続古今和歌集 秀歌選

【勅宣】後嵯峨院

【成立】正元元年(1259)三月十六日、奉勅。文永二年(1265)十二月二十六日、奏覧。同三年三月十二日、竟宴。

【撰者】藤原家良(完成前に没)藤原基家藤原為家藤原行家真観

【書名】古今・新古今を勅撰集の正道と見なし、この二集を引き継ぐ意図を以て命名されたことが仮名序に明言されている。事実、複数撰者を任命し、仮名序・真名序を付すなど、古今・新古今を踏襲する姿勢をみせる。また院による親撰や竟宴が行なわれた点は新古今集に倣っている。

【主な歌人】宗尊親王(67首)・西園寺実氏(61首)・藤原定家(56首)・後嵯峨院(54首)・後鳥羽院(49首)・藤原為家(44首)・藤原家隆(41首)・土御門院(38首)・順徳院(35首)・藤原知家(32首)・藤原光俊(30首)・藤原良経(28首)・藤原俊成(28首)

【構成】全二〇巻一九二五首(1春上・2春下・3夏・4秋上・5秋下・6冬・7神祇・8釈教・9離別・10羇旅・11恋一・12恋二・13恋三・14恋四・15恋五・16哀傷・17雑上・18雑中・19雑下・20賀)

【特徴】(一)構成 前二集では廃された離別・哀傷の部立を復活させ、新古今集の構成に立ち戻っている。但し賀歌を掉尾に置いたのは前代の続後撰集を踏襲した。
(二)取材 新古今集以後の勅撰集の編纂方針を踏襲し、上代から同時代まで幅広く取材している。万葉集はもちろん、日本書紀などからも採録し、和歌史を遠く遡行する。出典として数が多いのは、建仁元年(1201)の千五百番歌合、宝治二年(1248)の後嵯峨院百首、建保四年(1216)の後鳥羽院百首、弘長元年(1261)以後の弘長百首など。
(三)歌人 前代二集に比べて新古今歌人の比重はやや小さくなり、中務卿親王(宗尊)・実氏・後嵯峨院・為家ほか現存歌人が入撰数の上位に顔を並べている。人麿(26首)・赤人(9首)・家持(8首)ら万葉歌人の多さは新勅撰・続後撰を凌駕する。
(四)歌風 活発で華やかな後嵯峨院歌壇を反映し、多彩な作風を見せる。前二集に比較して趣向や表現技法に新しい工夫を凝らした歌が目立ち、新風への模索が窺える。玉葉風の萌芽とも言えそうな清新な佳詠もあれば、新古今風の妖艶・華麗な歌もあり、新勅撰・続後撰の傾向を引き継ぐ平明温雅な作も多く交じって、悪く言えば歌風に統一感を欠く、ということにもなる。複数撰者の歌観や嗜好の対立・ばらつきがそのまま選歌に顕れてしまったと言えようか。

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『続古今和歌集(正保四年版本)』


     神祇 羇旅  哀傷  



 上

建保三年内裏に百首歌奉りける時      前中納言定家

音羽河雪げの波も岩こえて関のこなたに春はきにけり(12)


春のはじめの歌          後京極摂政前太政大臣

氷ゐし水のしら波岩こえて清滝川にはるかぜぞふく(13)


江上霞と云ふことを             順徳院御歌

難波江(なにはえ)塩干(しほひ)のかたやかすむらんあしまに遠きあまのいさり火(53)


宝治二年百首歌中に、梅薫風と云ふことを
                    入道前太政大臣

たが里の梅の立ち()を過ぎつらん思ひの(ほか)に匂ふはるかぜ(62)


後久我前太政大臣家十五首歌に      土御門院小宰相

春はなほかすむにつけて深き夜のあはれをみする月の影かな(77)


春の夜の月をよめる             中務卿親王

あすか風河音ふけてたをやめの袖にかすめる春のよの月(79)


帰雁をよめる               衣笠前内大臣

ほのぼのとかすめる山のしののめに月を残して帰る雁がね(82)


 下

百首歌人々によませ侍りけるに       前大納言為家

はつせめの峰の桜の花かづら空さへかけてにほふ春風(103)


同二年の詩歌合侍りけるに、河上花     前中納言定家

花の色のをられぬ水にこすさをの(しづく)も匂ふうぢの河長(かはをさ)(116)


弘長元年百首歌たてまつりけるに、花を   前大納言為家

よしさらばちるまではみじ山桜花のさかりを面影にして(125)


日吉社へ五十首御歌奉られけるに      後鳥羽院御歌

吉野山桜にかかる夕がすみ花もおぼろの色はありけり(128)


