新続古今和歌集 秀歌選

【勅宣】後花園天皇

【成立】将軍足利義教が撰集を発意し、永享五年(1433)八月二十五日、後花園天皇の綸旨が下る。同十年八月二十三日、四季部奏覧。同十一年六月二十七日、完成返納。

【撰者】飛鳥井雅世

【書名】かつて飛鳥井家の歌人(雅経)が撰者となった唯一の勅撰集である新古今集を顕彰すると共に、勅撰集の祖である古今集に追随する意図を以ての命名か。

【主な歌人】飛鳥井雅縁(29首)・九条良経(28首)・後小松院(26首)・藤原俊成(22首)・藤原定家(19首)・頓阿(19首)・後鳥羽院(18首)・足利義教(18首)・飛鳥井雅経(18首)・飛鳥井雅世(18首)・飛鳥井雅有(14首)・二条為定(14首)・順徳院(13首)・藤原家隆(13首)・慶運(13首)

【構成】全二〇巻二一四四首(1春上・2春下・3夏・4秋上・5秋下・6冬・7賀・8釈教・9離別・10羇旅・11恋一・12恋二・13恋三・14恋四・15恋五・16哀傷・17雑一・18雑二・19雑三・20神祇)

【特徴】(一)構成 四季部を六巻とし、恋五巻との間に離別・羇旅等を置く、伝統的な構成法である。最も良く似ているのは続古今集で、相違は賀部と神祇部が入れ替わっているだけ。神祇歌を巻末にしたのは千載集・玉葉集等に同じである。なお一条兼良による真名・仮名序を有する。
(二)取材 上代より当代まで七百有余年、各時代から漏れなく撰入している。但し上古・中古よりは新古今以後を重視している。主な撰歌資料は、永享百首・貞和百首・嘉元百首・弘安百首・文保百首・宝治百首などの応製百首。千五百番歌合・正治二年後鳥羽院初度百首をはじめ新古今時代からの取材も多い。ほかに足利義教主催の新玉津島社三十首など。
(三)歌人 撰者雅世の父である雅縁を最多入集歌人とし、雅経・雅有など飛鳥井家の先代を優遇している。また良経・定家・後鳥羽院・家隆ら新古今時代の大歌人が尊ばれ、足利将軍家も重んじられていることは言うまでもない。二条派歌人では頓阿の存在が注目される(入集数六位)。義教の忌避を受けていた冷泉派は冷遇され、了俊(源貞世)は一首、正徹は零首。京極派歌人も極めて少ない。本集が初出となる歌人は多く、撰者の雅世、後小松院、後花園院、足利義教などが主なところである。なお、花山院師賢・同師兼(読人不知として一首)・宗良親王(読人不知として三首)など、南朝歌人の歌が僅かながら採られている。
(四)歌風 前代の新後拾遺集から約半世紀を経、衰微した二条家に代り飛鳥井家から撰者を出すという異例の勅撰集となったが、歌風は旧来の二条派風から際立った変化を示さない。というのも、飛鳥井家は二条家と長く親密な関係を保ち、異風の冷泉派・京極派とは疎遠だったためである。但し新千載集あたりから萌し始めた新古今的な幽玄・優艶さへの志向は引き継ぎ、「枯れた新古今風」とでも呼びたくなる歌風をそれなりに完成させた境地の佳詠が散見されることは注意される。無品親王(後崇光院)の「その色と分かぬあはれも深草や竹のは山の秋の夕ぐれ」などはその一例である。因みに本集の最多入集歌人である飛鳥井雅縁につき本居宣長は「大かた後の世に、新古今のふりを、よくよみえられたるは、此卿のみにして」とまで高く評価している。

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『新続古今和歌集(正保四年版本)』


      羇旅  哀傷  神祇



 上

立春氷といへることをよませ給うける   後小松院御製

志賀の浦やよせてかへらぬ浪のまに氷うちとけ春はきにけり(2)


