ

 花山院御歌

086 津の国のながらふべくも見えぬかなみじかき蘆の世にこそありけれ

同 [抄] 後京極

087 ゆくすゑは空もひとつのむさし野に草のはらよりいづる月かげ

同 [抄][百] 式子内親王

088 玉の緒よ絶えなばたえねながらへば忍ぶることのよわりもぞする

 重家

089 後の世をなげく涙といひなしてしぼりやせましすみぞめの袖

同 [抄] 定家

090 かへるさのものとや人のながむらむ待つ夜ながらのありあけの月

同 [抄] 後京極

091 いつもきくものとや人の思ふらむ来ぬ夕ぐれの松かぜのこゑ

同 [抄] 秀能

092 露をだに今はかたみの藤衣あだにも袖を吹くあらしかな

 小侍従

093 しきみつむ山路の露にぬれにけり暁おきの墨染のそで

 宇佐宮託宣御歌

094 にしの海たつ白浪の上にして何すぐすらむかりのこの世を

 住吉御歌

095 夜やさむき衣や薄きかたそぎのゆきあひの間より霜やおくらむ

新古 [抄][百] 清輔

096 ながらへば又この頃やしのばれむうしと見し世ぞ今はこひしき

 慈円

097 おしなべて日吉の影はくもらぬになみだあやしき昨日今日かな

同 [抄] 実方

098 すみぞめの衣うき世の花ざかりをりわすれてもをりてけるかな

 後徳大寺左大臣

099 花見てはいとど家路ぞいそがれぬまつらむと思ふ人しなければ

 俊成卿

100 小笹原かぜまつ露の消えやらでこの一ふしを思ひおくかな

 寂蓮法師

101 もの思ふ袖より露やならひけむ秋風ふけばたへぬものとは

 寂然法師

102 そむきてもなほうきものは世なりけり身をはなれたる心ならねば

 俊恵法師

103 かりそめの別れとけふをおもへどもいさやまことの旅にもあるらむ

 西行法師

104 津の国のなにはの春は夢なれや蘆の枯葉に風渡るなり

 宜秋門院丹後

105 山里は世のうきよりも住みわびぬことの外なる峯の嵐に

 慈円

106 山里にちぎりし庵やあれぬらんまたれむとだに思はざりしを

 定家

107 嵯峨の山千代のふる道あととめて又つゆわくる望月のこま

(続古) 坂上是則

108 此河の入江の松は老いにけりふるきみゆきのことや問はまし

拾遺 [抄] 仲文

109 有明の月の光をまつほどに我世のいたく更けにけるかな

新古 秀能

110 あかしがた色なき人の袖を見よそぞろに月はやどるものかは

 順

111 老いにける渚の松のふかみどりしづめる影をよそにやは見る

同 [抄] 俊成卿

112 年くれしなみだのつららとけにけり苔の袖にも春やたつらむ

 式子内親王

113 山ふかみ春ともしらぬ松のとに絶え絶えかかる雪のたま水

 有家

114 春の雨のあまねき御代をたのむかな霜にかれ行く草葉もらすな

千載 [抄] 俊成卿

115 雲の上の春こそ更に忘られね花は数にもおもひ出でじを

新古 定家

116 春をへてみゆきになるる花の陰ふり行く身をもあはれとや思ふ

 俊頼

117 日くるれば逢ふ人もなし正木ちるみねのあらしの音ばかりして

同 [抄] 二条院讃岐

118 世にふるは苦しきものをまきのやにやすくもすぐるはつ時雨かな

 慈円

119 ながむれば我山のはに雪しろし都の人よあはれとも見よ

同 [抄] 西行法師

120 おのづからいはぬをしたふ人やあるとやすらふ程に年のくれぬる

事可然様 二十六首

千載 [抄] 俊成卿

121 すみわびて身をかくすべき山里にあまりくまなき夜半の月かな

新古 家隆

122 大かたの秋のねざめの長き夜も君をぞ祈る身をおもふとて

同 [抄] 入道左大臣

123 いそがれぬ年のくれこそあはれなれ昔はよそにききし春かは

 通光

124 むさし野や行けども秋のはてぞなきいかなる風の末に吹くらむ

(家集) 慈円

125 津の国のながらの橋は跡もなし我老の末のかからずもがな

