藤原知家 ふじわらのともいえ 寿永元〜正嘉二(1182-1258) 号:大宮三位入道 法名:蓮性

六条藤家。重家の孫。正三位顕家の子。藤原有家の甥。子の行家は続古今集撰者の一人。
建久四年(1193)十二月、従五位下に初叙され、同六年、美作守に任官。中務少輔・左兵衛佐・中宮亮などを経て、承久元年(1219)正月、従三位。寛喜元年(1229)十月、正三位。嘉禎四年(1238)八月、病により出家。法名は蓮性。正嘉二年(1258)十一月、七十七歳で亡くなった。
建保三年(1215)の内大臣道家百首・内裏名所百首、同四年の内裏百番歌合、同六年の中殿和歌御会・道助法親王家五十首、寛喜元年(1229)の女御入内屏風和歌、貞永元年(1232)の洞院摂政家百首・光明峯寺摂政道家歌合などに出詠。嘉禎元年(1235)、日吉社に自歌合「日吉社歌合」を奉納。これには師の定家が判詞を付けた。定家没後、為家家良光俊らと寛元元年(1243)『新撰和歌六帖題』を詠んだが、定家の跡を継いだ為家に対し次第に反発を見せるようになり、光俊(真観)らと共に反御子左派を形成した。寛元四年(1246)の春日若宮社歌合では判者を務める。宝治元年(1247)頃の後嵯峨院歌合では、藤原為家の判詞に反駁する文書『蓮性陳状』を著して後嵯峨院に奉った。
新古今集には一首しか採られなかったが、新勅撰集には十二首、続古今集には三十二首入り、二十一代集入撰歌は計百二十首に上る。新三十六歌仙。『新時代不同歌合』『続歌仙落書』にも歌仙として撰入されている。

寛喜元年女御入内屏風に、海辺秋風

わたのはら朝みつ潮のいやましにすずしくなりぬ秋の初風(続後撰241)

【通釈】海原に朝潮が満ち渡るように、いよいよますます涼しくなってきたな、秋の初風よ。

【補記】「わたのはら朝みつ潮の」は海辺の状であると共に、「いやましに」を導く序のはたらきをしている。寛喜元年(1229)十一月十六日、九条道家の娘が後堀河天皇の女御として入内する際の、年中行事を描いた月次(つきなみ)屏風に添えた歌。

【主な派生歌】
いやましに風ぞ身にしむあきの浦の朝みつ潮の波のかよひぢ(長慶天皇)

古寺月といへる心を

昔思ふ高野の山のふかき夜に暁とほくすめる月かげ(続後撰1118)

【語釈】◇むかし思ふ 「昔」は弘法大師の事蹟。ここでは特に空海入定の昔を想起しているか。◇高野の山 紀伊の高野山。弘仁元年(810)、空海が真言密教の道場として開山した、高野山真言宗の総本山金剛峰寺がある。中世にはこの世の浄土として仰がれ、さかんに高野詣がなされた。◇ふかき夜 煩悩の深さを暗示。◇暁 弥勒菩薩出世の暁(龍華三会の暁)を暗示。

【補記】建保四年(1216)八月、順徳天皇の内裏で催された当座歌合での作。多くの秀歌選に採られている、知家の代表作。

【他出】続歌仙落書、万代集、古今著聞集、新三十六人撰、歌枕名寄、井蛙抄、題林愚抄

【参考歌】藤原俊成「新古今集」
昔思ふ草の庵の夜の雨に涙なそへそ山時鳥

【主な派生歌】二品法親王深勝「新葉集」
高野山あか月とほく松の戸にひかりをのこす法の灯

日吉社にたてまつりける歌合に、雪を

月かげのもりこしほどぞつもりける尾上の松の雪の下道(続古今671)

【通釈】ちょうど月の光が漏れて来た程、まだらに薄く雪が積もった、山の尾根の松林の下の道。

【補記】嘉禎元年(1235)、日吉社に奉納した自歌合、十五番右勝。定家の判詞には「雪の色、月の影、猶見所おほくや侍らん」とある。

光明峰寺入道前摂政家歌合に寄衣恋

韓藍(からあゐ)のやしほの衣ふかけれどあらぬ涙の色ぞまがはぬ(新拾遺949)

【通釈】韓藍に幾度も浸して染めた衣は深い紅であるが、それとは別の涙の色はまぎれもない。

【語釈】◇韓藍 鶏頭の古名。紅の染色に用いたのでこの名がある。◇やしほの衣 幾度も染料に浸して染めた衣。◇あらぬ涙の色 同じ紅の色であるが、韓藍とは別の涙の色。血涙の色を言う。

【補記】紅深く染めた衣に、より鮮烈な血涙の色が滲む。貞永元年(1232)七月の歌合に「衣に寄する恋」の題で出詠した歌。十一番右勝、定家の判詞は「右、優にをかしき由、各申、右のやしほの衣ふかけれどあらぬなみだのまがはざらなむ、殊宜しくきこゆとて、為勝」。

【参考歌】よみ人しらず「拾遺集」
紅のやしほの衣かくしあらば思ひそめずぞあるべかりける
  九条良経「秋篠月清集」「続古今集」
我が恋はやまとにはあらぬ韓藍のやしほの衣ふかくそめてき

【他出】題林愚抄

冬のはじめの歌とて

神な月しぐるる頃といふことは間なく木の葉のふればなりけり(続後撰462)

【通釈】神無月は時雨の降る時節だというが、それは間断なく木の葉が降るからなのであった。

【補記】初出は寛永二年(1244)頃の『新撰和歌六帖』、題は「神な月」。

【参考歌】よみ人しらず「後撰集」
神な月時雨とともに神なびの森の木の葉はふりにこそふれ

【他出】新撰和歌六帖、万代集、秋風抄、新三十六人撰、新時代不同歌合、題林愚抄

わすれず

今もなほ心にかかる別れかな髪かきやりし人のうしろで(新撰和歌六帖)

【通釈】今もなお心にかかっている別れであるよ。別れ際、髪をうしろへ払いのけるような仕草をした人の、その時の後ろ姿――。

【補記】『新撰和歌六帖』(『新撰六帖題和歌』とも)は『古今和歌六帖』に倣った類題和歌集で、藤原家良・為家・知家・信実・光俊の五名の作を集める。しばしば俗語や新奇な趣向を採り入れ、必ずしも成功しているとは言い難いものの、新風への意欲を見せている。この歌は大人しい方だが、「髪かきやり」「うしろで」などは、物語等には使われても和歌にはほとんど使われていなかった語彙である。

暮春のこころを

この春の別れやかぎりとまる身の老いてひさしき命ならねば(続古今1540)

【通釈】この春との別れが、最後になるだろうか。この世にとどまる我が身は、もはや老いて長くはない命であるから。

【語釈】◇とまる身 この世に生きてとどまる身。「君はよし行末とほしとまる身のまつほどいかがあらむとすらん」(源満中[拾遺集])に由る。

【補記】万代集によれば、結縁経百首の一。写経した料紙の裏に書いた百首歌。寛元三年(1245)、真観勧進。


更新日:平成15年02月04日
最終更新日:平成22年09月03日