百首歌奉りし時、霞             無品親王

まさかきの春のみどりの色なれや霞ぞにほふあまのかぐ山(9)


霞を                  権中納言雅世

難波がた塩やく煙立ちそひて霞もなびくうら風ぞふく(24)


遠山霞といふ事を            権中納言雅縁

春寒みなほ吹上の浜風にかすみもはてぬ紀ぢの遠山(29)


古き詩の句を題にて百首歌よみけるに、遥峰帯晩霞といふことを
                      頓阿法師

菅原や伏見の暮の面影にいづくの山もたつ霞かな(33)


百首歌奉りし時、鶯              左大臣

長閑なる日影とともに軒近き木ずゑに移る鶯のこゑ(44)


里梅を                   法印慶運

荒れはてし難波の里の春風に今はたおなじ梅がかぞする(85)


家に五十首歌よみ侍ける時、旅春雨  入道二品親王道助

花とみてけふやぬれなん春雨にゆけどかげなき嶺の白雲(88)


建保三年名所百首歌めしけるついでによませ給うける
                     順徳院御製

玉島や川瀬の浪の音はして霞にうかぶ春の月かげ(95)


 下

題しらず                 従三位頼政

近江路やまのの浜べに駒とめて比良の高ねの花をみるかな(130)


建仁元年、後鳥羽院に五十首歌奉ける時、故郷花を
                       宮内卿

へだてつる霞はよそになりはてて花にこもれる志賀の山ざと(138)


月前花と云ふことを             頓阿法師

白妙の高ねの桜さきしよりかすみもやらぬ月の影かな(142)


千五百番歌合に            後久我太政大臣

あだにやは麓の庵にながむべき花より出づる嶺の月影(143)


河上落花といふことを          権中納言雅縁

雪とのみさそふもおなじ河風に氷りてとまれ花の白浪(162)


建仁元年影供歌合に、水辺躑躅      前中納言定家

竜田川岩根のつつじ影みえて猶水くくる春のくれなゐ(188)


百首歌たてまつりし時、暮春       権中納言雅世

やよひ山春の名残もほのかなりなにぞはありて有明の月(215)



百首歌めされし次に、更衣の心を       今上御製

けさよりは袂もうすく立ちかへて花の香とほき夏ごろもかな(221)


百首歌奉りし時、聞郭公           無品親王

榊とる卯月きぬらし子規そのかみ山にゆふかけてなく(246)


百首歌めされしついでに、聞郭公と云ふことをよませ給うける
                      今上御製

月も今深山出づらしほととぎすふけゆく空に声の聞ゆる(256)


延文百首歌に、盧橘            民部卿為明

うたたねのとこよをかけて匂ふなり夢の枕の軒のたち花(279)


百首歌奉りし時             権中納言雅世

言の葉の花橘に忍ぶぞよ代々のむかしの風の匂ひを(281)


百首歌たてまつりし時、夕立          左大臣

夕立の雲の衣はかさねても空に涼しき風のおとかな(321)




 上

七月一日のあしたよみ侍りける       鎌倉右大臣

昨日こそ夏はくれしか朝戸出の衣手さむし秋の初風(347)


貞和百首歌に               民部卿為明

夢さそふ風のやどりと成りにけり枕にちかき庭の荻原(369)


秋歌の中に                 無品親王

その色と分かぬあはれも深草や竹のは山の秋の夕ぐれ(425)


水郷月を                権中納言雅縁

水無瀬山玉をみがきし跡とめて忘れぬ郷と月やすむらん(458)


 下

最勝四天王院障子に、高砂かけるかたを  前中納言定家

高砂の松はつれなき尾上よりおのれ秋しるさをしかのこゑ(492)


嘉元百首歌に              贈従三位為子

物思ふ雲のはたてに鳴きそめて折しもつらき秋の雁がね(524)