新古  後京極

126 春日山みやこのみなみしかぞ思ふきたの藤なみはるにあへとは

同 [抄] 西行法師

127 あはれいかに草葉の露のこぼるらむ秋風たちぬ宮城野の原

 通光

128 あけぬとて野辺より山に入る鹿の跡吹きおくる萩のした風

同 [抄] 寂蓮法師

129 淋しさはその色としもなかりけり槙立つ山のあきの夕暮

同 [抄] 清輔

130 としへたる宇治の橋守こととはむ幾世になりぬ水のみなかみ

同 [抄] 道信

131 かぎりあれば今日ぬぎすてつ藤衣はてなきものは涙なりけり

 宮内卿

132 月をなほ待つらむ物か村雨のはれ行く雲のすゑのさと人

 師忠

133 山里のいなばの風にね覚して夜ふかく鹿の声をきくかな

 匡房

134 秋くれば朝けの風の手をさむみ山田のひたをまかせてぞ聞く

同 [抄] 家隆

135 あけば又こゆべき山の嶺なれや空行く月のすゑの白雲

 雅経

136 いたづらにたつやあさまの夕けぶり里とひかぬる遠近の山

 西行法師

137 思ひおく人の心にしたはれて露わくる袖のかへりぬるかな

同 [抄] 俊成卿

138 今はとてつま木こるべき宿の松千代をば君となほ祈るかな

同 [抄] 西行法師

139 年月をいかで我身におくりけむきのふの人も今日はなき世に

 慈円

140 いたづらにすぎにしことやなげかれむうけ難き身の夕暮の空

 西行(法師)

141 身のうさを思ひしらでややみなましそむくならひのなき世なりせば

同 [抄] 

142 またれつる入相の鐘の声すなり明日もやあらば聞かむとすらむ

同 [抄] 八条院高倉

143 うき世をば出づる日ごとにいとへどもいつかは月の入るかたを見む

 読人不知

144 君こむといひし夜ごとにすぎぬればたのまぬ物のこひつつぞふる

 寂蓮法師

145 老のなみこえける身こそあはれなれ今年も今は末のまつ山

 西行法師

146 きかずともここをせにせむほととぎす山田の原の杉のむら立

麗様 二十四首

古今 [抄] 人丸

147 ほのぼのと明石の浦の朝霧に島がくれ行く舟をしぞ思ふ

(金葉) [抄] 俊頼

148 うづらなくまのの入江の浜かぜに尾花波よる秋の夕暮

新古 [抄] 後京極

149 みよし野は山もかすみて白雪のふりにし里に春は来にけり

古今 [抄] 躬恒

150 住吉の松をあき風吹くからに声うちそふる沖つしら波

拾遺 [抄] 貫之

151 思ひかね妹がり行けば冬の夜の河風さむみ千鳥なくなり

(金葉) [抄][百] 経信

152 夕さればかど田のいなば音づれてあしのまろやに秋風ぞ吹く

(後拾) [抄] 

153 君が代はつきじとぞ思ふ神風やみもすそ河のすまむ限りは

新古 範兼

154 大江山こえていく野の末とほみ道ある世にもあひにけるかな

 俊恵法師

155 あらし吹くまくずが原に鳴く鹿はうらみてのみやつまをこふらむ

 匡房

156 つまこふる鹿のたちどをたづぬればさやまがすそに秋風ぞふく

 俊恵法師

157 たつた山木ずゑまばらになるままに深くも鹿のそよぐなるかな

 匡房

158 神がきのみしめのさくらちりにけり風よりさきと思ひしものを

同 [抄] 俊成卿

159 仙人のをる袖にほふ菊の露うちはらふにも千代はへぬべし

古今 [抄][百] 行平

160 立ちわかれいなばの山の峯におふる松としきかば今帰り来む

拾遺 橘ただもと

161 忘るなよ程は雲井になりぬとも空行く月のめぐりあふまで

新古 俊恵法師

162 はるばると君がわくべき白波をあやしやとまる袖にかけつる

 二条院讃岐

163 ながらへて猶君が世をまつ山の待つとせしまに年ぞへにける

古今 [抄] よみ人しらず

164 さむしろに衣かたしき今夜もや我を待つらむ宇治のはしひめ

(同) [抄] (同)