千五百番歌合に              宜秋門院丹後

春風にしられぬ花や残るらん猶雲かかるをはつせの山(145)


題しらず                  式子内親王

夢のうちもうつろふ花に風ふけばしづ心なき春のうたたね(147)


題しらず                   山辺赤人

春の野に菫つみにとこし我ぞ野をなつかしみ一夜ねにける(160)


洞院摂政家百首歌に            前中納言定家

匂ふより春はくれ行く山ぶきの花こそ花の中につらけれ(167)



三百首歌中に                中務卿親王

雲のゐる遠山鳥のおそ桜心ながくものこる色かな(185)


題しらず                  中納言敦忠

わがごとく物思ふときやほととぎす身をうの花のかげに鳴くらん(213)


夏の御歌の中に              後鳥羽院御歌

神山にゆふかけてなく郭公(ほととぎす)しゐ柴がくれしばしかたらへ(215)


正治二年百首歌に                小侍従

咲きにけりをちかた人にこととひて名をしりそめし夕顔の花(273)




 上

百首御歌の中に               順徳院御歌

かぎりあれば昨日にまさる露もなし軒のしのぶの秋の初風(285)


題しらず                  鎌倉右大臣

今よりは涼しくなりぬ日ぐらしのなく山かげの秋の夕かぜ(295)


建仁の比、百首歌奉りしに        後鳥羽院宮内卿

と山なる楢の葉までははげしくて尾花(をばな)が末によわる秋風(345)


秋の歌の中に                中務卿親王

花すすきおほかる野辺はから(ころも)(たもと)ゆたかに秋風ぞふく(346)

夢路にぞ咲くべかりけるおきてみむと思ふをまたぬ朝がほの花(347)


日吉社百首歌に               慈鎮大僧正

夕まぐれ(しぎ)たつ沢の忘れ水思ひいづとも袖はぬれなん(357)


宝治二年百首歌に、野月をよみ侍りける   前大納言為家

草の原野もせの露にやどかりて空にいそがぬ月のかげかな(424)


 下

題しらず                 舒明天皇御歌

夕されば小倉の山に啼く鹿のこよひはなかずいねにけらしも(444)


十首歌合に                 従二位家隆

天の河秋のひとよの(ちぎ)りだにかた野に鹿のねをや鳴くらん(446)


洞院摂政家百首歌に、紅葉         前大納言為家

くちなしの一入染(ひとしほぞめ)のうす紅葉いはでの山はさぞしぐるらん(508)


百首歌よませ侍りし時、杜紅葉       衣笠前内大臣

むら時雨(しぐれ)幾しほ染めてわたつうみのなぎさの(もり)の紅葉しぬらん(527)




題しらず                  鎌倉右大臣

秋はいぬ風に木の葉は散りはてて山さびしかる冬はきにけり(545)


千五百番歌合に              嘉陽門院越前

木の葉さへ山めぐりする夕べかな時雨を送る嶺のあらしに(552)


時雨といふことを              中務卿親王

風はやみうきたる雲の行きかへり空にのみしてふる時雨かな(587)


題しらず                  大納言経信

雲はらふ比良(ひら)山風に月さえて氷かさぬる真野のうら波(618)


冬雨をよめる               前中納言定家

さえくらす都は雪もまじらねど山のはしろき夕暮の雨(639)


最勝四天王院の障子に           前中納言定家

をはつせや峰のときは木吹きしをりあらしにくもる雪の山本(649)


神祇

撫子のうすくもこくも日暮るれば見む人分きておもひさだめよ(688)

竹のよも我が世もともに老いにしを朽葉さやにもおける霜かな(689)

松の色は西ふく風やそめつらん海のみどりを初しほにして(690)

此三首は北野の御歌となん


社頭花といふ事を               祝部成茂

桜花老かくるやとかざしても神のいがきに身こそふりぬれ(742)


羇旅

津の国のすまといふ所に侍りける時、よみ侍りける
                      中納言行平

旅人は袂すずしくなりにけり関吹きこゆるすまのうら風(868)


旅の心をよみ侍りける            中務卿親王

いかにねて夢もむすばん草枕あらしふく夜のさやの中山(923)


羇中晩風といふことをよませ給ひける    土御門院御歌

吹く風のめに見ぬかたを都とてしのぶもかなし夕ぐれの空(942)


旅行のこころを              土御門院御歌

しら雲をそらなる物と思ひしはまだ山こえぬ都なりけり(943)




