道助親王 どうじょしんのう 建久七〜宝治三(1196-1249) 諱:長仁 通称:鳴滝宮・光台院御室

後鳥羽院の第二皇子。母は内大臣坊門信清女。土御門院の異母弟。順徳院雅成親王の異母兄。入道二品親王。
建久七年(1196)十月十六日、生れる。七条院の猶子となる。正治元年(1199)、親王宣下。建仁元年(1201)十一月、仁和寺に入る。建永元年(1206)、十一歳で出家、光台院に住む。承元四年(1210)十一月、叙二品。建暦二年(1212)十二月、道法法親王により伝法灌頂を受ける。建保二年(1214)十一月、第八世仁和寺御室に補せられた。寛喜三年(1231)三月、御室の地位を弟子の道深法親王に譲り、高野山に隠居。建長元年(1249)一月十六日、入滅。五十四歳。光台院御室・高野御室と称された。
承久二年(1220)以前の「道助法親王五十首」、嘉禄元年(1225)四月に企画された「道助法親王家十首和歌」などを主催した。隠遁後、宝治二年(1248)の「宝治百首」に出詠。御集が伝わるが上巻を欠く。新勅撰集初出。勅撰入集は計三十八首。「新時代不同歌合」歌仙。新三十六歌仙

入道二品道助親王家五十首歌に、雪中鶯

梅が()にこぞの宿とふ鶯の初音(はつね)もさむくあは雪ぞふる(続古今32)

【通釈】梅の咲いた枝に、去年と同じ宿を探して鳴く鶯――その初音も寒々と震えるように、淡雪が降ることよ。

【補記】鶯は春になると谷から里へ出て来るものとされた。古今集の本歌により、梅の花を女に、鶯を男に擬える意識がはたらく。自ら開催した五十首歌会に出詠した作。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
鶯のこぞのやどりのふるすとや我には人のつれなかるらむ

家に五十首歌よみ侍りけるとき、旅春雨

花と見て今日やぬれなむ春雨にゆけど陰なき峰の白雲(新続古今88)

【通釈】峰にかかる白雲を花と眺めて、今日は春雨に濡れて行こう。いくら先へ進んでも、花の咲く木と違って一向に陰のない雲だけれども。

【補記】桜の陰で春雨の雫に濡れようと詠んだ本歌の風流を慕いつつ、まだ花の季節にならない旅路を行く。

【本歌】よみ人しらず「拾遺集」
桜がり雨はふりきぬ同じくは濡るとも花の影にかくれむ

宝治二年百首歌の中に、夕立を

日をさふる楢のひろ葉に鳴く蝉の声よりはるる夕立の空(玉葉411)

【通釈】日射しをさえぎる程盛んに繁った楢の広葉の中で蝉が鳴くと、その声を合図とするかのように、夕立の降っていた空がみるみる晴れてゆく。

家に五十首歌よみ侍りけるに、江蛍

しらつゆの玉江の蘆のよひよひに秋風ちかくゆく蛍かな(新勅撰182)

【通釈】玉江の蘆に涼しい風が吹きつける――その葦の節(よ)ではないが、宵々ごとに秋が近くなってゆくと感じられるその風に吹かれて飛ぶ蛍であるよ。

【語釈】◇しらつゆの 「白露の玉」から地名「玉江」を導く枕詞として用いる。◇玉江 摂津国の歌枕。今の大阪市高槻市あたり。河内平野を満たしていた湖の名残である三島江の一部を言ったらしいことは、「三島江の玉江の蘆のくらき夜にかげもさはらずゆく蛍かな」(源資平集)などから判る。「玉江の蘆の」は蘆の節(よ)から次句「よひよひに」を導く序のはたらきもしている。

秋歌よみ侍りけるに

荻の葉に風の音せぬ秋もあらば涙のほかに月は見てまし(新勅撰223)

【通釈】荻の葉を風が訪れてそよがせる――その音が聞えない秋があったならば、涙に煩わされず美しい月を見ることができたろうに。

【補記】荻は薄によく似た植物。大きな葉のそよぐ音に秋の訪れを知った。「涙のほかに」は「涙とは無関係に」といった意味。

【参考歌】藤原頼輔「千載集」
身の憂さの秋は忘るるものならば涙くもらで月は見てまし
  藤原伊通「金葉集」
稲葉吹く風の音せぬ宿ならばなににつけてか秋を知らまし

【主な派生歌】
春の月涙の外にみる人やかすめるかげのあはれしるらむ(宗尊親王)
さやかなる月さへうとくなりぬべし涙の外に見るよなければ(永福門院)

月の歌中に

いにしへのかたみとなしの月の色も三十路(みそぢ)くれぬる秋ぞかなしき(続後撰372)

【通釈】懐かしい昔を思い出そうと眺めるわけではないが、月の美しい色も、三十路の終りに近づく秋と思えば切ないことだ。

【補記】月の満ち欠けが三十日で一サイクルを終えることを意識している。

【参考歌】九条良経「正治初度百首」「新後拾遺集」
今年みる我がもとゆひの初霜にみそぢあまりの秋ぞふけぬる

五十首歌よませ侍りける時、年の暮ををしむといへる心を

とどめばや流れて早き年波のよどまぬ水はしがらみもなし(新勅撰438)

【通釈】留めたいものだ。あっと言う間に流れ去ってゆく年齢という波の淀まない水には、塞き止める柵もありはしない。

【補記】「ながれ」「波」「よどむ」「水」「しがらみ」等、川の縁語で以て人生の迅速さを歎いた。

【本歌】春道列樹「古今集」
昨日といひ今日とくらしてあすか川流れてはやき月日なりけり

遠鐘幽といへる心を

初瀬山あらしの道のとほければいたりいたらぬ鐘の音かな(新勅撰1175)

【通釈】初瀬山への道は遠く、吹き下ろす山風は激しいので、鐘の音は届いたり届かなかったりする。

【補記】初瀬山は長谷寺のある山。鐘の音と、山から吹き下ろす風の激しさは、ともに初瀬の名物。

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
春の色のいたりいたらぬ里はあらじさけるさかざる花の見ゆらむ

家五十首歌よみ侍りけるに、暁述懐

契りあれば暁ふかく聞く鐘にゆくすゑかけて夢やさめなむ(続後撰1122)

【通釈】前世からの仏縁のおかげで、暁のまだ闇深い時に聞く晨朝(じんじょう)の鐘に、来世までかけてこの煩悩の夢から醒めよう。

【語釈】◇暁ふかく聞く鐘 早朝の勤行の始まりを知らせる鐘。


公開日:平成14年05月18日
最終更新日:平成24年03月14日