165 いざここに我世はへなむ菅原や伏見の里のあれまくもをし

同 [抄] 元方

166 年のうちに春は来にけり一とせをこぞとやいはむ今年とやいはむ

同 [抄][百] 仁和御製

167 君がため春の野に出でて若菜つむ我衣手に雪はふりつつ

新古 行尊

168 春くれば袖のこほりもとけにけりもりくる月のやどるばかりに

 秀能

169 夕月夜汐みちくらし難波江の蘆の若葉をこゆる白波

 良暹法師

170 今はとてねなましものをしぐれつる空ともみえずすめる月かな

〔詞花〕 〔読人不知〕

171 (君が代の久しかるべきためしにはかねてぞ植ゑし住吉の松)*注2

〔新古〕 [抄][百] 〔顕輔〕

172 (秋風にたなびく雲のたえまよりもれいづる月のかげのさやけさ)*注3

見様 十二首

新古 [抄] 経信

173 早苗とる山田のかけひもりにけりひくしめなはに露ぞこぼるる

 式子内親王

174 ふけにけり山の端近く月冴えて十市の里に衣うつ声

同 [抄][百] 寂蓮法師

175 村雨の露もまだひぬ槙のはに霧たちのぼる秋の夕暮

同 [抄] 慈円

176 霜さゆる山田のくろのむらすすきかる人なしにのこる頃かな

同 [抄] 清輔

177 うすぎりのまがきの花の朝じめり秋はゆふべと誰かいひけむ

 後京極

178 雲はみなはらひはてたるあきかぜを松にのこして月をみるかな

同 [抄] 家隆

179 下もみぢかつ散る山の夕時雨ぬれてやひとり鹿のなくらむ

同 [抄] 宜秋門院丹後

180 夜もすがら浦こぐ舟は跡もなし月ぞのこれる志賀のから崎

(同) (同)

181 (吹きはらふあらしの後の高根より木の葉くもらで月や出づらむ)

 寂然法師

182 尋ね来て道わけわぶる人もあらじ幾重もつもれ庭の白雪

 公衡

183 狩りくらしかたのの真柴折りしきて淀の河せの月をみるかな

 忠良

184 あふちさくそともの木陰露おちて五月雨はるる風わたるなり

 清輔

185 柴の戸に入日のかげはさしながら如何にしぐるる山辺なるらむ

面白様 三十二首

(新古) 慈円

186 山里にあからさまなる都人さびしとや思ふ住みうからぬを

同 [抄] 西行法師

187 やまざとにうき世いとはむ友もがなくやしくすぎし昔かたらむ

千載 [抄][百] 俊頼

188 うかりける人をはつせの山おろしはげしかれとは祈らぬものを

新古 慈円

189 庭の雪にわが跡つけて出でつるをとはれにけりと人や見るらむ

同 [抄] 同

190 やよしぐれ物思ふ袖のなかりせば木の葉の後に何をそめまし

 後京極

191 人すまぬ不破の関屋の板びさしあれにし後はただ秋の風

同 [抄] 基俊

192 高円の野路のしのはら末さわぎそそやこがらし今日ふきぬなり

 為政

193 ほととぎす鳴く五月雨に植ゑし田をかりがねさむみ秋ぞ暮れぬる

 経信

194 秋の夜は衣さむしろかさねても月の光にしくものぞなき

同 [抄] 西行(法師)

195 たのめおかむ君も心やなぐさむと帰らむことはいつとなけれど

 

196 みやこにて月をあはれと思ひしは数にもあらぬすさびなりけり

 同

197 山かげにすまぬ心はいかなれやをしまれて入る月もある世に

 匡房

198 槙の板も苔むすばかりなりにけり幾世かへぬるせたの長橋

 俊恵法師

199 難波がた汐干にあさる蘆たづも月かたぶけば声のうらむる

 西行法師

200 月のいる山に心を送り入れてやみなる跡の身を如何にせむ

 俊成卿

201 いかにせむしづがそのふのおくの竹かきこもるとも世の中ぞかし

(同) (俊頼)

202 (うき身かは山田のおしねおしこめて世をひたすらに恨みわびぬる)

 和泉式部

203 今日も又かくやいぶきのさしも草さらば我のみもえやわたらむ

千載 [抄][百] 大輔

204 みせばやなを島のあまの袖だにもぬれにぞぬれし色はかはらず

拾遺 [抄] 人丸

205 なき名のみたつの市とはさわげどもいさまた人をうるよしもなし

新古 [抄] 基俊

206 床ちかしあなかま夜半のきりぎりす夢にも人の見えもこそすれ

同 [抄] 実方

207 あけがたきふたみの浦による波の袖のみぬれて沖つ島人

 宮内卿

208 聞くやいかにうはの空なる風だにもまつに音するならひありとは

 西行(法師)

