藤原公衡 ふじわらのきんひら 保元三〜建久四(1158-1193) 通称:三位中将

北家公季流、右大臣公能の四男。母は藤原俊成の妹。実定実家の同母弟。兄実守の養子となる。
仁安元年(1166)叙爵し、嘉応二年(1170)、高倉天皇の侍従となる。備前介・右中将などを経て、従三位左近中将に至る。建久四年(1193)二月二十一日、三十六歳で早世した。
治承二年(1178)の別雷社歌合、元暦元年(1184)の別雷社後番歌合、文治二年(1186)の吉田経房主催歌合に出詠。文治三年(1187)、殷富門院大輔勧進の百首歌に詠進(「公衡百首」として新編国家大観に収録)。俊成・慈円・寂蓮・定家ら、御子左家及び周辺歌人と親交があった。二種の百首歌を収めた家集『三位中将公衡卿集』がある(以下「公衡集」と略)。後鳥羽院撰『時代不同歌合』に歌仙として撰入。千載集初出、勅撰入集計二十六首。

  2首  1首  1首  1首  4首  2首 計11首

梅の花

むかひゐて立ちもはなれじ今日よりは花さきそむる窓の梅が枝(公衡集)

【通釈】ずっと向き合っていて、この場を離れたりはしないぞ。今日から花が咲き始める、窓辺の梅の花よ。

海路三月尽と云ふことをよめる

へだてつる八重(やへ)潮路(しほぢ)のうす霞きゆるややがて春の暮れぬる(月詣集)

【通釈】海上遥かにたちこめ、視界を隔てていた薄霞――それが消えたかと思うと、そのまま春は暮れてしまった。

【語釈】◇八重の潮路 幾重もの潮の流れ。長い海路。◇春の暮れぬる 春という季節が過ぎ去ってしまった。春の最後の一日が暮れた、の意も掛かる。

花橘薫枕といへる心をよめる

折しもあれ花橘の香るかな昔を見つる夢の枕に(千載175)

【通釈】深夜、ふと目が覚めた。折も折、橘の花が香るなあ。昔の夢を見た、枕もとに。なつかしい恋人の袖を想わせる、橘の花の香りが。

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
五月まつ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする

 

すぎてゆく秋の日影は朝ごとにうつろふ菊の色に見えけり(公衡集)

【通釈】秋はもう去ろうとし、日の光は衰えてゆく。それは、朝が来るたびに褪せてゆく菊の花の色を見て知れるのだ。

【補記】文治三年(1187)の「殷富門院大輔百首」。

鷹狩の心をよみ侍りける

狩り暮らし交野(かたの)の真柴をりしきて淀の河瀬の月を見るかな(新古688)

【通釈】日が暮れるまで狩をしたあと、交野の雑木を折って寝床をつくり、そこに横になって、淀の川瀬に映る月を見るのであるよ。

【語釈】◇交野 大阪府枚方市あたり。皇室の御領で、古来狩猟地として名高い。◇真柴 小さい雑木。マは美称。◇淀 今の京都市伏見区淀美豆町あたり。桂川・木津川・宇治川の合流地。

【補記】文治三年(1187)の「殷富門院大輔百首」。

【他出】公衡百首、玄玉集、定家十体(見様)、時代不同歌合、歌枕名寄、三五記

【参考歌】源師頼「堀河百首」
み狩すと楢の真柴をふみしだき交野の里にけふも暮らしつ
  藤原基俊「千載集」
あたら夜を伊勢の浜荻をりしきて妹恋しらに見つる月かな

【主な派生歌】
かげろふのたち野の真柴をりしきてかへり見すれば花散りにけり(加納諸平)

恋の歌あまたよみ侍りけるに

契りしにかはる恨みもわすられてその面影はなほとまるかな(新勅撰925)

【通釈】別れて時が経った。誓い合った約束に背かれたことへの恨みも忘れてしまって、あの人の面影だけはまだそのまま残っているのだ。

【語釈】◇契りしにかはる恨み 約束と相違したことへの恨み。

題しらず

思ひ寝のわれのみかよふ夢路にもあひ見てかへる暁ぞなき(新勅撰973)

【通釈】あの人のことを思いながら寝込み、ひとり通う夢の中の道――しかし夢でさえ、逢瀬を遂げて帰る暁は無いのだ。

【補記】制作事情などは不明。後鳥羽院撰『時代不同歌合』に採られたあと、定家が『新勅撰集』に撰入した。

思ひながら色には出でざりける女のもとにて、鏡を借りて、そのうらに書きつけて返し侍りける

ますかがみ心もうつるものならばさりとも今はあはれとやみん(千載776)

【通釈】澄んだ鏡に心も映るものなら、そんなにつれないあなたでも、いくらなんでも今は私を憐れと思ってくれるでしょうか。

【語釈】◇ますかがみ 真澄鏡(まそかがみ)の転。澄み切った鏡。◇さりとも 現状はたとえそうであっても。それはそれとして、ともかく。

【補記】後鳥羽院撰『時代不同歌合』に採られている。

題しらず

夕けぶり野辺にも見えばつひにわが君にかへつる命とを知れ(新勅撰996)

【通釈】夕煙の立ちのぼるのが野辺にでも見えたなら、とうとうあなたへの恋と引き換えにした私の命がはかなく消えてゆくのだと知ってくれ。

題しらず

昨日みし夢かとぞ思ふ寝ざめして昔をしのぶあかつきの空(新続古今1969)

【通釈】ゆうべ見た夢ではないかと思うのだ。眠りから覚めると、窓の外に、昔をなつかしく思い出させる暁の空――。

文治の頃ほひ、百首歌よみ侍りけるに、懐旧歌とてよめる

心には忘るる時もなかりけり三代の昔の雲の上の月(新古1511)

【通釈】心の中では、忘れる時とてなかった。三代前の昔の、高倉天皇の御代、内裏で見た月は。

【語釈】◇百首歌 未詳。◇三代の昔 文治年間は後鳥羽天皇代。その三代前は高倉天皇の御代。◇雲の上 内裏を言う。公衡は嘉応二年(1170)、高倉天皇の侍従に任ぜられた。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日