 一

題しらず                   業平朝臣

君により思ひならひぬ世の中の人はこれをや恋といふらん(944)


恋の歌とて                  信実朝臣

色ならばいづれかいかにうつるらん見せばや見ばや思ふ心を(957)


名所百首歌人々にめしける時         順徳院御歌

神なびの岩瀬の杜のはつ時雨忍びし色は秋風ぞふく(991)


 二

恋の歌とて                権中納言長方

つれなきを猶さりともとなぐさむる我が心こそ命なりけれ(1067)


寄衣恋の心を           後京極摂政前太政大臣

我が恋はやまとにはあらぬから藍のやしほの衣ふかく染めてき(1111)


 三

寄雨恋                  後鳥羽院下野

かきくもれたのむる宵の村雨(むらさめ)にさはらぬ人のこころをもみん(1140)


後京極摂政家百首歌合に            法橋顕昭

なぐさめし月にもはてはねをぞなく恋やむなしき空にみつらん(1141)


恋の歌の中に               藤原信実朝臣

衣々(きぬぎぬ)の袂にわけし月かげはたが涙にかやどりはつらん(1159)


建保四年百首に               従二位家隆

くもれけふ入相の鐘も程とほしたのめてかへる春の明ぼの(1165)


暁の恋を                  前内大臣

忍ぶべきこれやかぎりの月ならんさだめなき世の袖の別れは(1170)


恋の歌とて               土御門院小宰相

はかなくてみえつる夢の面影をいかにねし夜とまたや忍ばん(1192)


 五

恋の歌の中に                式子内親王

君をまだ見ずしらざりし(いにしへ)の恋しきをさへ歎きつるかな(1316)


六帖題にて歌よみ侍りけるに        前大納言為家

いさしらずなるみの浦にひくしほのはやくぞ人は遠ざかりにし(1387)


哀傷

建保百首歌に         光明峰寺入道前摂政左大臣

ねをぞなくやよひの花の枯れしより教への庭の跡をながめて(1412)


光俊朝臣すすめ侍りける百首歌中に     前大納言為家

たらちねのなからん(のち)のかなしさを思ひしよりも猶ぞ恋しき(1465)


題しらず                   西行法師

かたがたにあはれなるべき此の世かなあるを思ふもなきをしのぶも(1483)




 上

建暦二年二月、南殿のはなを忍びて御らんぜらるとて
                     後鳥羽院御歌

われならで見しよの春の人ぞなき分きても匂へ雲の上の花(1509)


中務卿親王家百首歌中に          藤原光俊朝臣

うき世をば花みてだにと思へどもなほすぎがたく春風ぞふく(1515)


百首御歌中に                順徳院御歌

人ならぬ岩木もさらにかなしきはみつのこじまの秋の夕暮(1578)


月の歌とて                  雅成親王

いかにして身をかへてみん秋の月なみだのはるる此の世ならねば(1592)


 中

三百首歌の中に               中務卿親王

見わたせば塩風あらし姫島や小松がうれにかかる白波(1657)


百首御歌の中に               順徳院御歌

うしとても身をばいづくにおくの海のうのゐる岩も波はかくらん(1706)


 下

伊勢にくだりて侍りけるころ、顕季卿のもとにつかはしける
                      源俊頼朝臣

とへかしな玉ぐしの葉にみがくれて(もず)の草ぐきめぢならずとも(1759)


夜述懐と云ふことを           土御門院小宰相

ながき夜のねざめに思ふ程ばかりうき世をいとふ心ありせば(1815)


千五百番歌合に              嘉陽門院越前

思ふ事なきだにやすくそむく世にあはれ捨てても惜しからぬ身を(1822)


題しらず                 土御門院御歌

浮世にはかかれとてこそ()まれけめことわり知らぬわが涙かな(1845)




弘長三年二月、亀山仙洞に行幸ありて、花契遐年といふことを講ぜられし時
                       今上御歌

尋ねきてあかぬ心にまかせなば千とせや花のかげにすぐさん(1861)


御かへりの日の御おくり物に、御本を鴬のゐたる梅の枝につけて奉りしに書付け侍りし
                       太上天皇

梅がえに代々のむかしの春かけてかはらずきゐる鴬のこゑ(1863)


元久二年三月廿六日、新古今集竟宴おこなはれけるによませ給ひける
                     後鳥羽院御歌

石上(いそのかみ)ふるきをいまにならべこしむかしの跡をまた尋ねつつ(1896)


                 後京極摂政前太政大臣

敷島ややまと言葉の海にしてひろひし玉はみがかれにけり(1897)




最終更新日:平成15年1月16日

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