209 いまぞしる思ひいでよとちぎりしは忘れむとての情なりけり

 

210 人はこで風のけしきはふけぬるにあはれに雁の音づれてゆく

 参議篁

211 数ならばかからましやは世の中にいとかなしきはしづのをだまき

 西行(法師)

212 岩間とぢし氷もけさはとけそめて苔の下水みちもとむらむ

同 [抄] 慈円

213 見せばやな志賀の辛崎ふもとなる長柄の山の春のけしきを

 俊頼

214 さくらあさのをふの浦波立ちかへり見れどもあかぬ山なしの花

詞花 [抄] 長能

205 あられふるかたののみののかり衣ぬれぬ宿かす人しなければ

新古 後徳大寺左大臣

216 をざさふくしづがまろやの槙の戸を明がたになくほととぎすかな

 基俊

217 玉かしはしげりにけりな五月雨に葉守の神のしめはふるまで

濃様 二十九首

新古 [抄] 俊成卿

218 ちらすなよしののは草のかりにても露かかるべき袖の上かは

 俊成卿女

219 俤のかすめる月ぞやどりける春や昔のそでのなみだに

後撰 [抄] 読人不知

220 すがはらや伏見の里のあれしよりかよひし人の跡も絶えにき

古今 [抄] 

221 梅が枝にきゐるうぐひす春かけてなけどもいまだ雪はふりつつ

後撰 [抄] 忠国

222 われならぬ草葉も物はおもひけり袖より外におけるしら露

古今 [抄][百] 千里

223 月見ればちぢに物こそかなしけれ我身ひとつの秋にはあらねど

千載 [抄] 俊成卿

224 夕されば野辺の秋風身にしみてうづらなくなり深草のさと

新古 [抄] 慈円

225 我恋はにはの村萩うらがれて人をも身をもあきの夕暮

(古今) [抄] (読人不知)

226 幾世しもあらじ我身をなぞもかく海士のかるもに思ひみだるる

新古 [抄] 俊成卿

227 月さゆるみたらし河にかげみえてこほりにすれるやまあゐの袖

 同

228 しめおきて今はと思ふ秋山の蓬がもとに松虫のなく

古今 [抄] 素性法師

229 われのみやあはれと思はむきりぎりす鳴く夕かげのやまとなでしこ

新古 [抄] 式子内親王

230 ながめわびぬ秋より外の宿もがな野にも山にも月やすむらむ

 俊成卿

231 あれわたる秋の庭こそあはれなれまして消えなむ露の夕ぐれ

 能因

232 夏草のかりそめにとて来しかども難波の浦に秋ぞくれぬる

古今 [抄][百] 

233 和田のはら八十島かけて漕ぎいでぬと人にはつげよ海士のつり船

新古 貫之

234 草枕夕風さむくなりにけり衣うつなる宿やからまし

 後京極

235 忘れじとちぎりて出でし俤は見ゆらむ物をふるさとの月

同 [抄] 西行法師

236 月見ばとちぎりおきてし故郷の人もやこよひ袖ぬらすらむ

 寂蓮法師

237 たち出でてつま木をりこし片岡のふかき山路となりにけるかな

 恵慶法師

238 いにしへを思ひやりてぞ恋ひわたるあれたる宿の苔の岩ばし

 [抄] 寂蓮法師

239 おもひあれば袖にほたるをつつみてもいはばやものをとふ人はなし

 俊成卿

240 あふことはかた野の里のささの庵しのに露ちる夜半の床かな

同 [抄] 式子内親王

241 ながめつる今日は昔になりぬとも軒端の梅は我をわするな

後撰 増基法師

242 神無月しぐればかりを身にそへて知らぬ山路に入るぞかなしき

新古 延喜御門御歌

243 夏草はしげりにけれど郭公などわが宿に音づれもせぬ

同 [抄] 恵子女王

245 よそへつつ見れどつゆだになぐさまずいかにかすべきなでしこの花

同 [抄] 元真

246 夏草はしげりにけりな玉ぼこの道行き人もむすぶばかりに

 恵慶(法師)

247 わが宿の外面にたてる楢のはのしげみにすずむ夏は来にけり

有一節様 二十六首

新古 [抄] 俊成卿

248 立ちかへり又も来てみむ松島やをじまのとまや波にあらすな

 土御門内大臣

249 朝ごとに汀の氷ふみ分けて君につかふるみちぞかしこき

 (西行法師)

