藤原頼輔 ふじわらのよりすけ 天永三〜文治二(1112-1186)

大納言忠教の息子。母は賀茂神主成継女。権中納言忠基・参議教長らの弟。難波流・飛鳥井家の祖。飛鳥井雅経の祖父。
保安三年(1122)、従五位下。大治二年(1127)、山城守。保延二年(1136)、従五位上。久安三年(1147)、正五位下。永暦元年(1160)、豊後守。応保元年(1161)、大宰少弐。仁安元年(1166)、従四位下。同年皇太后宮亮。嘉応二年(1170)、刑部卿。養和元年(1181)、知行国豊後国に下向。同二年、従三位。
永暦元年の太皇太后宮大進清輔朝臣歌合に出詠したほか、重家・経盛・実国らの家の歌合、住吉社・日吉社・別雷社などの社頭歌合に参加した。嘉応元年(1169)には自邸に頼政・顕昭・俊恵俊成ら当代著名歌人を招いて歌合を主催。また九条兼実主催の歌合などにも詠進している。
蹴鞠の名手で、飛鳥井蹴鞠の祖。著『蹴鞠口伝集』がある。家集『刑部卿頼輔集』がある(以下「頼輔集」と略)。千載集初出。勅撰入集二十九首。『治承三十六人歌合』に選ばれている。

春日社歌合とて、人々、歌よみ侍りけるに

散りまがふ花のよそめは吉野山嵐にさわぐ峯の白雲(新古132)

【通釈】吉野山の散り乱れる花も、遠くから見ればよい眺めだ。嵐に慌ただしく動く、峯の白雲のようで。

【語釈】◇花のよそめ 花をよそから眺めた時の景色。◇吉野山 「(よそめは)良し」と掛かる。

右大臣家百首なかに、草花を

なつかしき移り香ぞする藤袴われよりさきに(いも)やきて見し(頼輔集)

【通釈】慕わしい移り香がかおる。この藤袴の花は、私より先に妻が来て見たのだろうか。

【語釈】◇右大臣家 九条兼実家。百首歌の成立は治承二年(1178)。◇きて見し 「きて」に「着て」を掛ける。

題しらず

身の憂さの秋は忘るるものならば涙くもらで月は見てまし(千載298)

【通釈】秋は、我が身の憂さを何かと思い出させる季節だ。もし忘れることができるものなら、涙に曇らずに月を見ることができるのに。せっかくの月の美しい季節に、残念なことだ。

【補記】家集では題「月前の述懐」、第四句「思ふことなく」とする。

【主な派生歌】
荻の葉に風の音せぬ秋もあらば涙のほかに月は見てまし(*道助親王[新勅撰])
涙だに心にかなふ秋ならばさやけきままの月はみてまし(宗尊親王)

百首歌よみ侍りける時、旅の歌とて

わたの原潮路はるかに見わたせば雲と波とはひとつなりけり(千載530)

【通釈】海原の潮路をはるかに見渡せば、水平線のあたりで雲と波は一つに溶け合っているのだなあ。

【補記】水平線の上に広がる層積雲と、白く立つ波とが見分け難い情景。右大臣兼実百首。

題しらず

恋ひ死なむ命はなほも惜しきかな同じ世にあるかひはなけれど(新古1229)

【通釈】もう恋い焦がれて死んでしまいそうだ。でもやっぱりいざとなると命は惜しいものだなあ。どうせあの人に逢えないのだから、同じ世に生きている甲斐などないのだけれど。

歌合し侍りける時、忍恋の心をよめる

恋ひ死なば世のはかなきに言ひおきてなきあとまでも人に知らせじ(千載666)

【通釈】恋のつらさに死にそうだが、本当にこのまま死んでしまうのなら、ただ「この世ははかないから」と言い残して、死んだ後までもこの恋を人には知らせまい。

尚歯会(しやうしゑ)おこなひける所にまかるとてよめる

花見るも苦しかりけり青柳の糸よりよわき老のちからは(新続古今1641)

【通釈】花を見ていても辛くなるよ。年老いてもはや気力は青柳の糸よりも弱くなってしまって。

【語釈】◇尚歯会 高齢者を祝う会。『頼輔集』によれば藤原清輔が催した尚歯会だったらしい。◇青柳の糸 芽吹き始めた頃の柳の枝を言う。

【主な派生歌】
秋の日は糸よりよわきささがにの雲のはたてに荻のうは風(正徹)
露霜にあへずかれ行く秋草の糸よりよわき虫のこゑかな(〃)


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成22年12月03日