新玉津島社に奉りける歌の中に、山朝霧と云事を
                    権中納言雅縁

今朝は猶ははその色もうす霧のしたにまたるる佐保の山風(546)


秋の歌の中に                法印慶運

足がらの山立ちかくす霧の上にひとり晴れたる富士の白雪(547)


百首歌奉りし時             前摂政左大臣

神垣にぬさと散りかふ紅葉かなしめをもこえて秋や行くらん(604)




貞和百首歌めされしついでに        光厳院御製

啼きそむる外面の鳥も声さむみ霜にかたぶく杜の月かげ(635)


冬の御歌中に、野冬月といふことをよませ給うける
                     亀山院御製

さびしさは色も光も更けはてて枯野の霜にあり明の月(640)


後小松院位におはしましける時、題をさくりて三十首歌つかうまつりけるに、故郷寒草を
                    前大納言為尹

しほれふす(まがき)の霜の下荻や音せし風の秋の故郷(647)


千五百番歌合に             前中納言定家

花薄草の袂も朽ちはてぬなれて別れし秋をこふとて(648)


初雪を                 権中納言雅世

白妙の真砂のうへにふりそめて思ひしよりも積もる雪かな(686)


百首歌たてまつりし時、浅雪       権大僧都尭孝

ふる程もあさぢにまじりさく花のなびくとぞみる今朝の初雪(688)


正治二年百首歌に               宮内卿

さびしさをとひこぬ人の心まであらはれそむる雪の明ぼの(692)


嘉元百首歌に              贈従三位為子

雪ふればかねてぞ見ゆる鏡山ちりかふ花の春のおもかげ(703)




承元々年正月和歌所にて、春松契齢といふ事を講ぜられけるついでによませ給うける
                    後鳥羽院御製

我がたのむ神路の山の松の風いく世の春も色はかはらじ(745)


釈教

提婆品の心を                寂然法師

何となく涙の玉やこぼれけん峰の木の実をひろふ袂に(837)


縁覚の心を               よみ人しらず

ながめつる花も紅葉も散りはてて心の色ぞ今はむなしき(870)


離別


羇旅

百首歌奉りし時               無品親王

やどれ月露分けきつる旅衣たちし都の忘れがたみに(924)


貞和二年百首歌奉りけるに     入道贈一品親王尊円

くれかかる山の下道分けゆけば雲こそかへれ逢ふ人もなし(947)


左大臣富士見侍らんとてあづまにくだり侍りし時、おなじく罷りくだりしに、宇津の山をこえ侍るとて、参議雅経「ふみ分けしむかしは夢かうつの山」とよみける事をおもひ出でて
                    権中納言雅世

昔だにむかしといひしうつの山こえてぞ忍ぶつたの下道(952)


家にて歌合し侍りける時、蔦を  後京極摂政前太政大臣

宇津の山こえしむかしの跡ふりて蔦の枯葉に秋風ぞ吹く(953)


元亨元年八月十五夜内裏歌合に、寄月旅
                    前大納言実教

暮れぬまに分けつる雲は跡もなし月にぞこゆる峰の(かけはし)(957)


左大臣よませ侍りし新玉津島社三十首歌に、羇旅
                    権大僧都尭孝

草枕わが故郷の外に又とほつ飛鳥のみやこ恋しも(962)


後宇多院に十首歌たてまつりける時     中納言為藤

こえかぬる岩ねの道に宿とへば猶山ふかき鐘の音かな(977)




 一

題しらず                  明魏法師

しられじな忍ぶの山の初時雨心のおくにそむる紅葉ば(1042)


寄玉恋と云ふことを           権大納言為遠

せきあへぬ袖より落ちてうきことの数にもあまる滝の白玉(1081)


 二

弘安百首歌の中に             従二位為子

恋ひ死なん後も心のかはらずはこの世ならでも物やおもはん(1153)


 三

水無瀬殿恋十五首歌合に、寄風恋を      参議雅経

今はただこぬ夜あまたのさよ更けてまたじと思ふに松風のこゑ(1227)