250 年たけて又こゆべしと思ひきや命なりけり佐夜の中山

 式子内親王

251 夢にても見ゆらむものを歎きつつうちぬるよひの袖のけしきは

千載 [抄] 俊成卿

252 過ぎぬるか夜半のねざめのほととぎす声は枕にある心地して

新古 [抄] 家隆

253 きのふだに問はむと思ひし津の国の生田の杜に秋は来にけり

同 [抄] 慈円

254 我たのむななの社のゆふだすきかけても六つのみちにかへすな

 

255 いつまでか涙くもらで月は見し秋待ちえてもあきぞ恋しき

 貫之

256 ゆふだすき千とせをかけて蘆引の山あゐの色はかはらざりけり

 俊成卿

257 あらし吹く峯の紅葉の日にそへてもろく成り行くわがなみだかな

 花山院

258 秋の夜ははや長月に成りにけりことわりなりやねざめせらるる

 登蓮法師

259 かへりこむ程をや人にちぎらまししのばれぬべき我身なりせば

 (西行法師)

260 君いなば月待つとても詠めやらむあづまのかたの夕暮のそら

同 [抄] 宇合

261 山城のいはたのをのの柞原見つつや君が山路こゆらむ

 嘉言

262 都なるあれたる宿にむなしくや月に尋ぬる人かへるらむ

 徽子女王

263 みな人のそむき果てぬる世の中にふるの社のみをいかにせむ

 慈円

264 世の中のはれ行く空にふる霜のうき身ばかりぞおきどころなき

同 [抄] 元真

265 なみだ河身もうくばかり流るれど消えぬは人の思ひなりけり

詞花 [抄][百] 崇徳院御歌

266 瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれてすゑにもあはむとぞ思ふ

新古 [抄] 大炊御門右大臣

267 わが恋はちぎの片そぎかたくのみ行きあはで年のつもりぬるかな

 元輔

268 大井河ゐぜきの水のわくらばに今日はたのめしくれにやはあらぬ

拾遺 [抄] 人丸

269 あし曳の山より出づる月待つと人にはいひて君をこそまて

新古 式子内親王

270 君まつとねやへも入らぬ槙の戸にいたくなふけそ山のはの月

同 [抄] 国信

271 春日野の下もえわたる草の上につれなく見ゆるはるの淡雪

 好忠

272 つゆしもの夜半におきゐて冬の夜の月みる程に袖はこほりぬ

同 [抄] 経信

273 みしま江の入江のまこも雨ふればいとどしをれてかる人もなし

拉鬼様 *注4 十二首

新古 天神御歌

274 ながれ木とたつ白波とやく塩といづれかからきわたつみのそこ

 家持

275 から人の舟をうかべてあそぶてふけふぞわがせこ花かづらせよ

古今 [抄] 聖武天皇御製*注5

276 立田河もみぢみだれてながるめりわたらば錦なかやたえなむ

新古 後京極

277 ぬれてほす玉ぐしのはの露霜にあまてるひかり幾代へぬらむ

(家集) 慈円

278 明けばまづ木の葉に袖をくらぶべし夜半のしぐれよよはの涙よ

新古 [抄] 聖武天皇御製

279 いもに恋ひわかの松原見わたせば汐干のかたにたづなき渡る

 読人不知

280 神風やいせの浜荻をりしきて旅ねやすらむあらき浜辺に

同 [抄] 神祇伯顕仲

281 かもめゐる藤江の浦のおきつ洲によぶねいざよふ月のさやけさ

同 [抄] 天神御歌

282 あし曳のこなたかなたに道はあれど都へいざといふ人ぞなき

同 [抄] 家隆

283 思ひ出でよたがかねことの末ならむきのふの雲の跡の山風

新古 能因法師

284 ねやのうへにかたえさしおほひ外面なる葉びろ柏に霰ふるなり

同 [抄] 宮内卿

285 片枝さす苧生の浦梨初秋になりもならずも風ぞ身にしむ


注1 『定家十体』では重之(源重之)の名を記すが、拾遺集では読人不知とある。『定家八代抄』でも読人不知。

注2 歌学大系に説明はないが、異本歌として増補した歌か。古今集の古注釈書『古今和歌集灌頂口伝』に引用されている歌(作者不明)。詞花集の歌は小異歌である(第四句「かみもうゑけむ」)。〔 〕内は水垣による書き添え。

