石川依平 いしかわよりひら 寛政三〜安政六(1791-1859) 号:柳園・橿本(かしがもと)

遠江国佐野郡伊達方村(静岡県掛川市)の大庄屋の家に生れる。父は重高。通称、為蔵。
幼くして流暢な和歌を詠み、時人を驚かせた。六歳の時、評判を聞いた掛川藩主太田資順(すけのぶ)に召されて題を賜り、御前で歌を奉る。資順はこれを賞して色紙短冊等を賜ったという。間もなく冷泉為章に入門し本格的に歌道を学ぶ。その後、同郷の栗田土満真淵宣長門下)に入門し、国学にも精進した。近藤芳樹・加納諸平と共に鈴屋門(すずのやもん)の「一木二平」、また諸平・飯田年平と共に「三平」と称された。門弟は三百人を数えたという。安政六年九月四日没。六十九歳。
家集『柳園詠草』がある(続歌学全書八・校注国歌大系十七所収)。他の著書に『万葉集三山歌考』など。
以下には『柳園詠草』より八首を抄出した。

朝梅

すきまもる風なつかしき梅が香に春の朝戸はいそがれにけり

【通釈】隙間を漏れて来る風も慕わしく感じられる梅の香りに、春の朝は戸を開けることが急がれるのであった。

【語釈】◇朝戸 朝起きて開ける戸。記紀万葉から見える古い語。

【補記】一刻も早く戸を開けて梅の花を存分に香ぎたい。梅の香に対する嘆美の心が下句に躍動している。

【参考歌】藤原隆信「正治初度百首」「隆信集」
さらぬだに風なつかしき夏の夜のね覚に匂ふ軒のたち花

暮山花

家とほし今はの心夕ばえにたゆたふ峯の花のしら雲

【通釈】家は遠い。今はもう帰ろう――しかしその心も、夕映えの美しさにためらう――峰にただよう白雲のような花の夕映えに。

【語釈】◇夕ばえ あたりが薄闇に包まれる頃、ものの色や形が陰翳を深く帯び、明るい時よりも却ってくっきりと美しく見えること。◇たゆたふ 花が白雲のようにふわふわ浮かんで見える意と、心がたゆたう(ためらう)意とを兼ねる。

【補記】初句切れ・体言止め。緻密に構成された、余情妖艶体。新古今の歌を理想と仰いだ作者の至り着いた境地である。

【参考歌】藤原国経「古今集」
明けぬとて今はの心つくからになど言ひ知らぬ思ひそふらむ

夏月

みづ枝さす庭のかつらの追風に影さへかをる夏の夜の月

【通釈】瑞々しい若枝を伸ばす庭の桂――その樹を吹き渡る風に、光さえ香る、夏の夜の月よ。

桂
新緑の頃の桂の木

【語釈】◇みづ枝さす 若々しい枝が伸び出る。万葉集から見える歌語。◇かつら カツラ科の落葉高木。◇追風 背後から吹いて来る風。この場合、桂の樹を吹き通り、香を運ぶ風。

【補記】桂の新樹が月の光に映え、風が若葉の香を運ぶ。初夏の月夜の爽やかな情趣が横溢する。

【参考】「源氏物語・花散里」
御耳とまりて、門近なる所なれば、すこしさし出でて見入れたまへば、大きなる桂の樹の追風に祭のころ思し出でられて、そこはかとなくけはひをかしきを、ただ一目見たまひし宿なり、と見たまふ。

夏川

太田川すずみがてらに小網(さで)させば波にぬれたる夕風ぞ吹く

【通釈】太田川に涼みがてら掬い網を張っていると、波に濡れた風が吹いている。

【語釈】◇太田川 遠江国の川。今の静岡県磐田市や袋井市を流れ、遠州灘に注ぐ。

【補記】川面を渡って来る風の清涼さを「波に濡れたる」と言った。新鮮な感覚的表現への志向には同門の大歌人加納諸平に共通するものがある。歌枕でない、日ごろ親しんでいる川の名を出して、実感が増した。

秋の夜月あかし。籬のもとに菊咲けり

白菊の咲けるやいづら(ませ)のうちはただ月かげのかをるなりけり

【通釈】白菊の咲いているのはどこか。垣根の内は、ただ月の光がほのかに照らすばかりであった。

【語釈】◇籬(ませ) 竹や木などで作った、目の粗い垣。まがき。

【補記】詞書からすると画賛か。白菊を月光とまがう趣向に新味はないが、「ただ月かげのかをる」と言ったのは鮮やか。

【参考歌】凡河内躬恒「古今集」
心あてに折らばや折らむ初霜のおきまどはせる白菊の花
  紀貫之「貫之集」
いづれをか花とはわかむ長月の有明の月にまがふ白菊
  藤原公通「新勅撰集」
月影にかをるばかりをしるしにて色はまがひぬ白菊の花

暮秋雲

ながめわびし夕べの雲のたたずまひそれさへ惜しき秋の暮かな

【通釈】眺め疲れるまで見ていた、夕方の雲のありさま――それさえ惜しく感じる、晩秋の夕暮れ時であるよ。

【語釈】◇ながめわびし 「わぶ」は動詞に付いて「〜する気力をなくす」「〜するのに疲れる」といった意になる。◇秋の暮 秋の日暮と秋の終りの両義を兼ねる。

【補記】趣のある様の雲が、次第に崩れてゆき、やがて夕闇に見えなくなる。そんなはかないものへの愛惜もまた、秋の暮ならではの情趣である。

田家時雨

(しづ)()がをしね刈り干す八手(はて)の上の夕日にそそぐむら時雨かな

【通釈】農夫が稲を刈って干す八手の上に射す夕日――その光に降りそそぐ、一むらの時雨よ。

【語釈】◇をしね 晩稲、または小稲の意とも。◇八手 刈り取った稲などを乾す木。

【補記】時雨は晩秋頃から降り出す通り雨。天気雨になることも多い。収穫を終えた田の寂しげな趣に、時雨が風情を添えている。

【参考歌】曾禰好忠「好忠集」「夫木和歌抄」
山がつの八手に刈り干す麦の穂のくだけて物を思ふ頃かな

下なきて軒ばにかへる家鳩のつばさの色に暮れそめにけり

【通釈】くぐもった声で鳴いて、軒端に帰る家鳩――その翼の色さながらに、日は暮れ始めたのだった。

【語釈】◇家鳩(いへばと) 家禽化された鳩。日本には飛鳥時代または奈良時代に持ち込まれたという。これが再野生化したものがいわゆる土鳩(どばと)である。

【補記】家鳩(土鳩)の翼の青みがかった灰色を夕暮の色に重ね合わせた。人も鳥も家路を辿る夕暮時の哀愁が余情となる。


公開日:平成20年11月22日
最終更新日:平成24年02月06日