恋歌中に                前大納言忠良

あぢきなく頼めぬ月の影もうしいひしばかりの有明の空(1263)


思二世恋といふ事を              鴨長明

我はただこん世の闇もさもあらばあれ君だに同じ道に迷はば(1292)


弘安元年百首歌中に、恋の心を      前大納言為兼

くやしくぞ唯時のまのうたたねにまたみぬ夢をむすび初めける(1316)


千五百番歌合に             前大納言忠良

思ひねに我が心からみる夢もあふ夜は人のなさけなりけり(1318)


承元二年住吉社歌合に、寄旅恋        参議雅経

忘れじの契りばかりを結びてやあはん日までの野べの夕露(1330)


建保二年七月内裏歌合に、羇中恋といへることをよませ給うける
                     順徳院御製

命やはあだのおほ野の草枕はかなき夢もをしからぬ身を(1331)


 四

寄傀儡恋といふ事を           後小松院御製

又むすぶ契りもしらで消えかへる野上の露のしののめの空(1338)


切恋の心を                 法印慶運

夢にだにあひみぬ中を後の世の闇のうつつに又やしたはん(1380)


応安六年九月十三夜後光厳院に三首歌講ぜられけるに、寄月恋といふ事を
                    よみ人しらず

もろともにみしは昔の袖のうへに今は涙をかこつ月かな(1434)


 五

弘安百首うた奉りける時          性助法親王

はかなしなつらきは更につらからで思はぬ人を猶おもふ身は(1454)


哀傷

れいならずおはしましける比        朱雀院御製

遠近(をちこち)の風とぞ今はなりなましかひなき物は我が身なりけり(1559)




 上

渡霞といふ事をよませ給うける      後小松院御製

紀の海や由良の湊の朝ぼらけ霞の底に舟こぐらしも(1612)


尚歯会をこなひける所にまかるとてよめる
                     刑部卿頼輔

花みるもくるしかりけり青柳の糸よりよわき老のちからは(1641)


暮春の心を                 法印慶運

年々にあかでわかれし名残までかこちそへつる老の春かな(1659)


正治二年百首歌に           二品法親王守覚

しはつ山風吹きすさぶならの葉にたえだえのこる日ぐらしのこゑ(1690)


正治百首歌に              前大納言忠良

朝ぼらけ野沢の霧のたえ間よりたつ白鷺の声のさむけさ(1748)


 中

弘安百首歌に             二品法親王覚助

定めなき心やみえん山里をさびしといひて又うかれなば(1829)


貞和二年百首歌奉りける時       二品法親王覚誉

のがれきて人めをいとふ心にもあまりさびしき山の奥かな(1853)


 下

百首歌奉りし時               無品親王

伏見山むかしの跡は名のみしてあれまくをしき代々の故郷(2007)


後小松院にて、人々題をさぐりて五十首歌つかうまつりけるに、蕭寺月を
                  入道一品親王永助

松のみやならびの岡のふもと寺軒ばの月も影もらぬまで(2010)


日吉社に奉りし歌の中に         権中納言雅世

見るままに鐘のね遠くなりにけり雲もかさなる峰の古寺(2013)


歌合し侍りけるついでに、前大僧正慈鎮許に読みてつかはしける
                後京極摂政前太政大臣

和歌の浦の契りもふかしもしほ草しづまむ世々をすくへとぞ思ふ(2029)


建保四年内裏十首歌合に          八条院高倉

いざさらばこん世をかねて契りおかむ限りもしらぬ月のひかりに(2035)


神祇

とこしへに君もあへやもいさなとり海の浜藻のよるときどきを(2078)

この歌は、玉津島の御うたとなん


新玉津島社歌合に、神祇         権中納言為重

ささがにのくもの糸すぢ代々かけてたえぬ言葉の玉つしま姫(2143)




最終更新日:平成15年9月21日

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