注3 同じく歌学大系に説明はないが、異本歌として増補した歌か。〔 〕内は水垣による書き添え。

注4 新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部蔵本)では「鬼拉様」とあるが、歌学大系(底本は橋本進吉蔵本)では「拉鬼様」とある。

注5 作者名表記は歌学大系に拠る。新編国歌大観は作者「文徳天王」とする。古今集では「読人不知」。


補足

十躰について―伝藤原定家著『毎月抄』より―

〔基礎となる四つの様式〕

もとの姿と申すは、勘へ申し候ひし十躰の中の、幽玄様・事可然様・麗様・有心躰、これらの四にて候ふべし。此の躰どもの中にも古めかしき歌どもはまま見え候へども、それは古躰ながらも苦しからぬ姿にて候。ただすなほにやさしき姿をまづ自在にあそばししたためて後は、高長様・見様・面白様・有一節様・濃様などやうの躰は、いとやすき事にて候。鬼拉の体こそたやすくまなびおほせがたう候ふなる。それも練磨の後は、などかよまれ侍らざらん。かやうに申せばとて必ず拉鬼躰が歌のすぐれたる躰にてあるには候まじ。さるから初心の時よみがたき姿にて侍るになるべし。

【訳】根本の様式と申すのは、以前考察致した十体のうちの、幽玄様・事可然様・麗様・有心体、この四体であります。この体の中でも、古めかしい歌は時々ありますけれども、それは古風ながらも不都合でない風体であります。もっぱら素直で優美な風体を、まず自由自在に詠めるようになった後では、高長様・見様・面白様・有一節様・濃様といった風体を詠むのは、大変たやすいことです。鬼拉の体だけは簡単に習得し難いものであります。それでも修練の後では、どうして詠めないことがありましょう。このように申したからと言って、必ずしも拉鬼体が歌のすぐれた体というのではないでしょう。ですから初心の時には詠み難い風体ということになるのです。

〔有心躰が和歌の本義である〕

さてもこの十躰の中にいづれも有心躰に過ぎて歌の本意と存ずる姿は侍らず。きはめて思ひ得難う候。とざまかうざまにてはつやつや続けらるべからず。よくよく心を澄まして、その一境に入りふしてこそ、稀によまるる事は侍れ。されば、宜しき歌と申し候は、歌毎に心の深きのみぞ申しためる。あまりにまた深く心を入れむとてねぢ過ぐせば、いりほがのいりくり歌とて、堅固ならぬ姿の心得られぬは、心なきよりもうたてく見苦しき事にて侍る。この境がゆゆしき大事にて侍る。なほなほよくよく斟酌あるべきにこそ。

【訳】さて、この十体の中では、どの体にしても、有心体よりすぐれて和歌の本質を具えている体はないと存じます。この風体を会得するのは大変難しいのであります。あれやこれや考えを巡らしていては、さらさら詠みおおせるものではありません。よくよく心を澄まして、一つの境地に没入してこそ、稀に詠めることはあります。ですから、良い歌と申しますのは、どの歌にしても、心の深い歌のみをそう申すようであります。しかしまた、あまりに深く心を入れようとして、ひねり過ぎれば、「いりほがのいりくり歌」(「入り穿(ほが)の入り刳(く)り歌」の意か)と言って、まとまりのない、わけの分からない歌になり、これは心の無い歌よりもさらに見苦しいものであります。この境をわきまえることがたいへん大事なことであります。重々よくよく考慮しなければなりません。

〔器量に従って躰を習得すればよい〕

さきにしるし申し候ひし十躰をば、人の趣を見てさづくべきにて候。器量も器ならぬも、うけたる其躰侍るべし。或は幽玄の躰をうけたらん人に、鬼拉の様をよめとをしへ、又長高様を得たる輩に濃躰をよめとをしへん事は、何かよかるべき。ただ仏のとき給へるあまたの御法も、衆生機にあたへ給へるとかや、それにすこしもたがふべからず。我このむやう、うけたる姿なればとて、此躰をよめと得ざらん人にをしへ候はん事、返す返す道の魔障にて候べし。その人のよめらん歌を能々見したためて後に、風躰をさづくべきにて候。いづれの躰をよまんにも、なほく正しき事は、わたりて心にかくべきにこそ。さればとて又、其一躰に入りふして、余躰をすてよとには候はず。得たる躰を地盤として、正位によみすゑて、さて余の躰をよまんはくるしくは候まじ。ただ正路を忘れてあらぬ方におもむくをつつしむべき事とぞおぼえ侍る。

