澄月 ちょうげつ 正徳四〜寛政十(1714-1798) 号:酔夢庵・垂雲軒

俗姓は西山。備中国玉島の生まれ。年少にして出家し、比叡山で天台教学を修めるが、のち武者小路実岳・有賀長川(長伯の子)に和歌を学び、京都岡崎に庵を結んで歌人として身を立てた。小沢蘆庵伴蒿蹊涌蓮(または慈延)と共に平安四天王と称される。寛政十年(1798)五月二日、八十五歳で没した。墓所は京都市左京区西寺町の専称寺(『名墓録』)。
定家頓阿に私淑し、頓阿の『草庵集』を規範として二条家の伝統的歌風を継承した。弟子に木下幸文・桃沢夢宅らがいる。家集『垂雲和歌集』は弟子の夢宅が編集した遺稿を孫弟子宮下正岑が引き継ぎ、天保二年(1831)に完成させたもの。他に歌論書『和歌為隣抄』などの著がある。
以下には『垂雲和歌集』(続日本歌学全書六に抄録)より三首を抜萃した。

古郷花

住みすててあはれ幾世の宿の花うゑつる木々は春も忘れず

【通釈】人々が住み捨ててから、この里の家々の桜はいったいどれ程の歳月を経たのか。植えた木々は春も忘れずに花咲いているが――。

【補記】「古郷(故郷)の花」は平安末期頃からきわめて好まれた歌題であるが、さらに遡れば万葉集の地霊鎮魂歌に行き着く。人々に捨て去られた土地の霊を鎮める歌である(例:柿本人麻呂「過近江荒都時」の歌)。それが王朝和歌になると、人の世の非回帰的な変化と、それと対比しての自然の循環的な生命力にまつわる抒情となってあらわれた。掲出歌はそうした上代以来の伝統的趣向を引き継いで、日本人に根強く残る心情の世界を歌い上げているのである。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
荒れにけりあはれ幾世の宿なれや住みけむ人のおとづれもせぬ

杖にする竹の心のつくづくとおもへば老いをたすけ来にけり

【通釈】杖に用いる竹の心は――それをつくづくと思えば、老いた我が身を助けて来てくれたのだ。

【語釈】◇つくづく 「(杖を)つく」意を掛ける。

【補記】古人は草木などの自然物のみならず道具などの加工物にも霊が宿ると考えた。「杖にする竹の心」は単なる言葉の綾ではない。物に寄せる古人の心の美風は、和歌によって最もよく知られるところである。

【参考歌】藤原高光「高光集」「続古今集」
世の中はかくこそ見ゆれつくづくと思へば仮の宿りなりけり

寿像賛

けぶりとも立たばさはらむ野辺の月思ひやるまで身は老いにけり

【通釈】我が身が煙となって空に立ち昇れば、邪魔になるだろう。その時の野辺の月よ――おまえのことを思いやるほどに、私は年老いてしまったのだ。

【語釈】◇野辺の月 野辺送りの日、空にある月。野辺には埋葬場の意がある。◇思ひやる 思いを馳せる。「思ひ」の「ひ」には「火」の意が掛かり、煙と縁語になる。

【補記】「寿像」とは存命中に作っておく肖像。その画に添えた歌である。遠くない我が身の野辺送りの日に思いを馳せ、火葬の煙が月の眺めを妨げることを憂えている。おそらく肖像画には「澄月」の名に因み月の絵が添えられていたのであろう。


公開日:平成20年07月09日
最終更新日:平成20年07月09日