【訳】先に記しました十体については、人の心の様子を見て教授すべきであります。才能ある者もそうでない者も、天性から得意な体があるはずです。例えば幽玄の体が得意な人に鬼拉の様式を詠むよう教えたり、あるいは長高様を習得した者に濃体を詠むよう教えることは、良いはずがありましょうか。全く、仏のお説きになる数多くの教えも、衆生のそれぞれの機縁に応じてお与えになるとか申しますが、それと少しも違いはありますまい。師匠が自分の好む様式を、得意な歌風だからと言って、その体を詠みなさいと未習得の人に教えますことは、返す返すも歌道の妨げとなりましょう。その人の詠めそうな歌をよくよく見届けて、その後で適切な風体を授けるべきであります。どの体を詠むにしても、素直で正しいことは、全てにわたって心にかけるべきであります。だからと言ってまた、その一つの体に没入して、他の体を捨てよと申すのではありません。得意な体を基盤として、正しい稽古をして、さて他の体を詠もうとするのは不都合でありますまい。ただ正しい修行の道を忘れて、誤った方向へ進むことのないよう用心するべきであると思われます。


メモ

280余首中、『定家八代抄』と一致する歌は130余首である。ほとんど全ての歌が『八代抄』収録歌と一致する定家の後年の秀歌撰(詠歌大概、百人一首など)とは性格を異にする。因みに百人一首との一致歌は18首(異本?の顕輔の歌を含む)。

新古今集からの採歌が断然多く、全体の8割以上を占める。従って『定家十体』の主意は当代の歌の様式を分類して示すことにあったと思われる。最も多く採られた歌人は西行法師の24首で、次は慈円の21首。この二歌人は秀歌が様々な歌体に渡るため、多く採られたのは当然か。

気になるのは藤原秀能の歌が多いこと(8首で、人丸や家隆と同数)。『八代抄』に定家は秀能の歌をわずか3首しか採っておらず(人丸は55首、家隆は22首)、秀能を高く評価していたとは思えない。『後鳥羽院御口伝』には秀能の歌につき「近年、定家、無下の歌の由申す由聞こゆ」とあるほどで、定家は秀能を毛嫌いしていたようだ。『十体』に秀能の歌が多いことは、同書が定家の撰であることを疑わせる材料の一つである。尤も、それは『十体』を秀歌撰の一種と見てのことであり、当代の歌体の例歌集に過ぎないと見れば、疑問とするに足るまい。秀能の歌は新世代の歌の代表としてたまたま多く採られたのではないだろうか。

後鳥羽院の歌が一首もないことは不思議だ。新古今集に数多の秀歌を載せ、『八代抄』にも21首の多きを採られている後鳥羽院の歌が何故皆無なのだろう。もしかして『十体』の撰者は定家ではなく後鳥羽院なのではないか?(編者が謙遜して自作を入れなかった秀歌撰の例は多い)。あるいは定家が後鳥羽院に命じられて撰んだのだろうか(院の自作は入れないよう注文をつけられて)。後鳥羽院は建仁二年(1202)三月に「三体和歌」の会を催し、三体の様式(『後鳥羽院御集』によれば高体・疲体・艶体)を、それぞれ春・夏、秋・冬、恋・旅に配したものを題として詠進を命じている。歌体についての関心は浅くなかったことが窺われる。いずれにしても『十体』の成立事情には後鳥羽院が深く関与しているような気がしてならない。

定家の歌はわずか4首しか採られていない。自身の作を憚ったと見れば不審には値しないが、『後鳥羽院御口伝』に定家が自讃歌とされることを嫌ったという歌「春をへてみゆきになるる花の陰ふり行く身をもあはれとや思ふ」が採られている(有心様)のは奇妙だ。これは建仁三年(1203)の作で、すぐに評判を呼んだらしいが、定家自身はこの歌が他人に褒められると「腹立ちの気色」を見せたという。

その他撰歌にやや不審なところもある。現在伝わる『定家十体』が定家の原作に由来する著作だとしても、原作そのままを伝えているものであるとは考えにくい。

以下、各歌体について。


(C)水垣 久 公開日:平成22年4月15日
最終更新日:平成22年10月28日
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